ただ生きてほしい
呼吸が苦しい。動く度に視界がぐらぐらと揺れる。もう手にも足にも力が入らない。全身が火を付けられたように熱い、焼け死にそうだ。
・・・・辛い。
・・・・苦しい。
・・・これ以上受けきれない・・・。
でも、それでも・・・・。
襲ってきた刃を、渾身の力で払い落とす。
僕が倒れれば、押さえをなくした兵士達がノアに襲いかかる。ノアが望んだような一騎打ちなんて最初から存在しない。総指揮官である僕が勝てば、手柄はそのまま僕のものになり、負ければノアは数の暴力に排除され、最初からいなかったものにされる。公平な一騎打ちなど最初からありはしない。
ノアは勝っても負けても潰される。
だからこそ僕は絶対に負けられない。どれほど苦しかろうが、どれほど辛かろうが、膝をつくわけにはいかない。
どれだけ君に、敵対しようとも。どれだけ君に憎まれようとも。
ただ、君を逃がすために・・・・!!
そうしてそのためには、絶対に必要な言葉がある。
「とにかく答えて! 本当にノア達が子供を殺したり女の人を攫ったの?」
【やっていない】という君自身の証言がいるんだよ、ノア!
突き出された二本の刀を左右に弾き返し、まっすぐに目を覗き込んだ。僕が大好きだった美しい空色の瞳が、僕を見据えたままゆっくりと細まった。深い苛立ちと憎しみに燃え上がるような視線。それだけで殺されるかと思うほど、その眼には力があった。
「さあな・・・。 女は数えきれないほど抱いたが・・。攫った覚えはねぇなぁ・・」
攫ってない。
それは僕自身が望んだ答えなのに、その言葉が頭に届く前にとうとう僕の心は限界をむかえた。
・・・・筋違いだ。
わかってる。
・・・・僕はノアの恋人でもなんでもない。
ちゃんとわかってる。
でもノアに愛され大事にされた人がいた。それも数えきれないほど。
その事実は僕を打ちのめすには充分だった。
「お前もじきに抱いて抱いて抱き潰して捨ててやるつもりだったのに、残念だ」
ノアの口角が、ゆっくりと左右均等に押し上がる。今まで見たこともない侮蔑と軽蔑を含んだ笑み。
まるで汚いものを見るみたいに、冷たく底光りする瞳。
僕が大好きだった空色の瞳が僕を見る。
・・・・・ああ、いつの間に・・・。
いつの間に僕は、こんなに嫌われてしまったのだろう。気がつかないまま、彼をこんなにも怒らせてしまったのだろう。一体なにがいけなかったのか。今までの会話を振り返って見たけれど、心当たりがない。
ノアはずっと優しくて。鋭い目元をいつも柔らかく細めて僕の話を楽しそうに聞いてくれた。
僕はただそれがうれしくて幸せで・・・。
・・・・・・・ああ、そうか・・・。
唐突に理解した。
最初からだ。最初から僕は好かれてなんかいなかった。惹かれたのは僕だけで。ノアにとっては最初から僕は遊んで捨てるだけの対象でしかなかった。だからなにも聞かれなかった。だからなにも話されなかった。一線を引き、その内側には入れてもらえなかった。最初から僕の存在なんてその程度のものだった。
・・・・・・でも・・・・・。
ざざっと、後ろにいる兵士達が動く気配がした。
・・・・でも、それでも僕にとっては大事な時間だった。
たとえ君が全て嘘だったと言ったとしても。僕にとっては大切で幸せな時間だった。
「・・・・。・・・・つまり攫ってなんだね・・・?」
逃がさなければ。絶対に君を・・・。
震える喉を励まして、気持ちに引っ張られるように下がる顔を必死であげて。まっすぐにノアの顔を覗き込んだ。ノアの形のいい眉が不愉快そうに寄った。
ノアから返事はない。足が震える。もう立っていられない。それでもここで倒れるわけにはいかない。
ノアの口元がわずかに動いた。けれどすぐに思いなおしたように何の音も発することなく閉じられてしまう。
・・・・ノア・・・。 お願い、〈はい〉っていって・・・。
小さな祈りはきっとノアの耳には届いてない。
また重い沈黙が数秒流れて・・・。
「攫ってねぇ。子供を殺すわけがねぇ」
僕の顔を嫌そうに睨んでいた瞳がすっと横に反らされて。それでもはっきりとその言葉は返ってきた。
よく通る少し低い声。堂々とした、少しもうそ偽りを感じさせない声。
・・・・・・・うん、知ってたよ・・・・。
でも少しだけ疑ったかもしれない。ごめんね。
報告にあがった海賊はやっぱりノアじゃない。ノアはやってない。
やっとでてきた君の証言に、僕がやることはたった一つだけ。
「おい、なんのつもりだ?」
持っていた剣を鞘へと戻し、僕はぺこりと頭を下げた。
「こちらの勘違いでした、ごめんなさい」
いぶかしげに眉をよせ警戒したように体を強張らせるノアに、そして周囲にも聞こえるようにはっきりと謝罪の言葉を口にし、更に深く頭を下げた。船団のトップだと宣言した僕が頭を下げたことで、その指揮下に入っている人間はもう手出しはできない。先の一騎打ちとは違い、間違いだったと上官が認めたうえでの攻撃は規約違反になるからだ。ざわっとまた周囲がざわめいた。全員の意見を代表するようにグレンが一歩僕との距離を詰めてきた。
「エリーシアさま! いけません、そんな・・・」
「わたしの決定です」
後に続くであろう非難の言葉を遮って。僕は権力を傘にきて黙らせた。まだなにかいいたげなグレンを視線だけで再び押さえ込む。
グレンは苦虫をかみつぶしたみたいな顔をして、それでも黙って引いてくれた。ホッと、安堵しながら顔を上げれば、ノアの船の乗組員達が心配そうにな顔でことの成り行きを見守っているのが見えた。みな一様に武器を構え、船長になにかあったら身を呈して守るんだという強固な意思が見て取れた。
ああ、いいな・・。
こんな時なのに、どうしても思ってしまう。
ノアとこれからも一緒にいられる人たち。
ノアに隣にいても許される人たち。
ノアに大事だと言ってもらえる人たち。
・・できるなら僕も一緒に・・・。
だけど、そんなこと許されるはずがない。
「どうぞ、お通りください。・・・道中・・・どうか、気を、つけて・・・。」
これがきっと最後になる。きっともう会えない・・・。
声が震えないように頑張ってみたけれど、そんなもの簡単に失敗して。情けないくらい弱々しくて、かすれて震えた声になった。
・・あ~あ・・・最後くらい格好つけたかったのになぁ・・。
ノアが警戒しながらも無言で僕の脇を通りすぎていく。一瞥さえもしてくれない。長い綺麗な髪がぼくの目の前から消えていく。
「・・・・・・・い・・・」
行かないで、と馬鹿見たいな言葉が喉元まででかけて、必死で何度も飲み込んだ。みっともない、そんなこと言えるわけがない。
ノアが船縁に足をかけて蹴り上げた。
来たときと同じようにノアの体が宙に浮き、僕から離れていく。
そうしてその体が無事に船に戻ったのを確認した後。僕は自分の気持ちを整理するために一つ大きく息を吐き出した。そして、自軍へと命令を下す。
全ての武装を解除し、速やかに彼らに道を空けるように、と。
「ノア・・・・」
進路を変え、海へと繰り出していくその船に。その船首に立っている人物に届かないとわかっていながら声をかける。
「ノア・・・。・・どうか、生きていて・・・」
僕の側じゃなくていい。僕が嫌いならずっと遠くにいてくれていい。ただ生きていてほしい・・・。
そうして僕の意識は、完全にノアの船が射程範囲から抜けたのを確認した後、ぷつりと途切れて消えた。
読んでくださりありがとうございます。




