第2話 俺と魔女の邂逅
朧と名乗ったその黒猫は、混乱する俺に色々なことを教えてくれた。
そもそもどうして詳しいのか尋ねたら、彼は誰にも見つからずに行動することが得意らしく、周辺の情報には精通しているとのこと。
まず、今起きているこの異常は1週間前の深夜に発生したらしい。
巨大な地震が起きて、街の至る所で地割れが発生し、その割れ目から無数の魔物が姿を現した。
パニックを起こした人々は逃げ惑い、気が付けばこのあたりには誰も寄り付かなくなってしまったんだと。
おまけに、テレビとかラジオとかネット、そう言った通信系の物は全部繋がらない。
電気も水道もガスも、ライフラインは何もかも止まってるような状況。
完全に社会活動が止まってしまってる。
……自分で話の内容を整理しながら思うけど、これって作り話か何かにしか思えないんだが。
地震とか地割れに関しては、まぁ、百歩譲って理解できる。災害大国日本だしな。
でも、魔物ってなんだよ?
そもそも、猫が話をしてるって時点で、俺はこの話を信じるべきなのか?
最悪、全部俺の夢か幻覚なんじゃないのか?
出来れば、夢であってくれ。
そんな願いを抱いてみるけど、意味があるワケ無いよな。
だって、俺がどれだけ悩んだところで、空に浮かぶ2つの月が、煌々と現実を照らし出しちゃうんだから。
「……本当に世界が変わったってことだよなぁ」
アパートの屋上に寝そべりながら、夜空に浮かぶそれらの月を見上げた俺は呟く。
目が醒めたのが昨日で、それから1日、朧に聞かされた話をこうして考え続けてた。
よく考えれば、俺はどうやって1週間生き延びたんだろう?
正直、もう腹が減りすぎて気が狂いそうだ。
何か食べれるものを持ってくるって言ったっきり、どこかに姿を消した朧を待ってるんだけどな。
全然戻ってくる気配が無い。
「もしかして、魔物に捕まったりしてないだろうな?」
隠れて行動するのは得意って言ってたから、そんなことないと信じたいけど。
「何もせずに待つだけっていうのも、結構つらいな」
これは俺の性分なのかもしれないけど、出来ることがあるのなら、なるべく動いていたいって思うのは変なことだろうか?
「ちょっと様子を見に行ってみるか」
食べ物を取りに行ったってことは、最寄りのスーパーにでも行ってるはずだよな。
……まさか、そのへんのネズミを捕まえて来るなんてことはしないはずだろ?
とにかく、スーパーならここから歩いて5分程度の場所にあるし、行って帰ってくる程度なら大丈夫なはずだ。
改めて屋上から周辺の様子を見渡した俺は、どこにも魔物らしき影がいないことを確認して、すぐに1階まで降りた。
念のために、傘を持って行こう。
スーパーまでの道はよく歩いていたけど、かなり様子が違って見えた。
地震とか地割れのせいで周囲の建物がかなりひどく崩壊したんだな。
そのおかげで、崩れ落ちてきた瓦礫に身を隠しながら進むことができてるワケだから、皮肉なもんだ。
そうして、魔物とも遭遇することなくスーパーの見える大通りまで辿り着いた俺は、動く影を目にして足を止めた。
「なんだ? 誰かいる?」
スーパーの目の前には大きな交差点があって、その交差点の真ん中に人影が見えたんだ。
瓦礫の影から様子を伺った俺は、その影が交差点に何かを並べている事に気が付いた。
「何してるんだ?」
もっとよく見たいけど、月明かりだけじゃあまり詳細まで見ることができない。
近付いてみようにも、身を隠せそうな瓦礫が見当たらないし、もはや、その人影に見つかることなく接近することは不可能だな。
ここは一旦、アパートに引き返すか?
それとも、思い切ってその人影に声を掛けるか?
俺がそんなことで悩んでいると、交差点に居たその人影が、地面から何やら棒状の物を拾い上げると、突然声を張り上げた。
「もう! あと少しなのに、邪魔しないでくれる!?」
一瞬、隠れているのがバレたのかと思った俺は、その声の主が俺とは全然違う方角に棒を構えていることに気が付く。
同時に、声の主が女性なんだってコトにも気が付いた。
なんにせよ、彼女は何者かに邪魔されるのを迎え撃とうとしてるらしい。
相手が誰か知らないけど、たった一人で対抗できるのか?
助けに行った方が良いかな?
なんて考えていると、彼女の持ってた棒状のものが煌々と輝きを放ち始める。
「なんだ? どうなってるんだ?」
自身の背丈よりも長い棒は、どうやら杖のようで、その先端が激しく輝いている。
その光に照らし出される女性の姿を、俺ははっきりと目にした。
黄金色のロングヘアに青いコートと丸い帽子を身に着けている少女。
交差点の先に居るであろう相手を見据える彼女の姿は、幼くも見えるし、凛々しくも見える。
そんな彼女の姿を見た俺は、中でも彼女の耳に目を奪われる。
「尖った耳……? え、まさか」
アスファルトで固められた交差点に立つエルフ。
世界は変わったと理解したつもりでも、目の前で繰り広げられているその光景は、受け入れるのに時間が掛かりそうだ。
だけど、俺が現実を受け入れるだけの悠長な時間は準備されていないらしい。
唖然としている俺は、建物の影から姿を現す人型の魔物を目にした。
「あれは……ゴブリン? いや、サイクロプスとかいう奴だっけ?」
単眼の、筋骨隆々な肉体を持った魔物。
2メートル以上もありそうな巨体のサイクロプスが、手に一時停止の標識を握りしめながら歩いている。
見るからに凶悪そうな奴だ。
それに対して、エルフの少女は全く退く様子を見せない。
本当に大丈夫なのか?
振りかざしてる杖が光ってるってことは、彼女は多分、魔法を使うんじゃないかな?
いや、ただの推測だけどさ。
魔物が居るんなら、魔法があってもおかしくないだろ?
いや、おかしいのか?
とにかく、彼女は魔物を退ける力を持ってると思っても良いはずだよな?
そうじゃないと、あれだけ堂々とサイクロプスの前に立ち続けるなんて、できないだろ。
少なくとも、俺だったら恐怖ですぐに逃げ出してるはずだ。
幸い、逃げ足には自信があるしな。
うだうだと考えてみたけど、結局、俺が助けに入るなんて分不相応な考えなんだよな。
だって、俺は普通のサラリーマンであって、戦うとかそんなこと、出来るわけないんだから。
出来ることと言ったら、学生の頃に陸上部に所属してた経験を使って逃げるだけ。
それが魔物相手に通用するかどうかは、また別の話なんだけどな。
つまり、この場で彼女が襲われる様を見ている暇があったら、今すぐにでも逃げ出せって話だ。
「情けねぇ……」
でも仕方ないだろ?
どこの誰が、こんな急に世界が崩壊するなんて思うんだよ?
そこまで考えた俺は、1週間前のあの日、自分が呟いた言葉のことを思い出した。
同時に、視界の端で1つの影が動くのを捉える。
その影は、サイクロプスに注目しているエルフの少女の背後へと駆けているみたいだ。
暗くてよく見えないけど、小さな人型の魔物らしきその影は、手にこん棒みたいな物を持っていて、彼女を襲うつもりってのは間違いなさそう。
「これが最後の警告です! 邪魔をしないで! そうすれば見逃してあげるから!」
「デハハハ、強がるな、小さなエルフ」
「誰がっ!!」
サイクロプスの嘲笑に怒りを顕わにする少女。
そんな彼女が一歩を踏み出したその瞬間、彼女の背後に忍び寄っていた小さな影が、一気に動きを見せた。
と、同時に。俺はその影に向かって駆け出す。
どうして飛び出したのか、そう聞かれたら何と答えるべきなんだろう?
多分、この時の俺自身も、その質問に対する明確な答えを持ち合わせてなかったと思う。
ただ、自分にできることがあるのに何もしないのは、居心地が悪いから。
そんなフワッとした感情に、突き動かされたんだ。
「背後から襲うなんて、行儀が悪いんじゃねぇのかぁ!?」
自分でも意味が分からないことを叫びながら、エルフの背後にツッコんでいった俺は、手にしていた傘を全力で振り抜く。
狙いは当然、彼女に襲い掛かろうとしていた小さな影。
突然現れた俺に驚いたらしいその襲撃者は、傘の先端を顔に受けて、勢いよく吹っ飛んで行く。
そうして、地面に転がったその魔物を見下ろした俺は、そこでようやく、その魔物がゴブリンなんだと気が付いた。
「ふぅ……、意外とやれるもんだな」
「人間!?」
ほっと一息つく俺の背中に、エルフの声が掛けられる。
そんな彼女の方を振り返った俺は、彼女と対峙しているサイクロプスの鋭い眼光を真正面から受けてしまった。
「邪魔をしたということは、カクゴできているんだろうな、人間」