憎しみの果てに
人気の少ない道をひたすらに歩く。外套についたフードを目深にかぶり、目立つ髪色を隠す。
一度は追われた身だ。珍しいこの黒髪だけで身元がばれるのは避けたかった。
ちらりと視線をむけた。花屋があった。そう、いつもあの女に渡す花を買っていた店。もう閉店間際なのか店先に並べてあった花を中にしまい込んでいるところだった。俺の視線に気がついた店主が、「いらっしゃい」と愛想よく笑った。俺の顔がもしちゃんと見えていたなら、こんな風に気安く声などかけなかったろうにな。それほど鋭い表情をしている自覚があった。毎週ここで花を買った。どんな花がいいか、頭を悩ませて。
あろうことか、店員に相談までして。なのにその結果がこの様だ・・・。
もう花などみたくもない。いっそここで全て焼き払ってやろうか・・・。
顔は見えずとも、なにかしら感じるものがあったのだろうう。店主は一度ビクリと肩を奮わせた後。そそくさと店の中に引っ込んでいった。
約束の場所。いつもの店のいつもの席。いるはずがないのはわかっている。けれどそこぐらいしかあの女につながる場所がない。客や店員に聞いて居場所を探ってみるか。
俺は店の入口のドアを開けた。一気に濃くなる酒の匂い。耳に届く騒がしい笑い声が煩わしい。顔をしかめつつ頭を少し傾けて、いつもの席を覗き見た。空虚に広がる空間。誰もいない。いるはずがない。分かっていたのに、少しだけチクリと胸が痛んだのを自覚し、俺は自分に盛大に舌打ちした。陽気に笑い酒をかっくらう客の間をすり抜けて。俺は奥の席へと歩いた。〈予約席〉と書かれたそこには誰も座ってなどいなかった。・・・・が・・・・。
ドクッと心臓が高鳴った。予約席・・・?・・誰の・・・?
ドクドクと自分の心音がうるさい。俺の意志に反して血が沸騰したように体が燃え上がる。
机の上に一つだけおかれたコップ。そしていつも俺が座っていた席、その前に。花が一輪置いてあった。
見覚えがあった。何度も花屋にダメ出しを喰らってやっと決めたその花。俺があの女に・・・。
彼女に贈った花と同じ花・・。
「おい!!」
ちょうど後ろを店員が通りすぎて行くのが視界の端に移って。俺は無意識に声をかけた。喧騒の中響き渡るほど、その声はでかかった。あまりの声のでかさに驚いたのか。それとも俺の形相に恐れをなしたのか。店員がビクッと体を奮わせて俺を見た。持っていた空の皿を危うく落としそうになり寸前で持ち直した。
「ここは誰の予約席だ!?」
噛み付くほどの勢いに気圧されて、店員が2、3歩交代した。やばい、これじゃあ必要な情報が得にくい。
情報収集は得意なはずなのに。感情を隠すのは慣れているはずなのに、どうしても俺は自分の気持ちを自制できなかった。心臓がやばいほどに早打ちを繰り返している。
怯える店員との距離をずいっと詰めて、俺は無言で答えを要求した。
「・・・あ、の・・・?」
「ここには誰がいた!?」
もう一度、低い声で凄みを出して尋ねると。店員は顔を青くして口をぱくぱくと数回させた後。ようやく持ち直したのか、かすれた声をあげた。
「ええっと。毎回薄茶色のさらっさらの髪をしたきれいなお嬢さんが一人で座っていらっしゃいますよ」
俺の機嫌をとるように店員がへらりと笑う。
「・・・なんだよ、それ・・・」
アリア・・・。アリアだ。他に誰がいる?間違いない。まさか毎週待っていたのか?俺を?なんで・・。
「そいつはいつ帰った!?」
「え・・・?いつも日付が変わる頃に・・」
そうだ、いつも日付が変わる前にはお開きにしてた。遊びだと思われたくなくて。大事な女はその日のうちに帰すべきだ、なんて常識を馬鹿正直に守って。
ちらっと壁掛け時計に目を向けた。12時10分。追いかければ間に合うか?
そう思った頃には俺はもう走り出していた。机の上に丁寧におかれていた花をひったくり、ドアを乱暴に開け外にでた。
どっちだ・・・?・・・どっちにいった?
いつも彼女は街の中心部に向かって歩いていった。ならこっちか!?
細い路地にも目を向け、歩いている人物がいないか確認しつつ全速力で走った。
あれほど憎かったのに。いや、必死で憎もうとしていたのに。一瞬で引き戻される。
憎かった。俺を平気な顔して騙したあの女が憎かった。けれど本当はそうすることでしか平静を保てなかった。憎むことですこしでも繋がっていたかった。愛していた。いまでもこんなに愛している。
逢いたい、アリア。お前に逢いたい。
結局はそれだけだった。
目線のずっと先。月明かりだけが照らす細い路地を頼りなく歩く姿が目に入った。白い外套を頭からすっぽりかぶった細身の体。ドクッと心臓がまた高鳴った。そろそろ本気でとまってしまうんじゃないかと思うほど爆討ちを繰り返す心臓に。頼むからもう少しだけ頑張ってくれと馬鹿みたいな激励を飛ばした。
「アリア!!!!!」
近所迷惑甚だしい大声で俺は叫んだ。結構な距離がある。聞こえないか?
けれど予想に反して、人影はぴたりと歩みを止めた。くるりと振り返る誰か。距離があるのと暗すぎるので顔はもちろんみえない。けれど俺の全てがそいつを求めているのがわかる。魂全てを持っていかれる。こんなの、彼女以外に考えられない。
「アリア!!」
もう一度俺は噛み締めるように名を呼んだ。ほんとはずっと呼びたかった。エリーシアなんて名前じゃなくて。俺にだけ、とそういって教えてくれたその名前を。
全速力で走った。立った数十メートルの距離がはてしなく長く感じた。