幸福な船旅
「・・・・・船は初めてか・・・・?」
探るような、それでいてとても優しげな声。鼓膜を震わす少し低い、魅惑的な声。ぞくっ背中に不思議な感覚が走る。
何この声、めっちゃいい!
慌てて後ろを振り返って・・・。
僕の心臓は過去最高の高鳴りを見せた。ドクンと。それはそれは強い鼓動が耳の裏で聞こえる。
「・・・あ・・・・・・の・・・?」
海風になびく、長く美しい黒髪。晴れ渡った夏の空のような綺麗な青い瞳。パタパタと風にはためく黒いコート。陶器のような白い肌はこの距離で見てもシミ一つない。
彼だ!!
嘘、本当に!? もうダメだとあきらめたその先で?
運命だと勝手に思った。嬉しさのあまり口はぱくぱくと金魚のように開くだけで気の利いた言葉の一つも出てこない。そんな僕に呆れたのか、焦る僕を哀れに思ったのか。目の前のその人は目元を穏やかに緩ませ、ゆったりと微笑んでくれた。
死ぬほどかっこよくて、めちゃめちゃにときめいた。
「突然声をかけて悪かった。俺の名前はノア」
本当に申し訳なさそうに眉尻を下げて。その人は僕に名前を教えてくれた。
ノア。
すごい、彼にピッタリのカッコイイ名前。何度も心の中でその名前をつぶやいたところで、何かを求めるようにじっと僕の顔を覗き込んで来るノアの視線に気がついた。
あ、名前。
名乗られたらきちんと名乗り帰すのが礼儀だ。何より彼はこんな見ず知らずの僕に先に名乗ってくれたのに。失礼な子だと思われてたらどうしよう。焦りながら、名前を言おうとして。けれど、騒ぎになるから絶対に本名を出すな、と何度も釘を刺されていたことを思い出した。そんな大袈裟なと思ったけど。この船はユグレシア行きだ。一応髪を染めてはいるけれど、本名をだして彼が余計な事件に巻き込まれないとも限らない。
でも嘘をいうのは心苦しい。迷いに迷った末。僕は彼に嘘をついた。名前はイヴだ、と。そう名乗れと最初から設定された名前。嘘はつきたくない。本当の名前で呼んでほしい。その渇望を、彼の身の安全を考え必死で押さえ込んだ。
幸にもノアと知り合いになれた僕は、それから毎日待ち合わせをした。
ノアはとても話が上手な人だった。内容はとても魅力的なものばかりで、僕がまだ行ったことがないような国の話。見たこともない美しい景色の話。そうして体験したことのない不思議な話を次から次へと語って聞かせてくれた。僕は夢中でノアに話をせがんだ。ノアの綺麗な瞳に自分が移りこんでいることがうれしくて仕方なかった。途中何度も綺麗なお姉さんがノアの姿に見惚れたように立ち止まっているのには気がついていたけれど。僕は全力で気がつかないふりをした。少しでも長く話をしていたかった。ノアそんな僕にあきれることなく笑いながら話を聞かせてくれた。
不意に話が途切れたとき。ノアは一層優しげな表情を見せる。キラキラと光る波間に目を向けて、愛おし気に目を細める。その仕種が僕は一等好きだった。
夜の甲板で。実は星を見るのが好きなんだと、少し恥ずかしげに教えてくれたノアに「へぇ」と短く答える。
心の中でキラキラと輝く星を見上げるノアの姿を思い描き、あまりに絵になる様に身もだえした。家に帰ったら星の勉強をし直して、ノアの話についていけるようになろうと心に決める。
航海は順調だった。ノアがいうには風もいいし、天候にも恵まれているから予定より早く着くだろう、って。なんでもよく知っていて堂々と語る姿がめちゃめちゃにかっこいい。ときめきすぎてそろそろ心臓がいたい。
でも、もうすぐユグレシアにつく。その事実に僕は内心非常に焦っていた。ノアはユグレシアについたらどうするんだろう?僕たちの関係はそこで終わってしまうんだろうか?関係といっても僕たちはただのおしゃべり仲間。ノアにとって僕はただの退屈な船の上での生活を多少和らげる、ただの退屈しのぎでしかない。その証拠に、ノアは僕に対して全く興味を示さない。たくさんの話をしたにもかかわらず、不自然なほどに家のことや僕個人のことはきいてくれない。そして同時に、自分のことも核心的な話は一切しない。
これからのことなんか聞いてくれないし、なんならその話題を避けている風でもある。
明らかに線引きされている。そんな僕が船をおりてからもノアに会ってもらうにはどうしたらいいいか。自分から勇気を出すしかなかった。なのに、何度も話そうとしたけど、その度にそれを察したようにノアに違う話題にすり替えられる。正直心が折れそうだったけど、でも僕はもう後悔はしたくない。
今日こそは、と気合いを入れる。
あの時の後悔を忘れないために聖地で最初にノアに会ったときの服に袖を通す。怖じけづいて逃げそうになったとき、少しでも戒めになればいいと思った。
扉を開けて、甲板にあがり、いつもの場所でノアを待った。どんな風に話を切り出そうか。どういったら不自然じゃないか。どう話を持っていったらいい返事をもらえるか。もう何度目になるかわからないシュミレーションを頭の中で繰り返す。
と、その時。ぐらりと大きく船が傾いた。考え事をしていたせいもあり、危うく転びそうになり船縁に手をかけてなんとか持ち直す。
状況を確認しようと顔を上げたところで趣味の悪い船と、そこに掲げられているこれまた趣味の悪い髑髏アークの旗が見えた。髑髏が何を指すのかなんて子供でも知っている。
「海賊船!?」
賊といえば聞こえは悪いけれど、どこの国にも属さず、自由に生きる人間のことをこの世界では全部引っくるめて海賊、という。単純に国に縛られたくないから、と独自のルートをつくり貿易をしている人間もいるし、ただ宝を求める探求者もいる。けれどやっぱり、法に縛られないことをいいことに、好き勝手やる無法者が多い。
そうして、わざわざ商船であるこの船の真横につけて乗り込んで来る、ということは、間違いなく彼らは後者だ。最近ユグレシア近くの海域で凄まじい勢いで力を付けている海賊がいると噂で聞いた。その一味だろうか?そんなに悪さをしているとい話ではなかったと思うけれど。
近づいてきた海賊船がピタリと横につけロープを投げ込んで来る。こちらの船員達がなんとか抵抗しているけど、乗り込まれるのは時間の問題だろう。
・・・・・・・・・でも、こうしてみると、あの海賊手際が悪くないかな・・。
船上での戦闘知識のない僕から見ても、もう少し要領のいいやり方があるんじゃないかとツッコミを入れたいところだ。これが、今世間を騒がしている海賊団だというなら世間の噂なんて当てにならない。人数だけは確かに多そうだけど、ゲラゲラと品のない笑い声をあげるだけで強そうには見えない。とは言え、船での戦いは陸とはまた勝手が違う。海上ならではの戦い方もあるのかもしれない。油断しないにこしたことはない。目立つことはくれぐれもするなと言い含められているが、この状況ではそうも言っていられないだろう。
剣は部屋に置いたまま。負ける気はないけれど、武器がないと何かと不便だし取りに行くか、ときびすを返したところで。僕はため息をついた。前方からこちらに向かって歩いて来る気配が3つ。足音が荒々しい。人を威圧するような下品な歩き方。一般客じゃない。ノアでもない。
はあと、重いため息をひとつついて覚悟を決める。近くにデッキブラシが置いてあるから、最悪それを使おう。
「見ろよ、こんなところに上玉がいるぜ?」
ドスドスと重い足音を響かせながら大男が三人表れたのは、そのすぐ後だった。




