04
学校から帰ってきた桐花は、いつものようにたこ焼きカフェビアンキの店内――カウンター席で本を読んでいた。
彼女が本格的に本を読むようになったきっかけの作家――シェイクスピアの作品。
その一つ『ジュリアス·シーザー』だ。
桐花は、すでに日本語翻訳版は読んでいたが、語学の勉強のためもあり、英語版を読み直していた。
店の扉が開き、カランカランと音がする。
桐花がそちらを見ると――。
「今日も来てやったわ」
そこにはピーチカラーのツインテールの少女――ココ·グラッドスト―ンが立っていた。
いらっしゃいと声をかける真奈美と柊。
にこやかな真奈美とは違い、桐花は無視して本を読み続けている。
ココはいつも頼んでいるピザ風たこ焼きと紅茶を注文すると、そんな彼女の隣の席に座った。
そして桐花の読んでいる本を見て、ニヤリと笑った。
「ふふ、『ジュリアス·シーザー』ね。いいわ。早速私の考察を話してあげる。この作品で書かれているのは、歴史は進歩するのではなく、循環しているってことなのよ」
桐花の表情が辟易としたものになっていく。
ココはまだ騒ぎ立てているわけではないのに、桐花は「静かにして」と言いたくてしょうがない。
それは普段の行いせいだろう、桐花はココの顔からしてうるさく感じてしまっていた。
「ココちゃんはすごいね~。ホントに何でも知ってる。あたしはシーザーって聞くと“ブルータス、お前もか”と“シャボン玉を使うイタリア人”しか出てこないよ」
「“時の試練”に耐えた作品は、すべからく読むべきものよ。シェイクスピア、スウィフト、ワーズワース、ソウセキ·ナツメ、ヨシユキ·トミノなんかね」
真奈美が褒めると、ココは自慢げに両腕を組んで得意げになった。
それを横目で見た桐花が、興味なさそうに呟く。
「ヨシユキ·トミノって誰よ……」
「桐花、あなた知らないの!?」
ココが驚いた顔をして席から立ち上がった。
そして、両手を広げて演説でもするかのように話をし始める。
「ジャパンが産んだ素晴らしい脚本家よ。彼の作品の多くはSFアニメだけど、すべて文学だといえるわ」
それから長々と作品の素晴らしさを語り続けるココ。
真奈美は目を輝かせて聞いているが、桐花は無視して本を読み続けている。
「他にもピーター·シェーファー『アマデウス』なんかの影響も見られるし……って、ちょっと桐花。ちゃんと聞いてるの?」
「うん? ああ、聞いてるよ」
「本当に? 嘘だったらまたファンネルを喰らわせるわよ」
「聞いてる聞いてる。ココの話はいつも聞いてるわ」
「ふん、当然よね」
それとなく返す桐花の言葉を聞いたココは、嬉しそうに胸を張った。
「チョロいな、ココの奴。お前はそれでいいのか……」
その様子を見ていた柊が小声で言うと、真奈美が二人にニコニコと声をかけた。
「ねえ、ちょっと二人にお願いしたいんだけどいいかな?」
「なに? 変なことじゃなければいいよ」
桐花が本から視線を真奈美に向けて返事をした。
ココは何も言わず立っている。
「実はテスコにおつかい頼めないないかな~って、ちょっとトイレットペーパーが切れそうだから」
テスコとは、イギリスに拠点を置いているスーパーマーケットだ。
店から近いのもあって、真奈美たちがよく利用している。
桐花が席から立ち上がって、真奈美から代金を受け取り外へ向かおうとすると、ココが納得のいかない表情をしていた。
嫌なら来なくていい、一人で行くから、と桐花が言うと、ココはムッと頬を膨らませている。
「そうじゃなくて、まだ私の話が途中でしょ」
「ごめんねココちゃん。今度コスプレ用の服作ってあげるから、それで許して」
両手を合わせて、ココへお願いする真奈美。
ココは俄然行く気になったのか、いつの間にか扉を開けて店の外にいた。
「さあ、行くわよ桐花」
桐花は黙ったまま頷いて、そのままココと一緒にテスコへと向かって行った。
「真奈美は自分が着せたいだけなのに……本当にチョロいな。あいつはあれでいいのか……」
柊が心配そうにしている横で、真奈美は嬉しそうにココに似合いそうなコスプレ衣装のことを考えていた。
イギリスのスーパーマーケットの割合30%近くを占めるテスコは街中郊外問わず見つけられる。
郊外のものは規模が大きく、服や雑貨、家電などなんでも手にはいるので、スーパーマーケットというよりはショッピングモールに近い。
店内に入った桐花とココを、BBC幼児向け番組テレタビーズのキャラクター、ティンキーウィンキー、ディプシー、ラーラ、ポーのぬいぐるみが出迎えた。
「やっぱりカワイイわよね」
「いや、これがカワイイ? あたしはなんか怖いけど」
ぬいぐるみを撫でながら言うココを見て、あまり馴染みのない桐花は顔を引きつらせる。
そしてココの態度を見て、このキャラクターはきっと時の試練に耐えたものだと思っていた。
出入口近くの缶入りクッキーやビスケットのある棚を抜けて、生活用品がある棚を探す桐花とココ。
店内はとにかく広い。
時々子供がローラーがついた靴ですいすい移動して、一緒に居る母親に怒られている。
それから紅茶のある棚を通ると、桐花がそれらを横目で眺めながら言う。
「こっちの紅茶のパッケージのほうが、さっきのぬいぐるみよりもカワイイわよ」
「そう? ただの安物じゃない」
桐花はココの言い方で、この商品は時の試練に耐えていないのだと思った。
ココはそう言うが、実際にテスコのプライベートブランドの紅茶はデザインがとても可愛くできている。
1.5ポンドですが50パック入りで箔押しが施された箱は高級感があり、またイギリス土産にすると安価のわりに喜ばれる商品だ。
このようなプライベートブランドのものは、あまり他の国に流通していないので、それも喜ばれる理由の一つだろう。
そして目的の生活用品があるフロアへ着くと、棚の並んだボディソープなどが見えてきた。
遊園地の思い出の香りというノスタルジックな名前の商品や、モヒート、ピンク·グレープフルーツ、バナナの香りなど変わったものが多く並んでいた。
「フルーツ系はまだわかるんだけど。思い出が香るボディソープってどうなの?」
「あら? でも香る文学作品ってのもあるじゃない。『赤毛のアン』とか」
「たしかにあの本の描写はそうね。それは納得できるけど。モンゴメリはカナダ人よ。イギリスのボディソープとは関係ないわ」
そんなやりとりの後――。
目的だったトイレットペーパーを購入した桐花とココは帰り道に、ふと見た路地裏であるものを目撃してしまった。
それは野良猫の集団だった。
イギリスはTrap·Neuter·Return――地域猫を捕獲して避妊手術を施し、元の場所に戻す活動――通称TNRが盛んだった。
そのせいなのかはわからないが、外には猫が異常に多く、避妊手術をしているというのに野良猫の数が増え続けている。
「猫なんてめずらしくないでしょ。さっさと行くわよ」
「ちょっと待って桐花……」
よく見ると、集団でいる猫が一匹の白い猫を囲んでいた。
集団側がウーと唸ったりシャーという声を出したり、その一匹にジリジリと向かっている。
追い詰められている白い猫は、自分の耳や尻尾を折りながら丸くなっていた。
ココは、両手に持っていたトイレットペーパーの入ったビニール袋を放り投げ、背負っていたスクールバッグから何やら小さな玩具を取り出した。
以前に、たこ焼きカフェビアンキで見せた、手のひらサイズの小型ドローンだ。
ココは右手と左手それぞれに片手で操縦できるリモートコントローラーを持って叫ぶ。
「恥を知れ、俗物どもが 。行けっ! ファンネル!!」
ココの言葉と同時に白い小型ドローンが動き出した。
ノロノロとゆっくりと猫の集団に向かってく。
そして、二台の小型ドローンから、猫の集団をめがけて液体が発射された(液体はただの水だ)。
これは堪らないとばかりに、猫の集団は四方八方へと逃げ出した。
「重力に魂を引かれた連中にこれ以上好きにはさせんよ」
「言ってる意味はわからないけど。確実に猫には関係ないわよね、その台詞……」
ココはそう言い、呆れている桐花を無視して、囲まれていた白い猫の元へ。
それから優しく撫で、小さく震えている猫を抱きかかえた。
「もう大丈夫だからね」
呆れていた桐花だったが、そんなココの姿を見て、つい微笑んでしまう。
抱かれた白い猫は嬉しいのか、安心したのか小さくニャーと鳴いた。