第十二話 魔族
俺はこの瞬間が好きだ。
『何故?』と言う顔が『魔族』と言う言葉を聞いた途端に引き攣る、それを理解した表情。
『謀られた』そんな顔を見せる瞬間。
褒美に釣られてのこのこと現れ、その己の判断を後悔し、憎しみと諦めの色が混ざる、人間の表情。
もうこの館で何度、味わった事だろうか?
未だに飽きぬ、まだまだ足りぬ。
お前等のやった事を、そのままに返してやる。
今日の獲物は女だ、それも飛び切り上等の、汚れを知らぬ顔をした女……。
さあ、見せてやろう。
俺の醜い姿を、我ら尊崇の魔王陛下を亡き者にした人間共に、復讐の刃を我が身としたこの姿を……!
※ ※ ※
オルタナスの姿が崩れた。
身につけていた衣服や装飾が、軽く乾いた音を立てて、床に落ちる。
タールを水に入れてかき混ぜたような、透明と焦げ色が混ざり合わないままに渦巻く、不浄な液体がそこに姿を現わしていた。
重たい水音を立て、見上げるほどの歪んだ球状に集まり、その上から飛び出すように人の上半身が形作られる。
同時に重苦しく、粘つくような穢れた魔力が、辺りに充満していた。
瘴気。
霊的存在に近く、肉体の生命活動よりも、魔力での活動に偏った生物が、極端にマイナスな感情に呑まれた時に起こす魔力の腐敗。
瘴気は手負いの魔物が、何日も苦しんだ時に発する毒の霧だが、魔物と交わった事でオルタナスの負の感情が作用したのだろうか。
「ほう……この瘴気に顔色ひとつ変えぬとは、人にしては中々に練り込んでいるようだな」
焦げ茶色の液体が、ドロドロと糸を引いて渦巻く透明の顔に、口が開いて声を発した。
さらに両目に切れ込みが入り、眼球が左右バラバラに回転しつつ、姿を現わす。
「……なぜなのです?」
衛兵に槍を喉元に向けられたソフィアが、身じろぎもせず、口を開く。
「魔族の貴方がなぜ、人間の太守に成り代わるような、回りくどく危険性の高いやり方を?」
「簡単な実験だ。簡単に騙され、簡単に流される愚かな人間共を、どう緩やかに、真綿で首を絞めるように苦しめて行けるか」
「帝国と同じやり方をするわけですか? 魔族とはもう少し、誇り高い存在だと思っていたのですが」
オルタナスは驚いたようにソフィアを見た。
「まるで帝国のやり口と、我々魔族を知っているかのような口の聞き方だな、小娘。成る程、世界に名を馳せる実力者だけの事はある。
……これは中々に見所がありそうだ。どうだ、人の身のまま、我々の側についてみるか?」
「人の身のまま、貴方の配下になれと? つまり先のスライムを使った襲撃事件の黒幕は、貴方であったと自白するわけですね」
「フッ、あんなもの、ただの実験だと言ったはずだ。お前達は『誰が』ではなく、『魔族が』で片付ける。そうではないのか?」
「私は『貴方が』と聞いているのですよ、魔族のオルタナスさん」
ソフィアの突き刺さるような冷淡な声に、オルタナスは体を震わせて嗤声を上げた。
「ハァーハハハハハッ! ……面白い。ソフィアと言ったか? まるで俺を、悪事を働いたひとりの『人』のように扱うのだな。この状況で魔族と聞いて怯えもせず、ここまで対等に話そうとするとは、余程の自信があるのか、ただの痴れ者か。
……ああ、そうだ。俺がやったんだよ、ソフィア」
「なぜ?」
「簡単な事だ。治安が乱れれば、クズのような者が集まるのは道理。俺の配下の依代にしても、何ら波風も立たぬ。
……その一部をほんの少し騒がせた時、どれだけの事が起きるか。その時、帝国とエル・ラト教はどう動くのか」
ソフィアは俯き、深い溜息を漏らした。
「復讐は復讐を生むだけだとは思いませんか?」
「復讐? それは俺の個人的な一部分に過ぎんよ。もう、すでに事は動き始めている。我が魔族の三百年の沈黙は、すでに破られているのだ」
「妙にスラスラと喋りますね貴方。それだけ自信があるという事でしょうか、ふふふ」
ソフィアが笑う。
その余裕たっぷりな彼女の姿にオルタナスは、再度、驚きの表情を見せた。
「何故だ? 今までここにのこのことやってきた連中は、俺が魔族である事、それだけでも恐怖した。
……お前のその余裕はなんだ?」
ソフィアはそっと唇に指をあて、何かを考えるように首を傾げた。
「んー、負ける材料が、どこにも見当たらないのに、なぜ恐怖しなくてはならないのでしょうか?」
─── パッ……パパパァンッ!
ただ手を振る。それだけのソフィアの仕草で、俺達を取り囲んでいた衛兵隊の体が爆ぜた。
核ごと破壊されたのか、細切れの肉片の中に、薄緑色のスライムが流れ、すぐに消えて行った。
「……なッ⁉︎ 何だ? なぜ何故魔術が使えるッ⁉︎」
「魔術? なぜ私がそんなオモチャを使う必要があるのでしょう? 事象など、思い描くだけで充分なんですよ。私の運命は、貴方の持つ運命より強い、ただそれだけです」
「クッ、何者だ貴様……ッ!」
オルタナスの体から、蒸気混じりの液体が、ソフィアに向かって広範囲に噴出した。
液体の掛かった絨毯はジュゥッと音を立てて沈み込んで行く。
床の石材ごと一瞬で溶かしたようだ。
「事象を操る。それぐらいの事、そこの少女にだってできますけどね〜♪」
ソフィアは溶解液の掛かった場所にすでにおらず、太守の椅子に深く腰掛けていた。
オルタナスが目を見開き、ソフィアの声に振り返る。
その瞬間、建物が揺れ、轟音が突き抜けた。
オルタナスの後頭部を、何かが掴み上げ、後方の床へと強烈な勢いで叩きつけたのだ。
液体がぶつかったとは思えない、重苦しい音が響き、石床が砕けて大きく沈み込む。
「ソフィ、あたしを今、ちょーはつ、したな? そうはいかない、あたしはそんな、おやすくなくてよ」
俺の隣に立つティフォは、腕を組んだまま、立っているだけだ。
慣れない言い方をしようとしたのか、棒読みだったが、ものの見事なドヤ顔を決めている。
「思い切り乗ったじゃないですか……」
「な、舐めるなッ!」
沈み込んだ床から、オルタナスの体が、剣山のように突き出された。
無数の硬質化した鋭利な先端が、石造の壁や柱にヒビすら入れずに突き刺さる。
それだけで止まるはずもなく、針は増殖しながら、こちらへと襲い掛かった。
それを曲刀で受け流していると、鋭利な触手の嵐の中、ソフィアとティフォは涼しい顔でこちらに歩いて来る。
確認するでもなく、ただ歩いているだけで、針が通るコースを外れていた。
「何それ……自信無くすよなぁ」
思わず声に出ていた。
「じしょーに、かんしょー。当たらない、そうおもうだけ。オニイチャもたぶんできるよ?」
「無茶言うなって……!」
狙いをつけたように、まとまって襲いかかる針の束を、曲刀で打ち落とすようにしてさばく。
そんな状況だと言うのに、ソフィアとティフォはごく普通に会話を続けていた。
「いえ、本当ですよ〜☆ 剣を躱すのだって、アルくんは目で追っていないでしょう? 避けると言う事象を、貴方が望んで、体がそれに動かされているんです」
うーん、確かに戦いのリズムに乗ってる時は、いちいち確認しないで勝手に体が動いてるけど。
それは体が覚えた動きを繰り返してるだけじゃないのか?
「いやいや、それは日々の繰り返しが咄嗟に出てるだけだって」
「ふふふ、剣聖はその域に達していたと言いますよ?」
「え、義父さんが?」
「はい。闘気を極め、剣気を操り、その先を見つけたとされています。剣士として、起こせる奇跡を意図的に起こせるようになったとか」
義父さん、ハイエルフだったからなぁ、寿命が長いんだよ。
どんだけ修練を積めば、その域に達せるんだろうか……。
「これからは私とも剣の修練しましょうかね〜♪ 一応、これでも守護神ですからね。与えられる加護の範囲で色々授けられますよ?」
「あ、オニイチャ、あたしもあたしも」
「何で今それ言うの⁉︎ もっと早く言おうよ、そういうの!」
「だって、アルくんは今でも充分オニですもん。教えようとして『知ってるけど』みたいに言われたら、私多分、そこらじゅうに当たり散らすと思うんです」
「そんな事⁉︎ 絶対言わないから安心して? そう言えば、俺ティフォとも契約してるんだよな。ティフォもなんか教えてくれるのか?」
「んー? まあ、その、色々。……あっ、触手さばきとか!」
「今思いついてんじゃん! 俺は触手ねぇよ」
「えぇ? 出せるよ、オニイチャ」
「え? うわっ、本当だ! 何か出た……」
「─── ふざけるなァッ‼︎」
オルタナスが怒り狂い、硬質化した大木のような太い触手を振り回す。
石造の建材の硬度と強度を、遥かに凌駕したそれは、建物の壁を軽く吹き飛ばした。
「何だ⁉︎ 一体何なんだキサマ等はッ!」
三人がまとまった所を狙い、オルタナスは振り回していた触手を、真っ直ぐに突き出す。
それを斬り落とそうするも、硬質化した部分は斬れるが、液体部分は手応えがなく通り抜けるだけだった。
攻撃をそらせて直撃は免れたが、俺の肩口を掠める。
後ろの二人は守り切れたが、重量の高い衝撃で、俺は横に数met吹き飛ばされた。
(1met=1m)
「クソッ、魔術が使えれば……ッ!」
本体の容積が大き過ぎて、散らす事も出来ず、核の場所を捕捉出来ていない。
こちらもダメージは無いが、有効な手立てもない。
やや焦りが出始めた俺の前で、三人の攻防が入り乱れた。
攻撃、防御、身躱し、斬撃と刺突と打撃………。
二人掛かりの攻勢でも、やはりオルタナスに有効打は与えられていないようだ。
オルタナスの体は、斬られ散らされ圧縮されても、核にダメージが通っていない。
と、しばらく三人の攻防が交差していた時、ソフィアの声が耳元で聞こえた。
─── そろそろ頃合いですかね、今から【斬る】を授けます
「へ? 何を言って……」
大分離れた所で、ソフィアが微笑んでいた。
【斬る】を授ける? 『斬る』『斬る』……斬るってなんだろう?
その自問自答が頭の中をぐるぐると回る中、何故だかソフィアと契約した幼い日の一瞬と、父さんの後ろ姿が頭に浮かんで消えた……。
─── 斬る
─── 斬る……
─── 斬るッ!
すんなりと、オルタナスが頭上から足下まで一直線に切れて、崩れ落ちる絵が浮かぶ。
それはそのコースに、無意識に刃を振り切る瞬間と、見事にマッチしていた。
─── ズッ
それまで水を斬るようだったオルタナスの体に、肉を斬り裂く、確かな感覚が返ってきた。
「う、ぐッ! ぎゃああああぁぁぁッ!」
オルタナスの半身が黒い霧となって消えた。
曲刀と鎧を通して、オルタナスの魔力と生命力が流れ込む。
「き、斬れたッ!」
「ね、アルくんなら簡単だったでしょう?」
半身を切り落とされ、魔力を放出しながら、オルタナスがのたうち回る。
いつの間にか隣に立っていたソフィアが、にこにこして俺の背中に触れた。
「……ぐッ、何だ今の剣はッ! 何故、液体の俺が! 何故、俺が斬られるッ⁉︎ ゴフッ」
残された半身の眼球を激しく動かして、オルタナスは状況を把握しようとしていた。
「斬ったから、斬れた。それだけですよ〜♪」
「…………そんな……そ、それに、女二人……一度も本気を……ゲハッ! 本気で闘おうと……しなかっ……」
そう言われてみれば、ソフィアとティフォの闘い方が異次元過ぎて気にならなかったけど、致命傷を与えようとする必死さがなかったような……。
「それはそうですよ。だって、貴方を暴れさせる必要がありましたし。それにアルくんが何らの加護に目覚めるには、私達込みでは……。
うーん、失礼ですが少々貴方は力不足でしたから」
暴れさせる必要? そう言えば、ソフィアは最初からオルタナスを挑発していた。
思わず隣のティフォを見ると、面倒事が終わったような、清々した顔をしている。
ティフォも最初から、そんなソフィアの思惑に気づいていたのだろうか。
「…………俺を……暴れ……させる?」
「ほら、ご自身で破壊した壁、見えます?
街がすっかり見えてるでしょ? 街の皆さんもあんなに集まって。それは気になったでしょうね〜。
一番安全なはずの太守の館から、これだけ激しい騒ぎが起きれば」
「俺……俺の姿を……。見せる……ため……か!」
「はい♪ だって私達は部外者ですよ? それが例え魔族であったとしても、太守を殺害したわけですから、口頭だけで信用を得るのも難しいとは思いませんか?」
ソフィアはそこまで話した後、それまで浮かべていた優しげな笑顔を消して、オルタナスの耳元へしゃがみ込んだ。
何かを小声で話しているのか、声も聞こえなければ、うつむいた顔が髪に隠れて、表情も分からなかった。
「なッ! お、お前は……まさ……か……。
で……は……、そこの……おと……こは……
ま……………………」
オルタナスが残した最期の魔力が、俺の中へと吸収された。
ひとつ深い息を吐いて、オルタナスの体が消えて行く。
やがてそこには、くすんだ紫水晶の角の生えた人骨が残された。
ソフィアの言っていた通りなら、魔物であるスライムの体が先に消え、魔族であるオルタナス自身の体が現れたのだろう。
スライム種との融合で、肉体がバラバラになっていたのか、骨の残されている位置も滅茶苦茶になっている。
その骨も、やがて風に散って行ってしまった。
すでに陽は傾き始めていた。
黄色く染まった空の向こうに、人々が遠巻きに立ち尽くす姿が見えている。
俺が何となしに曲刀を空に掲げると、そこから歓声が沸き起こっていた。
「帰って、美味い飯を食おう」
「あ、あたし、オニイチャの作ったのがいー」
「えぇ……疲れたよぉ」
「え⁉︎ アルくんの手料理! 私も食べたいです! 食べた……あッ!」
─── ムギュッ! ムニュムニュ……
「ひゃん♡」
「あンッ、オニイチャ……」
「えっ? ええっ? 何これ⁉︎」
俺の背中から伸びた無数の触手が、二人の体をまさぐっている。
あれ? そう言えば、あの時ソフィアだけじゃなくて、ティフォも触手がどうとか……
そう言えば途中、何か生えてたよな⁉︎
「ちょちょちょ! ティフォ! これどうすんだ⁉︎」
「はうぅ〜、アルくん、せめてお部屋で♡」
「………………ぅゥゥゥ///」
「ティフォ! なに声を堪えてんだ⁉︎ はや、早く消し方を教えろッ!」
「こ……こんなッ! ひゃん♡」
「オニイチャ……とんだ、淫獣さん……だね」
「早く、教えろおおおぉぉぉッ‼︎」
─── 崩壊した館から抜けた黄昏の空を、俺の叫びが木霊した
◽️アルフォンス・ゴールマイン
守護神【触手と美女】
加護【触手と美女の騎士】
→追加された加護
New! 事象操作【斬る】
New! 肉体変化【触手】
New! 触手操作【淫獣さん】





