第九話 愛刀の聲
黒アゲハが天井近くを飛んでいる。
両脇からは、ソフィアとティフォの寝息が聞こえていた。
─── いつの間に、入ったんだろう?
はたはたと小さな羽音が、静まり返った部屋で、確かに響いている。
寝ていたのか、目が覚めたのか、壁につけられた魔石灯の小さな明かりの世界では、どうにも判断がつかなかった。
ただ、ぼんやりと蝶が舞いながら描く、不定形な円を眺めている。
良く見ると、蝶が時折強く羽ばたいた時、小さな青白い光の粒を散らせていた。
(─── 綺麗だなぁ……。でも、何で灯りの近くじゃなくて、俺の真上を飛んでるんだろう……?)
そう思っていたら、段々とまぶたが閉じて、自分が眠りに落ちるのを自覚した。
─── ガクンッ!
「…………ハッ!」
急に階段を踏み外すような、強い痙攣がひざに突き抜け、思わず目を開いた。
─── え? 何だこれ……。
部屋の明るさが変わっていた。
暗い所はより暗く、明るく照らされている範囲が少なくなり、弱々しい光が揺らいでいる。
魔石灯のぼんやり全体を照らす明かりから、蝋燭か何かの小さく範囲の狭い明かりに、いつの間にか光の性質が変わっていた。
─── ザッ
頭を動かすと、後頭部に擦れる乾いた音がした。
どうも、布団も無くなっているらしい。
代わりに草を細かく、一方向に規則正しく編み込んだような、程よい硬さの床に寝ていた。
壁には細く真っ直ぐな格子の戸に、紙だろうか白いスクリーンが貼られた、見慣れない建具が収まっている。
「……………………憶えるのだ…………」
部屋の様子を確認しようと、身を起こしかけていた俺の背後から、澄んだ女性の声が聞こえた。
─── 誰だ!
すぐに振り返り、その声の主を確認する。
─── え? いや、本当に誰なんだ……?
黒く瑞々しい髪が、正座をした膝まで流れ、部分的に月夜の空に似た、暗い青色が差し込んでいる。
前髪は眉毛の辺りで綺麗に切り揃えられ、その下に閉じられた、長いまつ毛の両眼。
肌は白く、きゅっと結んだ唇に、清らかさを感じさせた。
肩口に切り込みの入った、白い前合わせの上着に、同じく腰の両脇に切り込みの入った紺色のだぶだふなズボンのようなもの。
着ている物も、見た事がない不思議な物だった。
紅い紐のようなもので、上着の長い袖は両脇に縛り、留められていた。
─── ガセ爺の書庫で見た、古代世界の鍛治師にこんな格好の絵が、載っていたような……
「……………………憶えるのだ…………」
女性の姿に気を取られていると、再び彼女は何かを呟いた。
ただ、ノイズが混じりで非常に聞き取り辛く、一部分しか聞こえなかった。
「え? 何か言っt」
「─── 主はッ! いつになれば、我の名前を憶えるのだと聞いているッ!」
目を閉じたまま、鼻の頭にシワを寄せて、凛々しい少女が吠える。
さっきまで無音だった所に、突然キーンとなる大声が響き、全身がびくんとなってしまった。
「え、えっと……だ、誰?」
思わずそう言うと、彼女はやはり目を閉じたまま、眉を八の字に寄せ、口をハッと開けた。
胸元に力なく上げ掛けた手が、しんしんと切なさを表現している。
─── 物凄いショックだったのは、伝わって来た
胸元に上げ掛けた手を、弱々しく握りながら、膝の上に下ろした。
「か、斯様に……蔑ろにされていたとは……。
我が主様は……女心だけでなく、剣の気持ちも分からぬ、ニブニブ男子……クッ!」
「主様ってなんだよ。それに、お、女心は……しょうがないだろ……って、剣の気持ち?
すまない、本当に君は……誰なんだ?」
彼女はもう一度、ショックこの上ないといった、分かりやすい表情をした。
失礼だが、ちょっと面白いと思ってしまった。
「…………宵闇露切如音無ノ太刀 胡蝶……だ!」
「え? よいや……誰? 名前なの?」
「かぁーつッ! そこに直れ! 叩っ斬る!」
─── ダンッ!
少女は、正座から正中線ブレひとつ無く、えらい勢いで前に踏み込んだ。
横薙ぎのとんでもない居合の一閃が飛んできたが、斬られるのもイヤだし、手の平で挟んで止めた。
「…………ッ⁉︎
くぅ〜、やっぱり技も美男子……♡
ハッ⁉︎ 何でもないッ! 離せ、離すのだッ!」
「ヤダよぉ……。斬られるもん……」
「人を散々いいようにして、名前のひとつも……ッ! この好色髑髏ッ! 色魔主ッ! きぃぃっ」
「だから主って何を……。ん、この曲刀は俺の……?」
俺の手の中でグイグイされてる剣は、どう見ても俺の曲刀だった。
なぜ、この娘が俺の曲刀を持っている?
「あ……あれだけ……あれだけ、夜明けの朝靄の中、語り合ったではないかぁ〜! うわぁ〜ん!」
「変な言い方すんなッ! それ毎朝の日課の話だろッ⁉︎
……って、やっぱりお前は俺の……曲刀か?」
ようやく事態が飲み込めて来た。
この少女は俺の曲刀の精で、それが本体である曲刀を振って襲い掛かって来た……と。
「せめて! せめて『刀』と呼べッ! うわぁ〜ん!」
「ちょっ! あぶな……ッ! やめ!!」
─── 五分後
「さん、ハイっ!」
「……よいやみのぉ、つゆきるがごとしぃ、おとなしのぉ、たち。こちょお……」
「よろしい! よろしいぞ主様ッ! 流石じゃあッ!」
こっちは思いっ切り、不貞腐れて言ったのに、少女はガッツポーズだ。
兎に角、言わせた事で満足らしい。
無理矢理に発声練習からやらされ、俺はとうとう曲……カタナの名前を覚えさせられた。
この長ったらしい銘は、ガセ爺から確かにメモをもらっている。
それに使われていた『ヨシワ文字』と呼ばれる、象形文字に似たその字も、お遊び程度でセラ婆に教わった事がある。
ただ、この長ったらしい銘に、知ってる文字は、一つもなかった。
大体、ガセ爺の書いた右脳感覚爆発な、変な解釈の入ったヨシワ文字で書かれた銘のメモなんて、憶える以前に読む気がしなかったんだもん……。
─── ガサガサ
そんな事を考えていたら、俺の愛刀は、今度は紙と筆みたいなのを用意してた。
「次は書く! 書くんじゃ、主よッ!」
「えぇ……いいよぉ……」
「書くのはいいぞ! 書くとよく憶えるものだ!
それにその内に『へへへ、先生ぇ、俺、なんだか宵闇露切如音無ノ太刀 胡蝶って字が、好きになっちまったよ……』とか言い出しそうだとは思わんか?」
「誰が先生だよ、誰が……」
「つべこべ言うな主様ッ! 最初はイヤでも、だんだん好くなる! ほれ、先っちょだけでよいから!」
「……なんか言い方、ヤバいっぽくない?」
─── 四十分後
「そうそう……で、最後は払うッ! 完璧ではないか! これで……これで念願の……」
「念願の……?」
「『今宵の胡蝶は血に飢えている』とか『我が音無ノ太刀に斬れぬ物は無い』とか、なんかそう言うカッコイイ名乗りが出来るぞ!」
「えぇ……いいよぉ……」
「さっきから、そればっかじゃな。しかし、名乗りでなくとも、我の名を言霊とすれば、今までより我の力を引き出せるぞ?」
「え? マジで⁉︎」
「マジもマジ、大マジじゃ。妖刀嘘つかない。本当に本当。
怪しいと思うなら、やってみるがいい主様よ」
そう言って、少女は俺に、彼女自身である刀を差し出した。
柄を持って握りを確かめる。
うん、間違いなく俺の曲と……カタナだ。
「……あっ、きつぃ……。手がすごく……熱くて、おっきぃ……です、主様ぁ……」
「やり辛いから止めろ! えーと、言霊としてお前の名を呼べばいいんだな?」
少女はうんうんと、激しく頷いている。
まあ、やってみるか……。
─── チャキッ!
刀を自然な力で支えられるよう、正眼に構えて、闘気を巡らせる。
ものっそい、少女のわくわく顔が視界に入るが、無視した。
そう言えば、今、この子の本体を握ってるのか……変な感じだ。
切っ先まで俺の闘気が巡り、生命力を吸い上げた妖刀は、それをエネルギーに換えて俺に循環させる。
【─── ……宵闇露切如音無ノ太刀 胡蝶!】
言葉を言い終えた刹那、いつもより高い音の刃鳴りが起こり、青白いオーラが刀身から立ち昇る。
足下から強烈な圧が高まり、それは放電しながら俺の背を駆け登ると、切っ先まで突き抜けた。
─── ゴォォォォォォォ……
嵐の空のような、低く渦巻く音が部屋を席捲する。
その時、静かな脈動が起こり、突然無音の世界になった。
切っ先に触れる、空気の粒子まで感じ取れるような、刃と溶け合ったような、未到の一体感に包まれる。
─── 振りたい
そう思った瞬間、刀身が力を貸したのか、羽根のように軽くなった。
そうして俺は、剣に誘われるまま、気がつけば上段に振りかぶっていた─── 。
─── ヒュ……ッ‼︎
太刀筋が、部屋に白い線を引く。
それがゆっくりとズレると、今までの暗い夜の部屋が真っ二つに分かれ、ガラスのように砕け散った。
─── そこには、白く明るい大地が、広がっていた
「……え? え? え?
……ご、ごめん、君のお家、斬っちゃった……」
隣の少女を見ると、静かに涙を流して、首を振った。
「……やっと出られた……。
主様……胡蝶は、幸せ者にございます……」
「胡蝶……。それが君の名でいいか?」
少女はまた首を振った。
「銘を……いえ、胡蝶は主様から名をいただきとうございます……」
そう言って俯くと、緊張しているのだろうか、着ている物の合わせを指先で小さく掴んでいた。
「名前……名前か……。
…………暗い夜を斬った。
今、夜の部屋を斬って、この明るい朝の世界を招いた。俺にもその力を貸して欲しい。
─── 【夜切】
と、言うのはどうだろう?」
ぴくっと、少女が反応した。
合わせをいじっていた手を下ろし、長い髪を肩に流しながら振り向いた。
─── すっと、まぶたが開き、藍色の瞳が俺を見つめる。
「……はい。私は今、この時より……。
主様の【夜切】にございます─── 」
そう言うと駆け寄り、俺の胸に顔を埋めて、擦り寄せて来た。
……彼女の悠久の孤独が、晴れたのだ。
─── その歓喜が俺の中を伝わって行った





