第一章 2
目を開けると、物凄く綺麗な人が目の前にいた。
それは鏡に映った自分の姿だ。
髪は銀色のロング。アジア系の肌に小柄だが上品な見た目だ。
両手を握って、腕を回して、腿を上げて、体の動きを確かめた。
なんの違和感もない。
素晴らしい。
これが、エンプティドール。
鏡に映った自分も自然に笑っていた。
人間と区別が付かない。見た目は全く同じだろう。
いや、こんなに綺麗な見た目の人はいない…と思っていたが、ラムネさんを見てしまったから、そうともいえない。だからやっぱり、区別が付かない。
ラムネさんもベルさんも、整形を行った形跡はなかった。ベルさんに至っては、メイクすらしていない。肌は水に浸した餅みたいにツヤツヤだったけど。二人とも二十代前半くらいだろう。ラムネさんは、私と同じくらいかもしれない。
整形技術が向上して、黙っている分には全く見分けが付かなくなったが、会話をしたり、笑顔をつくった時には、あれっと思う時がある。先生に言わせると、私のその識別能力は、桁外れだそうだ。自分でも、その自覚はある。
それなのに、鏡に映ったエンプティドールの姿は、表情は、人間そのものだ。
体臭なんかも香水を付ければ、誤魔化せるだろう。
だから、街にいる人の中に、エンプティが紛れていても誰も気づけない。
この部屋の壁一面に大きな鏡があり、私の後ろには垂直型のカプセルが五機あった。充電と簡易のメンテナンスを兼ねているらしい。カプセルの蓋は透明で、充電中でもエンプティの姿が見える。今も、二体のエンプティがカプセルの中に入ったままだった。その状態で見ると、エンプティも人形の様に見える。
どうしてだろう?
死体を見ると、恐怖を覚えるのと同じ回路なのではないだろうか?
垂直型カプセルは、ディスプレィとしての意味も持つから、それが、人間味をなくしているのかもしれない。
私が今、着ている服は、好みではなかった。この綺麗な髪色とも合っていない。部屋を出て、衣装ルームを探した。廊下を進んだ先にあり、その中に入ると、百着以上の服がハンガにかけられていた。この衣装も無料でレンタルする事が出来る。人気の大型ステーションにしかない衣装も、予約をすれば、世界中に配達される。それに服を買う時に、配達先を任意のステーションに指定すれば、その服を着る事だって出来る。
たしかに、自分の生身の体で着るよりも、ずっと理想的だ。ただ、ステーションに常備されている衣装は、何十万もするブランド品も多い。自社の服を実際に着てもらえる機会は、そうそうないので、メーカも惜しげもなく提供するのだ。宣伝効果は、確かにあるそうだ。それも、そうだろう。こんなに綺麗なエンプティが街を歩けば、服だって良く見える。エンプティにダイヴして観光しているだけでも、宣伝効果は抜群だろう。みんな動画を撮って、ネットにアップするから、一応は、世界中の人間が見る機会がある。見るかどうは別として。
服を一着一着見ていたら、ロリータ系の可愛い服があった。こんな服で街中を歩いたら、目立って恥ずかしいが、この体ならいいかもしれない。
そうか。だから、私の前にダイヴしていた人は、この服を選んだのだろう。髪の色とか身長とかは関係なく、なんとなく憧れていた服を選んでしまうのか。でも、バランスを考えて、真っ黒のヒラヒラのワンピースを選んだ。誰が買うのかわからない様な模様のタイツに、靴は……どうしようか。ヒールの方が似合うと思うが、履いたことがない。これから歩くだろうし、ベルさんに迷惑を掛けるかもしれない。仕方がなく黒の革靴を選んだ。
ステーションの北側が、ベルさんとの待ち合わせ場所だ。外に出ると、高層ビルが空を埋め尽くしていた。流石に都会だけある。それに人も多い。
「えっと」ショートカットをどこに割り当てていたかを思い出す。「バリアだ」私は独り言を呟いた。中指を、人差指を超えて親指側に結んだ。視界に半透明の文字と絵が現れる。指で操作して、ヘッドアイコンを選んだ。文字は紺色と入力した。
これで、私の頭の上に『紺色』という文字が表示されているはずだ。勿論、生身の人間には見えない。エンプティ、もしくは、多機能な眼鏡を掛けなければ、見る事が出来ない文字だ。エンプティは、本人とは外見が別人になるので、こうやって待ち合わせをする事も出来る。ただ、ヘッドアイコンで『SOS』とは表示してはいけないらしい。本当に助けられてしまうからだ。
私が指で操作していた文字や記号は、私以外には見る事が出来ない。あの文字は、このエンプティの瞳の中に像があるからだ。外部には出力していない。
ちょっとしたアクセサリィを付ければ、生身の人間にも見える様なホログラムを表示する事が出来るが、あれは、生身の人間が身に付ける事が多い。エンプティには不要な機能だからだ。
「こっち」声がした。その方向を見ると、長い黒髪のアジア系の女性がいた。「識別コードを送るね」彼女は、右手を差し出した。
「あっ、はい」私は、握手に応じた。視界に、データを共有しても良いか、とあったので、声に出さずに「イエス」と言った。
これで、目の前の女性が、ベルさんがダイヴしたエンプティだと確認できた。赤いチャイナドレスに白のスニーカだ。
「チャイナドレスが好きなんですか?」チャイナドレスにあしらわれた金色の刺繍を見ながら言った。
「いや、初めから着てたから。意外と邪魔にならないし。靴だけ替えたけど」そう言ってベルさんは、脚を頭よりも上にあげた。肌が露出してかなり際どい仕草だ。バランス感覚を自慢しているのかもしれない。
「どこか行きたいとこがあるの?」ベルさんが言った。
「えっと、ドーナッツみたいになっている所、ありませんでしたっけ?タワーの上に付いてるやつです」
「さぁ。知らないけど」
その場所が、このステーションから車で五分の場所にある事は知っていた。タワーの正式名称も、それが地上何百メートルにあるのかも知っている。けど、私は、詳しくは知らない振りをした。
「ああ。あるね。車でも、歩いてでもいいけど、どっちがいい?」ベルさんが言った。と同時に、画像が送られてきた。開くと、目的地の写真とそこへの経路、移動に掛かる時間がのっていた。
「せっかくなので、歩きませんか?」私は言った。
「うん」
私たち二人は、横に並んで歩いた。かなり派手は二人組だが、他の人は、少し見たり、二度見する程度で、まじまじと見られる事はなかった。それほど珍しくないのかもしれない。
「一瞬で中国を観光出来るんですから、凄いですね。エンプティって」私は周りを見渡しながら言った。上空にはスカイラインが見えている。
「うん」ベルさんは、前を向いて歩いているだけで、周りの景色を楽しんでいる様子はない。
「ここに来たことがありますか?」
「ないよ」
「未来ってかんじで凄いですよね」私は、スカイラインを見て言った。
「うん」
「落ちないんですかね?」
「そんなものを街中には、置いとかないよ」
「そういえば、この近くでもシンジュ・アカダケの事件がありましたね」
「ちょっと待って」ベルさんがこっちを見て言った。「こっちで話そう」後のセリフは、声に出さない通話だった。エンプティに備わっている機能で、喋らずに任意のエンプティと会話が出来る。こうすれば、周りの人に聞かれずに済む。ベルさんは、会話の内容を聞かれない様に、配慮したのだろう。
「聞こえますか?」私は口を動かさずに喋った。
「うん」
「シンジュさんの目的はなんなんでしょうか?」
「わからない」
シンジュ・アカダケの自殺に関する資料は、既に見た。その全てが、飛行機からの飛び降り自殺だ。場所は、アメリカ、イギリス、インド、タイだ。ペースに規則性はなく、最初の自殺が二カ月前だ。ただ、気になるのは、その間隔が短くなっている。一番最近の自殺は、一週間前だった。自殺した全てのエンプティは、シンジュ・アカダケが所有しているもので、服装も綺麗なまま飛び降りている。
飛行場に一番近いステーションから、車か徒歩で移動している。そして、飛行機に乗り込み、飛び降りていた。
この時、シンジュさんは、一人ではなく、いつも二人で移動していた。もう一人も、エンプティだろうと推測されている。このもう一人が、誰なのかは不明。その目的も。考えられるのは、護衛というか、ボディガードの様なものか、もしくは、手続きなどを済ませる使用人か秘書の様な人だろう。または、その両方を備えているかもしれない。飛行機にも、二人で搭乗している事が確認されている。
死ぬ直前まで一緒にいるなんて、相当な仲なのだろうか。
現時点でのシンジュさんの奇行とされているのは、このくらいだ。ここから、私は、シンジュ・アカダケを見つけなければならない。私の任務は、シンジュ・アカダケを止める事ではなく、見つける事だ。つまり、この資料にあった自殺は、私の任務とは全く関係がない。
シンジュ・アカダケの写真を見たが、それは相当昔に撮られたものだ。彼が働いていた時のものになる。彼の年齢は百歳を超えている。百五十歳とかだ。それだけ長生きする為には、これまでに相当な治療を行ってきたはずだ。幸い、彼にはそれを行うだけの財力がある。たぶん、あと百年以上は生きられるのでないだろうか?前例がないのは、彼らの世代から、革新的な医療技術の発展があったからだ。彼らより前の世代は、寿命が来ると死ぬ以外になかった。日本人の平均寿命が八十歳とかの時代だ。今は、お金があり本人が望むなら、いくらでも生きられると言われている。万能細胞のお陰で、ストックはあるのだ。万能細胞を生み出した方法は、褒められたものではないが。
シンジュ・アカダケの仕事は、ソフト関係が多い。イーグルアイと呼ばれる、監視システムを確立したのも彼の偉業だ。エンプティとの関りもある。だから、一代であれだけの財を得る事が出来たのだろう。
パートナはいたが、既に亡くなっている。歳の離れた一人娘も十五年前に亡くなった。彼には兄弟はなく、親戚もみんな死んでいる。百五十歳とはそういう歳なのだろう。それに、彼の世代は、今の様に簡単に延命治療を受けられなかったはずだ。ただ、彼の娘が亡くなったのは、十五年前なので、治療は出来たはずだ。即死でないのなら、病気でも事故でも治す事が出来る。どうして、亡くなったのだろうか?
「シンジュさんが飛び降りて破壊されたエンプティは、全て何者かに回収されています。回収に向かったエンプティが用意周到な事から、自殺はシンジュさんの意志で行っているはずです」私は、声に出さずに言った。
「うん」ベルさんは、返事をするだけで、表情にこれと言った変化がない。
「なので、当たり前ですけど、シンジュさんは、ちゃんと死ぬ意志があるんです」
「それは、そうなんじゃない」
「いえ、自殺といえば、突発的というか、あまり考えずに死んでしまう人も多いはずです」
「死んだ人にきいたの?」ベルさんは、こっちを見て、少しだけ笑ったまま眉を寄せた。
「そんなところです」
「それはすごい」ベルさんは、興味を失った様に前を向く。
「なので、なんらかの法則性の様なものが見つかれば、自殺自体を直接止める事も出来るかもしれません」
「なるほどね」
「シンジュさんを止めて、そこで話しが出来れば、先に進める様な気がします」
「方法は自由だと思うよ」
「それとは違うケースですけど、自殺を行っているのが、シンジュさんじゃない場合がありませんか?」
「ん?どういうこと?」ベルさんはこっちを見る。
「シンジュさん以外の人が、エンプティにダイヴして自殺を行っているんです。つまり、破壊活動です」
「でも、それだと、シンジュ自身が被害届とか損害賠償とか、そういう行動に出るんじゃない?」ベルさんは直ぐに言った。
そう。そこが問題になる。資料を読んでこの可能性は考えたが、ベルさんと同じ疑問が浮かび上がった。
「なにか、後ろ暗いものがあったんです。警察に細かく調べられるとシンジュさん自身が困るような。だから、死んだエンプティの回収だけして、証拠を消しているんです」
「可能性はある」
「ホントですか?」肯定的なベルさんの意見に、少しだけ嬉しくなった。
「嘘ではない」
私たちの足が止まった。目的地に到着したからだ。私は目の前の建物を見上げる。五百メートルの高さがある建物の頂上の周りに、天使の輪の様なものが浮かんでいる。
あの透明な輪と同じものが、この国には浮かんでいる。それがスカイラインと呼ばれるものだ。透明の軽い素材で出来ていて、パイプの様に中が空洞だ。ここにあるものは、エンジェルリングと呼ばれて、パイプをドーナッツの様に曲げている。
スカイラインは、車専用の道だ。現時点では、事故率一パーセント未満で、車が二百キロ以上で走れる道となっている。パイプの周りを走る車と、パイプの中を通る車があり、外と中は、それぞれ一方通行だ。スカイラインは主要都市に伸びており、この国の流通を支えている。万里の長城を文字って、グレート・ロード・オブ・チャイナとか、ネオバンリとか、スカイラインと呼ばれている。
目の前にあるエンジェルリングは、実用的なスカイラインとは違い、より身近に体験できる様に、観光目的で作られている。なので、このエンジェルリングは、実際に車で走って遊ぶ事が出来る。
私たちは、その建物の中に入った。
そこには、映像で予習した通りの光景が広がっていた。