02
――その後。
桐花は周りを飛んでいた小型ドローンを叩き落とした。
ココは「私のファンネルが!?」と表情をうぐぐと曇らせたが、今日のところは負けを認めると言い、カウンター席に腰をかける。
「じゃあ、いつものをお願いね」
まるで何事もなかったかのように注文するココ。
桐花は、柊が渡してくれたタオルで濡れた体を拭きながら、そんな彼女を見ていた。
「いや……あんた帰りなさいよ」
「ライバルが負けると仲間になる法則を知らないの? ピッコロやベジータだって最初は敵だったのよ」
「誰よそれ……」
そして、しばらくして真奈美が出来立てのピザ風たこ焼きをココの前に置いた。
チーズをたっぷりと使い、マヨネーズとトマトケチャップを混ぜたピザソース。
中に入れる具材は、たこはもちろんベーコンやウインナー、ツナやシーフード類、野菜なら玉ねぎやピーマンを薄く切ったものやコーンなどが入っている。
最後にに乾燥バジルを青海苔代わりにのせれば完成だ。
厨房から身を乗り出した真奈美が、何故古い漫画やアニメに詳しいのかをココに訊いた。
ココは熱々のピザ風たこ焼きを、ホクホク顔で口へと運びながら答える。
「私は“時の試練”に耐えた作品しか受け入れないから」
このピーチカラーのツインテールをした少女は、新しいものや流行のものに興味がないんだそうだ。
だから、小さい頃からずっと話の合う友人がいなかったと言う。
それを聞いた真奈美が、シナモン入りのリコリスティーを出しながら微笑みかけた。
「そっかぁ、だから桐花ちゃんと気が合うんだね」
「まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
ほんのり甘いフレーバーと香りを嗅ぎながら、ツンッとした態度を返すココ。
その傍で、桐花がタオルを握りながら強張った顔をしている
「何で上から目線なのよ……」
――次の日。
学校の教室で、静かに授業を受ける桐花。
イギリスでの授業の進め方には日本とは違い、日本の授業では先生が黒板に書き込んだものをノートに書き写し、先生が詳しく説明、たまに質問や教科書を読むなどがあるものの、基本的には先生が主体となって授業を進めていく。
対してイギリスの授業では、先生が黒板に書くようなことはほとんどなく、生徒が発言するチャンスが多く作られている。
これによって、ディスカッションがなされたり、課題に対してプレゼンテーションを行ったりするような授業の流れとなるようだ。
元々目立つのが好きではない桐花は、まだあまり英語が話せないふりをして、誰にも声をかけられないようにしていたのだが――。
「さあ、勝負よ桐花! 次の作品の感想を言ってごらんなさい!! 私はあなたの上を行く考察をしてみせる!!」
ココが何かにつけて絡んでくるので、望む形で授業を受けれたことはなかった。
「ココは桐花と仲が良いみたいだから、いろいろ任せちゃおうかなぁ」
「賛成で~す」
「異議な~し」
どうやら先生や他の生徒もココとはあまり関わりたくないようで、桐花は学校での行事をすべて彼女と組まされることになった。
それから数週間後――。
「……はあ。やっとお昼だ」
桐花は、第一次世界大戦で負けて戻ったドイツ兵のようなグッタリした顔をして食堂へと向かった。
イギリスでは基本的に弁当持参ではなく、学校給食のスタイル。
イギリスの給食では、学校のキッチンで調理、用意された食事を、キッチンにつながっている受取エリア――食堂のカウンターまで生徒が自分で取りに行く。
食堂には、食事をするための机と椅子が並べてあり、学年ごとに時間をずらしながら生徒が入室、食事が終われば退出して次の学年と交代。
学校給食のスタイルは、セルフサービスで取れるようにナイフやフォークが置かれ、自由に追加できる野菜スティックなどが用意されている。
食事が終わった生徒たちは、違うカウンターでデザートをもらうことができる。
デザートを食事の後にもらいに行くことで、メイン料理をきちんと食べてからデザートに手をつけるようにという、学校側の方針があるようだ(学校によっては、カウンターでメインの食事をもらうときに、食事と一緒にデザートも配給される場合もある)。
日本のように、生徒が行う“給食当番”はなく、すべてディナーレディーと呼ばれる女性スタッフがすべてやる。
ディナーレディーとして働いているのは、その学校に通う生徒の保護者であることがほとんどである。
子どもが学校へ行っている時間にできる、学校の休日には仕事が休みになるという理由もあって、保護者に人気の仕事のようだ。
入学当初に、桐花を心配した真奈美がディナーレディーに混ざっていたが、すぐに見つかってつまみだされたことがあった(その前は制服であるブレザーを着て生徒として学校へ侵入し、もちろんすぐにバレて警察を呼ばれたこともあった)。
イギリスの給食には、レッドオプションとグリーンオプションの二種類のメニューが用意されており、生徒がその日、食べたい方を選ぶことができる(学校によってはイエローオプションがあるところもある)。
レッドオプションは、肉や魚が含まれている食事。
グリーンオプションは、ベジタリアン用の食事で、肉や魚が含まれていないものだ。
思想、体調、宗教などのさまざまな理由から、こちらを選ぶ生徒も多いのだそうだ。
さすがは多民族国家のイギリスといったところだろう。
桐花はグリーンオプションを選択して、適当に近くの椅子に座った。
彼女はベジタリアンではないのだが、どうやら今日は食欲があまりないためにこちらを選んだようだ。
フォークを手に取って、切られた人参を転がしていると――。
「さあ、食堂でも勝負よ桐花! その野菜の味について言ってごらんなさい!! 私はあなたの上を行く――」
ココの言葉を遮って、突然バタンと音がした。
桐花がテーブルにフォークを持ったまま顔を押し付ける。
「ちょっと!? どうしたのよ桐花!? しっかりしなさい!! あなたを倒すのはこの私なのよ!!」
「……誰か助けて」
桐花は呟くように言ったが、それが誰の耳にも届かないことをわかっていてもブツブツと続けた。
ハンドルを握った真奈美が、愛車であるフォルクスワーゲン VW タイプ 13W DXバス(カラーブルー/ホワイト) を発進させる。
助手席に座っている桐花が鳴らされたクラクションの音に辟易としていた。
「もう、毎日毎日ブーブーうるさいなぁ」
かけている伊達眼鏡の位置を直しながら呟くように言った。
真奈美は特に気にせずに、桐花を一瞥すると、自身の赤茶髪を手で払ってニッコリと微笑んでいた。
いつもの学校帰りの光景だ。
イギリスの学校は、基本的に保護者が車で送り迎えをする。
それは日本とは違い、治安があまり良くないからだ。
フォルクスワーゲンを駐車場へ停めて、石畳の道を歩き出す真奈美と桐花。
ふと、真奈美が通りを歩いている家族を眺めていた。
仲の良さそうな若い白人夫婦ーーそれとたぶんその夫婦の子供で兄妹か、小さい男の子と女の子の四人家族だ。
……真奈美はあたしと同じで、小さい頃から父親と二人っきりだったみたいだから、やっぱりああいう暖かい家庭に憧れるのかな。
あたしの面倒をみていたら結婚なんてできないわよね……。
なんて桐花が思っていると――。
「う~ん、ナイスショタ&ロリータ」
心配したあたしが馬鹿だった、と桐花は顔を引きつらせた。
真奈美は素晴らしい絵画を見た鑑定士のように、幼い兄妹を見続けている。
その眼差しが気持ち悪いと、桐花は怪訝な顔をする。
真奈美はバイセクシャルだった。
気に入った相手なら年齢も性別も関係ない。
しかし、まさか子供にまでそういう目で見ているとは思わなかった桐花は、冷たい声で「キモい」と呟いてから言葉を続ける。
「おまわりさ~ん、ここに犯罪者がいますよ~」
「桐花ちゃん、やめてッ!!! ただ見てるだけだからッ!!!」
それから自宅であるたこ焼きカフェ――カフェビアンキに到着。
柊が帰ってきた二人を見て、「おかえり」と軽い感じで声をかける。
店内ではいつものように、学生らしき客たちで賑わっていた。
桐花は店に戻るなり、カウンターの席に腰を下ろしてだらしなくうなだれる。
学校でココにつきまとわれているため、精神的に疲れ切ってしまっていたからだ。
……はあ~、あれだけ敵対心むき出しだったココだったけど。
今は学校でもプライベートでも、ずっとあたしから離れなくなってしまった。
懐かなかった猫が懐くのって、きっとこんな感じなのかなぁ。
グッタリとした表情で、ため息をつきながら思う桐花。
その傍で真奈美は、早速テキパキと柊の指示を聞いて各テーブルにたこ焼きと紅茶、コーヒーを運んでいる。
「なんか最近いつも疲れてるな。大丈夫か?」
うなだれている桐花に、柊が洗ったばかりの皿を乾拭きしながら声をかけた。
桐花は、そのままの姿勢で、学校でココにつきまとってくるので疲労していると返す。
それを聞いた柊が苦笑していると、テーブルから真奈美が戻ってきた。
そして「仲がいいね」と微笑むと、桐花は不機嫌そうにした。
「仲がいいって……こっちはとっても困っているのよ」
力なく返事をする桐花。
それを見た真奈美は、人差し指を立ててウインクをした。
「でも、桐花ちゃんが本当に嫌だったら相手にしないで無視するでしょ?」
そう言われた桐花は、普段からハの字寄りの眉をさらにハの字にした。
ぐうの音も出ずに、表情を強張らせて何も言えないようだった。
「なんだかんだいっても桐花ちゃんは優しいからね~」
真奈美がリズミカルそう言うと、桐花はそっぽを向いて「ふん」と突き放すように言った。