【幕間Ⅱ】 ラプセルの女子会
マールダー最南東、世界の端。
東の辺境地域で世界地図は終わるが、その先には人知れず、精霊語で『理想郷』の意味を持つ、秘境の里ラプセルがあった。
これはその里を騒然とさせたアルフォンスの『成人の儀』から、数日後のお話─── 。
※ ※ ※
里唯一の診療所、セラ婆こと『癒神セラフィナ』の庭に、里の番長アーシェ婆こと『闇神アーシェス』がいる。
二人は秋空の爽やかな風の下、小さな丸テーブルを出して、ティータイムを楽しんでいた。
「……ねぇ? アーシェス。貴女、今年でおいくつでしたっけ?」
「あん? 細かいのは忘れたねぇ、確か四千は超えたし……四千三百と六十だったか……。
おっぼえがないのぅ。何だい急に」
セラ婆は両肘をテーブルについて、指を組みながら、少し顔を上げつつ、うっとりとして答える。
「ほら、アルフォンスがもう十六でしょう。あんなに小さかった男の子が、もう一人前の男になったのよ?
人の時間って早いものだわ」
「ハッ! アタシには、まだまだガキだけどねぇ。
人間の十六なんざ、ようやく毛がチラホラ……アレだ、ガセ爺の頭頂部。あんな感じって所じゃろ?
うっとりする話じゃなかろうに」
セラ婆は両手の平で口元を隠して、目元を染めた。
「まあっ! もうそんなにッ⁉︎
……いいえ、アーシェス、例えがあまりに香ばし過ぎよ?
もっと青春って華々しくて、甘酸っぱい……綺麗なものよ? そう言えばアルフォンス、ティフォちゃんとはどうなのかしら……」
「香ばしいもクソもあるかね、下がるものと上がるもの、今はただの交差点じゃろ。
大体、アンタは夢見がちなんだ。
アルの奴だって、元ペットの触手がいきなり女になったんだ、今頃、頭抱えてるんじゃないかい?」
「……でも、あんなに可愛いくなったのよ? それもずっと一緒にいたんだし」
「アンタねぇ……。変な本の読みすぎだよ、やれ初恋だなんだ、机の引き出しのヤツはそんなんばっかじゃないか」
急にセラ婆の目が泳ぎ、オロオロする。
「え⁉︎ 引き出しの中、見たの⁉︎ 鍵を掛けて置いたのに!」
「鍵? あんなもん、アタシの前じゃあ、何の役にも立たないねぇ。
しかし、それはまあいいとして、若い男×若い男のはどうかと思うのじゃが……」
「……ッ⁉︎ あ、あれは表紙の絵が綺麗で……読んでみたら、続きが気になっただけなのよ?
別にああいうのが好きとか、そう言うんじゃ……!」
コマドリが庭木に止まり、澄んだ囀りを歌うように響かせた。
わたわたと身振り手振り多めで、必死に説明を重ねるセラ婆を、アーシェ婆は耳をほじりながら眺めた。
「ハァ……。そういうお前さんは、今年でいくつになったんじゃ? もうかなりのもんだろうに?」
話題が流れて救われたとばかりに、セラ婆は指折り数え、指を四つ折った所で答えた。
「一万と……二千年……? わたくしも細かいのは……」
「かぁーっ、精霊族ってのはケタが違うね。
……で、何で指折ったのが四本なんだいね?」
「ああ、今まで滅びた文明で数えた方が、早いから」
アーシェ婆は肩を竦めて、首を振る。
「それは守護神ジョークってやつかね? 精霊ジョークってやつなのかい?」
「ほほほ、相変わらずアーシェスは面白い事を言うわね」
そう言いながら、セラ婆はオーブンに向かい、焼き立てのマドレーヌを大皿に乗せて戻ってきた。
「さあ、焼けたわアーシェス。少し待った方が、砂糖が馴染んで美味しいの。
……聞いてるのアーシェス? あ、アーシェス……⁉︎
─── ああ……なんて事でしょう……」
「急にアタシが事切れた、みたいな言い方はやめな……。
熱い内に食って何が悪い? 大体、アンタは一度に焼き過ぎなんだ、アタシの成長期は……もう何年前だか忘れたが、もう終わってんだ。
こんなに食えるもんかね」
「ほほほ、そう言っていつもすっかり食べてるじゃない」
そう言って、セラ婆がアーシェ婆にお茶を注ぎ足していると、一人の少女が生垣の向こうの道をポコポコと歩いていた。
「あら、ティフォちゃん! 一人で、どうしたの? あら、靴、どうかしたの?」
ティフォの足には、片方だけ明らかにサイズの大きい靴があり、もう片方は裸足だった。
歩く度に、大きな靴が踵に当たり、ポコポコと音を立てていた。
「オニイチャのクツ、かりた」
「片方だけ?」
「出てきた時は、ふたつ、あった」
「ほほほ、どっかに置いて来てしまったのねえ。
後で一緒に探しましょう。アルフォンスが困っちゃいますからね」
「オニイチャ、困る?」
「そうでs」
「イイニオイ」
セラ婆の優しい声に被せて、ティフォはフンフンしている。
「あら、こっちに来る? ちょうどお菓子が焼けたの。さあ」
椅子に案内されて座るティフォに、セラ婆が焼き立てのマドレーヌを渡す。
今さっき焼き上げられた甘いバターと、少し効かせたレモンピールの香りが、ティフォの鼻先をくすぐった。
「ん、うまい」
「アンタ、底抜けに自由だねぇ。……ティフォだったか、アルフォンスは何してるんだいね?」
「オニイチャ? なんか、お部屋で考え事してる」
「あー……色々とアレは繊細だからの。図体はデカイくせに。
その内、答えも出るじゃろ。慎重なだけで臆病ではないからの。
まあ、お前もここで茶でも飲んでけ」
「ありがと」
一心不乱に焼菓子を頬張るティフォに、流石の番長も頰を緩めた。
「そう言えば、ティフォ。お前はいくつだいね?
見た感じ十二、三って所じゃが」
「もぐ……うん? ねんれー?」
「ああ、今はこのセラ婆とそんな話をしておってな」
ティフォは指折りを二本目で止めた。
「しらない」
「アンタは諦めるの、眼が覚めるほど速いのぅ……」
セラ婆がティフォの分のティーセットを持って戻ってきた。
「そう言えばティフォちゃんは、こっちの世界で最初、岩に閉じ込められてたって言っていたけど、どれくらいそこにいたのかしら?」
─── ぴー、ぴぴぴ、ぴーぴぴ……
「んと、三万七千六百年と、二百九十五日、六時間三十二分。せいかくな、びょーすーはふめー」
「「さ、さんまん!」」
「えぇ……? 私より先にマールダー入りじゃないの……!」
「アタシはその前に、さっきの音が気になって仕方がないんじゃが……」
「星のいちと、げんそのかず、そくてーしてた音」
しばらく守護神二人は、指折り数えて何かを考えていた。
「その前にもいくつか、世界を回ってたんじゃろ? そこでもそれ位はいたのかね?」
「んー、異世界いどーに、ひつよーな時間はだいたい一万年? どこもそれくらいで、すてた」
「さ、最初の世界では? どれくらいいたのかしら?」
「ん? 二十四万とすこし?」
─── ほぉーう☆
守護神二人は妙に古さを感じさせる、しかし、若いっぽいリアクションを返した。
なんか、世代のノリがあるらしい。
「ま、まあ……アレだ。マールダーにようこそって事だいね。乾杯!」
「「チィース」」
世代のノリについて行けず、ティフォはまんじりともしない顔でカップを持ち上げた。
「……かんぱい」
「所でティフォちゃ……さん? アルフォンスの事、どうかしら? ……えっと、好きなの?」
「ティフォ、でいい。 ─── すきだッッッ!!」
ティフォの声が里の山々に木霊した。
むしろ守護神二人が赤くなっている。
「えっと、どういう所か……教えてくれませんか?」
「どういう所? あれはオニイチャで男で、オスで……子をなしたい」
守護神二人は腕を組んで考え込む。
「…………アタシ以上のドストレートな生命体は初めて見たわい。
で、何か進展はあったのかの?」
「さいしょのよる、おそった」
セラ婆は両手で口元を覆い、顔を赤らめ、アーシェ婆は目元を押さえた。
「そ、その……ど、どうやって? ど、どのようにアルを……。そ、その前に、成功し、したのかしら?」
「んー? これを…………」
ティフォの触手が一本、二人の前に持ち上がる。
触手の先にズラリと並んだ牙のある口がパクパクしていた。
「こーして……」
触手の先がボコボコと変形する。
それが完成する直前に、二人の守護神の乙女脳が危険を察知して、どういう仕組みなのかモザイクがかかった。
「こうだッ!」
モザイクの切れ間から、透明の粘液がボタボタと垂れ、足元のシロツメクサを踊らせる。
「「─── ッ⁉︎」」
「こ、これは……何とも……凶悪な逞しさじゃな……」
「こ、これがアルの……アルの花を……!」
「で、結果はどうだったんじゃ? 彼奴はその……どんな塩梅じゃった?」
今度はアーシェ婆の突き出した、よろしくないハンドサインに、モザイクがかかった。
「こ、こら! アーシェス、はしたないわ」
「きょーれつな、ていこーにあい。あたしは、あえなく意識をてばなした……」
「そりゃあ、彼奴も掘った事もないのに、掘られるのはのぅ……」
「しっぱいした……ざんねん」
三人の溜息が漏れた。
遠くでツグミの鳴く、短い声が続いている。
「しかし、それ程の修羅場の後、よく彼奴はアンタと同じ屋根の下に暮らしてるもんじゃな。
まあ、彼奴は妙に寛大な所もあるが……。
関係は上手くいっておるのか?」
「オニイチャは、やさしー」
「ティフォはどう? アルとはどうなりたいのかしら? やっぱり今もその……アルの花を?」
セラ婆の問いに、ティフォはふっと薄い微笑みを浮かべ、目を遠く細めた。
「孕み、孕ますのは、にのつぎ。最後まで、もしはなれても、愛せるか。愛とは、ただそれだけ。あたしはオニイチャを、愛しつづける……」
アーシェ婆は目頭をつまみ、セラ婆は胸の前で指を組んで、これ以上ない憧れの花を咲かせた。
「嗚呼……素晴らしい。嗚呼……なんて……。わたくしも結婚してみたかった……ッ!」
「あん? セラフィ、貴様は夢を見過ぎじゃぞ。近くにおるじゃろう、お前だけをいつまでも見ている男が……」
「はぇ? だ、誰ですか⁉︎ そんな未知の男性がこの里の何処かに、隠れ潜んでいるの⁉︎ ─── 精霊よ、我が命運の友を見つけよッ【潜敵発見】!」
セラ婆の精霊術に呼び出された妖精が、辺りをキョロキョロ見回したが、肩をすくめて首をヤレヤレみたいに振って消え去った。
「………………いないじゃないッ!
騙したのね、アーシェス! 」
「【索敵】してどうする……。お前、そんな事じゃ、最後のチャンスを逃すぞ?
相手はドワーフ族ベースじゃから、お前程長くは持つまいし……」
「ドワーフ……? 妙に具体的ですね⁉︎
え? ドワーフの殿方がわたくしに……ッ⁉︎」
「はぁ……。里におるドワーフなぞ、あやつしかおらんじゃろうに……」
と、通りの向こうで、ガセ爺が店から出て、背伸びをしている姿が見えた。
また作業をしていたのだろう、トレードマークの帽子はつけていなかった。
その姿を見て、セラ婆が頰を染めた。
「(これは意外とまんざらでもないかの?)……どうしたセラ婆、ガセ爺が気になるんかの?」
「………………え? な、何でもないわよ」
「何じゃ、ワシらの仲じゃろうが、素直に話せ。の?」
セラ婆は耳まで真っ赤にして俯いて、モゴモゴと呟くように話す。
「いえ……あの頭頂部と、アルの大人の部分の成長度合いが、同じくらいだと思うと……。あぁ、もう! 若いわね……」
「ダメじゃコリャ……」
アーシェ婆は呆れた顔でセラ婆を眺めたまま、ぽそりとティフォに呟いた。
「ティフォ、アルフォンスもこれ程鈍く無ければいいものだな。
よもや『妹』は、ただの呼称だった。あの馬鹿でも、それを分からぬとは思わんが……」
守護神二人が見ていない中で、ティフォはそっと頰を染めて、誰にも聞こえないように呟いた。
「……いまは、それだけでも、いい……」
─── その声を搔き消すように、山雲雀が高く鳴いた。
ラプセルの女子会は、この後の一年間、定期的に開かれていた事を、里の男達は知らない。





