第一話 あやふやだけどキレのいい思い出
誰が言い出したのかは知らないが、この世界にはこんな言い伝えがある。
『初恋は実らない方がいい』
何でも、運命が動き出して間もない人生の早春は、淡く曖昧な恋心なんかで、色づけるもんじゃないのだとか。
その後の運命が、色々と不運になるらしい。
とは言え、みんな理由を好きずきに吐くものだから、本当の所どうしてよくないのかは全くわからない。
あの思い出は十年くらい前、確か五歳頃だったはずだ
旅の途中に体調を崩した父さんの療養で、一時期滞在した街の近くだったけど、いまいち街の事までは憶えていない。
こまどりが綺麗な声で鳴いていて、どこかの森の中だったけど、まだ木剣すら持ってなかったからそんなに深い森ではなかったはずだ。
─── おおきくなったらね、およめさんにしてほしいな!
「えっ⁉︎」
新緑の淡い木漏れ日の中で、同じくらいの年頃であるその子は、確かにそう言った。
困惑する僕を他所に、彼女はニコニコしながらぴこぴこと、膝で弾みをつけていた。
その度に白金の髪が、流れるようにサラサラと揺れて、エメラルドの瞳を眩そうに瞬かせてたのが印象的だった。
うん……正直、食い入るように見てたと思う。
本当は聴こえていたけれど、あまりの事に思わず聞き返してしまった
だってこんなに綺麗な女の子、今まで見た事なかったし、遊んでる間も何度か見惚れてしまっていたくらいだ。
女の子に対してそういった感覚を持ったのも初めてだった……。
天使って本当にいるんだね、違いがはっきり分かるんだねって思ったよ。
そんな美少女からの『およめさんにしてね』宣言だよ?
まあ、彼女のセリフはもちろんだけど……何よりもね、何よりも驚いたのは、その子と出逢ったのは……。
─── その数十分前だったんだよ
なんて言うか、早熟過ぎだよね?
流石に自分も幼いとは言え、聞き違えもしくは恐ろしく素っ頓狂な美少女と相対してたのかなって、物凄い違和感がぐるぐるしたさ。
「……えーとね。
おおきくなったら、あなたのおよめさんになりたいの!」
「う、うん! いいよ!」
この時、おそらく人生初の助平心が生まれ、人生初の対人的な違和感は、物の見事に、即座に、刹那に、粉々に……すっかりまるっと負けたよね。
そしてこの子との初恋フラグが確定した瞬間だったとも思う。
……断る理由? ねえよ、そんなもん。
「ほんとう⁉︎ はうぅ〜っ! すごく、すっごくうれしい!」
こちらの両手を掴んで、ぎゅうっと抱き着きながら、パアッと明るく咲いた彼女の顔が近づいた。
「…………も、もちろんさ!」
「やったあ! えっと、じゃあね、えっと……」
「ゆ、ゆびきりしy」
「けいやく、しよ!」
「……け、けいや……く?」
なんか小さくて、頭が痛くなるような文字がびっしり詰まった羊皮紙と、先っぽに山葡萄みたいな色のインクが滴る羽ペンを渡された。
「これ……なんてかいてあるの? こんなもじみたことないよ?」
「うん? だいじょうぶ。あとでゆっくりみればいいよ!」
困惑うこちらをよそに、彼女は隣に立って顔を寄せ、羊皮紙のそこかしこを指差した。
いい匂いがしてた……と思う。
「ここと、ここと、あと、ここになまえかいてね」
「……あ、あのさ。けいやくって、なぁに?」
「うーんとね、やくそくをね、りこーするためのものだよ!」
「……うぅん、よくわからないよ。なまえをかけばいいの?」
「そうそう! ただ、なまえをかくだけでいいんだよ」
「ふーん」
ちょうど覚えたてだった文字で、やっとこさ名前を書き終えると、その子は何かをポッケから取り出していた。
「けいやくしょは、わたしがもつから、しょーこにコレもっててね!」
「……なんだか、すごくキレイな、いしだね」
「そうだ! なくさないように、むすんであげるね!」
そう言って彼女はインクの色に似た、綺麗な石のついた首飾りを掛けてくれた。
契約とかいうの、まだ読んでないんだけどなぁとか思ったけど、それどころじゃないよね。
首飾りの紐を持った美少女が、掛けてくれるって言うんだよ? それどころのハズがないじゃないか!
「……うんしょっと。これであんしんだね!」
「あ、ありがと」
顔がぐっと近づいて、なんだか全身が震えるくらいドキドキして、気のせいか首飾りまで脈打ってたような───
※ ※ ※
あー、うん。やっぱりこの辺りから記憶がバッサリ切れてんだよなぁ……
ああ、ごめん。
怖い話とかじゃないんだ。
その子とはその後しばらく、毎日のように遊んでた記憶もあるしね。
いつお別れしたのか、どうやってサヨナラしたのか、あの時くれた首飾りがどうなったのかもやっぱり覚えてないんだなぁ。
……ごめんね。
これって初恋が実ったって事でいいんだろうか。
とにかくね、この後からの人生はあまり華やかなものではなかったし、不運であったとは思うんだ
『【アルフォンス・ゴールマインの懺悔】より』