迫り来る死に怯える日々
重い扉を押し開ける。一気に広がる楽しげな声に、お酒の香り。今の僕にはそんな普通の日常、穏やかな毎日が遠い。
眩しさに目を細めながらも、視線はいつもの席へと向かう。入口からは少し見にくいその席に誰かが座っている。一瞬ドキリと胸は高鳴って。しかしすぐに落胆へと変わる。座っていたのは見知らぬ誰か。いつもあそこに座って、ここだよと柔らかく手を振ってくれたあの人の姿はどこにも見当たらない。
当然だろ、と。心の冷たい部分が現実を突きつけて来る。
あのノアの、憎しみに燃え上がった目を。完全に僕を拒絶していたあの態度を覚えてる。
わかってる、忘れてなんかいない。
僕はノアにとっては最初からただの暇つぶしのお遊び。そしてノアを無実の罪で追い立てた悪者。
傷つけて、憎まれて、そうして嫌われてる。
・・・・ノアはもうここにはこない・・・。
もうノアは僕のことなんか忘れてしまってる・・・。
・・・でも、ほんの少しでも可能性があるのなら・・・。
あの時覚悟をしたはずなのに。それでも心の弱い僕は残されたほんの少しの希望にすがることしかできなかった。
「姉上・・・。帰りましょう」
とても静かな声が後ろからかけられたのは、柱時計が、12時の鐘をならし終わった後だった。
振り返らなくても誰だか分かる。
僕の事を姉といって慕ってくれるのは、一人しかいない。
多分僕が城から飛び出した事はとっくに気づかれていて。でも好きにさせてくれた。
忙しいはずのレオがわざわざ追いかけてきてくれて。そうして気が済むまで待ってくれた。こんなに何時間も。
また迷惑をかけたね。情けないお姉ちゃんでごめんね。
こんな弱いお姉ちゃんでごめんね。
「・・・・・っ!! ・・・泣かないで下さい、姉上。僕が・・・僕がきっとお守りいたしますから・・・」
振り返った僕の顔をみてレオが泣きそうな顔をして後ろから抱きしめてくれた。その暖かさにまた涙が溢れだして止まらなかった。
来ないとわかっていてもほんの微かな期待を胸に毎週水の曜日、約束の時間、約束の店に一人で向かう。もしちらりとでも兵士の姿を見られたら、それこそ二度とノアは僕の前には現れてくれない気がして。心配して護衛を申し出てくれた沢山の人達の好意を、僕はただひたすらに踏みにじった。ついて来れば二度と城には戻らない、と汚い脅しまで使って。一人でふらふらと店へ通い続けた。
服用する薬の量は格段に増えた。それに比例して副作用も想像を絶する痛みを共なって現れたけど、ある時期を境にそれもなくなった。医師達はその事実に難しい顔をして黙り込んでいた。多分もう僕の体はボロボロで。体を守るための副作用さえでなくなったんじゃないかな。けれど、僕にとっては好都合だった。
水の曜日、約束のその晩だけは薬を際限無く飲んだ。そうして症状を極限まで押さえ込み、ふらつく体で店へと向かう。その姿は異様だったんだろう。みんな憐れんだ目で僕を見て、僕が通ろうとすると体を横にずらして道を譲ってくれた。
毎週決まった時間、決まった席を選んで着席する。そんな僕に、店員さんはただならぬものを感じたのか。ある時から、そこには予約席とかかれたプレートがおかれるようになり、なにも言わなくても僕はその席に案内されるようになった。ありがとう、と礼を言う僕に店員さんはいつも優しく「今日は来てくれるといいですね。」と声をかけてくれる。人の優しさがどこまでも身に染みた。
今日も壁掛け時計の音がする。ボーンと一回ひどく悲しげな音。いつもこの音がお開きの合図だった。
僕はその音を合図に席を立ち、城へと帰る。
そんな夜をいくつも越し、寂しさを紛らすために手紙を書く。
ノアへ、から始まる手紙。内容はどうでもいいものばかり。かわいい猫を見つけたこと。育てていた花がやっと咲いたこと。今日は星が綺麗に見えたこと。時には昔仲良くなった、隣に座っていたおじさんの素晴らしい髪型や、ノアの顔なんかも書いてみた。物凄く、上手にかけたと思う。自分でいうのもなんだけど、才能あるんじゃないかな、うん。もう少し早くわかってたら、絵かきになってもよかったかもしれない。
幾通も幾通も。届くはずのない手紙に気持ちを吐き出しては、そのままごみ箱へと捨てる。どの便箋がいいかな、と選んだり。どんな内容がいいかな、と考える。こんな時ノアはこう答えるかな、それともこうかな、と思い浮かべては心が幸せと寂しさで染まる。そんな夜を何日も過ごした。そうして、ゆっくりと時間をかけて、僕はその事実を飲み込んだ。
どれだけ待ったところでノアはもう、あそこには来ない、という事実を。
病は気からとはよく言ったもので。ノアという支えを失った僕は、崖から転がり落ちるように一気に体調を崩した。日中の大半をベットの上で過ごすようになり、食事も喉を通らなくなった。そんな僕を見かねて、少しでも良くなれば、とよくわからない治療を施された。苦い薬を飲むだけなら我慢できたが、火のついた葉で体中を叩かれたり、全身に針を刺すのは想像を絶する痛みで。叫び声を上げて苦しんだ。それでも少しでも症状が良くなれば堪えられるが、効果は全く現れず。ただただ残り少ない僕の体力を奪っていっただけだった。
【妖精の涙】があれば症状を押さえ込めるのに、と。ある時薬師達が悔しそうに話しているのを聞いた。けれどそれはとても珍しい薬で、お金を積めば買えるものではないらしい。探してはいるけどまだ入手には至っていない。
その話を聞いても僕の心は一つも動かなかった、たとえそれを無事手に入れて飲んだとしても、呪いの根本的な解除には至らず、結局は時間とともに僕の命は尽きるらしい。それなら、僕のために無駄なお金を使わないで、助かる誰かが使えばいい。
気を張って、精一杯強がってはみたけれど。覆しようのない死はいつ何をしていても僕の後ろをくっついてきて。毎日毎日僕の心を蝕んでいった。
ここで出てくる妖精の涙は、数ヶ月間あらゆる体の不調を治してくれるとても貴重な魔法具です。
ちなみに現在ノアがそれを所有しています。




