第2話 強引なオッサン
「兄さん、どないしたん?大丈夫か? 」
その声の主は近くに住むというオッサンだった。彼は、道端で座り込んだ知良を心配して声をかけたようだった。知良は涙を流し、このオッサンに何て言おうかと考える余裕なんてなかった。
それでもオッサンは、しつこく知良に声をかけた。何も答えない彼を悪く思わずに、目線を合わせるかのようにしゃがんだ。
「何も、言わんでええんで。ワシは村上幸一って言うんや。兄さん、ここじゃなんやから、ワシの家においで。こっから近いけんの」
村上幸一と名乗るオッサンは、優しい表情をしてワシと言うわりにはまだ若い見た目で紳士的に感じる。村上は何も反応しない知良のよこに、落ちていたバラの花束を拾い、強引にキャリーケースの持ち手を握るとコロコロと引いて行った。
「……ちょ……」
何とか声が出た知良の言葉は、数メートル離れた村上には届いていなかった。村上はまたコロコロと音を出しながらどんどんと距離があいて行った。仕方なく知良は、村上を小走りで追いかけた。
「ここがワシの家じゃ」
村上は知良が後を追いかけてくるのを感じながら、歩いて家の前で待っていた。
村上の家は古民家で、築何十年だろうと思うぐらいの趣のある。
「おいで。ここは暑いやろ」
村上は振り返ることなく言うと、門をくぐり玄関の鍵を開けて中に入っていった。それを知良はボ〜ト眺めていた。彼は村上の家に入ることなく、彼の家の門の前で止まっていた。
「何してるんや、早う入りな。冷たい麦茶いれたけん。飲みにおいで」
村上はなかなか入ってこない知良を心配し、窓からチラッチラッと様子を見ていた。しかし、一向にこちらに来る気配がなかった。
痺れを切らして玄関から出て、門の前で立ちすくむ知良の腕を掴み強引に引っ張り家の中に入れた。玄関に入ると知良のキャリーケースがそこに置かれていた。
「靴脱いで上がりな。ホンマ世話が焼ける子やな」
村上の口調は、見ず知らずの知良にしては優しく親しげだった。
「ついて来てな」
村上は知良が靴を脱いで上がったのを確認して、声をかけた。知良は言われた通りに彼について行くと、手入れのされた座敷があった。その座敷の机の上にバラの花束と麦茶が置かれていた。
「まぁ、飲みな」
知良は言われた通りに麦茶を飲んだ。彼の喉はカラカラになっていたので、冷たい麦茶で喉が潤った。
「冷たくて、美味しいやろ」
「はい、ありがとうございます」
「ちゃんと、話せてるな」
「はい」
「お兄さん、名前なんて言うん? 」
「菅知良です」
「なんて呼んで欲しいん? 」
「菅でも、知良でも……」
「菅くんでええか」
「はい、それで」
村上は、冷たい麦茶を飲んだ。
「菅くん、あそこに知り合いが住んでたん? 」
「はい、彼女です」
「それなのに、もうアパートがないこと知らなかった? 」
「はい」
知良が見た光景とは、十年前にあの場所にあって彼女が暮らしていたはずのアパートが無くなっていたのだった。
「俺は夢を叶えるために、十年前に海外に行くことにしたんです。彼女に一緒に行こうと誘ったんです。でも喧嘩をして別れてそれっきりに……。何度も連絡を取ろうとしたんですけど、なぜか出来なかった」
「なるほどな。さては、帰国したばかりか? 」
「はい、その通りです」
「じゃあ、あのことも知らんはずやわ」
「教えてもらっていいですか? 」
「分かった、少し長くなるで」
村上はそう前置きをして、また麦茶を飲んだ。
「今から八年前に、あの場所にあったアパートて火事が起こってのう。原因は住人の火の不始末で、アパートは全焼してもうて。安心しな、死人はおらんかったはずや。火災が原因で、土地の買い手がつかないまま現在に至ってな。たぶん、菅くんの彼女さんはあの火事では死んでない」
知良は、またポロポロと涙を流した。彼が一緒に行こうと誘ったのに彼女は断った。そして喧嘩して別れたっていうのに、なぜかあの場所で彼女は自分を待ってくれているとそう思っていた。
調べれば分かることなのに絶対にそこにいるはずだと確信がしていた。それは、自分と彼女が一緒に過ごした大切な場所だから。
「菅くん、もう彼女と連絡は取れてないのかい? 」
村上の核心をつく言葉に、まだ知良は泣いているので声が出せない代わりに頷いた。
勇気を出して彼女にいくら電話をかけても、『おかけになった電話番号は現在お繋ぎすることが出来ません』と音声の人が繰り返し言ってから電話が切れた。メールもラインも返信はないし、未読だった。
「そうか……」
村上は麦茶をおかわりして、自分で注ぐとついでにすでに知良のコップが空になっていたから注いでやった。二人はまた麦茶をグビッと飲んだ。
「今日、泊まるとこあるんか? 」
「無いです」
「それやったら、家に泊まり」
「それは悪いです」
「何がや?この家に住んどるんはワシだけでな。一人は寂しいもんで、タダで飯が食えて泊まれる代わりに、ワシの話し相手になって欲しいんや」
「……分かりました」
「早速なんやけど」
村上はそういうと、また麦茶をグビッ飲んだ。エアコンで快適と言っても、喉は渇いてしまう。
「はい」
「その火事で住む場所が無うなった子たちがおってな。住む場所が見つかるまで、この家で暮らしてたんや」
「えっ? 」
「かわいい子たちでな。まぁ、ワシの歳ではみんな大人でも子供なんやけどな」
村上はカラッと笑った。彼曰く、自分は人が好きでおせっかいである。困った人がいれば、自分の出来ることは協力をする。
「若いお母さんが一人で子供たちを育ててな。朝から晩まで働きながらチビらと幸せに暮らしとった。確か、同じアパートの住人や大家さんが優しくて、よく助けてもらったんやって。ここにおったんは、一年ぐらいかの。知り合いが新しく住むとこを見つけるのを手伝ってくれたんやって、そっちに引っ越したわ」
「そうなんですね」
「今はどこに住んどるかも分からんし、その子の想い人の写真は火事で燃えたっていてたからな」
村上がなぜそのことを自分に話す意味が分からなかった。そして、当然想い人のことを話すのかも分からない。
「……元気にしてたらいいですね」
「そうやな〜」
村上と知良はまた麦茶を飲んだ。
「菅くん、部屋に案内するで」
知良は一度玄関に戻り、置きっぱなしになっていたキャリーケースを持ち上げて、村上のあとについて行った。
「今日はここで寝な」
村上が用意した部屋は、畳の部屋でなくフローリングにされた六畳の部屋でカーペットが敷かれたいた。
「布団はそこの押入れにあるし、ここだったらあの重たいの置いてもいけるって思ってな」
「ありがとうございます」
「ここにあるもんは好きに使ってええけど、壊さんようにしてくれたらええから」
「はい、分かりました」
「そういえば、昼飯食うたか? 」
「機内食です」
現在の時間は十五時である。
「向こうでまともなもん食うてたか?日本とあっちじゃ味が違うからな」
「何とかって感じですね。自分でそれっぽいの作ったり、日本人がやっているお店を探して食べてました」
「晩飯はワシが作るからな。腕によりをかけるわな」
「何から何までありがとうございます」
「ええんよ。ワシはおせっかいジジイやからな」
「まだまだ若いですよ」
村上は、照れたのか頭をかいた。
「あっ、そうそう。アレルギーと嫌いなもんあったら言ってな」
「アレルギーは無いです。嫌いなものはきのことナスだけだったはずです」
「ナポリタンにするか」
「はい、ありがとうございます。それまでこの部屋で休んでいますね」
「何言ってるだい? 」
「えっ? 」
「これから一緒に買い出しに行くんだよ。その後にまた出かけるよ」
「えっ? 」
「働かざる者食うべからずって言葉知ってるやろ」
「はい」
「帰国したら時差ボケとかあるみたいだけど。菅くんは大丈夫そうに見えるからね」
「せめて、スーツから着替えていいですか? 」
「そうやな。スーパーにスーツはおかしいわ。菅くんの見た目でな」
「笑わないでください」
「悪かったのう〜」
村上は、悪気があるのか分からない言い方をして部屋を出ていった。
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