第四話 迷宮第八階層の主
迷宮の内部は、その主の魔力の質によって変わる。
この迷宮の壁面は、骨に似た乳白色を少し暗くして、表面に細かな螺鈿の粉をまぶしたようにキラキラと鈍く輝いている。
第八階層の最後の部屋、そこは一際広くドーム状で、何処かラプセルの最終関門、七人の戦士が待つ広間と感覚が似ていた。
「─── 全員、石化してますね。それに、神経系の猛毒が遺体の表面に残っています。
アルくん、おそらくこの階層の主は……
─── 『蛇尾蜥蜴鶏』ですね』
この部屋の数歩入った場所に、十一体の玄武岩に似た黒ずんだ石像が佇んでいた。
戦闘態勢にも入れなかったのだろう、武器の準備をしかけた所で、石化した姿が目立つ。
何人かは、荷物に手を伸ばして、敵が現れたであろう方向に背中を向けていた。
彼らが入って来たタイミングが、余りに悪かったのかも知れない。
今はそこに敵の姿はなかった。
「ん、あそこの瓦礫の後ろ、なんかいる」
ティフォの指差す物陰に、何かがピョコピョコと動いていた。
─── コー……コココ……ココ……コー……
聞き覚えのある、何処か間の抜けたような、あの鳴き声が重低音を乗せて響いた。
やがてそれは、カクカクとした動きで、瓦礫の山から数歩進み出ると、頭を小刻みに揺らせながら辺りを見回した。
鶏の顔とトサカ、羽毛と鱗の中間のような質感の、灰色で艶やかな鱗に覆われた身体。
翼は陸鳥のそれではなく、鷲のように風切羽根の発達した、飛ぶための勇壮な構造。
脚は四本、爬虫類の脚が取って付けられたように生えている。
そして、尾から生えている一匹の巨大な大蛇が、鎌首をもたげてこちらを睨んだ。
─── シュー……シュルルルルル……
蛇は首回りの皮膚を、大きく広げて威嚇する。
しかし、鶏頭は鶏特有の首の動きで、数回こちらを確認し、動きがないと判断するとあらぬ方向へと身体を進め始めた。
ドタドタと蜥蜴の脚は、統一感のない動きで、戸惑いながら脳の命令に従っているように見える。
─── シャーッ シュルルルルルッ!
蛇は脳が違うのか、盛んにこちらへと威嚇を繰り返しているが、鶏本体が部屋の奥へと移動してしまった。
虚しく空にピンと伸びて噛み付こうと、口を開いて何度もびょんびょん飛び出していた。
「鶏と蛇の息が合ってない……」
「鶏頭ですからね。でも注意は必要です。
今は鶏頭の意識が鈍いので、脚の動きがちぐはぐですけど、一つ強い目的意識が出来た時に完全統一されます」
「ひとおもいに、やっちゃう?」
ティフォが手の平を、蛇尾蜥蜴鶏に向け、にぎにぎとしながら言う。
妹の得意な、事象への干渉、突如その空間が握りつぶされる奇跡。
ソフィアの使う、格子状に細かく切り刻む、強烈な範囲斬撃と同じ種類の技だ。
俺も【斬る】を会得して、ようやく分かった、神の戦い方の一つ神威と言うらしい。
「うーん、知識によれば、弱点は鶏頭の知能不足を突いて、混乱した所を斬首らしいですけど……」
─── コー……コココ……ココ……コー……
重低音が含まれるとは言え、普通の鶏と同じ声、場違いな牧歌的雰囲気が漂っている。
「石化した彼らを、助けている所で襲われると、彼らの命が危ういですし。
いつまでも、この妙な空気の中にいるのも、何だかアホくさいですからね。
ティフォちゃん、やっちゃって下さい」
「あいよー。っ潰れろやああああぁぁぁッ!」
ティフォの身体が、自分の大声でビリビリ震えている。
いきなり気合いの入ったシャウトに、一瞬身体がビクッとなった。
「いきなり大声は止めて欲し─── 」
そう俺が言い終わる直前。
鶏頭がこちらに振り向き、見開いた眼球の瞳孔を絞ると、宙に飛び上がる。
─── コケーッ! ボムンッ!
突如、全身の羽毛がボールのように膨らむ。
本体を覆う、球体状の結界が姿を現し、ティフォの手指の形に凹んで弾いた。
「レジスト⁉︎ なんて強力な結界!
……それも、この力、おそらく神獣の一種です! 事象への働き掛けが通じにくくなりますよ!」
ソフィアが信じ難い事実を言った。
蛇尾蜥蜴鶏は遥か神代の頃に造られた、実験動物だと言う説がある。
個体数は非常に少なく、生態はほとんど分かっていないが、彼らの石化能力は魔力に依存していないとも言われていた。
この怪物は神の奇跡と同じく、人を石に変える事象に働き掛けている。
神の奇跡は意思が生み出す因果の力。
つまり、こちらの女神ふたりの奇跡も極めて通じにくいと言う事だ。
─── ケーッ!
蛇尾蜥蜴鶏は、ゆっくり音もなく着地した。
鶏頭が首を下げて、羽を広げる。
何度か胸を揺すって首回りの羽毛を逆立てると、先程のしどろもどろな歩行から一転、一瞬にして眼前に迫った。
「しま……っ」
─── ズガァンッ! ズゴォンッ!
後脚で立ち上がり、前脚を交互に繰り出す。
その脇から大蛇が牙を剥き、黒紫色の毒霧を吐いた。
「……ッ! 蛇の毒は、通常の物理効果か。助かった……」
女神達は、全異常耐性はもちろん、無意識に結界を張っている。
二人の周りには、不可視の防御領域が現れ、そこだけ毒霧が入り込めていなかった。
俺の鎧も彼女達とほぼ同スペックだし、多少の攻撃なら無力化できる。
─── とは言え、視界が一気に悪くなる。
鶏頭は鋭い声を上げると、羽ばたいて天井近くまで飛び、大量の羽毛を辺り一面に射出した。
─── カカ……ッ、カカカカカカカカカッ!
石に打ち込むネイルのような、鈍い金属音が、部屋中から響き渡る。
その突き立った地面が一瞬にして、石化した冒険者達と同じ色、同じ質感に変わり、また元に戻った。
羽毛に石化効果あり、迷宮の床は自動修復能力あり、それだけは分かった。
高速で射出された羽毛の弾幕は、まだまだこちらに迫って突き刺さる。
「クッ! ─── 【召喚:ラピリスの白壁】!」
白く光る半透明の騎士団が、大盾を構えて、石化した冒険者達を囲んだ。
物理的な防御結界では、石化が防げるか分からない、更にこの羽の攻撃がどんなものかすら分からなかった。
石化した冒険者らを、治せるかどうかは分からないが、原形を出来る限り保つ事に越した事はない。
─── 【斬る】!
すぐさまに俺は、迫り来る全ての羽を【見て】、視野が届く限りの羽を斬り落とした。
そこら中から、鉄片を切るような、金切り音が一斉に騒めく。
─── ズゥン……
蛇尾蜥蜴鶏がゆっくりと着地する。
部屋中に切口をキラキラ光らせた羽毛が、ダイヤモンドダストの如く舞い落ちた。
追撃に備え、ゆっくりと構えるが、鶏頭は自分の羽毛に気を取られ、辺りをキョロキョロ見回している。
一歩、二歩、三歩……。
歩を進めると、またふいにあらぬ方向へと、歩き出す。
「……と、鶏頭!」
ケイトウ、鶏頭、とりあたま。
その名の通りだったか、蛇尾蜥蜴鶏は戦意をなくして部屋を散策し、地面をクチバシで突いていた。
その足取りは、元のちぐはぐな足さばきに戻っている。
─── シャーッ!
蛇の尾は未だ、戦う気満々でこちらを睨み続けていた。
せめて体の命令系統が逆だったら、この怪物は天下を取れていたかもしれない。
(んー、神威の攻撃は効かない。蛇毒は問題ないけど邪魔。羽毛攻撃には石化効果あり。
鶏頭は鶏頭、敵意がない時は、脚は鈍い……か)
「ソフィ、状態異常は効きそうか?」
「本体は分かりませんね……。ただ、状態異常を持つ生物の多くは、やはり状態異常への耐性も高いですね」
うーん、神速で首を落とすか。
ふと後ろの冒険者達を見ると、召喚した騎士達の像にノイズが混じっていた。
余り彼らの守りも長くはなさそうだ、あの羽根の攻撃は思いの外、殺傷力が高い。
さっきのティフォの神威も直前で気付かれたから、記憶や思考は低くても、反射神経は馬鹿高いのだろう、身体能力は侮れない。
すでに存在を知られているからには、通常の攻撃は不可能か。
せめて何か、鳥野郎の性質に有効な手立てが掴めれば……。
ん? 鳥?
「ちょっと試したい事がある。もし、気づかれて失敗したら、あの羽毛攻撃が来る。
その時は、援護を頼む」
二人が頷く。
俺は蛇尾蜥蜴鶏に気付かれないように、魔術の意識に集中した。
出来るだけ細く、部分的に……。
─── 【麻痺】
脚の神経系統のみに、魔術で麻痺を試みた。
「ティフォ、もう一度神威を頼む!」
「OK あ、どーん!」
ティフォが手の平をかざして、握り込んだ。
─── ケーッ!
すぐに気がついた鶏頭が、最初と同じ反応で羽を膨らませて、飛び上がろうとする。
が、突然バランスを崩して、横倒しに倒れた。
─── ケーッ! ケーッ!
予想外の転倒に混乱をきたして、必死に起き上がろうともがいていた。
「─── セイッ!」
間合いを詰める歩法で、一瞬の内に鶏頭に迫り、その首へと剣を振り下ろす!
─── ザンッ …………ゴトン
鶏頭が胴体と切り離され、床に転がった。
─── シャーッ!
続けて大蛇が襲いかかるが、水平に刃を走らせて、その首も落とす。
鈍い音を立てて、大蛇の頭も床に転がった。
「ふーっ、ヒヤッとした……」
「やったー!」
ソフィアが駆け寄って抱き着いてきた。
ティフォは不思議そうに、鶏頭を突いている。
「オニイチャ、どーやって転ばした?」
「ん? ああ、鳥は足が使えなきゃ飛べないんだよ。だから、脚だけ少し痺れさせた」
鳥を捕まえる罠に、霞網と言うのがある。
弾性の強い糸で網を張る。
そこに止まった小鳥は、飛び立とうと踏み込んでも糸がボヨンと沈んで飛び上がれない。
そのまま、途方にくれている所を捕まえる、鳥が飛び立つ時の特性を利用した罠だ。
離陸の大半を脚に頼ってるって事だろう。
鳥野郎と、蔑んだ瞬間に思い出した。
ただ、ティフォの攻撃に、全く同じ『まず飛び上がって防御』をするとは限らなかった。
本能に偏った行動が目立ったので、そこに賭けてみたのが勝因か。
どのみち麻痺が効かなくても、脚を払い転倒させるつもりだったが、こうも上手く行くとは。
実験動物は伊達じゃなかった、アラがあったと言う事だろう。
蛇尾蜥蜴鶏が黒い霧となって消えて行く。
神獣も魔物扱いなのか……?
「所で、石化は解けそうか?」
ソフィアは冒険者達に手を当てて、しばらく何かを見つめた後、サムズアップしてきた。
石化の奇跡には、女神の奇跡が有効だと分かったらしい。
「さあ、帰るか……」
「オニイチャ、危ない!」
─── シャーッ!
大蛇の頭が突如、飛びかかってきた。
「うっらああああぁぁッ!」
眼前に迫った蛇の頭を、兜割よろしく、縦に真っ二つに割り裂いた。
「……危ねえ! 蛇の生態忘れてた!」
蛇は代謝が低く、首だけになっても、直ぐに死なない事がある。
「オニイチャ! そこ、だめ!」
「へ? うわっ、何これ⁉︎」
俺の踏んだ足下、埃の被った床に光が走り、幾何学的な紋様と魔術文字が浮かび上がる。
「─── て、転送魔法陣⁉︎」
「オニイチャ!」
俺の体から真っ白に光る瞬間、ティフォが俺を助けようと飛び込んで来た。
─── 俺は、迷宮の転送罠に掛かり、何処かへと転位させられた。





