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第三話 迷宮

─── 【火炎障壁(フラム・ワゥル)】!


 迷宮の通路に炎の壁が、猛然とした勢いで立ち上がる。


─── ギャンッ! ギャワンッギャワン……


 通路を埋め尽くさんばかりの群れで、目前に迫って来ていた『一角月狼(ニードルフェンリル)』が燃え上がりのたうち回る。


「………………うぅ……あ……」


 激しい目眩(めま)が襲い、膝が崩ちるのを、僕は魔術杖を支えに何とか(こら)えた。


「たはは……。魔力切れか……」


 通路は逃げ惑い、虫の息の一角月狼(ニードルフェンリル)の身体が折り重なって、天井近くまで埋めている。

 なけなしの最後の魔力を注ぎ切っても、もう僕に残された力では、ヤツらを即死させられなかった。


 ここは迷宮五階層の袋小路、逃げ場もなければ、戻るのにも大量の魔物のいる通路を進まなければいけない。

 たまたまだけど、狼の群れでバリケードが出来た……のかな……?


「…………うぅ……。

()()()……そこに……いる……の?」


「……! ああ、僕はここにいるよ()()()!」


 僕の後ろに倒れていたミリィが、意識を取り戻した。

 僕は鞄の中を漁り、最後の高級回復薬をミリィの口に、何回にも分けて少しずつ流し込む。


 一瞬、ミリィの身体を弱々しく光が包むけど、すぐに消えてしまった。


─── ミリィの体はもう、治療魔術も回復薬も受け付けない……。


 迷宮の暴走(スタンピード)を止めるために、魔物殲滅(せんめつ)任務に参加した僕ら二人は、五階層で一角月狼(ニードルフェンリル)の群れに襲われた。

 同時に入って来た、他のパーティとは、かなり前の階層で別れて来てしまったんだ。


 半分に割れた彼女のバックラーの、残りはもう何処かに消え失せている。

 皮鎧はズタズタに引き裂かれ、手脚には噛み付かれた跡で、目にするのも辛い状態だった。


 それでもミリィは、胸に折れた剣を抱きかかえている。


─── 僕らは少し前に、D級冒険者の昇級審査の権利を得たばかりだった。


 十二の頃に家を飛び出して、十八までにD級になれなければ、帰る約束だった。

 その期限が今年、この昇級試験を逃したら、故郷に帰らなければならない……。


 僕について来てしまった、幼馴染のミリィは、僕が魔術師だからと前衛に立つ為に剣士の道を選んでしまった。

 それからは、ずっと一緒だったんだ。


 D級冒険者は一人前、そうなれば僕らも一人前の大人。


 彼女が今、抱いている折れた剣は、僕が最初にプレゼントした安物の鉄剣だった。

 昇級試験に合格したら、前から彼女の欲しがっていた強化鋼の剣を贈ろうと思っていた。


─── 僕のずっと押し込めていた気持ちと共に


 少しでも収入を得ておこうと、先日はタッセルからバグナスへの、馬車の護衛を引き受けた。

 でも、迷宮の魔力暴走(スタンピード)の影響で、街道には想定以上の魔物が出現した。


 魔力切れを起こした所に、猛毒を受けて、僕は馬車の上で昏倒してしまった。

 たまたま、その間に乗り合わせた三人の冒険者が、護衛を引き受けてくれたらしく、バグナスに帰ってはこれた。

 でも、依頼失敗のペナルティで、僕らの昇級試験までのポイントが下がってしまったんだ。


 ……だからこの殲滅任務に、無理矢理参加させてもらったのだけれど……。


─── 焦って受けるんじゃなかった。


 僕の大切なミリィが、今すぐにでも命の灯を落としてしまいそうなんだ!


 もっと慎重に任務を選ぶべきだった!

 ミリィを連れて来るんじゃなかった!

 冒険者なんか目指さなければ良かった!


 ……そんなどうしようもない後悔ばかりが頭の中をグルグルと駆け巡る。


「…………今、高級回復薬を飲ませたからね! 大丈夫、すぐに良くなるから、出口まで頑張ろう? ね? ミリィ!」


 そう言って、ミリィの肩を抱くと、弱々しく片目だけが薄っすらと開いた。


「………………リック……? 

ごめんね……目が……よく……みえない……の」


「ここだ! 僕はここだよミリィ!」


 ミリィの血塗れの手を、僕の頰にあてがう。

 彼女は微かに微笑みを作ろうとして、微かに開いていた片目を閉じる。

 一筋の涙が溢れ出た。


「…………おね……がい…………」


「……な、なに? ミリィ、僕にお願い?

何でもする、何でもするから、もう少しだけ頑張ってよ! すぐに助かるから!」



─── ……………………生き……て



 弱々しいけど、ハッキリと彼女がそう言うのが、聞き取れた。


「う……うん! 僕も頑張るから! 一緒に帰ろミリィ! 君も生きるんだ!」


─── ………………リック……だい……す……き


 彼女の手から、折れた剣が滑り落ちた。


「…………う……そ……だろ?」


 彼女の体から、重さが少しだけ失われた。


「僕も……大好きだよ……ミリィ……。

ずっと、ずっと……大好きだったんだ」


 ずっと言いたかった言葉を伝えた。

 でも、彼女に届いたのか、分からなかった。

 伝え直す事も出来ない、その後悔が深く仄暗(ほのぐら)く、僕の心を沈み込ませて行く。



─── タタッ タタッ ……ズドッ!



 積み上がっていた一角月狼(ニードルフェンリル)の山を、一際大きな奴が一頭、通路の向こう側から飛び越えて、僕の前に着地した。


「最後まで守らせて……。今度は僕に、君を守らせてよ、ミリィ……」


 僕はミリィの腰ベルトから短刀を抜き取った。

 魔力の切れた魔術師は、泥団子以下。

 駆け出しの頃、よく先輩達にそう馬鹿にされたっけ……。


─── グルゥ……


 この辺りのリーダーかな、体も大きいけど、強い魔力も感じる。

 どこか僕を(あざけ)るような、余裕を感じられる表情だった。


「……かかって来いよ! この子には絶対に触れさせない!」


─── ガァッ!


 僕の大声に反応したのか、一直線に僕の首を狙って牙を剥き出して来た。


─── ザクッ


 首に噛み付かれる瞬間、膝がガクンと落ちて、半ば偶然に僕の握る短刀が一角月狼(ニードルフェンリル)の急所を突き刺した。


─── ドサッ


「…………は、はは。やったよミリィ……」


 こんなに呆気なく倒せるなんて、思ってもみなかった。

 僕の体の上で、黒い霧となって散った後、見た事もないような大きな魔石が落ちてきて、僕の革の胸当てにボコンと間抜けな音を立てさせた。


 途端に足腰の力が抜けて、僕は倒れ込んだ。

 もう、地上には戻れないだろう。

 せめて、せめて最後まで彼女といたかった。


 もう力の入らない腕で、何とか体を引きずって、彼女の近くまで這って行く。


「ミリィ……ミリィ、ミリィ……」


 彼女を抱き締めて、何度も呟いていた。


 積み上がっていた一角月狼(ニードルフェンリル)達が、とうとう力尽きたのか、一体また一体と黒い霧となって消えて行く。


 これでバリケードも失った。

 今、何かが来たら、そこでお終い……。


「助けなんて……来ないだろうしね……」


 ここは点在する迷宮でも、かなり危険な部類だし、今は迷宮の魔力暴走(スタンピード)前の中途半端な時期だ。

 一緒に入って来たパーティは、それぞれ先に進んでしまっている。

 後続はしばらくは来ないだろう。


 どの道、助かってもミリィはもういない。


 静かだなぁ……そう思った時、通路の先から何かが聞こえて来た。


─── ギチュギチュ……ギチュギチュ……


「あ……ああ……」


 青味がかった暗い色の殻、巨大なハサミと四つの光る目、三対の尖った脚に、長い尻尾の先についた鋭く長い毒針。



─── 『魔鋼死蠍(デススコーピオ)



 A級冒険者のパーティでも苦戦する、鋼の外殻に猛毒の針を持った、心無い捕食者。


「ごめんね……ミリィ、約束は果たせそうにないや……。もうすぐ、そっちに行くよ。……だから」


─── 最期までは、君の体を守らせて


 一目だけミリィの顔を見ると、僕は彼女の体を覆うように抱き締め、魔鋼死蠍(デススコーピオ)に背を向けた。


 可愛いよなぁ、それにもう、親よりも長く顔を合わせて来たんだよ僕らは。

 だからね、せめて君は綺麗なまま、僕の前に存在してて欲しいんだ……


─── ズシュッ!


「うあ……ぐ……あ……ぁ……う……」


 僕は馬鹿だなぁ、僕の体じゃあこの毒針の長さに足りないよね……ごめんミリィ、もう一つ約束を破っちゃった……。


 (さそり)の長大な毒針が、僕を背中から貫いて、ミリィの遺体をも串刺しにしていた。

 頭がおかしくなったのかな、何故かこんな毒針ででも、最期まで彼女と繋がっていられると、どこか嬉しくすら感じていた。


「…………ミ……リィ」


─── ドゴォ……ンッ!


 今まで僕らが居た袋小路の壁が、轟音(ごうおん)と共にぶち破られた。

 その新手の姿を見て、僕は苦笑するしか出来なかった。


─── こんなバケモノもいたのか、はは、こりゃあ僕達に迷宮なんか早過ぎたんだ。


 通路の壁を破壊して出て来たのは、漆黒の髑髏(どくろ)に禍々しい全身鎧。

 髑髏(どくろ)の目は青白い光を灯して、僕の目に二乗の青い残像を残した。


 グロテスクな鎧の装飾には、至る所に苦痛に歪む顔が彫られ、その口からは白い冷気が垂れ下がってたなびいている。

 地獄の底から響いてくるような、悲壮な鳴き声を吐く呪いの刃が、死の匂いを振りまいていた。


─── 死神


 あれ? その後ろに立っているのは【剣鬼聖女ソフィア】……?


 はは、本当にもう死ぬんだな……幻覚まで見えるなんて。

 だってギルドの女神だけじゃなく、その横のあんなに可愛い少女が無防備な格好でいるなんて、ここは迷宮だよ?


 あ……もうダメ……みた……い……。

 つぎ……は……ミ……リィを……




 ※ ※ ※




「リック! リックぅッ! うわああぁぁッ!」


─── がっくん、がっくん


「ちょ……君、揺さぶり過ぎ……」


 先に蘇生魔術のコンボで目覚めた少女が、リックと呼ばれた少年の肩を掴んで、激しくシェイクしている。


「がふ……ぶ、ぶべらっ!」


 お、少年も無事目を覚ましたようだ。


「リック! リック、リック!」


「ぐへぇっ! ……へ? ミリィ⁉︎」


 感動の再会と言った所だろうか、戸惑う少年にマウントを取って、首元に激しく頰を埋める少女の姿に鼻がつーんとなった。


「ああ、すまないな君達、時間がないから出口まで転送する。

……と、その前に。

アルフォンス・ゴールマインの名において命ずる。

二人共、愛する者を大切に、その夢や希望を各々大切に生きよ。

土地を愛し、人を愛し、それらに愛されて生きよ」


「「ははッ! 有り難き幸せ!」」


「んじや、帰りは気をつけてな! ─── 【転移(イスト)】」


 二人はお互いを抱き締め合い、白いシルエットになると迷宮の入口前まで転送されて行った。


「うーん、これで三組目、十二人の救出成功ですね。後は一組十一名の上級者パーティだけですか……。

彼ら位の実力だと、すでに九階層、迷宮のボスのいる最下層に到達してても、おかしくないですね」


「オニイチャ、サソリの魔石、まあまあデカイね」


 ティフォがポシェットに魔石を詰めている。


「うーん、里のに慣れちゃってるから、やっぱ小さいなーって思っちゃうな。

でも、これもギルドポイントになるし、収入源だから大事にしないとな」


 俺達は今、バグナスの南西側にある、谷底の迷宮に来ている。

 初めての依頼は、ギルド自体からの『殲滅任務』と『救助任務』の直接依頼だ。


 迷宮とは自然界に溢れるエネルギーのマナが、何らかの原因で魔力化して溜まり、そこに魔物が住み着いて時間が経過すると現れる謎の現象だ。

 最初に主となった魔物が核となり、時間が経つほどに階層は深くなって行く。


 迷宮内はやがて魔物を生み出すようになるが、主の魔力容積と時間経過によって、その数やグレードも上下する。

 魔物が多いので魔石が集めやすく、時に迷宮独自の宝石や財宝などが、自然と生み出される不思議な空間だ。


 しかし、余りに余剰魔力が増えすぎると、迷宮内に魔物が溢れて、更に迷宮外にまで様々な魔物を呼び集めてしまう『迷宮の魔力暴走(スタンピード)』が起こる。


─── タッセルから此方へ来る時に、突然魔物が増えたのも、その影響らしい。


 今回はこの迷宮に増え過ぎた魔物を間引きする事と、数日前に任務を受けた、四組二十三名の冒険者の救出が依頼された。


 当初の予定よりも、遥かに魔物の質と量が高く、ほとんどの冒険者達は引き揚げたが、その四組は音信不通となっている。

 その中に、名家の跡取りが複数含まれていたため、ギルドは俺を通してS級のソフィアの力が欲しいと動き出した。


 今回の魔力暴走は、まだ未然とは言え、かなり規模が大きいようだ。


「さっきの二人、まだE級だったみたいですよ? 私達が来るまで、自力で踏み(こら)えてたみたいですね。

うん、大切にし合ってるみたいだし、応援したくなっちゃいますね♪」


「ああ、あのリックって男の子は、最期まで女の子を守ってたみたいだしな。

蘇生が間に合ってよかったよ」


 今まで救出した二組十名は、上の階層までですでに全滅していたが、なんとか蘇生に間に合う程度には絶命からの時間が浅かった。


「んー、階段はたぶん、あっち」


 ティフォの尻尾が一本、フヨフヨと道を指し、その形を道順の一筆書きにして示している。


「おお、やっぱりティフォの触手はすごいな!」


「オニイチャも、すぐにできる、たくさん、つかうといー」


 一瞬、ティフォの言葉に触発されて、俺の背中から触手が生えかけたが、ハウスしてもらう事に成功した。

 実際、ティフォの加護の触手は、結構とんでもない。

 しかし、慣れちゃイケないと、心の何かがブレーキを掛けている。

 ……まあ、俺もお年頃だしね!


「お……おう」


 初めてのギルド依頼、初めての冒険者稼業、初めての迷宮は、かなりサクサク進んでいた。

 さっきの二人はこの五日程で、五階層まで来ていたが、俺達はここまでで二時間程。


 ティフォの触手はそれくらい反則だった。


 捜索対象の持ち物から、残った魔力を感知して、本人のいる方角を知り、更に迷宮内の魔力の流れから最短ルートを計算する。


 何度か罠もあったが、その辺は三人共、無傷で乗り切って来た。

 流石ソフィアはS級冒険者だけあって、罠はもちろん迷宮の流儀に精通していたのだ。


「じゃあ、ここからはペースアップしてくか」


 ソフィアの読みが正しければ、最下層近くまで、残りのパーティが進んでいるだろう。


─── そうして、触手の導くまま、俺達は階層踏破を進めて、八階層の最終ポイントに到着。


 この階層のボスがいる部屋で、残りの捜索対象を発見した。

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