39.噂2
彼は革靴の音を鳴らしてこちらにやって来ると、リアの腕を掴んでいるイザークの手を払った。
「何をしていた」
ジークハルトが問い詰め、イザークが気まずそうに説明をする。
「あの……。ドレスが大丈夫かどうか確認を……」
「転びそうなところを彼は助けてくれたのですわ。ドレスに傷がないか、今調べてくれていて」
ジークハルトは眉間を皺めた。
「オレの婚約者だ。触れるな」
婚約者ではなくなるのだが……。
ジークハルトは、リアの背に手を回す。
「リア。今日はオレと花火を見るはずだったろう」
「……はい」
リアは目線でイザークに謝罪の意を示す。イザークは頷く。
イザークは助けてくれたのに。
彼に申し訳なく思いつつ、ジークハルトと小道を引き返した。
外付けの螺旋階段を、ジークハルトはリアの手を握って、上がっていく。
強く握りしめられた手は、少し痛かった。
「あの……。ジークハルト様」
彼は言葉を発しない。
先程のことをリアがもう一度説明しようとすれば、ジークハルトが階段を上りながら、ようやく声を出す。
「君とあの侯爵家の令息が、幼馴染で仲が良いのは知っている」
その声は怒気を含んでいた。
「信用していないわけではない。が、目付け役も付けずあんなふうに二人でいて、おかしな噂を立てられるとは思わないのか」
彼は振り返らずそう言った。
(──噂なら、ジークハルト様とメラニー様にも立っている……)
リアとイザークの恋の噂は、前世でも確かにあった。
根も葉もないものだ。だからリアは堂々としていればいいと考えていた。
「彼との間に何かあるわけではありません」
ジークハルトは苛立たしげに嘆息する。
「一体何を話していたんだ」
ジークハルトとメラニーのことについてだ。
イザークはリアが気にしているのではと思って声をかけたのだ。
「彼は私を心配していたのですわ」
「心配?」
階段を上り終わって、二人は皇宮の屋上にある空中庭園まできた。
今夜はここで花火をみることになっている。
「心配というのは、オレと君のことをか?」
彼は皮肉に笑んだ。
「あの男に、心配されることは何もないだろう」
「……ジークハルト様」
「なんだ」
彼にメラニーとのことを訊こうかと思ったが、今ではなく、これからのことかもしれない。
(訊いても仕方ないわ……)
リアはかぶりを振った。
「……いえ、なんでもありませんわ」
ジークハルトに手を引かれ、空中庭園内に備え付けられた椅子に座った。
ぎこちない沈黙が続く。
屋上には二人以外誰もいなかった。
彼と花火をみた幼い頃、前世を知ったことが脳裏を過る。
(……前世を思い出したくなかった)
婚約破棄をされる覚悟はできるが、そんなことは知りたくなかったと思う。
すると何やら、階下で騒ぎ声がした。
(? どうしたのかしら……?)
二人は顔を見合わせ、立ち上がった。
手擦りに寄り、下の様子を窺う。
「一階に人が集まっているな」
少しして、空中庭園に、近衛兵のローレンツが姿をみせた。
「殿下」
「何があった」
ローレンツは跪いて報告する。
「花火を見ようとバルコニーにいた者が、身を乗り出して二人ほど落ちたようです。それで混乱状態に」
ジークハルトは眉を顰める。
「リア、オレは様子を見てくる。君はここで待っていろ。パニックになった人込みのなかに行くのは危ないからな」
「はい」
ローレンツと立ち去るジークハルトを見送ったあと、再度手摺りに寄った。
ここからだと様子はわからない。リアはそこから離れ、違う場所へ移動した。
手摺りのない場所から、階下に目を凝らす。
(ああ、駄目。こちら側は人が集まっていないわ。余計わからないわね)
瞬間、後ろに気配がして、背を思いきり押されたのだ。
(え──!?)
リアの身体は空中に投げ出される。
ここは屋上。地面は遥か下だ。
このまま落ちたら、絶命するだろう。
リアは恐怖と共に、稲妻のように目の裏に魔物の姿が浮かんだ。
彼と空を渡った記憶。
(思い出した……!)
こんなときに。五年間、ずっと思い出したくて、思い出せなかった魔物。
「ヴァン……!」
あの魔物がいてくれたら……。
リアが契約した魔物の名を呟いた瞬間、花火の上がる空に竜が舞った。




