第7話 望まぬ邂逅
伯爵の寝室を後にした俺は足取りも軽やかに屋敷からの脱出に動いていた。
「なあ、これって相当な大手柄なんじゃないか? 帰ったら特別ボーナスが出たりして?」
「んなわけねぇだろ。こんぐらい通常業務の範疇だ」
先輩は涼し気な表情でそう言った。
これが通常業務なら上の人達は多分呼吸するレベルで悪行繰り返してるんじゃないかな?
まあ、何にしても初仕事は成功って形で無事に終えられそうだ。あとはこのままもと来た道を引き返すだけで任務完了だ。
「っ……!?」
しかし、その時だった。前を歩く先輩の動きがぴたりと止まる。
何事かと思いつつどうしたのかと尋ねると、
「誰かがこっちに来る……! 急いで隠れろ!!」
「えっ!? このタイミングで!? というか……か、隠れるって何処に!?」
「何処でもいい! モタモタするな! とにかく隠れるんだ!!」
突然の事態に俺は大いにパニクった。
伯爵の寝室から一階へと続く階段まではほぼ一本道の通路になっており、身を隠すためにはここから伯爵の寝室まで引き返さなくてはならない。
しかも間の悪いことに既に目の前にある曲がり角――その奥から屋敷の住人らしき人物の足音がすぐそこまで迫ってきている。今から後方へと引き返しているような余裕はなかった。
あと少しで無事に無事に帰れるのに……っ!
俺はわらにも縋るような思いで頼れる先輩に視線を向けると、
「………………あれ?」
先輩がいつの間にか消えていた。
いやいやいやいや! そんなはずないだろ……!?
確かに今の今まで俺の隣にいたはずなのに……。
襲い来る孤独と絶望感。俺はこの場に一人取り残されたのだと認識した。
そして次の瞬間にふと悪夢のような未来が俺の頭の中を駆け巡る。
迫りくる足音――――
消えた先輩――――
住居侵入罪――――
臭い飯――――
命乞いをする俺 on the 断頭台――――
動揺に次ぐ動揺でどうすべきかも分からず周囲を見回していると、ふと薄暗い天井から二つの目玉が俺をジロリと見下ろしていることに気がついた。
「ッッッ!?!?!?!?」
目と目があった瞬間、恐怖のあまり絶叫し尿道括約筋が自らの意志に反してフルオープンしそうになった。――が、よく見てみるとそれは先ほど目の前から消えたはずの先輩だった。
どうやら先輩は壁伝いに天井までよじ登ったらしく両手両足で自分の体を支えていた。最近のマフィアは忍者の真似事もお手のものらしい。
(先輩ずるいぞ! 自分だけそんなところに!)
(つべこべ言ってないでお前も早く隠れろ! 見つかっちまうぞ!)
先輩は顎でくいっと俺に指図した。
なんだろうと思いつつ顎の指す先を見てみると――最初は薄暗くて分からなかったが、俺のすぐ近くに扉があることに気がついた。
(ここか……っ!?)
もはや迷っているような時間はなかった。
俺は急いでその扉を開けて部屋の中に飛び込んだ――
◇ ◇ ◇
無我夢中で飛び込んだ先はこの家の住人が使っている私室のようだった。
目を凝らしてよく見てみるとソファーの上で女性用のシャツやカーディガンなどが脱ぎっぱなしで放置されている。
そうなると、ここは伯爵婦人の部屋だろうか……?
いや、違うな。確か伯爵は随分前に妻を病気で亡くしていて今は――
ガチャ。
扉が開くと同時。心臓が大きくドクンと跳ねた。
突然だった。そう、あまりに突然だった。部屋に逃げ込んだことで俺は安心しきっていた。まんまとやり過ごしてやった。この調子で屋敷からトンズラかましてやろうと。
だが、それは間違いだった。見事なまでの油断であり慢心だったのだ。まさか身を隠したはずの部屋に人が入ってくるなんて思いもしなかったのだ。なんと運の悪い。
頭の中が真っ白な状態であるにも関わらず、瞬時に周りを見渡して隠れられそうな場所に目をつけた。そしてトムに追われるジェリーが如く一目散にそこに身を隠す。我ながら迅速な判断かつ俊敏な身のこなしだなと自分自身に感心した。
この状況下でこれだけの動きができるのなら先輩みたく忍者も割とありなんじゃないかと。先輩と仲良く人ん家の天井に張り付く日もそう遠い未来では――
「ここで何をしているの?」
見事な瞬殺だった。
さすがにベッドの中は無理があった。
忍者の免許皆伝はもう少し先でもいいんじゃないかと猛省だろうか。
その女は部屋に入ってものの数秒でベッドのシーツの中で屹立するもっこりの正体を暴いてみせた。凍えるような女の目が俺を射殺さんばかりに見下ろしている。
しかも、よく見てみると、その女というのが先日の人名よりも馬車に掛けた保険料の心配をするようなトンデモ金髪娘だったりするのだから驚愕は殊更に大きなものとなった。
傍から見ても最悪な形での再会である――。
女を見てみるとどうやら風呂上がりのようだった。しかし、ほんのり桜色に上気した肌に対して相変わらずその視線は酷く冷たい。
紳士な俺はひとまず挨拶代わりに、
「かわいい下着履いて来たんだろうな?」
と、余裕の一言。
対する女は眉ひとつ動かすことなく鉄拳でクールに応えてみせた。お気に召さなかったらしい。もしかしたら生理中だったのかもしれない。
その直後、俺は部屋に現れたメイドの手によってあっけなくお縄となった――。
◇ ◇ ◇
翌朝のこと――。
舞台はベルフォードさんのご自宅から憲兵署へと移った。以下はその取調室での一連のやり取りとなる。
「正直に話したらどうなんだ?」
「黙秘します。弁護士を呼んでください」
もし逮捕されたらそう言えって先輩に教えてもらった。さっそく学んだ知識が役に立った形となる。
余計な事を口にして不利な状況に追い込まれたとあっちゃ目も当てられない。ましてマフィアだということが露見したら組織からも消される恐れがあるからだ。ここはひたすらだんまりに徹するのみ。
しかし、目の前の厳つい顔した憲兵は耳が悪いのか頭が悪いのか、そんなの知ったこっちゃないとばかりに俺に対する取調べを続けようとする。
「で、動機はなんだ?」
「黙秘します」
「仲間はいるのか?」
「黙秘な」
「あの家の娘を襲いに来たのか?」
「黙秘つってんだろ」
「被害女性がお前に『どんな下着を履いているのか?』とセクハラめいたことを言われたと証言しているぞ?」
「っ…………」
その男はどうやっても俺が口を割らないと判断したのか、呆れたようにはぁとため息をついた。
「じゃあ、ちょっと趣向を変えるか。窓際に行って壁に両手をつけ」
「趣向……?」
「これから危険物を持っていないかどうか身体検査を行う。これに関してはお前に拒否権はない。――ほら、早く立て」
男はそう促すと顎で窓際を指図した。
別に危険物の類やアンゼルタとの関係がバレるような物は所持していない。どうぞ好きなだけ調べて下さいだ。多分身体の上から下にかけてポン、ポンっと触って確かめていくんやつだろう。映画でよくあるボディチェックみたいなもんだ。
俺は窓際まで行くと男の指示通り手を壁につくと、
ズルッ。
途端、俺の下半身が突然スースーとした開放感に晒された。
なぜだろう――?
いつもならこの感覚は風呂に入るときぐらいにしかしないはずなのに。
不思議に思いつつ視線を下に向けると……
「え――」
俺の履いていたズボンが膝下まで下げられていた。しかも、ズボンだけでなく下着もセットで。
俺は慌てて後ろを振り返る。すると、後ろにいた男はいそいそと両手にゴム手袋をはめているではないか。
「ちょっと待て!! お前、何で俺のズボンを下ろした!? そして、何でゴム手袋なんかはめてんだ!?」
男は何食わぬ顔で言う。
「何でって……身体検査だが?」
「何で身体検査でパンツまで下ろすのかって聞いてんだよ!?」
「ははぁん……。お前、さては初めてだな?」
「ひぃ……ッ……!」
男はニヤリと口の端を釣り上げた。“何が”初めてなのかと問う勇気などなかった。
男はパチンッと小気味良い音を立ててゴム手袋のフィッティングを終えると微かに浮いた声で高らかに宣言した。
「これから職務上の規定に則りお前に『直腸検査』を行う――!」
やっぱりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」――――(以下略)
「大丈夫だ、心配するな。俺は“プロ”だからな」
心なしか嬉しそうに言う男に「余計な気遣いだ」とか「そんなプロいてたまるか」というツッコミを入れる余裕すらなく、俺は片手でぐわしっと尻を掴まれてそのまま横にぐいっと広げられた。
どうなっているのか自分じゃ分からないが、とても人様に見せられないようなシーンがこの取調室で繰り広げられていることだけは確かだった。
「最近のゴムは強度はそのままに非常に薄くなってきていてな。ユーザーとしてはありがたい限りだ」
「今、その情報いる!?」
尻に生暖かいゴムの感覚が触れた――。
そこを起点にゾクッとした悪寒が背筋を走り抜ける。
「動くな! 上手く挿入できんだろうに!」
「そんなもん挿れられてたまるかよ!!」
「大丈夫だ! 先っちょだけ! 先っちょだけだから!!」
俺は死に物狂いで抵抗する。
「暴れんなって! 安月給な俺にはこれだけが唯一の楽しみなんだぞ!!」
「楽しみ!? お前、今“楽しみ”っつったか!?」
男は楽しそうな声で言ってのけた。だが、それが殊更におれの危機感を激しく煽った。この男はガチホモであると。我が身の貞操が危機に瀕しているのだと。
「よしっ! ここだここだ! 一気に奥まで行くからな!! せー……のっ!!!!」
「やめっ――」
後ろの純潔を奪われようとしたその時だった。
取調室の扉がおもむろに開いた。
「失礼します」
憲兵の制服に身を包んだ若い女性が入ってきたのだ。
それと同時にピチピチの男子学生の尻を執拗に狙う中年公務員はぴたりとその手を止めた。
「何の用だ……? 今は取調べの真っ最中だぞ?」
男は不機嫌そうに尋ねる。
しかし、その女性憲兵は何をおいても最優先でツッコむべきこの状況を見事にスルーしては、事務的な声でこう告げた。
「この少年の釈放が決まりました」
がっくりと肩を落とす男を尻目に俺はズボンを上げることも忘れて感涙にむせんだ。