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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

水沢ながる短編集

名探偵の理由

作者: 水沢ながる

「こんなことになるなんて、正直思ってもいなかったよ──貴志」

 隼人は僕にそう言った。

 痛ましげな眼。駄目だよ隼人、そんな眼をしちゃいけない。君はもっと、堂々と格好良くしていないと。

 だって君は、名探偵なんだから。


 筧隼人と僕が出会ったのは、まだ高校生の頃だった。

 ショッピングセンターの真ん中で起こった、不可解な殺人事件。僕を含む、その場にいた全員に疑いがかかった。警察によって皆が足止めされ、疑心暗鬼が僕ら全員の間にそこはかとなく流れていた。

 僕は事件が起こった時、一番近くにいたうちの一人だった。警察にも、店の人にも、周りの客にも、疑いの目で見られているような気がしてならなかった。疑われないようになるべく慎重にしていたが、正直、僕は少し弱気になっていた。

 その時だ。

「犯人がわかりました」

 一人の少年が、高らかに宣言した。

 僕と同じくらいの年齢。凛々しいが、どこか中性的な顔立ち。背も高く、手足はすらりと長い。

 彼は皆が見つめる中、警察や周囲の人達に向かって、自らの推理を披露した。理路整然と展開される推理は、思いがけない一人の人物を指し示した。犯人と目された者は抵抗したが、思わぬ場所にあった証拠を突きつけられて観念した。

 事件が解決して全員が帰宅を許された後、僕は思わず彼の後を追っていた。

「ねえ、君!」

 彼は振り返って僕を見た。この世の全てを見通すような、透き通った夜の色の瞳。僕はしどろもどろになりながらも言葉をつないだ。

「すごいな、君。あんなにすらすらと事件を解決してしまうなんて」

「すごくはないよ。僕が気づかなくても、いずれ誰かが気づいたことだ。ただ、あのままだと別な人間が犯人にされかねなかったからね」

 確かに、疑いは誰にかかってもおかしくない状況だった。

「犯罪は正しく暴かれなくてはならないし、犯罪者は正しく裁かれなくてはならない。そう思っただけさ」


 ──その言葉を聞いた時、思った。

 彼こそは「名探偵」だ。


 ミステリ小説とかマンガとかの中にしかいないと思っていた、名探偵がここにいる。いや、まだ名探偵としての活動はしてないのかも知れないのだけど、それでも。こんな魅力的な存在が、実際にいるなんて!

「ねえ、君……」

 だから、気づけば言葉がこぼれ出ていた。

「僕をワトソンにしてくれないか!?」

「はあ?」

 さすがの彼も、驚きのあまり毒気を抜かれたような声を上げた。

「君は名探偵だよ、本物の名探偵だ。名探偵にはワトソンが必要だろう? 助手であり、記録作家である存在だ。僕がなる、ならせてくれ」

「……僕に関わらない方がいいよ。僕は事件に巻き込まれやすい体質なんだ。観察力、洞察力、推理力、全部必要にかられて磨いたものだ。僕のそばにいると、いつ事件の被害者になるかもわからない」

 それを聞いて、僕はますます彼に魅せられた。彼は孤高の存在だ。事件という荒野に独りで立っている彼をもっと輝かせることが、多少文章を書けるだけの地味な高校生である僕に課せられた使命だとさえ感じた。

「僕は死なないよ。ワトソンが死んだら話にならない。約束する、何が起こっても僕は君のそばで君の活躍を書き留めるよ」

 僕は言葉を尽くして彼を口説き落とした。彼も最後には根負けし、ついにこう言った。

「わかったよ、君のホームズになってやろう。……それでワトソン、君の名前は?」

 その時初めて、僕は互いに名乗ってすらいないことに気づいた。

「僕の名前は、山田貴志だ。君は?」

「僕は筧隼人だ。よろしく、ワトソン」

 こうして僕らはコンビとなった。


 未成年だった僕らに探偵事務所を開くことなど出来る筈もなく、必然的に主要な活動の場はネット上になった。

 僕は各種SNSにアカウントを作り、複数の小説投稿サイトに今まで隼人が解決した事件の話を書いて投稿した。もちろん固有名詞などはぼかしていたが、わかる人にはちゃんと実際の事件の話だとわかっていたようだ。程なく「名探偵・筧隼人」の名前はネット上で知られるようになった。

 僕らはある時は一緒に事件に巻き込まれ、ある時は誰かに頼まれて事件を解決して行った。街中で、学校で、雪のスキーロッジで、古い邸宅で。

 僕はそれを次々にネットで公開した。隼人はいつだって颯爽と現場に現れ、凛とした風情でその場に立ち、常に正しく事件を解明する。その姿が僕には誇らしかった。

 僕はそんな彼のために、出来る限りのことをした。証拠を探して地面を這いまわり、証人に証言を聞く時は必ず立ち会い、時に的はずれな意見を言ったりもした。

 僕らが二十歳になる頃には彼もそこそこ有名になり、仕事として事件の解明を請け負うようになっていた。そのマネジメントも全て僕がやっていた。

 隼人と共に事件を追うのは、不謹慎ではあるが楽しかった。その時間は、永遠に続くように思えた。


「だけども、君はやりすぎた」

 隼人は無情にそう言った。

「僕が気づいてないとでも思っていたか? 貴志、君は随分前から証拠の捏造をしていたろう。証人から証言を得る時も、巧みに僕らに都合のいい証言を引き出すように誘導していた」

「冤罪は出していないつもりだよ」

「当然だ。そんなことをしたら、今頃君とは絶交しているところだ」

 隼人は言葉を吐き捨てた。

「行き着く先がこの体たらくだ。まさか君を、殺人未遂の犯人として捕まえることになるとは思わなかったよ」

 僕らの間は、分厚いアクリル板で隔てられている。ある殺人事件を追っていた最中、僕は容疑者の一人を殺そうとし、重傷を負わせた。結局、隼人の推理によって僕が殺そうとした人物がその事件の犯人だと証明されたのだが、それで僕の罪が軽くなるわけでもない。

 僕は逮捕され、今この刑務所に収監されている。

「あいつは君を殺そうと計画していた。それだけで万死に値するよ」

 そう、僕が殺しかけた奴は確かにあの事件の犯人だった。あいつは名探偵として有名な隼人が事件に関わって来たと知り、自分の犯罪の発覚を恐れる余り、隼人を殺そうとしていたのだ。そんな奴、許しておけるものか。隼人を死なせるより、僕が手を汚した方が遥かにマシだ。

 隼人は少しため息をついた。

「今回のことではっきり思い知らされたよ。薄々感じてはいたが……君が前もって証拠を捏造出来たのは何故か。いいとこ取りの証言を引き出せたのは。僕の殺害計画を事前に察知出来たのは。──君は、僕より探偵の才能がある」

 ああ、やっぱり君は気づいていたのか。

「思えば、初めて会った時もそうだったな。君は被害者の一番近くにいたにも関わらず、真っ先に容疑から外れていた。そんな芸当、いち早く真相がわかっていないと出来やしない」

 そう、僕にはあの事件の犯人もトリックも、誰よりも早くわかっていた。でも、僕は自分から真相を明かすようなことはせず、自分を容疑から外すことに徹していた。

 僕は弱気になっていたんだ。昔から人より見通せるものは多かった。でも、それを口に出すと、大抵信じてもらえなかった。「いいかげんなことを言うな」「そんなわけあるか」「無闇に人を疑うな」。後から真相がわかっても、「おまえが関わっているから知っているんだろう」とまで言われた。

 だから、あの時隼人が推理を語り出した時、僕は雷に打たれたような衝撃を感じて……そして思ったんだ。堂々と推理を語れる君の、特別な存在になりたい、と。


 そうだ。

 僕は君の特別になりたかった。

 君という偉大な名探偵のそばにいる、たった一人のワトソンに。そんな形で、僕は君を自分のものにしたかったんだ。

 だけど……もう無理だな。君はもう名探偵としてはやって行けないだろうし、それ以上に僕が君以上の才能の持ち主だと知られてしまっては、君の方が僕をそばに置きたくないだろう。


 だけど。


「貴志。君が罪を犯したからと言って、いつまでもここにいるわけでもないだろう。刑期が終わったら釈放される。──ここを出たら、君は僕の前から姿を消すつもりだろう」

 隼人は怒りのにじんだ瞳で僕を見た。

「そんなことは許さないからな。君は約束したろう、僕のそばにいると」

 それは、僕にとっては意外な言葉だった。

「僕がどうして名探偵なんてやっていたのか、知っているか? 君がそう望んだからだ。事件に巻き込まれやすい体質で、周りの誰からも気味悪がられ遠ざけられていた僕に、ただ一人近づいて来てくれたのが君だった。そんな君がワトソンになると言うのなら、僕は名探偵になるしかないだろう」

 そんな。僕はそんなに君に求められていたのか。僕は君を独占したい一心だったのに、君は最初から僕を求めていたなんて。

「ついでに言っておくが、僕はそれほど品行方正な人間じゃない。君と手もつなぎたいし、抱きしめたいし、キスだって、それ以上のことだってしたいと思ってる。──そうだよ、僕はそういう意味で君のことが好きだ。僕の推測では、君も同じだと踏んでいるんだが、違うか?」

 ああ、君は、僕の中の一番奥にしまっておいた最後の秘密まで暴き立ててしまうのか。

 やっぱり、君は生まれついての名探偵だ。

「もし君が僕の前から姿を消してみろ。僕は自分の能力と伝手の全てを駆使して、君を見つけ出してやる。そして、さっき言ったことを全部君にしてやるんだ。覚悟しとけ」

 隼人、それはもはや脅迫に近いよ。

 それでも僕はその言葉が嬉しかった。僕の眼からぽたりと雫が落ちた。あれ、どうしたんだろう。嬉しくて仕方がないのに、僕の眼からは後から後から涙がこぼれる。

 面会時間の終わりが来たらしく、看守さんが僕を呼びに来た。もう行かなければならない。まだ隼人と一緒にいたいのに。

 と、いきなり隼人は目の前のアクリルの壁に右手をついた。僕はそっと、その手のひらに自分の手を重ねた。

 二人を隔てる分厚いアクリルを通し、僕は隼人の温もりと想いを受け取ったような気がした。

「またな、僕のワトソン」

 面会時間の終わりに、僕の名探偵は言った。

 僕は手のひらに未だ彼を感じながら、看守さんの後について面会室を後にした。

 涙はしばらく、止まらなかった。

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