第十一話 【霧】
「早くッ! 早くこっちに火を持って来いッ!」
「もたもたするなッ! もうそこまで来てる!」
「女子供の避難は済んだか?
…………何ッ⁉︎ 今頃遅いッ! あの地区は……諦めろ! いいな⁉︎」
峡谷から濃霧が迫っていた。
男達は慌ただしく松明を配り、獣脂を塗ったバリケードに火を付けて、峡谷に向かい備えていた。
「来る……とうとう……。来たぞ……ッ!
『霧』が来る! 火属性使える奴ァ、詠唱を始めろ! 谷の奥に押し返せッ‼︎」
身体のあちこちに、血の滲む包帯を巻いた、褐色肌の男が怒号を響かせた。
見渡せば、その男以外にも、同じような怪我を負った者達が複数あった。
谷から溢れ出た霧が、バリケードの炎に触れ、ジュウと音を立てる。
「馬鹿野郎! 一旦下がれ! 死にてぇのか‼︎」
バリケード近く、最後まで作業をしていた数人の男達が、男の声で慌てて退避する。
「ひ、ひぃ……ぎぃやあああぁぁぁぁぁっ‼︎」
逃げ遅れた一人が、霧に包まれた途端に、耳を覆いたくなるような悲鳴を上げて転げ回った。
その姿は霧に隠されて、すぐに悲鳴は苦しげなものに変わると、何も言わなくなった。
「「「火神の眷属、紅き火衣まといし蜥蜴の王よ! 燃え盛るヘーゲナの海より、ひと匙の煌々たる血潮を分け与えん!
邪を払う炎よ、地より出で、空に返せ
─── 【火炎防壁】‼︎‼」」」
術者達の合同詠唱が完了し、魔力が炎として実体化すると、大地から天を焦がすような炎の壁が噴き上げた。
炎は峡谷と街との境を埋め尽くし、押し寄せる霧を食い止める。
─── ボトッ ボトボトボト…………
炎の壁から、白い煙を曳いた、無数の小さな何かが降り注いで来た。
それは地面に落ちると、しばらくビタビタと鰭を打ち付けて暴れ、やがて黒い霧となって消えてしまった。
濃霧の侵入を防いで、本来なら喜ぶはずの彼らの顔が、色を失っていった。
「浮幽魚……。やっぱり言い伝えの通りだ……」
霧の中から焼け出された、比較的、損傷の少ないそれを見て、誰かが呟いた。
薄っすらと透けていて、全身を鎧のような鱗に包まれた、手の平に収まる程の魚。
「時間がねぇ! ギルドからの派遣はまだなのか⁉︎
『聖女』とか呼ばれてるスゲエのがいるんだろ? …………そいつだったら」
「馬鹿言うな。聖女っても、伝説の『聖女リディ』とは訳が違うんだ……勇者様御一行でもなきゃあ……。
魔族なんかに敵いっこねぇ……」
「そんな御伽話、ある訳ねぇだろ! 【聖リディの灯】なんてワガママは言わねぇ、どんな手でもいい! 誰でもいいから、霧を止めてさえくれれば……」
炎の壁が段々と低くなると、渓谷の向こうでは、忽然と霧の姿が消えていた。
霧が来ていた倍ほどの高さにある、小さな祠が、こちらを見下ろしているのが見える。
しかし、霧を追い返したと言うのに、誰も歓声を上げようとはしない。
バリケードの手前には、ほとんど骨を残して食い散らかされた男が、こちらにぽっかりと穴を開けた眼窩を向けて倒れている。
─── 浮幽魚は『霧の女王』の僕、段々増してやって来る。峡谷の祠を越えた時、本隊を連れてやって来る
その場にいた誰もが三百年前の、先人が残した詩を、思い浮かべていた。
※ ※ ※
─── はたはた、はたはた……
─── ぶんっ! ぶんぶんっ!
窓際に追い詰められて飛ぶ黒アゲハを、ティフォがふよふよ浮かびながら、左右のフックを繰り出している。
窓の外は今日も、鉛色の空と暗い海が続いていた。
バグナスの港を出港して四日、現在、同じバグナス領の海岸を北上している。
バグナス領が面する南海は、半島に挟まれた比較的穏やかな海域だが、流石に冬は荒れやすい。
更に、目指している街は気流が逆風となる上、岩礁の多い海域に囲まれているため、船は非常にゆっくりと進んでいた。
出港の一週間程前、とうとう夜切との夢での個人レッスンと、『でぇと事件』が二人の女神にバレた。
たまたま夜中に起きたティフォが、俺の様子の変化に気がついて、夢の中に飛び込んで来たからだ。
折悪く、古代の武術にあったという呼吸法の指南中、俺の背中から両腕を回して、丹田を圧迫していた夜切。
その背後に着地したティフォからは、胡座をかく俺の股間へと、両手を伸ばしてナニかしてるように見えたと言う。
慣れない呼吸法で、俺の息が乱れていたのが、また悪かった……。
触手と妖刀が火花を散らして、高速で激しくぶつかり合う様は、この世の終わりのような情景だった。
その後、誤解は解けたものの、翌朝。
ティフォの告口を得た、ソフィアの額合わせの尋問に、俺は脆くも崩れ去った。
少しでも俺の記憶と、俺の返答がズレると……
「おや? 嘘の匂いがしてますね……」
あの至近距離からの、シンメトリーなエメラルドの瞳は、俺の肝を軽くソルベに仕立て上げる程に恐ろしかった。
しかし、俺が嵌められていた事。
元々は二人の女神と『デートしたい』が発端だった事。
それら全てを、脳からほじくり出された所で、何かみんな揃ってモジモジする空気になった。
夜切の事情も理解した二人は、我が愛刀の事も許し、『夢の世界で予行練習だったら、色々アリだよね?』みたいな新境地に至ったらしい。
それ以後、俺の夢は混沌としていた。
里の修行を軽く凌駕する、手加減なしの戦闘訓練と、現実より過激で濃厚なスキンシップが、交互に繰り広げられた。
愛刀を含めた三人の女性陣も、それで大分気が済んだのか、最近はようやく夢の世界も通常営業に戻りつつある。
しかし世の中、無駄な事は無いもので、俺の戦闘能力と、女の子への免疫は多少強くなった気がする。
正直、いつ心が砕けるか、いつ隠れてパンツを洗うハメになるのか、不安で仕方がなかったから助かった。
─── 今は、目的地に数時間で到着するであろう船の中、退屈したティフォが夜切を誘い、ジャレ合ってる
「アルくーん、何読んでるんですか?」
ソフィアが紅茶を淹れてくれたようだ。
いい香りのする、湯気の立つカップをサイドテーブルに置いてくれた。
「んー? 『テレーズ世界見聞録』だよ。次の依頼地の事、書かれてるかと思ってさ」
「ああ、『加護を信じた正しきシーフ』ですか。まあ、彼女のであれば、誇張やホラは少なそうですね」
─── テレーズ・マルティネス
三百年前、勇者と共に魔王を倒した一人。
大豪商の令嬢にして、守護神【風の神フォンワール】から加護【盗賊】を受けた彼女は、絶縁を言い渡された。
しかし、盗賊の加護に飲まれず、恩恵を前向きに活かして、世界に名を馳せる探検家の傍ら、今も残る大商会を一代で伸し上げた。
魔王との決戦で帰らぬ人となったが、戦闘のサポート役の重要性と、どんな加護でも見くびらない意識を世の中に芽生えさせた。
『テレーズに笑われる』とは、マールダーに於いて、怠け者の子供に親が放つ、戒めの言葉として余りに有名だ。
今読んでいるのは、そのテレーズの残した、探検や勇者との旅の記録。
俺はその本で、今回の依頼地について調べていた。
─── バグナス北部に、魔族が現れた
すでに二度、街が襲われて、被害が出ている。
ギルドに依頼を持ちかけたのは、密林国アケルにほど近い、同じバグナス北部の街レーシィステップ。
すでに陸路から、別の冒険者のパーティが二組ほど出発していて、この船には更に三組程が同船している。
この海上からの移動組とは別に、陸路で調査をしながら進んでいる組もある。
組数は少ないが、かなり大所帯のベテランパーティが選ばれ、ギルドの力が相当に入っているようだ。
バグナス領は国土こそ広いが、ほとんどが岩山と森林地帯。
太古の氷河に作られた、血管のような峡谷が走っていて、大きな港がある五つの街は、その峡谷を通じて繋がっている。
その五つの街以外にも、小さな街や村が存在しているが、レーシィステップは峡谷の道の終点にあるかなり小さな街だ。
貿易陸路の本筋から、大分離れた末端の峡谷の先にあるため、ギルドも兵団もない。
密林国アケルとの国境に近い北部は、岩山に遮られて、同じバグナスでもかなり気候が違う。
密林国アケルに近いだけあって湿度が高く、冬の時期にもそれ程冷え込まないが、濃霧が発生しやすいそうだ。
─── 『霧の女王』
かつて勇者一行を苦しめた、魔族の将が封じ込められている、曰く付きの街。
その街を今、霧が襲っていると言う。
ハリード自治領、太守の館で対決した、スライムの王『魔将公オルタナス』に続き、またも魔族との対面となるのだろうか ───
※ ※ ※
「おい、スパッド! 冒険者が来たぜ!
それも谷を抜けて来たんだ‼︎」
フランクの声でオレは目を覚ました。
だが、体が鉛みてえに重てえ……。
初めての犠牲者が出てから四日、毎日毎日『霧』への対策準備と、避難先の手配とルート確認、もうなんやかんやで、眠る時間なんぞありはしなかった。
最初の『霧』で、町長が寝込んでから、ずっとこの調子だ。
竹編細工の長椅子から、身体の節々を軋ませて、何とか起き上がる。
最初の『霧』から、もう一週間も経つってのに、浮幽魚に齧り付かれた傷は、もたもたと治りが遅かった。
包帯を変えても、すぐに血が滲む。
血を出し過ぎたんだ、頭がフラフラして、考えが追っつかねぇ。
「ええ……? 何だフランク、何が来たって?」
「あ、悪ィ。寝てたのか……。
いや、それどころじゃねぇよ! 冒険者が来たんだ‼︎」
フランクの言葉に、一発で目が覚めたぜ!
待ちに待ってた援軍だ!
「そりゃ、本当かッ⁉︎」
「ああ、本当だとも! しかも峡谷から歩いて来たんだよ! それも四十人は超えてる、団体さんだ‼︎」
直ぐに起き上がって、かめの水で顔を洗う。
傷口がピリピリ、腫れてるせいか、顔全体も痛みやがった。
顔を撫でた指に、伸びた髭がジリジリ当たるが、怪我のせいで剃る事も出来やしねぇ。
「今は何処に居るんだ? もうオメェは話したのか?」
「ああ、したとも! ベテランって感じだったぜ?
腕なんかよ、ギレンのカミさんの腰くらいあったんだ。眼なんかギラギラしてて、あれは頼りにならぁな。
─── 今はよ、とりあえず寄合所に集まってもらってる。自警団で対応してるとこだ」
「寄合所か……よし。
だがよフランク、オメェは大袈裟なんだ、ギレンのカミさんの腰くらいだったら、重くって腕なんか動かせねぇだろって!」
着替えながら、フランクと馬鹿話してゲラゲラ笑った。
こんなに気分が明るくなったのは、何日ぶりだったか、それくらいオレ達にとっては心晴れるような朗報だった。
※
「お前さんが、依頼主のスパッドさんかい?」
鉄板で補強した皮鎧の一揃えに、分厚い魔術師用のコート、短く刈り揃った金髪頭。
隙のねぇ眼つきは、フランクが言った通り、頼りになりそうなベテランの風格があった。
「ああそうだ、そう言うアンタは……」
「バグナスギルドから、依頼を受けて来た、
『白頭鮫団』のダイクだ。
団長をやってる。今回はよろしく頼む」
「オレはスパッドだ。……今は町長代理で、一応街の代表者って事になってる。
来てくれて嬉しいぜ……!」
そう言って手を差し出すと、ダイクはガッチリと握手に応じた。
でかい手と、自信たっぷりな口元に、オレは心底安心してた。
「追加で後から二十、峡谷から。海から六十位は来る事になってる。
国難扱いで、依頼料は免除になるのは聞いてるな?」
「……ありがてぇ。そんなに来てくれるのか!
今は街もこの通りだ、依頼料の方も助かる……」
思わず目が熱くなって、涙が溢れ出ちまった。
ダイクの旦那は、ふっと笑みを浮かべて、他のヤツらに振り返った。
「聞かせてくれ、今がどうなってるのか。出来る限り詳しく頼む」
若い衆がうんうん頷いてる。
若頭のピーターが説明を始めたのを見て、やっとオレも少し休めそうだと、胸をなで下ろした。
※
「 ─── 大体、分かった。
ここにいる自警団以外、一般住民の避難は完了したのなら、今後の戦闘はギルドで引受ける。
残りの自警団もこちらの指示で退避してもらう。
……最初の襲撃で出た怪我人を、何処かに集められないか? 早急に処置が必要だ」
一通り経緯を聞いたダイクが、突然口を開いた。
それまでは、静かに聞いて、一言二言の質問を繰り返すだけだった。
「怪我人? まあ、集められるが……町長は無理だな。傷が深くて、今も家でうつらうつらしてるんだ」
「……そうか。では人を出そう。
ビル! ジェフと何人か連れて、町長の家に急げ!」
「あ、ありがてぇ! 町長の家なら案内をつけるから、少し待っててくれ」
「いや、案内はいい。この街の地理は、来る時に頭に入れて来た。それよりもアンタを含めた、怪我人への対処を急ぎたい。
今すぐにでも集めて欲しい」
流石冒険者だな、初めて来る街の事まで憶えてるのか!
しかも怪我人を全員集めて、治療かよ!
確かに聖属性系の僧侶も、何人か居るみたいだ、あんなに立派なナリだ腕もいいんだろ。
オレはフランクを呼んで、怪我人を集めるように伝えた。
※
「─── これで、全部か?」
街の共同倉庫に空きがあった。
そこには初日に怪我をした、二十人程の街の人間が集まって、ざわざわと話してる。
みんな冒険者が来たのが、よほど嬉しいんだろう、笑顔の奴が多かった。
町長以外の怪我人は、全員ここに揃ったと伝えると、ダイクは皆の前に立った。
「……よく、ここまで耐えた。
君達はこの街を守ろうと戦った、立派な勇士だ」
何人かが『そうだそうだ』と声を出して、興奮していた。
何人かは泣き出してる。
……本当は皆んな、不安で怖くて、もう限界が近かったんだ。
─── ガシャン
冒険者の誰かが、倉庫の扉に鍵を掛けた。
不思議に思ったが、ダイクの言葉を聞こうと、すぐに向き直った。
「……最初の襲撃から一週間。
この中には、そろそろ気が付いている者も、いるだろう」
何だ? 気が付くって何だ?
敵の弱点でも分かったってのか?
─── ズグッ!
「……………………え?」
扉近くに居た一人が、急に立ち上がって扉に向かって走るのを、一人の冒険者が槍で突いた。
何かの間違いか⁉︎ いや、今のは魔物を殺す時みてえに、迷いなく急所を突いてねじり込んでた……⁉︎
「……フン。やはり育ってたか」
「な……ッ⁉︎ 何で? 何で殺したんだ?
え? え……⁉︎
─── うぐ……っ、がふッ、ぐげ……」
そう声を出したギレンが、ダイクの剣で胸を貫かれた。
体をガクガク揺らして、ギレンの口からゴポゴポ音を立てて血が溢れ出てた。
その横で悲鳴を上げかけた奴も、冒険者の槍で突き殺された─── 。
「分からんか? お前達の体には、もう浮幽魚の卵が入り込んでいる。……もう孵るのも時間の問題だ。
─── 最初に襲われたお前達は、その程度の傷ですまされた。
─── 次の襲撃では、襲われた者達は食い散らかされた。
……それはここにはもう、充分な産卵数を満たし、捕食するのみとなっている証拠だ。
─── 浮幽魚は浮幽蛇を呼ぶ。
残念だが、傷を受けた者には死んでもらう。今なら宿主が死ねば、卵も死滅するだろう」
「…………そ、そんな事、聞いた事がないぞッ⁉︎
あんた一体なん……ガ……げ……シュ─── 」
フランクが後頭部から槍で突かれて、口から穂先を生やしてた。
内側から血柱が前歯に当たって、空気が抜けるような、ヘンな音が立ってる。
こんなにおっかねえのに、何故か頭の中はボーっとして、自分が自分じゃねえみてえだ。
「抵抗しなければ、苦しむ事はさせない。生存者のために、協力を頼む」
……嗚呼、そうか。
だからオレの傷、腫れてたのか……。
……オレたちゃあもう、浮幽魚の産卵場にされちまってたってことかよ……。
─── 『……おい、スパッド! 冒険者が来たぜ!
それも谷を抜けて来たんだ‼︎……』
オレの頭ん中に、何故だかついさっき聞いた、フランクの声が響いてた。
─── ダイクの顔は、初めて会った時と変わらず、頼りになりそうな表情のままだった。





