ブライダルブーケ
「はは・・・・・。こりゃ逃がしてやらねぇといけねぇなぁ」
乾いた笑みが口元から漏れた。
・・・・まさかお姫様とはね・・・・。
世間知らずなところ。常識が人よりも少し異なっているところ。少しも擦れていないところ。
ふとした仕種がきれいだとか。立ち姿が凛としている、とか。食事をしていても。、大きな口を開けて楽しそうに笑っている時でさえ、どこか品があるところとか。さぞいい家の出なんだろうな、と思っていた。
だけどまさか、お姫様だとはさすがに思わなかった・・・。
俺の侵入をこれ以上拒むかのように指先に纏わり付いてきたそれ。純度の高い翡翠の真ん中に刻み込まれた鷹の紋。ユグレシアの国章。一目で値打ちものだとわかる。売れば目の玉が飛び出るほどの値がつくだろう。
それを首から下げているなんて何人もいやしない。
・・・・・そうだな・・・。あそこは俺よりも少し歳の下のお姫様が一人いたよな・・・。
プラチナブロンドに、紫色の瞳。それもユグレシアの王家によく見られる色合いだ。
だから髪を染めていた。一目で王家につながってしまうその髪を・・・。
ははっと乾いた笑みがまたもれた。
そりゃ俺とお前とじゃなにもかも違いすぎるよな・・・。
薄ぐらい過去しか持たない俺と、栄光の道を歩んできたお前・・・。自分こそが幸せにしてやれるなどと、どうして思ってしまったのか・・。
高ぶっていた心も、そして体も急速に冷えていった。
ばさりと、衣服が乱れたその体に毛布をかけた。もうその体には触れられない。こんな薄汚い俺が、触れるはずもない。
「くそ、なんでだよ!!」
こんなに愛しているのに!!だったら出会わなければよかったんだ。どうせ別れれるくらいなら!
けれどそう思うのに、やっぱり逢えてよかったと思える。星の数ほどいる中で。お前に逢えたその奇跡に。
俺と巡り会ってくれた奇跡に、感謝してもしきれない。
「・・・・・・・・・幸せにしてやりたかったのに・・・」
ただなんでもないことで笑いあって、時には喧嘩して仲直りして。そうやって時を重ねて行きたかった。
けれどそれは俺の役目ではない。
「嫁入りするって言ってたもんな・・・」
人から奪ってばかりの人生の中できっと初めて。そうしてきっともう二度とない。自分ではない誰かの幸せを思って身引くなんて・・・。
「ありがとな・・・。俺と出会ってくれて・・・」
せめてこれくらい許してくれよと心の中で思いながら。俺はアリアの頬にキスをした。
何度も何度もキスをして。そうしてそのまま部屋を出た。机の上のメモ用紙に。
『なにもしてない。さよならだ、アリア』
そう一言。そして部屋に飾ってあった今の俺にピッタリの花をそこに添えて。
俺は一人宿を後にした。心が二つに引き裂かれるほど痛んだ。もう二度とこんな思いはしたくないと思い、もう二度と彼女に逢えないのならそんな機会もないな、と。苦し紛れの笑みがもれた。何度も何度も後ろを振り返りそうになり。何度もさらってしまおうと邪な考えが頭を巡り。その度にそれをねじ伏せた。
そうして俺は、ユグレシアを後にした。
・・・・・・・だけど俺はずっと後悔している・・。
あの時・・・お前を攫っていかなかったこと。
泣かれようが憎まれようが、お前を自分ものにしなかったこと。お前を一人部屋に残して立ち去ったこと。
もしもあの時強引にでもお前を攫っていけば、お前をあんなふうに失うこともなかったのに・・・。