プロローグ 2
「いかがでしょうか?」開発部のヤマシタさんが、緊張気味な笑顔できいてきた。
僕の沈黙に堪えきれなかったのだろう。
「どういう意味ですか?」僕は質問で返した。
「成功するでしょうか?」彼は言った。
「これは、失敗作なんですか?」僕は、右手に持っているものを見た。「良く出来てると思いますけど」
「そうですか」彼の顔が明るくなった。「あっ、いえ、そうではなく、商品化した時に、大勢の方に喜んで頂けるのか、という意味です」
「喜ばないと思いますよ」
彼は、急に驚いた顔をして、眉を顰めた。そんなに、驚くところがあっただろうか?
沈黙。
「もう、いいですか?」僕は言った。質問が無いなら、仕事を早く終わらせたいからだ。
「あっ、いえ、どういったところが駄目なのでしょうか?」彼は額の汗を、ポケットから取り出したハンカチで拭いた。暑いならスーツなんて着なければいいのに。
僕は、右手のものを見た。長さが一メートル弱。幅が七センチの円柱形だ。鉄パイプと同じ位の重さ。仮の名前を彼からきいたが、忘れてしまった。要するに、これは、持ち運び可能な望遠鏡らしい。砂漠やジャングルに行けば、土星の輪が見えるそうだ。市販の望遠鏡よりも軽量になり、耐久性も向上しているそうだ。なので、気楽に持ち運べると言っていた。更に、エンプティと連動して、ピントを自動で合わせてくれる。
つまり、エンプティの視力を、大幅に上昇させる製品ということだ。
「大きさです」僕は言った。
「勿論、試作段階ですので、小さくする事は可能です。しかし、その分、倍率が下がりますので、遠くのものを捉えられなくなります」
「遠くを見る必要がありますか?」
「需要はあると思います」彼は、直ぐに答えた。
「この邪魔な棒を持ってでも?」
「あっ、いえ、ですが、エンプティドールの頭部には、今以上のスペースが残っていません。頭部を大きくする必要があります」
「それは、あり得ませんね」
「はい。ですので、必然的に持ち歩く必要があります」
「クラシカルな眼鏡タイプでは駄目なのですか?」
「そのタイプは、既に、市場に出回っています。それに、この商品は、それらと差別化する為のものです。月のクレータを、誰でも簡単にハッキリと見る事が出来ます。百年前なら、限られた施設でしか見る事が出来ない倍率です。エンプティの画像処理能力が、可能にしました」彼は、僕を真っすぐ見つめて言った。声にも熱が籠っている。
「大勢には必要ない機能です。個人を対象とした販売ではなく、ステーションに常設すれば、何人かがレンタルするかもしれません。ただ、元が取れる可能性は、低いと思います」
「……そうですか」彼は、落ち込んでいる様に見える。この商品に、そんなに懸けていたのだろうか?
「武器として使えたら、僕は欲しいですけど」僕は言った。
「あっ、いえ、そこまでの強度はありません」彼は首を何度も横に振った。
「ジョークです」
話が終わった。
彼が期待した結果は得られなかっただろう。僕と会う為に、一か月前から約束をしていたし、彼の持ってきた資料の多さから熱量は伝わったが、それは、なんの関係もない。彼は、次もお願いします、と言っていた。その後も、特に意味のない言葉を続けた。終わりの挨拶が長くなりそうなので、適当に切り上げて、エンプティから離脱した。
…………。
拳を握る。
爪が掌に食い込み、僅かな痛み。
頭に装着した専用端末を外して、デスクの上に腕を伸ばした。体の動きに椅子が連動してリクライニングを起こしたので、専用端末を置いた。直ぐ横にあるグラスを取って、中の液体を流し込んだ。リンゴの風味がしたので、リンゴジュースなのだろう。それを用意したのは、自分だけど、エンプティにダイヴすれば、リアルの事なんて忘れてしまう。
テーブルの上の端末が起動して、僕に興味がありそうな記事を、ピックアップしてくれた。ぼんやりとした頭で、それを眺める。シンジュの奇行についての記事はなかった。
「ラムネさんから、時間があれば話がしたい、と伺っています」イオが言った。
「あっそう。今からでも」僕は答えた。
………。
「直ぐに来るそうです」イオが言った。
「どうぞ」
ラムネは、ドアを一枚挟んだ隣人だ。長い間、一緒に暮らしている。イオは、AIだ。
ドアが開いて、ラムネが入ってきた。こっちを睨んでいる様に見えるが、それがラムネのデフォルトだ。悪戯をした子どもを叱るみたいな、眼差しで睨んでくる。ラムネは、紙袋を片手に持っている。
「なに?」ラムネが、僕のデスクの前に立ったままなのできいた。僕のデスクの周りには、椅子がないので、誰かが見れば、部下のラムネが僕に報告する様に見えるだろう。見ているのは、イオだけだが。それでも、自分だけが座っているのが、申し訳なく思うので、この位置関係は好きじゃない。
「シンジュの件でなにか進展があった?」ラムネが言った。
「いや」
ラムネは、ゆっくりと息を吐いた。
「そっちは、あったの?」僕はきいた。
「ない」
それだけだろうか?その為だけに、この部屋に来るとは思えない。メールで済むからだ。
「私の部下になる人が来る」ラムネが言った。
「へぇ、どこに?」
「ここ」
「なんの為に?」
「シンジュの件」
「外部に依頼するんだ。別にいいんじゃない?」
「違う」
「なにが?」
「内部に引き込む形になる」
「えっ?リアルの話?」
「そう」
「人が来るの?」
「そう」
「ここに?」
「そう」
「初めて聴いたけど」
「さっき言ったけど」
「…なんで?」
「外部に頼むと情報だけを持ち逃げされる可能性がある」
「それはあるけど、十分なお金をプロに渡したら、ある程度の信頼があると思うけど」
「今回は失敗が許されない」
「ここに来るって、どの位いるの?」
「この件が終わるまで」
「終わった後は?」
「適当に処分する」
「怖いな」僕は眉を顰める。
「…間違えた。双方にとって、適切な対処をする」
「間違うかな?」
「君が勝手に誤解しただけ」
「日頃の行いかも」
「はっ?」ラムネの視線が鋭くなる。
「リアルの体がここに来るってことだよね?」僕は、話題を逸らした。
「その質問は三度目」
「プライバシィは?」
ラムネは、ドアを右手で指をさした。僕の位置からは、左側の壁だ。
「あの部屋を使う」ラムネが言った。
ラムネの言った部屋は、ラムネが生活している部屋の隣になる。壁の一面にドアが二枚あり、右側がラムネの部屋、左側が新人の部屋という事だろう。僕は、ラムネの部屋にも、もう一つの部屋にも入った事がない。そういえば、二日前に、ラムネがその部屋に出入りしていた。わざわざ僕の部屋を経由しないと、ラムネの部屋からは、その部屋には出入り出来ないのだろう。あれは、人を招く準備をしていたのか。だったら、少なくともその段階では、人が来ることが決まっていたわけだ。その時に話してくれても良さそうなものだ。
「いつ来るの?」僕はきいた。
「今日」
「えっ?今日?」
「馬鹿になったの?それとも、耳が遠くなった?」
「いや、信じられないだけだけど。それだったら、もっと早く言うべきだと思う」
「だから、今、伝えた」
「遅いと思うな」
「旅行の前日みたいに、わくわくして、眠りたかった?」ラムネは、悪戯っぽく笑った。
「そうじゃない。僕にも、多少は関係しているんだから、伝えるべきだと思う」
「伝えたら、了承していた?」
「いや、断ったけど。他にも方法があるはずだから」
「その時間が無駄になる。結果は変わらない。私が決めたから」ラムネは、僕の目を見たままだ。
溜息。
「わかった。けど、今後は事前に伝えて欲しい。結果が変わらない事だとしても」僕は言った。
「状況による。けど、君の言い分も考慮する」
「……そう。期待するよ」
「もう一つ、お願いがある」
「なに?」
「これ」ラムネは、左手に持っていた紙袋を僕のデスクの上に置いた。僕は、その中身を見た。よくわからなかったので、紙袋から取り出して、広げて見た。
「今すぐに準備して」ラムネは言った。
「嫌だけど。こういうの好きじゃないし」
「間違えた」ラムネはゆっくりと瞳を閉じた。そして、僕を睨んだ。「命令です。今すぐ準備しろ」