第三話 草原のエルフ
地面に残された蹄跡の歩幅が変わり、血痕がそこから途切れていた。
ティフォの触手も、馬が向かったであろう位置を指して、ピクピクと早目に先を動かしている。
「……ここから馬に乗って、集落に向かったってのか? あの傷で?」
「ん、まちがいない」
魔族に襲われた生き残りの内、背後から爪で貫かれたはずの、兄の方が見当たらない。
急所を外れていたとしても、治癒魔術でも使わなければ、そう長くはもたない深手のはずだ……。
「あ、兄上の事だから……。一族を連れて弔い合戦をするつもりかも知れません……」
俺とティフォの後ろから、おずおずと馬族の少年が声を出した。
うーん、彼はあの時、俺に掴みかかろうとするくらいの、酷い興奮状態だったからなぁ。
「途中で倒れてたら事だ、お前達の集落まで案内してくれないか?
俺達の事が誤って伝わるのも嫌だし、お前達の父親の最期を話す必要もあるだろうし」
「……やめた方が……いい。父上は改革派で外国人に理解があるけど、元々族長達は反対派なんです。
兄上も父上の手前、受け入れているように見せてたけど、本当はその……外国人が嫌いで……」
末息子、パガエデは言いにくそうに俯いて、語尾を濁した。
ここの国も、世界流通の波で揺れてるって事なのかな?
「スタルジャだって、本当は殺されるはずだったんです……。でも父上が庇って、うちの奴隷にするって言ったから、族長達はずっと嫌な顔してたけど……」
そのスタルジャは、あの時、ソフィアに視線を送っていたが、今はずっと顔を伏せたままだった。
「…………それじゃあ、この子はもう集落には帰れないって事にならないか?」
パガエデはビクッと身を強張らせ、スタルジャの方を振り返った。
スタルジャの目元は影になって見えないが、どこか口元に、微かな笑みが滲んでいるように見えた。
「……お前はどうするんだ? 今ならお前のいた場所に帰れる。このどさくさだ、逃げたって誰も責められはしないだろ……?」
そう問うと、スタルジャは顔を背けて、答えようとしない。
「あの……! き、気を悪くしないでやって下さい。スタルジャは誰にだって、こうなんです。
僕にだって一度も……」
パガエデはそう言うと、目元を真っ赤にして、気まずそうに口を歪めた。
……ん? なんか引っ掛かる表情だが、今はそれより聞いて置きたい事があった。
「スタルジャ……と言うそうだな、俺はアルフォンスだ。
まあ、お前の進退について、俺は何も出来ないし、口を挟むつもりはない。そこは男として自分で決めればいい。
……ただ、ひとつだけ教えてくれないか……さっきの事だ
─── 何故、彼女の事を見つめていた?」
そう言ってソフィアを指差すと、スタルジャはワナワナと震え出した。
伏せた顔がみるみる紅くなって行く。
意味深な表情だったし、今パガエデが『誰にでもこうだ』って言ってたから、なんかあんのかと思ったが……。
あれ? もしかしてただ見惚れてただけなの?
「……あ、済まない。お前も男の子ってだけだったか、今の質問は忘れて─── 」
「………………じゃない……」
彼は更に震えを大きく、顔を真っ赤にして、何かを呟いた。
パガエデが何故かえらくオロオロしている。
「……? すまん、よく聞こえなかった。失礼な事を聞いて悪かった。
で、パガエデ、お前はこれから─── 」
「男の子じゃ、ない!」
「…………へ?」
真っ赤な顔を上げて、急に大声を出した。
「…………男の子じゃない……? え? 君は女の子だったのか……⁉︎」
─── バサッ!
草の上に布の塊が叩きつけられた。
スタルジャの頭に巻かれていたものだった。
「こんな格好で悪かったなッ! 私はこれでもオンナだ!」
突然出された大声に、パガエデまで『しゃべった!?』みたいな感じで、スタルジャの横顔を二度見していた。
……ホントに話しをして貰えてなかったんだな。
って、驚くべきはそこじゃない!
薄緑色のショートヘア、褐色の瞳、長い睫毛に白い肌。
……そして、長い両耳。
─── 長い両耳ッ⁉︎
思わず兜を脱いで、裸眼でスタルジャの顔を見て、思った事を声に出してしまった。
「は? へ⁉︎ ラウペエルフッ⁉︎ ……あっ、しまった……」
─── バチ〜ンッ!
「ラウペって言うな! このクソ人間ッ!」
うわぁ……ドギに注意しておきながら、俺が自分で口滑らしちゃったよ……。
─── 『ラウペ』はエルフ語で『地に這う』……蔑称だ
眼に涙を溜めて、顔を真っ赤にしたスタルジャは、俺の事を物凄い睨んでた。
─── 失言こいちゃったなり……
「─── いかんッ! ノーッ! ソフィ、ティフォ! ノーよッ! 話せばわかる!」
二人の女神の殺気全力の神気が、大気を震わせて、バルド族の少年とエルフが泡を吹いて気絶した─── 。
失神させちゃったなり……
※ ※ ※
「すまなかったーッ‼︎」
草原に大声が響いた。
おどろおどろしい鎧をいつの間か脱いで、屈強な大男が土下座してる。
「ハァ……。人間となんか話す事なんかな─── びくっ」
ロープで簀巻きにされた、この男の連れの女二人が、またあの『怖い空気』を巻き上げてる。
何、あの二人……破壊神か何かなの?
二人とも多分人間じゃない、精霊? いや、多分もっと怖い人達だ。
紅い髪の女は、魔族の戦士をおもちゃみたいに殺してたし……。
白金の髪の方は……いや、きっと勘違いだ。
そうだったら、人間なんかと一緒にいるわけないもの。
それに───
「だから、ノーよ? ソフィもティフォもノーなの。優しくね、俺が悪かったんだから、今は話ややこしくしないで、ね?」
「……ハァ、このささくれ立った心を癒せる方法は、ひとつしかないんですけどねぇ……。
あの小娘を、八つ裂きにする以外の、優しい方法は……」
え? 今、なんかスゴイこわいこと言った⁉︎
男の方は、顔を真っ赤にしてオロオロしてる。
「え⁉︎ こ、ここで……⁉︎」
「オニイチャ、早く、あとがつかえてる。うぅ、じびょーの触手がぁッ!」
「持病なのかよ! え、俺のこれも感染させたって事になるよ⁉︎」
「「はーやーくーッ!」」
はぁ、何やってんだか、やっぱり人間なんてうるさくて愚かで……
─── ちゅ……っ ちゅ……
え? 何してんの⁉︎
うそ、や、えぇ⁉︎ き、キス……?
は、ふわ、はわわわわぁ〜ッ ///
「……ちょっと話すだけだから、ね?」
「「はーい♪」」
わ、こ、こっち来た!
……く、唇が潤ってるぅ〜ッ⁉
︎
「─── 申し訳ない。これであの二人も君に殺意を向ける事は、しばらくはないだろう。
改めて、酷い事を言ってしまった、許して欲しい……この通りだ‼︎」
『殺意』て、やっぱ殺す気だったの⁉
︎
「……も、もういい! いいから頭を上げて、あの二人に殺される……!」
今は確かに『怖い空気』は出してないけど、今度は何故か二人の周りの草が、散り散りになって消えてってる……。
簀巻きにされてるのに、何をどうやってるの⁉︎ 貼り付けたような笑顔が、余計に怖い!
─── と、その時、懐かしい音の旋律が、私の耳に透き通るように届いた
【……実は『ラウペ』の意味を、存じておったでござる。それがしはハイエルフの義父の手にて育てられ候。エルフの言語も、習得してちょうだい仕って候……】
─── ふぇッ⁉︎ エルフの言葉を喋った!
【……あ、あなたのエルフ語は、なんだか物凄く古臭いけど、確かに文法も発音も、ネイティブなエルフ語だわ……】
【何と! それがしの言葉は、古臭いでござ候か! セラ婆殿……お歳を召しておられた故に……。
其方らダルンに住まう、エルフ族の呼び名が分からず、耳にしていた名を呼んでしまった事、平にご容赦願い仕る】
「ご、ごめん! 貴方のエルフ語、頭痛くなりそう……。人間語でいいから。貴方に悪意が無かった事もよく分かったし」
なんかションボリしてる、ちょっと可愛いかもこの人間。
それに言葉遣いは変だけど、久しぶりのエルフ語の会話、ちょっと嬉しかった。
エルフ語は魔術に近い、言霊そのもの。
人の身で扱うなんて、相当な努力をしたはず。
─── この人の言霊は、澄み切っていた
悪い心の持主じゃ、あんな響きは出せない。
もしかしたら、私の言霊の方が曇っていたかも知れないって、恥ずかしくなってしまった。
「あ、ありがとう。本当に申し訳なかった、とっさの事で驚いてしまって、配慮が無かった。
……そんなに俺のエルフ語って、変?」
「くすくす。なんだか幼い頃に見た演劇の、大昔の任侠エルフっぽかった。
どんな方だったの? 貴方のお義父さん」
「あー、義父さんは剣士でね、俺が七つの頃に死んだんだ。言葉を教えてくれたのは、精霊族のお婆さんでね、歳はその……俺のエルフ語から察して欲しいと言うか……」
「あ、貴方、精霊族と知り合いなの⁉︎」
「たまたまだよ……」
道理で魔術のレベルが頭おかしいと思った。
【針雷】なんて、単体を痺れさせるだけの、初歩の雷撃魔術なのにアレだもん。
それに無詠唱だったし、魔力の制御も一瞬で、訳が分からなかった。
「うん、精霊族に教わったんなら、貴方の発音の古臭さが分かるわ。あの人達、生きてる桁が違うもの。だからこそ、貴方の言葉遣いで、それが嘘じゃないって分かったわよ」
「ありがとう。
……所で君はこれからどうする? 通り掛かった縁だ、助けられる事があるなら、協力はするが……」
離れた所で、パガエデがビクっとした。
彼はいつもそうだ、臆病で弱虫なクセに、私の事にいちいち首を突っ込んで来る。
苦手なのよね……だって、臭いんだもん……。
あの集落の人間達も、街にいた人間達もそう、お風呂にも入らないからちょっと。
私達エルフは五感が鋭いから、嗅覚だって人間とは違う。
もう奴隷にされて五年経ったけど、未だに慣れない。
……この三人は違うみたいだし、他の国から来たって言ってたけど、もしかして人間全部が臭いって訳じゃないのかしら……?
「……大丈夫か? そうだよな、いきなりこんな事になったんだもんな。困らせたのなら謝る」
「あ、ううん、違うの。臭いの事で考え込んじゃっただけ、これからの事は何も考えてなかったの」
この人、アルフォンスって言ったっけ?
さっきからちゃんと謝ってくれてるけど、どんな人なんだろう。
人間ってみんな謝らない奴ばかりだと思ってたんだけどな……。
私の事を本当に心配してくれてるみたいだし、いい人なのかな、精霊族とも知り合いなんだもんね。
「……もし、本当の家に帰りたいのなら、早く決めた方がいいかも知れない。
もし、あの馬族の長男が、弔いに仲間を連れて来たら、君はまた強制的に連れ戻される可能性もあるんじゃないか?」
「─── ッ! そ、そうね。私は人質って言うか、生贄みたいなものだったから……。
ブラウルが死んでしまった以上、彼らは私を慰み者にするか、すぐに殺すでしょうね……」
「そ、そんな事、ぼ、ぼくがさせない!」
パガエデが急に大声を上げて、近づいて来たた。
やっぱり盗み聞きしてたんじゃない、それを恥もしないでズケズケと。
どうして人間達って、こうデリカシーが無いのかしら……。
「ぼ、ぼくが君を守る!」
「…………弱虫の貴方に、何が出来るって言うの、あっちに行って!」
うぅ、臭い……。
「そ、そんな……。確かに今までぼくは弱虫だったかも知れないけど……
ぼっ、ぼくは! き、きき、君のことが」
「そこまでだ、もう遅い……『月夜の風狼家』のお出ましだ。
それも、どうやら話す気はないようだ─── 」
─── シュルル……ストトトトト……ッ!
「ゆ、弓を使った⁉︎ いきなり⁉︎ て、敵扱いじゃないかッ!
─── おおい! ぼくだ、パガエデがここにいるぞ! 矢を放つな!」
あれは集落の戦士達だ、パガエデが叫んだのが聞こえたのか、馬上で何やら指示を出し合ってる。
そしてすぐに向き直り、こちらを見ると、大きく膨らむように分かれて早駆けを始めた。
青空の下に、刃の反射が一斉に煌めいた。
「……抜いたな。二人は下がってろ」
アルフォンスが剣を抜いた。
魔剣なのかしら、物凄く禍々しい不気味な風を纏ってる……。
─── でも、魔剣が持主に愛おしそうに微笑んでるような気がする
この人は、一体何者なんだろう?
自分の命の危機が迫っていると言うのに、私は彼の大きな背中に、興味を惹かれて仕方がなかった。
※
「チッ! 風の機嫌が悪ぃ、矢が当たらねぇ!」
「なぁ、オイ。パガエデが止めろって騒いでるぞ? 本当にやるのか……?」
「当たり前だ。ブラウル亡き今、もう俺達の伝統を侮辱するものはいない……。
パガエデには悪いが、兄と同じ所に行ってもらおう」
「……まあ、すでにひとり殺っちまったんだ、後には退けねぇか!」
流石は草原、遮蔽物のない場所は、俺の【地獄耳】がよーく仕事するなぁ。
……長男はすでに殺されていたか。
『利害が絡むと血も涙もない』だったっけか、ドギのバルド族講習、すげぇ役に立ってんじゃねぇか!
ブラウル亡き今、改革派を根絶やしにするつもりって事ね……。
……なら、火の粉は払うまでだ。
─── 【斬る】‼︎!
彼らの握る薄く幅広でしなりのいい柳葉刀の刃が、草原の空に砕け散った。
同時に、いきなり鐙を失った数名が、派手に落馬する。
落馬を堪えた者達も、武器と鐙を失って勢いを急激に失い、馬のコントロールを乱した。
ここで一気に決めるか。
そう思って、夜想弓セルフィエスを喚び出そうと手を用意した時だった……
─── 【 息 あ る 事 の 幸 福 を 知 れ 】
どこまでも透き通った、凛とした声が世界に響いた。
突如、迫り来る馬族達が、胸や喉元を掻き毟りながら、馬上から崩れ落ちた。
「あれ……殺しちゃったのか?」
「いいえ、血の中の成分を少し奪っただけですよ。急激に脳が窒息して、失神しただけですから、心配はいりません♪」
今の『神の呪い』だよな……?
ティフォの成長もヤバイけど、ソフィアの奇跡も大概だ。
パガエデが混乱して、上ずった声を出してるけど、それは親類が襲って来た事に対してなのか、ソフィアの起こした目の前の事態に対してなのか。
「……やっぱり、私は殺される事に……なっちゃったみたいね?」
「そうだなぁ、目撃者も残さない勢いだったし、そのつもりだったろうな。もうすでにひとり殺してるみたいだしな」
「え? 貴方にもさっきの会話が聞こえてたの⁉︎ ……貴方たち、本当に人間? さっきの技も何? 魔力が凄く動いたけど、今のは魔術じゃなかった……」
スタルジャが不審げな顔をしている。
流石はエルフか、魔力の動きには敏感なようだ。
その横でパガエデが、膝をついてブツブツと何かを呟いている。
「まあ、魔術みたいなものだ。俺達も冒険者の端くれだからな、戦闘の技術は独自に磨いてる。
……それよりも、今は今後の事だ、これでパガエデも居場所を失った訳だが……?」
「……ぼくは……誇り高き戦士、ブラウルの息子……ぼくは……誇り高き戦士、ブラウルの……」
あぁ、壊れちゃったか。
純朴そうな少年だもんな、身内に親兄弟が殺されて、自分も狙われてるとなれば……。
「取り敢えず、ここから移動して、パガエデを受け入れてくれそうな集落を探しに行くか。
スタルジャ、君は自分の所には戻れそうか?」
何て微妙な顔をするのか……。
見た目には、ティフォとソフィアの中間くらいの、あどけなさの残るエルフは、眉を困ったように寄せて頼りなく微笑んでいた。
─── 直ぐに帰りたいと言い出さない時点で気がつくべきだったか……
「どちらにしろ、ここを離れた方がいいだろう。パガエデの馬族とは関わりのなさそうな集落があればいいが……。
取り敢えずは、このまま北上して街を目指す方がいいだろ」
そう言うと、パガエデは少し驚いたような顔をして頷いた。
スタルジャも小さく頷く。
「今後の事も、ゆっくりでいい、話しながら歩くんだ。
重たい気分の時は、少しでも話した方がいいし、歩きながらの方が声が出るもんだ」
パガエデの背中に手を当てる。
細く見えて、筋肉はしっかりしていた。
二人に少しでも気持ちを軽くして欲しくて、【浄化】の魔術を掛け、汚れを落として清める。
今までスタルジャの耳を隠していた、打ち捨てられたボロ布を、ソフィアは忍びなく思ったのかスペアの僧服を彼女に着せていた。
身長はソフィアと同じくらい、最初に男だと間違えたくらいだしな。
僧服に袖を通した彼女は、すらっとしたなかなかの美人さんだった。
幾分か気持ちが晴れたのだろうか、スタルジャはやや顔に明るさを取り戻し、ソフィアに礼をしている。
─── そこでもやはり、畏怖と歓喜の混じったような、不思議な表情でソフィアを見ていた
彼女はソフィアに、何を思っているのだろうか……。
※ ※ ※
ぼくが初めてラウペエルフを見たのは、八つの頃だった。
酷く日照りの続いた年で、鳥も獣も獲れなくなったぼく達の一族は、西側のまだ獲物の多い地域に移動していた。
ようやく馬を充てがわれたばかりのぼくは、皆におだてられながら、必死に家族の後をついて行くのがやっとだった。
狩りをしながら移動して行くぼくらにとって、獲物を狩る事は、直接命に繋がる。
あの時、とてもひもじい思いをしたし、大人達が皆、辛そうな顔をしていたのを、今でもはっきりと覚えてる。
何日進んだのか、ある時から急に獣が多く見られるようになって、毎晩のように宴をしては、西へ西へと進んで行った。
─── そんなある日、ぼく達は遠くに、風変わりな集落を見つけた
牛、馬、山羊、羊……家畜がほとんど見当たらないその集落には、牧草とは違う植物がたくさん育てられているのが見えた。
それが畑と言うものだと、ぼくはその時、初めて知った。
馬族と遊牧民以外の、農耕民族を見たのは初めてだったんだ。
「─── ありゃあ、エルフか! 初めて見たぞ。
そうか、あいつらは狩りをしないからな、だからこんなに獣が多いのか、この辺は」
「どうする? 思い切ってやっちまうか。大した数じゃねぇし、見れば男達もほとんどいねぇ」
獲物の数が足りていれば、遊牧民達と交易もするけど、足りなくなれば力で奪う。
野蛮な事だと父上は言っていたけど、ずっと馬族はそうして生きて来たと、族長達は当たり前の事だと言っていた。
「この辺はまだエルフの勢力圏の入口だ、あそこの集落は小さくても、その後ろは分からん。余計な騒ぎは起こすな、戦になったらどうするつもりだ!」
父上がそう言うと、みんな黙ってしまった。
誰もが父上を尊敬しているのだと、その頃のぼくは誇らしく思っていたりした。
結局、問題を起こさないようにと、族長の息子達が狩りの許可を取りに行って、その間、ぼく達はそこから少し離れた場所で狩りをする事になった。
交渉に行った人達が帰って来たのは、日が暮れた頃の事。
大人達が声を荒げて話し合っているのが、とても怖くて、テントの中に縮こまっていたけど、よく聞こえてしまったし、その内容は忘れもしない……。
「狩りの許可どころじゃねぇ! アイツら、俺達をまともに見ようともしねぇで、顔を背けたまま『帰れ』の一点張りだったんだ!」
「……だからってお前!」
「それだけじゃねぇ! 獣を食う俺達は、獣以下だとか抜かしやがって、挙げ句の果てには俺達の神『風狼』を、存在しもしない寝言だと言いやがった!」
「「何だとッ‼︎‼︎」」
戦士達が一気に殺気立つのが、テントの中からでもヒシヒシと感じられた。
……あれでは父上も止められないかも知れないし、もしかしたら、父上までひどい事をされるかも!
そう思ってテントを飛び出したぼくは、みんなの集まる所に行って、その光景を目にした。
─── ……ひっ!
「パガエデ……テントに戻っていろ。ここは大人の大事な話の場だ」
いつも優しい父上の声が、凄く怖く聞こえた。
ぼくは立ち竦んで足が動かなかった。
─── 男衆の服は血だらけで、手には束ねられた生首がいくつもぶら下がってた
それだけじゃない、顔をボコボコに腫らせたエルフの母娘が、縛られて転がされていた。
何人かがまだ、その二人を蹴っている。
「……あ……う、ち、父上……?」
「テントに戻れッ‼︎」
父上の怒鳴り声で、ぼくは弾けたように踵を返して、自分の寝所へと逃げ戻る。
「パガエデ……『詠う英雄』なんて大層な名前が泣いてる。情け無い」
「弟の悪口は止せ、あれは知恵がある。勇気は後から育つものだ」
兄上と父上の声が、ぼくの胸を酷く傷つけたのを覚えてる。
─── その後、蹴られていた母親の方は死に、その娘を人質に、再交渉に向かったらしい
でも、あの小さな集落は、エルフ族のはぐれ者だったみたいで、エルフ族との交渉は上手く行かずに、結局交戦になってしまった。
エルフ達の使う毒矢と魔術に、ぼくらの一族も何人か死んでしまったけど、最後は勝利を収めた。
その時は幼心に怖かったけど、誇らしさも膨れ上がって、はしゃいだのを覚えてる。
ぼくらはその地で一年過ごし、やがて今の集落の地域へと帰った。
人質の女の子は、何故かそのままうちの奴隷となって、一緒に暮らす事になる。
─── スタルジャ。白く美しいエルフの娘
ぼくが彼女に恋心を抱くのに、そう時間はかからなかった。
スタルジャは誰とも顔すら合わせないし、ほとんど口を利かない。
だけど、時折月夜に隠れて歌う、彼女の歌声に心奪われてか、ずっと彼女を目で追い続けていた。
男らしく、彼女を求める事が出来なかったのは、彼女が外国人と同じ余所者扱いだった事もある。
─── でも、本当の理由は、兄上とスタルジャの言い争いを耳にしたからだ
「……目障りなんだよ、ラウペ! 余所者が同じ屋根の下にいるのは反吐が出るぜ!
狩りも出来ない臆病者が、誇り高き俺達『月夜の風狼家』に養われるなんて、恥ずかしくないのか⁉︎」
とある夜、眠れなくて散歩していたぼくの耳に、長兄の声が飛び込んだ。
集落から少し離れた場所で、スタルジャと兄上の姿を見つけた。
「本当はあの時、お前はとっととくたばってたんだよ! お荷物は臆病者の国に帰ったらどうだッ!」
父上の手前、みんなやらないけど、兄上達や集落のみんなは、時々隠れて彼女に言い掛かりをつけていたのは知ってた。
そして、彼女はいつも何も言い返さずに、ただジッと顔を背けて耐えている。
しかし、その時は違った……
「─── 臆病者? 井戸に毒を流して、野盗紛いの真似をするのが誇りなの……?」
…………ずっと疑問だったんだ。
どうしてぼくらの一族が、エルフなんかに勝てたのか。
ぼくらの何倍もの寿命で、弓と魔術を鍛えた彼らに、どうやって勝てたと言うのか。
「……う、お、お前……ッ」
兄が後退り、尻餅をついた。
スタルジャの体から、薄緑色のオーラが渦巻いて、同じ色の髪をターバンごと空に舞い上げている。
魔術だ……!
兄上が殺されるかも知れないと言うのに、ぼくはその場で硬直してしまった。
「ま、魔術か! なんでお前が使えるんだ! シャーマンの入墨で、魔術は使えなくしたんだろ⁉︎」
「…………そんなの、貴方の父親の妄言よ」
「ひっ! よ、よせ! そんな事をしたら、お前を一族みんなで─── 」
「─── ちょっと脅かしただけよ。……臆病者ね」
踵を返して、ぼくの方を見ながら、彼女はそう呟いた。
少し欠けた月を背に、薄緑色に煌めく瞳は、ゾッとする程に美しかった。
あれから数年間、隠れて彼女に言い掛かりをつけていた連中は、急に大人しくなった。
奴隷とは言え、普通に家の手伝いをして暮らす彼女は、穏やかに過ごしていたように思う。
─── 臆病者
しかし、彼女の言葉は、ずっとぼくの心の底にくすぶり続けていた。
そして、父上が彼女を守り続けていたのは、父上なりの罪滅ぼしだったのかも知れない。
※ ※ ※
「んじゃあ、行くとするか。ソフィ、この近くの街は見つけられそうか─── 」
「待って! ぼくは父上の意思を継ぐ! このままエルフ族の元へ、ぼくが彼女を返しに行くんだ!」
なんか鼻息荒く、黙り続けていると思ったら、パガエデが急に気合の入った宣言をした。
「……貴方には関係ない。それに私は帰ったって、居場所がないのよ……」
「だからだ! 君が元々エルフ族でどうだったのかは知らない。でも、君達に酷い事をして、君を人質にしたのは、ぼくの身内だ。
しかも、また身内の愚策で、君の居場所を奪おうとしてる─── 」
─── ブチッ!
パガエデがうなじに一本、長く伸ばしていた三つ編みを、ナイフで切り落とした。
あれ、確かこう言うのって、その部族の男の証とか、そんなんじゃないのか?
「なら、ぼくは『月夜の風狼家』を抜ける。ひとりの男として、今度はぼくが君の居場所を作る!」
「…………殺されるわよ? エルフ族は誇り無き卑怯者を嫌うし、仲間への恨みは忘れない」
「─── 構わないッ!」
うーん、弱々しい奴かと思ってたら、男気あるんだなぁ。
こう言う実直な感じって、ポイント高いんじゃないの?
そう思ってスタルジャを見たら、鼻を背けて震えてる。
あちゃぁ、【浄化】じゃ臭い取り切れなかったか……。
ソフィアとティフォはと言うと、話が長くなりそうだと察して、手遊びを始めていた。
正直、俺もあっちに混ざりたい。
あの手遊び、何回やっても覚えられないから、苦手なんだけどね。
と、スタルジャが顔を背けたまま、顔を真っ赤にして震えてる。
もしかして、脈あったか⁉︎
「…………………………って……」
「え? なんだい、スタルジャ。ぼくに何でも言ってくれ! ぼくにはその義務がある!」
パガエデが情熱的な表情で、彼女に迫る。
押せ、押せ押せパガエデ!
「お風呂に入ってって、言ってんのッ‼︎ あんたが臭くて、話が頭に入ってこないのよ!
─── うぷっ」
えぇ……えずいた……。
切なげに歌うような表情を、今もろに見ちまった!
この時、ようやく分かった。
ドギの説明で、バルド族が風呂に入らないって事と、この地のエルフが、人に対して顔を背けて距離を取ろうとするばかりだって事。
んで、確かエルフは五感が鋭い。
中でも耳と鼻は人間の数万倍も優れてるって、教わった事がある。
そんな点と点が繋がって、線になった時、パガエデの気合の抜け切った、悲しげな呻きが木霊した。
「─── えぇ……。ぼく、臭い……?」
「「はいっ☆」」
偶然のいたずらか、女神二人の手遊びのキメポーズと合わせて、元気な声を出すタイミングがバッチリと一致した。
スタルジャと同時に、三人の女性に烙印を押された形になり、パガエデは膝をついていた。
─── ダラン最初の旅が、魔族襲来、馬族襲来、お風呂造りになるとは、誰が予想しただろうか……
ともあれ、ただ通り過ぎるはずが、数奇な出会いによって、ダラン西側のエルフ族の領域に足を運ぶ事になりそうだ。
エルフか、父さんと近親と言えば近親種族だしなぁ、長寿命のはずだから、この国の事にも詳しいだろう。
─── 『死の丘』について、分かるかも知れない
あれがただの夢だったとは、未だに諦め切れない何かがあるんだよなぁ……。





