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空っぽなのに  作者: ニシロハチ
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第一章 6

「とても美味しいです」私は、一口食べて言った。「全部、ラムネさんが作ったのですか?」

「切って焼いただけ」斜め右前に座っているラムネさんは、簡単に答えた。

「それだけでは、この味にはなりません」

「黙って食べたら」ラムネさんの一言で、その後は静かな食事となった。

「明日も、夕食を一緒に食べても良いですか?」私は、立ち上がったラムネさんに言った。ラムネさんはベルさんを見た。

「問題ないよ」ベルさんが答えた。

「そうらしい」ラムネさんは、そう言って片付けの準備をした。

 ラムネさんの料理は、信じられない程、美味しかった。

 材料費を支払う必要があるが、その価値は十分にある。幸い、ベルさんへの支払いは、今回の依頼の成功報酬を得てからでも構わない、と言ってくれた。

 ラムネさんは、貴族の様に上品にご飯を食べる。その姿が印象的だった。こういう仕草は、一朝一夕で身につくものではない。ベルさんが昨日言っていた、エンプティと人を見分ける仕草も、そういう所を見ているのだろうか。

 私は自分の食器を下げた。ラムネさんは、自分とベルさんの分を下げていたが、私の分は、一切下げてはくれなかった。まだ、信頼されていないのだろうか。と言うより、嫌われているのかもしれない。

 ラムネさんは、テーブルを綺麗にした後、自分の部屋に戻って行った。食事中には、殆ど、というか、全く会話がなかった。

「ベルさん、この後、少しだけ話してもいいですか?」私は言った。

「うん」ベルさんは頷く。

 昨日とは違い、シンジュさんの事件に変化が起きた。ラムネさんには、レポートとして、提出している。ラムネさんとのやりとりは、全てメールだ。

 私は、ベルさんのキッチンで紅茶を用意していたら、コーヒーが自動で注がれていた。すぐ後に、ベルさんが現れた。注がれたカップを取って、すぐに出て行った。。私は、ラムネさんのいた席に座った。夕食の時は、ベルさんの左隣だった。

「シンジュさんの事件の進展は知っていますか?」私は言った。

「知ってる」ベルさんは、コーヒーを飲んだ。

「私たちが行ったとこの、すぐ近くでしたね」

 シンジュ・アカダケの自殺は、私たちがエンジェルリングに行っていた時から、約三時間後に行われた。エンジェルリングから、北に二百キロ程離れた荒野だった。今回も、これまでと同様、二人のエンプティがステーションから出てきて、近くの飛行場に移動した。そして、一人のエンプティが飛び降りた。

 私にとっては、タイミングが良かった。昨日だと、なにもする事が出来なかったからだ。お陰で、印を付ける事が出来た。

「今回も二人のエンプティがいました」私は考えながら話した。「シンジュさんの部下や使用人の様な人が、付き添いでいると思っていましたが、エンジェルリングに行ってからは、違うんじゃないかと思う様になりました。エンプティで飛び降り自殺をすることは、ちょっとしたスリルを味わう道楽と思っていましたが、自分が飛び降りるのと、なにも変わらないとわかりました。だとしたら、そんな人が、隣にいて欲しいとは思いません。もっと、身近な人だと思います」

「例えば?」

「恋人とか?」

「なるほど」

「あり得ますかね?」

「可能性はある」

「どうしてですか?」

「お金を持っている」

「…そうですね」確かに、魅力的だろう。それに、シンジュ・アカダケが死を匂わせているのなら、遺産を相続出来る可能性がある。だとすれば、金銭目当ての人にとっては、これ以上の魅力はないのだろう。

「それは、なんか、悲しいですね」私は言った。シンジュさんの心境を考えてしまったからだ。

 ベルさんはコーヒーを飲むだけで返事がなかった。

「これでシンジュさんは、五体のエンプティを失いました。残るのは二体だけです。その二体も、同じように自殺をすると仮定します。その後は、どうなると思いますか?」私はベルさんの反応を見逃さない様にジッと見た。

 目が合う。

 沈黙。

「彼がやっているのが死の疑似体験なら、なんの問題もないです。自分が死ぬなんて、一度しか出来ない事ですから、それを経験出来るのは、貴重だと思います。彼ほどの資産を持った人なら、考えられない事もないです。何度も連続して自殺を繰り返すのは、自分が想像した以上に、魅力的な体験だったから。だとすれば、これまでの奇行にも説明が付きます」私は言った。

 ベルさんの表情は変わらない。

「死の演習かもしれない」ベルさんは呟いた。

 彼は、なにかをするつもりなのだろう。

 お金持ちの道楽だろうか?

 それとも、スリルを求めているだけなのだろうか?

 だとしたら、止めなければならない。

 見つけなければならない。

 それが、私の任務。

「不思議な事がある」ベルさんは言った。「ネオンが助けた女性の被害者がいたよね?」

「はい」

「その人を間近で見た時に、どう思った?」

「どうって、別に、普通でしたけど」

「違和感がなかったよね?」

「はい」話の展開が見えない。

「鞄が大切と話していた」

 ベルさんとは、エンプティの視覚映像と音声を共有していた。なので、私が見たり聴いたりした事は、ベルさんも知っているし、その逆もそうだ。ベルさんが、私の腕を掴んで拘束した時も、加害者と接触した時の映像も見ている。

「そうですね」私は言った。

「被害者の彼女は、今も鞄を受け取っていない」

「えっ?」

「犯人が鞄の中身を持ち出した可能性はない。ずっとカメラで追ったから、なに一つ鞄からは持ち出してはいない。だとすれば、メモしたパスワードか、情報が鞄の中にあり、それを犯人が利用したのかもしれない。そして、すぐに、パスワードを犯人が別のものに替えた。被害者は、それに気付いたから、既に鞄の中身には興味がなく、今も受け取っていない…」

「それはおかしいです」私は反論した。「だって、彼女は、鞄が母親からのプレゼントだと言っていました。中身よりも鞄が大切だと言ったんです」

「それは、僕も後で確認した。でも、事実として、彼女は鞄を受け取っていない。彼女は今、鞄どころじゃないのかもしれない」

「でも、嘘を付いている様には見えませんでした」

「僕にもそう見えた。警察はこの事件を真剣には取り扱っていない。珍しいとはいえ、ただのひったくりだからね。それに、一応は、事件が解決している。でも、不可解な事がまだあって…。それが、一番の謎だ」ベルさんは間をあけた。「僕が捕まえた犯人は、エンプティだった」

「えっ、そうだったんですか。でも、そっちの方が、リスクは少ないんじゃないですか?」

「いや、それはあり得ない」ベルさんの声が、少しだけ強くなる。

「なにがですか?」

「この前は謙遜したけど、僕は、エンプティと人の識別は、これまで間違った事がない。相手が世界ランカでもプロでも、見抜く事が出来る。相手が殆ど動かないとか、遠くて解像度が足りない場合は、わからない事があるけど、あの距離で、しかも犯人は走っていた。人間とエンプティの走り方なんて、見分けが付かないわけがないんだ」

「でも、犯人はエンプティだったんですよね?」

「そう」

「車からは出ていないんですよね?」

「うん」

「車の中で入れ替わった可能性は?」

「それはあり得る。犯人はあっさりと出てきたから、シートの陰に隠れていた可能性がある」

「つまり、ひったくりを行ったのは人間で、車の中にいたエンプティが犯人として捕まって、本当の犯人の人間の方は、シートに隠れた後に、行方を晦ませた、という事ですか?」

「可能性はある」

「でも、エンプティと人は、顔が違うんじゃないですか?」

「何度も確認したけど、同じ人だった。イオ」ベルさんは天井を見て言った。

 テーブルの上に二人の顔が映し出された。一人は、エンジェルリングの電波塔の出入り口でひったくりを行った人。もう一人は、ベルさんが捕まえた時に、車から出てきた犯人だった。どちらも、ベルさんの視覚から画像にしたものだ。どちらも、全く同じ顔、体格、服装だった。どう見ても同一人物だろう。

「この犯人は、自分と同じ姿のエンプティを作って、人間の状態でひったくりをして、車の中で着替えたか、同じ服を二着持っていて、捕まる時にエンプティを身代わりとして差し出したって事ですか?」私はきいた。

「そう考えている事も出来る」

「それじゃ、なんで、最初からエンプティでひったくりをしなかったんですか?それに、生身の人間がシートの隙間に隠れていたとしても、見つかる可能性も高かったはずです。警察も車の中を確認したはずですし。最初からいなかったんじゃないですか?」

「あの車は、あの後、付近の警察署の地下駐車場に移動した。本来であれば、鞄の中の荷物が車の中に残っていないか入念に調べるはずだけど、それをザッと済ませた可能性がある。犯人は、警察署の地下で車から出て、どこかに晦ませたのかもしれない。あの車の現在の行方も確認しているから、中から加害者出ていない事は確認済み。タクシーとして、通常業務に戻っているしね。行方を晦ますとすれば、警察署の地下だけだ」ベルさんは、真剣に言っている。

 でも、どうだろうか?

 犯行に及んだのがエンプティなら、このひったくりには、なに一つ疑問が残らない。エンプティが鞄を奪い、タクシーに逃げ込み、そして出てきた。その後、警察が調べた結果、犯人はエンプティだと証明された。犯人は、ノーリスクで犯行に及び、現在も生身は逃走中だ。それどころか、身元すらもわからない。

 でも、ベルさんの言った仮説なら、犯人は莫大な資金を持っていた事になる。自分とそっくりなエンプティを作るには、億という単位のお金が必要だからだ。それだけのお金を持っていながら、鞄一つ盗んでどうするのだ?それに、ベルさんが言っていた様に、逃げ切る事なんて不可能だ。そんな事は、犯人もわかっている。それなのに、生身でリスクを冒すだろうか?

 スリルを楽しみたかったのだろうか?それが、唯一、もっともらしい。

 でも、現実的じゃない。それなら、街中にカメラがない途上国で、さらに夜中に変装でもすればいい。こんな回りくどい犯行はしないだろう。

「今回の犯人がエンプティだとしても、本人が捕まりますよね。刑事事件が起きた時は、どの専用端末が利用されたのかを、開示できますから」私はきいた。

「被害者が普通の人ならそうなる」

「どういう事ですか?」

「被害者も行方を晦ませた。被害届も出さずに」

「なんでですか?」

「わからない。それに、あの被害者は、どこかで見た事があるかも」

「ん?知り合いなんですか?」

「違う。生身の人間の知り合いなんて殆どいないから。ただ、被害者もエンプティかもしれないって」

「ベルさんの識別だと、エンプティだったんですか?」

「いや。人間だった。それにエンプティなら、人間相手に鞄を盗られない」

「だったら人間なんじゃないですか?私も間近で見ましたし、話もしましたけど、人間だと思いましたよ」

「そうだけど……。この事件は、加害者と被害者が不可解だ」ベルさんは真剣に悩んでいる。

 そうだろうか?

 加害者はエンプティで、被害者が人間だ。被害者の女性は、なにか理由があって、今すぐには荷物を受け取れない。もしくは、怪我か、なにかあったのかもしれない。それで、行方がわからないのだろう。

 人間とエンプティの見分けが付く方がおかしい。

 人間を模して作られたのがエンプティなのだから。

 そして、その中にいるのは人間なのだから。

 だから、高い所が怖いし、大きな音にはびっくりする。

 だから、死の演習をする。

 だから、死の演習に意味がある。

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