10
ロトは真奈美たちが救出に来たときに、一人ココを連れて逃げ出していた。
彼は自身の犯罪者グループ――スクーターギャングが根城にしている空き家――その大広間で、縛り上げたココの隣でブツブツと独り言を言っている。
このままでは確実に警察に捕まる。
これまで見つからずに犯行を積み重ねてきたというのに、あんな一瞬の出来事で牢屋にぶち込まれてしまう。
「なんでだ!? なんで何一つうまくいかないんだッ!?」
声を次第に荒げていくロト。
ココはそんな彼を見て、ただ恐怖で震えていた。
いくら彼らの面が割れたとはいえ、連れて来られた彼女の危機がまだ去ったわけではないのだ。
「だが、まだ……まだ大丈夫だ。ここはあいつらにバレてないし、監視カメラに映らないように移動してきたんだ」
ロトはそう言うとココのほうを見つめた。
震えていたココは、彼の表情を見て声を出して泣き始めている。
「俺はなんでお前なんか攫っちまったんだ……」
ロトがそう呟くと、バイクの音が聞こえ始め、それから大勢の足音も耳に入ってきた。
そして、大広間にアメリカ風ヒップホップのファッションに身を包んだ白人たちが現れる。
ロトの仲間――犯罪者グループであるスクーターギャングのメンバーたちだった。
「お前たち、無事だったか」
素っ気ない態度で訊いたロトに、彼らは突然持っていた鉄パイプでフルスイング。
冷たい金属の棒がロトの腹部にめり込んだ。
一体何を? 倒れたロトは痛みに耐えながら顔を上げると――。
「さっきの乗り込んできた連中の中に警察官が居やがった」
怒りに満ちた顔をして白人の男は続けた。
自分たちの実家に、警察から連絡が来たと親から電話があったそうだ。
警察は今回のココ·グラッドスト―ンの誘拐および、強盗と殺人の罪に問われていると。
もう終わりだ、と彼らはロトに言った。
どうせ捕まって檻に入れられるなら、その前に恨みを晴らしてからだと、各々が手に持った武器を構える。
ロトはわけがわからずに、尻餅をついた状態で慌てて後退する。
その恐怖に満ちた表情の彼を見て、白人の男たちがニヤッと笑った。
「なあ、お前さ。前から俺たちのことバカにしてただろ? 中流階級出身だからってよぉ。謝れ。今すぐ男性器出して土下座しろ」
白人の男たちは、今までずっと我慢してきた。
ロトがどんな態度を取ろうが、人を小馬鹿にするような物言いをしてもだ。
それはロトが彼らにとって金になるからだった。
だが、それももう警察に捕まるのだから我慢する必要がない。
どうせ警察に捕まるのだ。
だったら、この場で今までのツケを払わさせてやる。
それが彼らの言い分だった。
その後にロトは、白人の男たちによって見るも無残な姿へと変えられた。
大広間で伸びている彼は、全身の骨が折られ、顔が誰だかわからないくらい腫れ上がった状態だった。
ロトは最後まで彼らに謝罪をしなかった。
やはりプライドが高かったのだろう。
こんな目に遭わさられても、彼は頭も下げず、裸になることを拒否したのだった。
だがその代償として、命までは取られなかったが、もう息をするのも苦しいほど痛めつけられてしまった。
ある程度気が済んだ彼らが次に目を向けたのは――。
縛り上げられたココだった。
どうせ何年も臭いメシを食うのなら――。
白人の男たちは、罪を重ねることの重さを理解していなかった。
これから刑務所に入ったら、しばらく女を抱くこともできない。
なら、この場でやりたい放題やる。
そんな短絡的な思考しか出てきていなかった。
「まだ子供なのは、この際しょうがねえな」
白人の男たちが、下品な笑みを浮かべてココへと近づいていく。
「いや……やめて……やめてぇぇぇ!」
ココが叫んだそのとき――。
突然ココの一番近くにいた男が、うわっと悲鳴をあげて狼狽えた。
「その娘にこれ以上近づいたら、死ぬよりもつらい目に遭うことになるぜ」
そこには、新しく銜えた煙草に火をつけている男――柊彰吾が立っていた。
先ほど近くにいた男が狼狽えたのは、柊が火のついた煙草を投げつけたからだ。
「てめえさっきの店にいた奴!? なんだよ? 一人でこの人数とやる気かッ!!!」
白人の男たちが叫ぶと、それに負けないくらいの大声が柊の後ろから聞こえてきた。
「一人じゃないよ!!!」
柊の背中からヒョイッと出てきたのは真奈美と桐花だった。
「う~ん、男性同士のバチバチは好きなんですけどねえ。特に裸は尊いのですけど。でもやっぱり集団はあたしの好みじゃないなぁ」
「……お前の性癖の広さって、センターが一人で外野すべてを守ってるレベルだよな」
若干引き気味に言う柊を尻目に、真奈美はスタスタと大広間に入ると、伸びているロトの顔を優しく撫でた。
「……お前たち、どうしてここが?」
うつらうつらと言葉を繋ぐロト。
どうやらまだ意識はあるようだった。
微笑んで返す真奈美。
そして、遠くから柊が説明を始める。
マークが警察署に連絡して、すぐに街にある監視カメラを確認してもらうと、ビックスクーターが集団でこの空き家に向かって行く映像を発見した。
だからパブにあったビックスクーターに乗って、すぐにここへやってきたと。
「あたしはスクーターより、からし色のドゥカティのほうがよかったです」
「真奈美……からし色ってもしかして黄色のことを言ってんのか?」
「せめてマスタードって言わないと伝わりづらいわよ。それと……黄色のドゥカティってレリアのバイクだよね?」
漫才のように会話する真奈美、柊、桐花の三人を見て、ロトは警察官のマークのことを訊ねた。
現在マークはパブで真奈美が倒した男たちを連行中だそうだ。
そして、ここへ警察を大勢連れてやってくると。
「あなたは監視カメラを避けてたみたいだけど。あの人たちはそこまで気が回らなかったみたいね」
そして、ロトをゆっくりと床に寝かせた。
立ち上がる真奈美。
白人の男たちが一斉に身構えると、彼女は「はぁぁぁ!」と何やら芝居がかった声を出し、柊が紫煙を吐き出しながら、呆れて彼女の隣に並んだ。
「桐花ちゃんはココちゃんをお願いね」
そう言って構えた真奈美の横で、柊が手をポキポキと鳴らし始めていた。
白人の男たちは真奈美と桐花を見て、いやらしい笑みを浮かべ始めていた。
もうすぐここへ警察が来ると聞いた彼らは、どうせ捕まってしまうと思っていたのもあってか、ココだけではなく彼女たちも陵辱するつもりだ。
鉄パイプを持った白人の男たちがジリジリと近づき始めると――。
「真奈美ちゃんドロップキックッ!!!」
真奈美が突然叫びながら白人の男の一人へ、高く飛び上がって両足で蹴り上げた。
両膝を折り畳むようにジャンプし、鋭く突き出した両足の裏で男の顔面を蹴り飛ばす。
喰らった男は、そのまま吹き飛ばされた。
「ニャハハ、福富社長直伝ですよ!!!」
よくわからないことを言って勝ち誇る真奈美だったが、当然ドロップキックを放って倒れた状態だ。
そこへ白人の男たちの足が、荒れ狂う豪雨のように降り注いだ。
踏みつけられる真奈美を見て、慌てた柊がすぐさま彼らに飛び掛かり、彼女を救出する。
「この人数相手に寝ちまってどうすんだよ!? もっと喧嘩の仕方を考えろッ!!!」
「はい。ドロップキックしてすみません、生まれて、すみません……」
柊が吠えるように大声を出すと、真奈美は両手の掌を合わせて、しおしおと返事をした。
「……太宰治じゃないの」
それを横目で見ながら、ココを縛っていた拘束を解いていた桐花が呆れていた。
桐花に抱かれたココは、すぐに泣き止むと不思議そうな顔で乱闘を始めた真奈美と柊を眺めている。
二人は何者? と訊いた彼女に桐花はニッコリと微笑んで見せた。
「ただのカフェ店長と店員よ」
鉄パイプが振り回される中、柊は距離を詰めて、その威力を殺して戦っていた。
ゼロ距離からヘッドバット喰らわせて、後ろに回り込んできた相手には肘打ち。
真奈美も柊と同じように距離を詰めて戦う。
近づいて膝蹴りを腹部へ叩き込み、くの字に屈んだ相手の鼻を目掛けて連続の膝。
白人の男たちは自分たちが思う様に、鉄パイプが当たらないことに苛立ちながら叫んでいる。
何故うまく当たらないんだ?
武器を持っていて、人数もこっちの方が多いというのにと。
その戦いの中――真奈美が急に戦法を変えて、相手から離れて間合いを取った。
「はぁぁぁ、荒川究極奥義!!!」
そう叫んだ真奈美は、左の脇腹へ突き、右側頭部へ肘打ち、そのまま顔面に裏打ち、左手で腹部に貫手から、さっきと同じ蹴りから入るコンビネーションを繰り出し、そのまま左右の手足を切り替え、その手順をくり返した。
まるで演舞のようなその連打連蹴で、相手の男は意識を失いながらも攻撃を喰らい続けていると――。
当然――今だと言わんばかりに、周りにいた男たちが真奈美の背中へ鉄パイプをフルスイングで打ってきた。
ギャフンッと呻く真奈美を助けに、柊が飛び蹴りで彼女の周りを囲っていた男たちを下がらせる。
「だからもっと考えろよ!! 」
「わかってるけど、自分の欠点を直視し認めること。ただし欠点に振り回されてはいけませんって最近読んだ本に書いてあった!!! どやぁ!!!」
「都合のいい解釈してんじゃねぇ!!!」
柊はまたも声を荒げたが、真奈美は得意げに顔をキメて大声を出す。
そんな彼女に柊は続けて怒鳴った。
「忍耐力、優しさ、人を見抜く目を欠点から学びましょう……って、なぜヘレン·ケラーを……」
そして、その様子を見ていた桐花もまた呆れていた。
それから――。
マークが警察を連れてやってきて、現場で伸びている白人の男たちを連行し始める。
すべてが片付くと、柊はポケットから煙草ハイライトを出して火をつける。
真奈美は、桐花に抱かれたココに近づいて微笑むと、彼女の頭を撫でた。
そして振り返り、重傷を負ったため、救急車を待っているロトの前につかつかと歩いていく。
彼の前にいたマークが、そんな真奈美を見ていると――。
彼女――真奈美は、いきなりボロボロのロトの顔面へ思いっきり握り込んだ拳を打ちつけた。
かろうじて意識のあったロトは、その一撃で完全に動けなくなる。
「何してんだお前ッ!?」
マークが叫ぶが、真奈美はまったく気にしていないようで、両手を高々とあげて、う~んっと唸り、体を伸ばし始めた。
「うん!! これでスッキリ!!!」
真奈美がそう言うと、マークと警察官たちが飛びかかってきた。
そして、彼女を掴まえてパトカーへと力づくで運んでいく。
「えぇ!? なんでなんで!? あたしは今回のヒーローですよ!?」
何が何だかわからないといった真奈美は、そのままパトカーで連行されて行ってしまった。
「真奈美の奴……今度は強制送還されるかもなぁ」
煙を吐きながら呆れている柊。
桐花とココは去っていくパトカーを見ながら、つい笑ってしまっていた。
真奈美が、警察にロトや仲間の白人の男と共に連行された後日――。
柊も事件に関わっていた人物として、ロンドン市警察へと行くことなった。
その後――被害者であるココ·グラッドスト―ンの証言や、何よりも誘拐したロト自身がすべてを話したので、真奈美、柊は共におとがめなしということに。
ただ、全身を骨折していた重傷者であるロトに対しての真奈美の行動は、行き過ぎた面もあると過剰防衛扱いにされ、社会内処遇――保護観察とされた。
それでも真奈美はまったく気にはしていなかった。
何故ならロンドン市警察の署長が、彼女の保護観察官をマーク·グリーンノアに任せたからだった。
実をいうとこの件は、法律の外の話であり、真奈美に下された処分は厳重注意とさほど変わらないもので、単にマークの仕事が増やされたという結果に終わる。
事件後にココは、叔母であるエルメス·グラッドスト―ンへ、自分の勝手行動――家出で迷惑と心配をかけてしまったことを謝り、エルメスも自分がもっと話を聞いてあげればよかったと、泣き崩れた。
ココが家を飛び出した原因となった白い野良猫。
その猫は、ココに“キュベレー”と名付けられた。
「じゃあ、ココちゃんの家で飼えないんなら、キュベレーはここに住めばいいよ」
真奈美の発言に、柊は飲食店で動物を飼うことは問題ないのかと心配そうに訊ねたが、彼女は「ヘーキヘーキ」とあっけらかんと返事をする。
右手を顔に押し当て、俯く柊。
彼は猫を飼うことに反対というわけではなかったが、その何も考えていない真奈美の態度を見ての苦い顔をしている。
「柊さん……。真奈美が面倒見なくてもちゃんとあたしが世話するから、この子はうちで飼ってあげよう」
桐花からも乞われ、こうして白い野良猫キュベレーは、たこ焼きカフェビアンキで飼うこととなった。
ココは桐花に会いに、たこ焼きカフェビアンキへ来れば、いつでもキュベレーと会えることを喜んでいた。
ただ、桐花は――。
「そんな毎日来なくてもいいじゃないの」
「何よその言い方は! そんなこという桐花にはこれよ! 喰らえ、ファンネル!!」
さすがにウザったくなった桐花が憎まれ口を叩くと、ココが直したばかりの小型ドローンを使って水を吹きかける。
「ちょ、ちょっとココったらやめなさい!? 髪がビショビショになるでしょ!!」
「ふふ、さあ桐花。今日こそ決着をつける!」
二人を呆れて見ている柊。
カフェ内にあった太った黒猫のぬいぐるみに寄りかかって眠っているキュベレー。
真奈美がそれを見て微笑むと、さきほど焼いたばかりのたこ焼きを持って店から出て行こうとする。
「じゃあ、マークのとこ行ってくるね」
「おいおい、それは署内全員分の差し入れか?」
真奈美が、両手に大量のたこ焼きの入ったビニール袋を持っていたためか、柊が訊くと――。
「うん。あと捕まっちゃった人たちの分も渡してくる」
どうやら真奈美は、マークたち警察官だけではなく、刑務所にいるロトや白人の男たちの分も作ったようだ。
それを聞いて、大きくため息を吐く柊。
そんな彼を見て、争っていた桐花とココが手を止める。
「はあ~、あいつはどこまでお人好しなんだよ。ホント兄貴にそっくりだな……」
「そういう柊さんだって、“何かあっても俺は助けたりなんかしねえ”って言ってたくせに」
苦い顔をして言う柊へ、桐花が意地の悪い顔をして言った。
ココはそれを見ながら桐花と同じ顔になっている。
柊は「大人をからかうな」と言うと、厨房へと入り、たこ焼きの仕込みを始めた。
「ねえ、真奈美って昔からああいう人なの?」
ココに訊ねられた桐花は、眠っているキュベレーを抱いて、太った黒猫のぬいぐるみに寄りかかった。
「ええ、あたしが会った頃からずっとああいうウザったい人だったわ」
微笑みながら言う桐花。
そんな彼女に寄りかかられている黒猫のぬいぐるみが、微かに頷いているように動いた。
――と、桐花は我ながら気持ち悪いと思いながらも、そんなことを考えてしまっていた。
了