第8話 カタギと筋モン
「うぐ……っ! …………えぐっ……! こ……怖かった…………ほんとに怖かった……!」
「九条君……気持ちはわかるがそろそろ泣き止みなさい。みっともないじゃないか……」
俺を助けてくれた老紳士風は困り顔でそう答えた。
なお、彼はアンゼルタの顧問弁護士を務める人物である。
「だって……! だって……! あいつ俺の尻の穴を極薄ピタピタのゴム手袋で……! ううぅ……! 憲兵怖い……」
あの後、俺は“誤認逮捕”ということで無事に釈放された。後ろの純潔は守られたのだ。
しかし、同時に腑に落ちない点もあった。
伯爵の家に侵入して盗みを働いたことは事実なのになぜ誤認逮捕なんだろうと……。そのことについてこの弁護士に尋ねてみると「詳しいことはビスタに聞きなさい」とのことだった。
あの後、留置所から無事に釈放された俺はルミアーノ郊外にあるアンゼルタのアジトへと場所を移した。今はここでビスタが来るのを大人しく待っている最中だ。
アジトと言ってもぱっと見は少し大きめの一軒家に過ぎない。だが、弁護士の男に安全だからと憲兵所を出てからここまで連れて来られた。何にせよ無事に釈放されて御の字だ。この弁護士が来てくれなかったら今頃は一生お婿にいけない身体になっていたに違いないからな。
ああ……恐ろしい。あいつらはまさに国営マフィアだ。公権力を盾に人の身体を好き勝手に慰みものにしようとするなんて。被疑者の人権と尻穴を何だと思ってんだ。次に会ったらケツに根菜類ぶち込んでやる。
しばらく弁護士とゆっくりお茶を啜っているとアジトにビスタが顔を出した。室内で俺の姿を認めるとのしのしと大股でこちらに近づいてきた。
「よぉう、九条! 見事なもんじゃねぇか! 初仕事にして大成功とはなぁ!」
「でしょう? まぁ、俺にかかればこのぐらい楽勝ですよ!」
「…………では、私はこの辺で」
弁護士はやや呆れ気味な顔で席から立ち上がる。
「おお、ご苦労だったな先生! また何かあったら宜しく頼むぜぇ!」
ビスタが弁護士と入れ替わるようにして目の前のイスにどかっと腰掛けた。
体重計に乗ればその目盛りは優に百五十キロを振り切るであろう巨漢。正面から臨むそれはまさに圧巻の一言。彼の全体重を支えるアンティーク調のイスはギイギイと悲鳴を上げた。機能性よりもデザインを重視した細い四つ脚のそれには彼は些か過ぎた相手だった。明らかに耐荷重をオーバーしている。
「さっそくなんですけど、俺って何で釈放されたんですか? 誤認逮捕ってことになってましたけど?」
「おお、そうだったな! よし、教えてやる。あれはお前の盗んだ裏帳簿が役に立ったんだぁ」
「裏帳簿が? あれってやっぱり本物だったんですか?」
「ああ、そうさ。本物だったんだよ! お前が逮捕されたと知ってすぐに伯爵に裏帳簿の写しを突き付けて脅してやったんだ。まずはうちの新人を釈放しろってな。伯爵のあの青ざめた顔は最高だったぜぇ!」
ビスタは伯爵との面談がさぞかし愉快だったのか太ももをバンバン叩きながら大笑いしていた。
「命拾いしましたよ。それで――これから伯爵にどんな要求を突きつけるつもりなんですか?」
「うちとしては末永いお付き合いが目的だ。伯爵は金ですべて解決したがってたみたいだが、そんなドライなやり方じゃ味気ねぇだろ? 世の中人と人とのつながりで成り立ってんだ。俺らはマフィアだが縁は大事にする人種なんだぜぇ?」
生かさず殺さず利用するってことね。実にマフィアらしい。自業自得とは言えあの伯爵はとんだ災難だな。ご愁傷様だよ。
「そんでだ、九条。矢継ぎ早で悪いんだが、お前には次の仕事をやってもらう」
「はい、どんな仕事ですか?」
「子守りだ」
ビスタはよく分からないことを言った。
◇ ◇ ◇
螺旋階段を降りていくと地上とは異なる湿気った空気が肌を撫でた。
それがいやに不快でカビ臭い匂いと相まって目の前の暗闇に足を踏み入れようとする気勢を一瞬にして削ぎ落とした。
釈放から一週間後のことだった――。
俺はルミアーノのアジトの地下にある“監獄”を訪れていた。
ここを訪れるのはこれで二度目になる。一度目は以前俺がボスを襲った犯人だと勘違いされて収監されたときだ。先日の逮捕劇でもそうだが、俺って奴はつくづく牢屋に縁がある人間だよなと思いつつ日の差さない暗い地下室をランタン片手に奥へ奥へと進んで行った。
「えーと……『A-5』だから、ここ……だよな?」
事前にビスタから教えてもらっていた牢屋の部屋番号を頼りに俺は目的の場所までたどり着いた。
ランタンをかざしながら牢屋の中を目凝らして見てみると、隅の方で膝を抱えてうずくまっている女がいた。そいつはぴくりとも動くことなくただじっと丸くなっている。俺はその姿を不気味に思いつつも、近くにあったモップの先端でその女の脇腹をツンツンと突いてみると、
「あぁ?」
不機嫌そうな両目がこちらを睨みつけた。生きているらしい。
「よっ」
「あなた…………あの時の変態じゃない。何で私が牢屋の中で、あなたが牢屋の外にいるのよ? 普通逆でしょう?」
件の伯爵の一人娘――『フィオナ・ベルフォード』は忌々しげにそう応えた。
先日、アンゼルタとゲイル・ベルフォード伯爵との間で取り交わされた“とある密約”によって彼女はここで囚われの身となっていた。
そして、今回俺に与えられた仕事である“子守り”とはまさしく目の前にいる女の世話係のことである。
俺は咳払いをするとさっそく話を切り出した。
「ようこそアンゼルタへ。突然のことで混乱してんだろ? 簡単に説明させてもらうと、お前はパパから“要らない子”認定されたんだよ。だから俺らが引き取った。これから色々と大変だろうけど、新しい働き口ぐらいはこっちで用意してやることになってるからそこは大いに安心して――」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
フィオナは慌てて立ち上がったかと思うと鉄格子の前まで駆け寄った。
「急に何だよ?」
「私が“要らない子”ってどういうことよ!? 本当にお義父様がそう言ってるの!?」
「ああ、そうだぞ。むしろ伯爵に協力してもらってお前はここまで連れてこられたんだよ」
それを耳にした瞬間、両手で鉄格子を力いっぱいに握りしめながらわなわなと震え出した。その小刻みな動きに連動して鉄扉がガタガタを音を立てる。
――これは俺が逮捕されてからのことだ。
.伯爵の脱税を裏付ける裏帳簿を入手したアンゼルタは、さっそくとビスタと代理人を介して伯爵の邸宅に向かった。
手始めに憲兵に逮捕されていた俺を釈放させ、その他にも自分達マフィアにとってにプラスになる各種要求を伯爵に突き付けたのだ。伯爵はすぐに首を縦に振ることはしなかったが、そこはビスタの言うところの『生かさず、殺さず』の程よい匙加減で交渉を進めたらしい。
そして、交渉の中において伯爵はアンゼルタに奇妙な要求した。それこそが今まさに俺の目の前にいる伯爵の娘、フィオナ・ベルフォードに関することだった。
“自分の娘を処分して欲しい――”
それが伯爵の要求だった。
当初、代理人はそれを『娘を殺して欲しい』という依頼だと思ったそうだが、話を聴くとどうもそういう訳ではないらしい。正しくは『世間に騒がれることなく娘を売り飛ばしたい』という趣旨だった。
結婚、留学、人身売買……ect.
具体的にどう処理するのかはまだ未定だが、何でも良いから早急に引き取って欲しいと伯爵にせがまれたので取りあえずこちらで身柄を預かる次第となった。伯爵自身がフィオナの飲み物に睡眠薬を入れて彼女の眠っている間にアンゼルタの構成員がここまで連れて来たらしい。そして、目が覚めた時には檻の中――だいたいそんな流れだ。
「何で……っ!? 私がこんな目に……!!」
「お前……まさか自覚ないのか?」
「あるわけ無いでしょう! どうして可愛くて出来の良い娘である私を売り飛ばす必要があるのよ! 皆目検討つかないわ!!」
自分で「可愛い」とか「出来が良い」とか言うあたりに何やら地雷めいたものを感じずにはいられなかった。
俺はそんな痛々しげな女を尻目にビスタから回ってきた資料に目を落とした。
管理番号:H-563237-1
機密レベル:B(部外秘)
身 辺 調 査 票
【基本情報】
氏名:フィオナ・ベルフォード
性別:女
年齢:十六歳
生年月日:征歴○○年四月二十日
血液型:AB型
身長:約百六十センチメートル
出身:スウェーリア連邦ゼネール州
国籍:ルネス王国及びスウェーリア連邦(二重国籍)
身分:ルネス王国貴族(爵位:伯爵)
最終学歴:ル・ローズ学院 高等科 卒業
職業:無職
家族構成:ゲイル・ベルフォード(養父)
【経歴】
スウェーリア連邦で十三代続くドルフ子爵家の長女として生まれる。
幼い頃に両親を病気で亡くており、身寄りがないところをドルフ子爵の遠縁にあたるゲイル・ベルフォード伯爵が引き取ることになった。
なお、伯爵はフィオナを養女として迎える七年前に妻を亡くしており子供もいなかったため、貴族法に定められている特別養子縁組制度によってフィオナに伯爵の身分を与えた。
その後、フィオナは九歳の時にスウェーリアの名門寄宿学校である『ル・ローズ学院』に入学し、卒業までの六年間を学院で学んだ。
入学から卒業するまでの学業成績は平均してクラス全体のちょうど中間に位置していた。教養ある名家の子女しか入学を許されていない名門校という点を考慮すると、世間一般の基準では十分に優秀な頭脳の持ち主と言えるであろうが、本人はあまり勤勉な学生ではなくどちらかと言えば勉強などは最低限だけこなしてあとは手を抜くという所謂要領のいい子というタイプだったとの評価。
性格は傲慢かつ自己中心的。さらに担任教師からは怠惰で協調性に乏しい点を指摘されていたとのこと。
また、その他に特筆すべきは点として彼女の常軌を逸した金銭感覚が挙げられる。
学生時代は週末には決まって学院から抜け出してブティックや宝飾店、高級菓子店などに出入りして湯水のように散財していたという証言が多数存在する。
当初、養父であるゲイル伯爵は富裕層の子弟が集まる学院ゆえに付き合いで多額の金がかかるのだろうと考えていたようだが、娘があまりにも頻繁に多額の小遣いを要求してきたため、担任教師に「娘は学院で一体どんな生活をしているのか?」と問い合わせたところ、上記の如き放蕩三昧の生活が発覚。素行不良を理由に学院から二週間の停学処分を言い渡された。
それ以降は、学院側から厳格な金銭管理を強制されて外出なども厳しく制限されたのを機に浪費癖はひとまず収まったものの、今度は勉学への意欲を完全に失い部屋に引きこもって体調不良等を言い訳に授業の欠席が目立つようになった。特に体育や学校全体で行う合唱コンクール、文化祭のようなものに関しては必ずと言っていいほど欠席し一歩も部屋を出ようとしなかった。ただし、海外への修学旅行にはしっかりと参加していたとの情報あり。
さらに出席日数の不足から留年の可能性が高まってきたことで、見かねた担任教師と同級生がなんとかフィオナに最低限の出席日数を稼がせようとかなり強引に寮の自室から連れ出していたとのこと。
学院側がそこまでした理由として、学院はこれまで留年生など出したことがなく、創立始まって以来初の留年生の誕生に教職員一同は強い危機感を抱いたという背景があったからだと考えられる。そのため、毎週行われる教職員会議においてはフィオナの担任教師は必ずと言っていいほどフィオナの出席状況の報告を行っていたとの情報もある。
なお、その担任教師は問題児であるフィオナの素行に心身ともにひどく疲弊してしまいついには休職するまでに到った。フィオナが卒業した後も長期に渡って復職することは叶わず、現時点においても復学したという情報は入手できなかったことからおそらくは既に学院を退職しているのではないかと推測される。
十五歳となり何とかして最終学年に進級したフィオナは、同級生たちが結婚や進学、就職を予定している中、特段何もすることもなく『不労所得で働かずに暮らしていく』という進路調査票を学院に提出したとの証言を得た。
そんなフィオナの将来を案じた伯爵は、娘が卒業して実家に戻ってくる前にせめてどこかの資産家や貴族と結婚させようと持ちうるコネを活用して方々に娘との縁談を持ちかけたが、フィオナの学院での素行を聞き及んでいた者も多くいたらしく縁談を断る者が跡を絶たなかったという。
ただし、ルネスの伯爵令嬢で世界的名門校の学生という肩書から興味を持った者も少なからずいたらしく、伯爵はすぐにフィオナに縁談の申込書を花婿候補の写真とともに送付したが、当の本人は結婚など興味はないと拒み続けている。
その後も結婚や就職活動をすることなく学院を卒業。現在は実家に戻り毎日自由気ままに遊びながら過ごしている。なお、怠惰な性格が幸いしてか社交界への出席はほとんどなく、ルネル国内における友人・知人関係は希薄な様子。
以上
「お前の父親は賢明な選択をしたよ」
「何ですって!?」
フィオナは声を荒げて気色ばんだ。
こいつの良い所を見つけて少しは元気づけてやろうかと思ったりもしたが、この書類のどこをどう見ても『この女、クズにつき』という絶望的な記述しか見つからず、ついつい素直な感想が口から漏れた。
「今、お前の素行についての調査書を読んでんだけどさ。お前売り飛ばされる要素しかないぞ?」
「そんな事あるわけないでしょう!? 何よ! そんな紙切れ一枚で一体私の何が分かるって言うのよ!!」
「お前が親不孝者のクズだってことだけは、この紙切れ一枚で十分に理解できるぞ?」
俺の胸ぐらを掴もうと檻の中から伸びてきた手を華麗にかわしていると、ふと思い出したかのように自分の中でドSな感情が萌芽した。
目の前の男の様子が変化したことを感じたのか、一瞬だけビクッと身を竦ませた。
「な、何よ……?」
俺は自分でも気付かないうちに口許に笑みを浮かべていたらしい。さぞかし悪趣味な笑顔だったのだろう。お嬢様の先ほどの威勢もどこへやらだ。
「そう言えばさぁ。俺、こないだお前に馬車で引かれたんだけど? いやぁ、あれは痛かったなぁ。あの後病院で調べてみたら腕の骨バッキバキだったよ。どうしてくれんだよ?」
「は……はぁ!? 突然何言ってるのよ!? 全然ぴんぴんしてるじゃない!! 大体あなたを引いたのはうちの使用人であって私じゃないわよ!!」
「じゃあ、雇い主であるお前の責任で決まりだな。それに、ああいうのって“ひき逃げ”になるんだぞ? ちょっとした接触事故でもお巡りさん呼ぶのが義務なんだからな? 道交法と交通弱者ナメんなよ?」
「くっ……! 終わったことをネチネチと……!」
フィオナは忌々しげに口惜しがったかと思うと、今度は面倒臭そうにため息などついた。
「はぁ……分かったわよ。治療費と慰謝料なら払うわ。それでおあいこってことでいいでしょう?」
「どうしよっかなー? 結局、あの時、憲兵にも病院にも行かなかったから今さら保険金が下りるかどうか怪しいもんだしなぁ?」
「じゃあ、馬車を手配するからもう一度轢かれなさい。マフィアなら保険金の不正請求なんてお手のものでしょう?」
一瞬目の前のクズが何を言っているのかよく分からなかったが、当の本人は気にすることなく続けた。
「それよりも聞いて。私、あなたに頼みたいことがあるのよ」
「何だよ?」
「お義父様に手紙を出して欲しいの」
「手紙?」
大方、その父親に『お義父様! フィオナを捨てるなんてあんまりです! 考え直してくださいませ!』――とか陳情するつもりなのだろう。事実、その通りだった。
「多分、無駄だと思うけどなぁ……」
「そんなのやってみないと分からないじゃない!」
「だってお前の父親ってアンゼルタがお前を預かるって言った瞬間に拳を握りしめながら大喜びしたらしいぞ? しかも、脱税でマフィアに脅されてる真っ最中にだ。まあ、その後は交渉も流れるようなスムーズさで進んだらしいから俺らとしては全然オッケーなんだけどさ」
「あ゛の゛男゛………………ッ゛ッ゛ッ゛ッ゛!!!!」
凄まじい形相をしながら下唇が真っ白になるほどに噛み締めた。
そして、しばらくするとまだ歯型の残るその唇から絞り出すかのような声で言った。
「それでもよ…………それでもやるの……! 今の私にはあの人しか頼れる人がいないの。だから…………非常にっ! 死ぬほどっ! 癪だけれどっ! ……やるのよ。ねえ……手紙をお願いできるかしら? 大至急…………ね゛?」
歪んだ笑顔で俺に懇願した。