嫌われ王妃は惚れ薬を使って寵を得ようと思います
とある王国の王妃、シャンドラ・ルアー二は自室で、祖国から持ってきた嫁入り道具の一つ、薄桃色の液体が入った小瓶を揺らしていた。
これは母から譲り受けた、男を骨抜きにする薬ーーーそう、いわゆる《惚れ薬》である。
母も試したことがないと言っていたため、毒だとまずいと一口含んでみた。視界に入った小鳥に動悸がし、何がなんでもその小鳥を自分のものにしたいと思った。一口だったため、一日ほどで効果は切れたが。効能は確からしい。
王妃という肩書から察する通り、シャンドラはこの国の王の妻である。
そんな彼女がなぜ、惚れ薬を眺め唸っているのか。
その答えは、夫である国王にある。
隣国から嫁いできて一月。
シャンドラは何もしていないーー本当に、文字通り何もしていないのだ。
王の妻となると、王の執務補助に、視察のお供、夫人たちと社交、夜会やパーティーの取りまとめなど…その仕事は多岐に渡るはずだ。
しかし、それらをやろうとすると取り上げられ、刺繍やら編み物やら貴族の娘のようなことばかりをしろと言われる日々。
隣国の侯爵家次女であったシャンドラが、婚約が決まってから王妃教育を受け、死ぬ気で習得したのに対してあんまりな仕打ちである。
まぁ、まだそれだけならば百歩譲ってシャンドラも我慢できた。
シャンドラは、国王ーーアルバート・ディ・ルアー二と夜を共にしたことすらないのだ。
王妃としての役目を何一つ果たせていない。
環境に慣れたら王妃の務めを果たせさせてもらえるのかと思っていたが、もう一月も経つのだ。
いい加減、待つのは飽きた。
シャンドラは惚れ薬を懐にしまい、立ち上がった。
王の執務室に突撃したシャンドラは、休憩中らしいアルバートの顔を覗き込む。
「………」
ソファに優雅に腰掛け、本を読んでいたアルバートが視線がうるさいと言わんばかりに眉を顰める。
最初、あまりにも発言しないものだから、この人は喋れないのかと思っていたが、部下に指示を出す姿を見て、喋れるのだと知った。
ただ単に私が嫌いなだけ。王が私を見初めたからだと父親からは聞いていたが、父の勘違いなのだろう。
しかし政略結婚とはいえ、側室もとらない王の子を、私が産まねば誰が産むのか。
シャンドラは意を決して口を開いた。
「アルバート様、私、惚れ薬を持っていますの」
アルバートが顔も動かさずに、二回瞬く。
反応は薄いが、話は聞いているのだろう。
懐から小瓶を取り出す。
「一口飲めば、一日効果が持ちます。今晩、飲んでいただけませんか…?」
母直伝の、耳元に口を寄せ囁く。
貴方の御子が欲しいのですーー。
アルバートは、顔をぴくりとも動かさず、分かったと小さく呟いた。
「やっぱり無理だ」
夜更、寝室に来たアルバートは、シャンドラがいれた茶を一口飲んでから言った。
「何がです?」
「惚れ薬を飲む、ことだ…」
意味がない、と呟くアルバート。
(惚れ薬を飲んだとしても私を好きになることはないということかしら…)
それとも、愛していない私と子作りをすることが嫌なのだろうか。
しかしながら意味がないだの無理だの言われても、もう手遅れなのだ。
シャンドラは自身の頬に手を当て、困ったように眉を下げる。
「申し訳ありません、アルバート様。もう、手遅れですの」
シャンドラの視線につられて、アルバートもその先を見る。
アルバートの手にあるティーカップ。
その中で揺れるラベンダーの香る紅茶は、先程アルバートの喉を通過した。
「ーーなんで、お前は!了承もなしに…!」
「まぁ失礼な。昼間に了承は得たでしょう。…それで、効果はどうですか…?」
ずい、と近寄るシャンドラ。
カップを置いたアルバートが、ソファの上を静かに後退する。
「近寄るな……」
怯えるアルバート、ここまで彼の表情が変わったのは初めて見た。
「聞けません。私は貴方との御子が欲しいのです。今夜だけで良いのです」
「やめろ!!俺はそんなことはしたくない!」
ぐい、とじりじり寄ってくるシャンドラを押し除ける。
押しのけられたシャンドラは、肩に置かれたその手にそっと自身のを添え、瞳を潤ませる。
「そんなに、お嫌ですか…?」
その言葉に、アルバートの時が止まった。
「ま、」
「ならばどうして私と婚姻したのです…!御子を作る気すらないのならば、私と別れて別の方と結婚なさいませ!」
ここまで、はしたないと思われても構わないと、なりふり構わず迫ったというのに。
アルバートのどこまでも自分を厭う態度に、思わず激昂したシャンドラは、唇を噛み締めて立ち上がる。
「実家に帰ります」
距離的にもこんな夜更けに帰れるような場所にシャンドラの実家はないのだが、怒っている彼女にそんな理屈を言っても聞こえないだろう。
シャンドラがその勢いのまま身を翻そうとすると、パシンと腕を掴まれた。
誰が掴んだかなんて、考えるまでもない。
「……離してください」
振り解こうとするが、男の力には勝てない。
暫くして、顔を上げたアルバートは、消えそうな声で、違うんだと言った。
「すまない、違うんだ……お前が嫌とかじゃない、から…いなくならないでくれ…」
ぱちり、とシャンドラが瞬く。
予想外の言葉に体の力が抜けた。その隙を見逃さず、アルバートはシャンドラの手を引き、やんわりと、まるで壊れ物に触れるように抱きしめる。
一体、何が起こっているのだろう。
「好きだ…」
切なく、囁くアルバート。
これは、今まで冷たかった彼と同一人物だろうか。
嘘だ、と思うも、彼の震える手は演技に見えない。
「五年前、隣国に留学した時からずっと好きだった…」
五年前、というと。
シャンドラは十二歳で、婚約者や将来の繋がりを作るために貴族が通う学園に通っていた頃だ。
アルバートがやってきたというなら、祖国でもニュースになっているだろうに、その話は聞いたことがない。
その疑問をぶつけると、お忍びで一年ほどだけシャンドラと同じ学園に通ったのだと言われた。
その時に、中庭で友人と話している姿を見かけて、あまりの美しさに心惹かれてしまったと。
そこから目で追っているうちに、シャンドラの気遣い屋で男前な性格にますます惚れ込んでしまったそうな。
まるで、絵本で綴られるような話に、シャンドラは閉口する。
現実世界で、こんなご都合主義な話があって良いのだろうか。
「…でも、それならなぜ、私が嫁いでから、そんな素振りをしなかったの…?」
思わず敬語の外れたシャンドラからアルバートは目線を外す。気まずい、とありあり書かれている表情。この人はこんなに感情が分かりやすかったのか。
「……嫌がっているのかと、思ってて」
誰が?
「シャンドラ、が…。無理やり婚姻を決めたから、俺のことをどう思っているのかが怖くて、目も合わせられなかった」
「ヘタレ?」
素直にそう首を傾げれば、ショックを受けたように固まった。言いすぎたかしら。
間を置いて、ショックから立ち直ったアルバートは、ぐっと拳を握り言った。
「ーーもう一度、初めからやり直させてほしい」
決意を秘めた男の目。
シャンドラは思わずときめいてしまった。
それを認識してしまえば、以前の冷たさも、今のころころと表情の変わる様も愛おしく思えてくるものだから不思議だ。
自身は惚れ薬なんて、飲んでないのに。
アルバートが震える唇を開く。
シャンドラも何故か緊張しながら、その言葉を待った。
「ーー…好きだ、付き合ってほしい!」
あ、そこからなのね。
意外と初な王様に、御子の顔を見るのはまだまだ先になるだろうなと思いながらシャンドラは頷いた。
後日、惚れ薬の効果で好きって言ったんだわ…!とまたすれ違うのも面白いですよね
すれ違い好きです