拒絶
俺を待ってくれていたその人影の、数歩手前で俺は足を止めた。柄にもなく息切れがするほどは知るなんて何年ぶりか。
はあはあとみっともな肩で息をしながら、俺はそいつに向き直った。目の前のそいつが認識しやすいように先にフードを取って顔を見せた。
「・・・ノア・・・」
白いフードのしたから小さな声が聞こえた。たったそれだけで、体中の細胞が幸福感に震えた。
ずっときつく釣り上がっていた目尻。眉間の間の深い縦ジワ。部下達を怯えさせたその表情全てが。柔らかく緩むのを感じる。
「・・・ずっと・・。あの席で待っててくれたのか・・・?」
早く顔がみたい。フードを取ってその顔を見せてくれ。そう思うのに、なぜだかアリアはフードを脱ごうとしない。それどころか、右手でギュッと胸当たりを押さえて俺から距離をとるように一歩後退した。
なんでだ・・・。なんで離れていく・・・?
「おい!!」
たまらず一歩踏み出せば、怯えたようにアリアがまた一歩後ろに下がった。ズキリと心臓が激しく痛んだ。
「なあ、怖がるなよ・・・」
「・・・・・」
顔が見えないんだよ。見せてくれよ。表情がわからない。お前がなにをどう考えているのか、少しもみえないんだよ。
「・・・・・もう・・・逢えないと思ってた・・・」
長い沈黙の末、アリアが呟くようにいった。少しだけ声が震えていて、その弱々しさにドクンとまた心臓がなった。いつものあの溌剌とした元気な声とはかけはなれていた。
なんと答えていいのかわからず、一瞬言いよどんだ俺に構わず続いた言葉は。俺の心臓に深く突き刺さった。
「・・でも最後に・・。逢えてよかった」
「・・・・・・は?」
最後ってなんだよ・・。ようやく逢えたっていうのに、なんで・・・・?
虫がいいことに。これから関係をもう一度再構築できると思っていた俺は、あまりの衝撃に言葉もでずにその場に立ち尽くした。
「・・・ノア」
白いフードから少しかさついた唇がわずかに持ち上がったのが見えた。
「僕・・・もうすぐ遠いところへ行くんだ・・。だからもう逢えない・・」
「・・・・なんだよ、それ・・・」
遠いところってどこだよ?
・・・・・・嫁入り・・・・?
ドクドクと心臓が早打ちを繰り返し、背筋に嫌な汗がいくつも流れていった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ・・・。
「最後にノアに逢えてよかった・・。きてくれて、ありが・・・」
「ふざけんなっ!」
遮るようにいった俺の怒声にびくっとアリアの肩が震えた。また俺から距離をとるように一歩後退したのがみえて。心臓がギュッと締め付けられた。
なあ、いくなよ・・・。別れの言葉なんか聞きたくねぇ・・・。俺の側にいろよ・・。
無意識に左手が上がった。求めるように手の平を上にして、じっとフードの下に隠れたアリアの顔を探り見た。
「なあ、頼む!俺と一緒に来い!俺に攫われてくれ!!」
ひゅっと息をのむような音が聞こえた。
「愛している!アリア、お前を愛している!だから・・・」
「やだなぁ、なにをいってるのノア・・・」
俺の言葉にかぶせるように、アリアの妙に明るい声が聞こえた。くすくすと楽しそうにアリアの肩が揺れる。
「冗談でしょ?僕と君とじゃなにもかもが違いすぎるよ」
ふふふっと。口元に手を当てて肩を揺らして笑うその仕種は、明らかに俺を拒絶している。なにをばかなことを言っているんだと、とアリアの全てが俺を非難している。けれどそれを敏感に感じてなお俺は気付かない振りをした。大人三人分空いている距離を、一歩前にでて詰める。
「冗談じゃねえ、本気だ」
まっすぐに視線を合わせたまま。ゆっくりと落ち着いた声で告げる。
「俺と一緒に来い!」
「・・・・・・・・い・・・・・・」
アリアの口元が何かを言おうと一度開かれて。思い直したようにそのまま閉じられた。
重い沈黙が俺達の間に流れていく。もう一度言葉を。今度はもっと気の利いた、もっと優しい言い方で。
そう思って口を開いたが、先に沈黙を破ったのはアリアの方だった。
「・・・・・・行けない」
静かな声だった。けれどはっきりとした拒絶の意志を宿していた。
「一緒には・・・・行けない」
もう一度。先程よりも強い声音で。アリアは俺に告げた。
全身を駆け巡る血液が急速に冷えていく。頭に上った血が下に引っ張られて顔から血の気が引き、同時に背筋が凍りついた。
「・・・・・な・・・んで」
それだけ問い掛けるのが精一杯だった。なのにアリアはその声が聞こえたはずなのに、答えることもせずクルリと俺に背を向けた。俺に、まだ一度も顔を見せないままだ。拒絶を示す背中が胸を激しく痛め付ける。
「・・・さよなら、ノア」
まてよ、別れの言葉を聞くために来たんじゃねぇ。俺は・・・。俺は・・・・!
徐々に開いていく俺達の距離。一度もこちらを振り返らない。フラフラと頼りない足取りが一歩づつ踏み出される。
・・・だめだ、いかせねぇ!!
思うよりずっと早く体が動いていた。一瞬でアリアとの距離をつめ。驚いたように振り返ったその体。がら空きだったみぞおちに深く拳を突き入れた。ぐっと息を詰めたような声を漏らした後。アリアの体はゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。「ノア」、と。意識を手放す寸前に、アリアの口がそう動いたのを見て、俺の口角が片方だけ釣り上がった。
そうだ、そうやって俺の名前だけ呼んでいればいい。
自分の方に倒れてきたその体を、俺は至福の思いで抱き留めた。
・・・・・後から思ってみれば・・・。お前が・・・。あの船の上であれほど見事に俺の動き全てを封じて見せたお前が・・・。俺のちんけな攻撃で意識を飛ばすなんてあるわけなかったんだ・・・。
余程お前の体が弱っていたか。それともわざと俺の攻撃を受けない限り。
・・・それに思い至ることができなかったことに。俺は今でも後悔しているよ、アリア・・・。