第一章 3
不思議な建物の中に、僕とネオンは入った。
天井は高く広い空間で、奥にはエレベータがあった。そこで地上五百メートルまで上がれるそうだ。この建物は、ガラスが多用されており、殆どの場所から外の景色が見える。この空間だけにも五十人以上いた。エレベータに乗り込むと、高速で上昇した。エレベータにもガラスがあり外の景色が楽しめる様に設計されている。観光客らしき人と乗り合わせたので、それぞれが、エレベータの角に立った。
展望室で止まったが、そこでは乗り合わせた男が降りただけで、目的地は、更に上にある第二展望室らしい。第二展望室が一般の人が立ち入る事が出来る一番高い場所らしい。イオの説明をぼんやりと聞き流しながら知った情報だ。
第二展望室は十分な広さだった。エレベータを中央に円形に広がっている。壁は殆どガラス張りだ。外の景色は、曇っている様な、霧がかかっている様な、靄があったので、遠くまでは見渡せない。都会らしい景色だ。
ただ、その少し下に浮き輪の様な半透明の物体が浮かんでいる。エンジェルリングというらしい。その上を車が走っている。浮き輪には壁やガードレールの様なものは一切ないので、落ちるかもしれないスリルを味わうのだろう。ここには、エンプティの他に、生身の人間もいる。ちゃんとは見ていないが、生身の人間が二割くらいだろう。この国の人じゃない外国人も数人いた。例外なく老人だった。エンプティにダイヴせずに、生身でやって来たのだろうか?実際に自分の肉眼で見てみたいという欲求を持っているのかもしれない。古い価値観だ。でも、服を外に干して太陽に当ててみたい、という人もいるのだから、そういう人もいるのだろう。
このタワーは電波塔らしい。電波塔とエンジェルリングは、一点だけ接している。だから、輪っかの中心が少しズレているのだ。その接している部分からエンジェルリングへとアクセスが出来る。
「車に乗りたいの?」僕はきいた。
「えっ?ああ。そうですね。せっかくですし」ネオンは答えた。ネオンは、さっきから外を眺めていた。霞んでいる景色を楽しんでいるのだろうか?
エンジェルリングで車に乗るには、料金の支払いが必要だった。入口横のモニタに料金が書かれている。中国の通貨なので、幾らかわからないが、直ぐにエンプティの機能で、日本円に換算してくれた。リングの内側を走るか、外側を走るかで五百円だけ違った。内側が約千五百円だった。外側の方が高い。
「一緒に乗りましょう」ネオンが言った。
僕は頷く。
「せっかくですし、外側にします?」
「なにがせっかくなの?」
彼女はニッコリと笑った。ネオンは、ゲートの前にいる人型ロボットと話している。言語は日本語だ。注意事項などが伝えられ、それを了承した。二人で入場ゲートをくぐった。これで、僕の口座から引き落とされた事になる。降りのエスカレータから降りると、エンジェルリングが真横にあった。
そして、電波塔からエンジェルリングの内側に移動した。エンジェルリングは、半透明なので、エンプティなのに、少し落ち着かない。内側を走る車の乗り場は、すぐ近くにあったが、僕らの場合は、リングの壁から出ている階段を上る必要があった。階段は、リングの壁に沿う様に突き出しているが、それがⅤの字になる様に左右に別れている。それぞれ、一方通行の様だ。左上に上る階段を、僕たちは歩いた。
ネオンが先に上り、僕が後に続いた。壁を触ると、しっかりとした作りだとわかる。でも、少しだけ柔らかかった。樹脂製だったはずだ。エンジェルリングは知らないが、スカイライン自体は知っていた。完成当時は話題になったからだ。
安価に製造可能で、軽いのが特徴だ。雨風や紫外線の影響を受けるので、二十年位が寿命らしいが、初期投資が済んでいるので、生産費用は抑えられるとのことだ。高所での工事になるが、その作業をするのもロボットとエンプティだ。橋やトンネルなどの工事費用を考えると、少し高くつくだろうが、どこまででも素早く伸ばすことが出来る事と、撤去も比較的簡単だというメリットがある。
「なんか、未来ってかんじですよね」ネオンが言った。
「うん」僕は同意した。それが一番の魅力だろう。
リングの上部に到達した。ここからは、外に出る事になる。天井の一部がくり貫かれていたので、そこから、外に出た。出口付近には、落ちない様に手摺がある。
風が強い。
直ぐ横に車が停めてあったので、僕たちは乗り込んだ。生身の人間は、リングの内側しか乗れない様だ。
上等なシートに座ったが、エンプティなのでその価値はわからない。エンプティの場合は、座る必要性がない。動作が増えて、エネルギィの無駄になるだけだ。ずっと同じ姿勢でも、体が痛くなることも、疲れる事もない。走り続けても、エネルギィを消耗するだけで、息が切れる事はない。
完璧な体だ。
食事も瞬きも鼓動も必要ない。
あるのは、美だけ。
車のシートは、外が見やすい様に外側を向いていたし、大きな窓もあった。ガラスの部分が普通よりも多い。タクシーと同じ様に、車内には二人だけだが、カメラとマイクが搭載されているだろう。車とはそういう乗り物だ。
車はゆっくりと浮遊し、滑らかに動き出した。エンジェルリングとは接地していない。五十センチ程浮いている。メインラインに合流したらしく、速度が上がった。
「このまま飛んでいっちゃいそうですね」ネオンが楽しそうに言った。
車は、電波塔から離れる様に、どんどん外側に向かった。外側に向かう程、地面は傾く。この車は地面と平行に走るので、今は、三十度程横に傾いている。その分、シートが逆側に動いている。水の入ったボトルを振り回した時と同じ角度で、シートが動いている。特殊なタイプの車みたいだ。最初、視線の高さにあったガラスは、今は天井付近にある。その為にガラスが多く使われた車なのだろう。右側を見ると、リングの内側を走る車と、その奥に電波塔が見えた。内側であれば、遠心力の関係で、シートを動かす必要がないのではないだろうか。
「ホントに落ちちゃいそうですね」ネオンはシートを握っている。車は、本来であれば、滑り落ちる様な角度を走っているからだろう。でも、落ちる時には、シートを握っても意味はない。
しばらく走った後、メインラインを外れて、車は停まった。リングの外側の乗車口からは、少し手前側だった。ここにももう一つ穴がある。車の外に出て、リングの内側に入り、下り専用の階段を下りた。
エンジェルリングから電波塔に移動して、エスカレータで昇り第二展望室に来た。
「やっぱり、エンプティでも怖いですね」ネオンが言った。
「なにが?」
「高さです。生身じゃないので恐怖心はないのかと思いましたが、関係ありませんでした」ネオンは外の景色を見ている。
「シンジュさんも同じじゃないですかね?」ネオンは空気を振動させずに、直接言った。「シンジュさんも怖いはずです」
「そうかもね」僕も直接答えた。
「新しい発見です。収穫がありました」ネオンは振り返って、楽しそうに笑った。