第55話 乗り越えた者
低い唸り声が、辺りに反響してる。
この声は、もしかしてメイか?
なんでそんなに怒ってるんだ?
それにしても、腰が痛いな。
地面が固い。
ここはどこなんだろう?
あれ? 俺は今、何をしてるんだったっけ?
たしか、マリッサの魔素を回復させるために水龍の巣に向かって、そしたら、サハギンに襲われて。
俺は、水に押し出されて、それで……。
「っ!? はぁ……はぁ……」
寝てる場合じゃない!!
そう思って飛び起きた俺は、自分が今暗がりの中に居ることに気が付いた。
すぐ傍に居るのは、低い唸り声を上げながら周囲を威嚇しているメイ。
暗がりだけど、彼女が傷だらけになっている事は見て取れる。
「メイ! 大丈夫か!? 怪我したのか? ちょっと傷を」
「ハヤト!! ハヤト!! 良かったぁ……っ! 待っててね、アタシがこいつらを!」
一瞬だけ、俺の方を見て表情を崩しかけた彼女は、すぐに前を向いて威嚇し始めた。
そこでようやく、俺は気づく。
俺達は今、暗い洞窟の奥で、大量のサハギンに追い詰められている。
「マジかよ……」
よく見れば、辺りには粉砕された槍や血痕が飛び散ってる。
もしかして、俺が気を失ってる間中、メイが守ってくれてたのか?
だから、体中傷だらけになって……。
「ハヤト。動ける? ごめん、アタシだけじゃ、ハヤトを連れて逃げ出せなかったから……」
「動けるぞ。だけど、それ以上無理するなよメイ」
ここでゆっくり休んでいこう。
と言いたいところだけど、周囲の様子じゃ、そうはさせてもらえなさそうだな。
それにしても、あれからどれだけの時間が経ったんだ?
ここがどこかも分からないし。
多分、水龍の巣の底にある洞窟とかなんだろうけど。
簡単に逃げ出せるようには見えないな。
って言うか、サハギンたちの目的はなんだ?
どうして俺達を殺さずに、今までこうしてメイとにらみ合いを続けてる?
いくら彼女が強いからと言っても、これだけの人数差があれば……。
そんな、暗い考えを俺が抱いた時、サハギンたちの奥から何者かが声を掛けてきた。
「ヨウヤク、メザメタカ」
「誰だ!?」
ゾロゾロと動くサハギンをかき分けて姿を現したのは、大きな角を持った一人のサハギン。
やたらと大きな槍を手に持っているそのサハギンは、堂々とした出で立ちでこちらを見下ろす。
「オマエ、オレト、コイ」
「俺? 着いて来いってことか?」
「ソウダ」
「ハヤト! 行っちゃだめだよ! こいつら、ずっとハヤトをどこかに連れて行こうとしてたから! 何されるか分からないよ!」
俺をどこかに連れて行こうとしてた?
メイの言うことが本当なら、狙いは俺?
理由が良く分からないな。
でも、これは1つ、交渉材料になるかもしれない。
「分かった。俺は大人しく、お前達について行く」
「ハヤト!?」
「大丈夫だ、メイ。落ち着いてくれ」
「でも……」
「だけど、1つ約束してくれ。俺はお前達について行く。だから、彼女に手を出すな! それでいいなら、大人しくついて行く」
「……」
俺の提案を聞いた一角のサハギンは少し黙った後、ゆっくりと頷いた。
「良かった。そういうわけだ、メイ。今は大人しくこいつらの指示に従おう」
「……うん。分かった。でも、気を付けてね」
「分かってる」
そのまま、一角のサハギンの元に歩き出した俺は、大勢のサハギンに囲まれながらも、洞窟の中を進むことになった。
ちゃっかり、メイも着いて来てる。
大人しくしている分には、俺も彼女も、同じ場所に連れて行かれる予定だったってことなのか?
こいつらの考えが良く分からん。
そうこうしていると、俺達は洞窟の出口らしき場所に辿り着いた。
ようやく外か。
そう思って、出口から一歩踏み出した俺は、そこがどこなのか、ようやく知ることになる。
俺達の頭上に、水面が見える。
自分でもワケの分からないことを言ってるな。
でも、実際そう言う風にしか見えない。
岩肌の崖に囲まれたこの広大な場所は、まず間違いなく、水龍の巣の底だ。
証拠として、頭上にある水面の遥か上に、もう1つの水面があって、そのさらに上から落ちて来る滝の水飛沫が、見て取れるから。
「どうなってるんだ? これ……」
「不思議だね……まるで、水中の泡に入っちゃったみたい」
メイの言う通り、俺達が居る底の部分にだけ、空気の泡が作られてる感じだ。
まず間違いなく、水龍の仕業だよな。
それはつまり、俺達の命を水龍が握ってるってワケか。
幻想的な景色に、感嘆と緊張感を抱きながら、俺達は歩く。
そうして巣のど真ん中に辿り着いた俺達の前には、巨大な二枚貝が佇んでいた。
その貝の前に到着すると同時に、周囲のサハギンたちが一斉にひれ伏し始める。
これはもしかしなくても……。
「ワレラガ、オウ、オトコ、ツレテキタ」
サハギン達に倣って、俺とメイがひれ伏したと同時に、一角のサハギンが声を上げる。
「よ、よくやりました。け、怪我は、させていませんね?」
「ハイ」
メイに怪我させておいて良く言うよ。
なんて憤る俺に構うことなく、貝殻の発する澄んだ女性の声が続ける。
「あ、貴方が身に着けているそれは……エピタフの籠手、で間違いありませんか?」
いきなり本題に入って来たな。
まぁ、狙いが分かり易くてありがたいけど。
「えっと、そうです。この籠手は、エピタフの籠手です」
「そ、そうですか。それは、良かった」
「良かった、とは、どういう意味でしょう?」
「そ、それは……ちがくて。じゃない。べ、別に。貴方には関係のないことです」
水龍はあんまり話に慣れていないらしい。
なんていうか、少し言葉を交わしただけでも分かる。
会話がたどたどしいというか、緊張がダダ漏れだ。
そうと分かれば、会話の主導権を握るのは難しくなさそうだな。
「俺の名前は茂木颯斗と言います。あなたは、水龍様で間違いないでしょうか?」
「え? あ、はい。そうです」
「やはりそうでしたか。えっと、俺を連れてくるように言ってたと聞きましたが、何か用があったのでしょうか?」
「はい。その通りです」
「それは、どういったご用件で?」
「エピタフの籠手を持つ者に、少し伝えなくてはならないことがありましたので」
エピタフの籠手に関して、伝えなくてはならないこと?
その情報がどんなものであれ、かなり気になるな。
そう思い、俺は水龍の言葉を待ったけど、一向に声が返ってこない。
「あの……どうかしましたか?」
「あ! ごめんなさい。少し、上が騒がしくなっていましたので」
上が?
もしかして、マリッサ達か?
隣のメイも俺と同じことを考えたのか、そっとこちらに目を向けてくる。
マリッサ達に手を出さないようにお願いして見るか?
でも、俺達が今こうして呼吸できてるのは、水龍のおかげだし、下手に刺激しない方が良いだろうか?
ここでマリッサ達を攻撃しないようにお願いしたら、彼女たちの助けを借りて逃げ出そうとしてると受け取られるかもしれない。
考えすぎか?
どちらにしても、慎重になるに越したことは無いよな。
「すみません。は、話を戻しますね。エピタフの籠手を授かりし者、モギハヤト。貴方は、その籠手を授かった意味を、理解していますか?」
「……籠手を授かった意味?」
「はい。その籠手は、貴方が死を乗り越えた者であることを示しているのです」
「……はい?」
ゆっくりと語り始めた水龍の話を、俺はよく理解できなかった。
死を乗り越えた者。
以前にも聞いたことがあるようなその言葉の響きは、どこか少しだけ、不穏な気がする。
そう思うのは、俺だけだろうか?