第一章 5
僕はぼんやりと椅子に座ったまま、天井を見ていた。
「ネオンさんがコンタクトを求めています」イオが言った。
「どうぞ」僕は答える。
扉が開いて、ネオンが現れる。僕を見つめたまま寄ってくる。デスクの前まで、彼女は来た。
「なに?」僕は言った。
「ホワイト・ベルって本当ですか?」彼女の瞳は、僕を捉えたまま動かない。
「うん」
「どうして、隠していたんですか?」
「隠していない。ちゃんと名乗った」
「そうですけど、世界ランカとは思いませんよ」
「それは知らない」
「今回の犯人をどうやって捕まえたんですか?」
「座ったら」僕は、食事用のテーブルを見た。ネオンは振り返る。
「なにか飲む?」僕は立ち上がった。
「あっ。そんな、悪いです」彼女は慌てて否定した。
「なにが?」その様子が少し可笑しくて笑ってしまった。
「ベルさんの手を煩わせるなんて」
「気にしなくていい」僕はキッチンへ向かった。「ジュースでもいい?」
「ありがとうございます」
冷蔵庫を開けて、リンゴジュースを取りグラスに注いだ。グラスを両手に持って部屋に戻る。ネオンは、立ったままこっちを見ていた。
「立ったまま飲む気?」僕はきいた。
「それでも構いません」
「僕が嫌だ」
「はい」彼女は座った。
「ホワイト・ベルを知っているんだ」僕はきいた。
「それは勿論。でも、女性とは思いませんでした」
「どうして?」
「エンプティの動きを見て、なんとなく思っただけです」
「いい目だ」
「男性の様に振る舞っているんですか?」
「いや、性別を気にした事がない。関係ないと思うし」
「はい。その通りです。それで、話は戻りますけど、どうやって犯人を捕まえたんですか?居場所もわからないのに」
「居場所はずっと追っていた。犯人の犯行は僕が見ていたし、その後の行動は、イオに追わせていた。街中のカメラ映像を借りて」
「イオってAIですよね?」
「うん」
「そんな事も出来るんですか?」
「とびっきり賢いし。色々とね」
「色々…ですか?」
「うん」
「ハッキングとは違うんですか?」
「近いかも」
「へぇ」ネオンは頷いた。
本当は、ハッキングではない。イオは特殊なAIで、システムの管理者の様な権限を持っている。それを、与えられたAIだ。とある天才からその鍵を貰ったのだ。街中のカメラに忍び込むのは、イオの持っている鍵の一つだ。
「それで、犯人の近くのステーションのエンプティにダイヴしたって事ですよね?」ネオンがきいた。
「そう。走るより早いから。それがエンプティの利点だし」
「でも、犯人は車の中です」
「それは、車の前に立ってやったらいい。車のカメラとセンサが障害物を検知して、止まってくれるから。抵抗したら車を破壊する事になったけど、犯人はすんなりと諦めて出てきた」
ネオンは何度も頷いている。
「こういう事件ってなんて言うんでしたっけ?強盗じゃなくて、ひったくりですよね?」ネオンは言った。
「そうかな」
「珍しいですよね。初めて見ました」
「僕もそうかな」
「犯人はなんの為に、犯行に及んだんでしょうか?」
「さぁ。わからないけど」
「ベルさんは鞄の中身を見ていませんか?」
「見てない」
「だって携帯端末は、本人以外扱えませんし、他に貴重品なんてありますか?」
「さぁ」
「宝石でも持ち歩いていたんですかね?」
「でも、逃げ切れるわけがない。宝石は電子化出来ないし、換金するのにも時間が掛かる。その前に捕まるから、犯人はお金を使えない」
「パスワードをメモした紙を持ち歩いていたのかもしれません。それなら、警察に捕まった後も、被害者の女性がパスワードを変更していなければ、アクセス出来ますから」
「可能性はあるね」
それなら、犯人は被害者を知っていた事になる。計画的犯行なら、罪も重くなるだろう。ただ、他にも適した場所や時間はあっただろう。あんな観光地だとカメラからは逃れられない。
「変な事件ですね」ネオンはジュースを飲んだ。
それは、全ての事件に言えるだろう。犯罪なんて全て割に合わない。逃げきるなんて不可能なのだから、犯した罪と等しい罰を受ける事になる。
「そういえば、どうしてベルさんは、犯人が人間だとわかったんですか?エンプティの可能性もありますよね?」
「人かエンプティかは、動きを見れば見分けが付く」
「どうやってですか?」
「さぁ。経験かな?」
「でも、犯人の顔って見えましたか?」
「顔は見ていない。歩き方とか、仕草とか、重心の位置とか…全然違うと思うけど」
「へぇ、私、全くわかりません」ネオンこっちを見たまま、無意識にグラスに触れた。
「そうやってグラスの結露に触れるのは人だよ」
「えっ?」彼女はグラスから手を離した。「どうしてですか?」
「エンプティはグラスの温度を感じる事が出来ないから、無意味に触らない。冷たいと感じるのは、人間だけだ。勿論、そういう習性を知ってわざと装う人もいる。でも、世界ランカでもない限り、僕を騙すのは無理だよ」
ネオンは目を見開いている。
「凄いですね」ネオンは言った。「ベルさんって生身の顔や姿を晒すつもりはないんですか?」
「ない」
「外には出ないんですか?」
「外には出れないんだ」
「えっ?」
「そこのドア」僕は、外へと通じるドアを振り返って一瞬見てから、ネオンを見た。「こっちからは開かないんだ」
「それって、ここに閉じ込められているんですか?」
「そうなるね」
「ラムネさんも?」
「いや、ラムネは、組織側の人間だから、僕の監視の為に隣にいる。出る方法を知ってるだろう」
「そんな事、許されるんですか?」
「社会的には許されないよ。でも、僕もそんなに不満はないし」
「どうしてですか?」
「ここは安全だし、自由な時間もある。欲しい物も買えるし、ご飯も美味しい。たまに来る依頼だけをこなせばいい。それは、ここの家賃だと思っている」
「ご飯なんてどこで食べても同じです」
「いや、ラムネは料理をするんだよ。たぶん趣味なんだろう」
「料理って、料理ですか?凄いですね」
「お金を払えば、ネオンの分のついでに作ってくれると思うけど」
「ホントですか?」
「一人分も二人分も変わらないって言ってたし、三人分も変わらないと思うけど。僕も料理はしないから、詳しくは知らないけど」
「ちょっと、気になります。……。じゃなくて、ベルさんは、ホントにそれでいいんですか?」
「不満はない」
「私、そういうのちょっと嫌です。なるべく自由でいたいですし、晴れた日はジョギングもしたいですし」
「それは、残念だね」
ネオンはこっちを見ている。
沈黙。
マシュマロみたいな時間が流れる。
「もしかして、私もですか?」ネオンは、自分の顔を指さした。