第5話 入社式
遅くなりましてすみません。
少しだけ改稿が必要な部分がございましたので次回からは夜の投稿とさせて下さい。
投稿自体は毎日継続します。
咳きひとつない静寂がこの場を支配していた――。
荘厳で神聖な雰囲気がこの場の緊張感をぴりぴりと高めていた。息が詰まりそうというよりも“止まりそう”と表現した方が今の俺にとっては適切な表現だった。
俺はすぐにでもここから逃げ出したい衝動を抑えながらなんとかその場に踏みとどまっている。
アンゼルタ本部にある礼拝堂――俺は今からここでマフィア組織『アンゼルタ』の構成員となるために『加盟の儀』という儀式に参加することになっていた。
この儀を終えると俺は晴れてアンゼルタの“新米マフィア”として名実ともに構成員として周囲に認知されるという訳だ。
わざわざ本部の敷地内に礼拝堂を構えているなんて、マフィアというやつらは存外に信心深い組織なのだろうか……?
だが、今はそんなことよりここに集まっている“面子”が問題だった。
礼拝堂なのだから清楚でかわいいシスターが出迎えてくれるのかと思っていたが、そんな期待は見事に崩れ去った。会場には強面のマフィアがずらりと列をなしてこの儀式に参列している。全員が不気味なほどに礼儀正しく、そして、誰ひとりとして私語をする者はいなかった。その光景は“異様”の一言。実に物々しい入社式だった。
俺はちらりと周りの連中を見回して見る――皆、すべからく人殺しの顔をしていた。
死゛ ぬ゛ ほ゛ と゛ 帰゛ り゛ た゛ い゛ !
――などと考えているうちに定刻通り加盟の儀が始まった。始まってしまったとも。
神父らしき男(人殺しの顔をしている)が祭壇の脇にある袖からすっとご登場。
正面の講壇まで来たところで最前列に座っていたボスと他の参列者一同に向かって恭しく一礼。そして、
「これより『加盟の儀』を執り行う! 九条優也、こちらへ――」
厳かな語調で入社式始めます宣言。名前を呼ばれすぐさま椅子から立ち上がる。たどたどしい足取りで神父の前まで歩み出た。
儀式の手順はあらかじめ聞いてはいたものの緊張で吐き気がしそうだった。朝食を抜いてきて本当に良かったと思う。もしこの場でちょっとでも無作法を晒そうものなら間違いなく“指詰め”は不可避。そんなプレッシャーでぺしゃんこになりそうな圧迫感に襲われていた。
「汝、何時如何なる時も組織とその繁栄のためにその身を捧げる覚悟はあるか?」
「はい! この身はすべて組織のために捧げます!!」
ムリです。早くおウチに返してください。
「汝、何時如何なる時も賢明なる兄弟たちの剣となり盾となる覚悟はあるか?」
「はい! この命は今日より組織と兄弟たちに捧げます!!」
イヤです。刃傷沙汰だけは勘弁してください。
「よろしい。では――最後に『血の契』を」
そこで初めてボスが立ち上がった。講壇の前まで歩み寄り、俺と真正面に向かい合う。
すると、講壇の後ろで控えていた構成員が俺とボスにそれぞれ装飾の施された儀礼用の短剣を手渡す。その短剣を使ってボスは手慣れた手つきで自分の親指をサッと軽く切って見せた。俺もそれに倣って自分の親指を切る…………めっちゃ痛い。
準備が整ったところで、俺とボスは互いの血の滴る親指を重ね合わせた。
これがアンゼルタの加盟の儀で執り行われる『血の契』ってやつらしい。
互いの血が混じり合うことで、その者たちは“家族”同然の存在となり、決して互いを裏切ることはできないという思いが込められている。
そして、その縁は切っても切れないつながりであることも意味していた。
一度、入ったが最期…………“辞める”という選択肢は存在しない。
「今、この瞬間をもってして、この九条優也は我らの“兄弟”となった! この少年に兄弟たちの深い慈しみと惜しみない愛情を与えたまえ!!」
神父がそう告げると、礼拝堂には割れんばかりの拍手が鳴り響く。
俺にとっては呪いのファンファーレと同義だった――
◇ ◇ ◇
加盟の儀はつつがなく終了した。
礼拝堂は先ほどとは打って変わってがらんとしている。今は俺ひとりだけが長椅子の上でグッタリとへたり込んでいるだけだった。もはや立ち上がる気力すら残っていない。
念願の“職”を手に入れた。おまけにたくさんの頼もしい同僚(強面)もできた。
でも、その代償として俺は“マフィア”というとんでもない肩書きまで手にしてしまった。もはや一生お天道さまの下を大手を振って歩くこと叶わずだ。
もしも、手始めに「ポリ公の首刎ねてこい」なんて命令を受けたらどうしよう……。
焼きそばパンぐらいなら喜んでパシらせてもらうんだけどな。
俺はどんよりと沈んだ気持ちで床のシミを一つひとつ数えていると、
「なんだぁ? 働く前からもうグッタリしてんじゃねぇか」
突然、野暮ったい粗野な口調の声が聞こえてきた。振り返るとそこには巨漢の中年男が後ろに立っているではないか。
そいつの人相? 悪いよ。まごうことなき悪人ヅラだ。絶対何人か殺してる。
俺はボスから『ビスタ』という男がさっそく俺に仕事を任せたいというので、ここで待っているようにと指示を受けていたのだった。
「九条優也だっけかぁ? 話は聞いてんだろぉ? お前にさっそく仕事を持ってきてやったぜ!」
その男はニヤッとスマイル。悪人ヅラの上からさらにドス黒い悪意をトッピングしたかのような顔で話しかけてきた。
「初めまして、ビスタさん。これから宜しくお願いします」
「おうよぉ! 宜しく頼むぜぃ、兄弟!」
ビスタはガハハハと笑いながら俺の肩をばしばしと叩いた。
「それで、今日はどんな仕事から始めるんですか?」
「まあ、そうがっつくんじゃねぇよ。こんなとこじゃあれだ。場所変えるぞ!」
そう言われて俺達はアンゼルタ本部の施設内にあるラウンジスペースに場所を移すことにした。酒などが置いてあるが、まだ昼時前ということもあってかここには俺達二人しかいなかった。
ソファーに腰を下ろすとビスタは給仕係の若い女性を呼びつけて二人分のコーヒーを持って来るように言いつけた。すると程なくしてその女性が注文の品を運んできた。
「加入祝いってことで一杯やりたいとこだが、あいにくまだ勤務時間中だ。今はこれで我慢しとけ」
「いただきます」
男二人でコーヒーをずずっと啜る。
さて、これからどんな仕事が来るんだろうか。
「よっしゃ! さっそくだが初仕事だ。俺の下について“ある任務”をやってもらうぜ」
「はい、どんな任務ですか?」
「そんな難しいやつじゃねぇから安心しな! 落ち目の伯爵貴族の家に忍び込んで『裏帳簿』を盗んでくるってだけの仕事だ」
「…………」
住居侵入と窃盗の罪に該当する問題点について、俺は指摘すべきかどうか悩んでいると、
「その伯爵はどうも“脱税”やってるんじゃないかって噂が出ててなぁ。その証拠を俺らが押さえようって計画を立ててんだ」
「あぁ……その帳簿を使って伯爵を強請るってことですね?」
「その通りだ! 察しが良い新入りじゃねぇか! 貴族特権ってのは今でも魅力的な利権だからな。伯爵と仲良くなって、俺達もその利権にあやからせてもらおうって訳だ!」
なるほど。そういうことね。
一体、どんな仕事を頼まれるのかと内心ヒヤヒヤしていたが、死人が出そうな仕事じゃなくて内心ほっとしていた。逮捕者は出そうだけど。
「分かりました。作戦の決行日時はいつですか?」
「三日後の夜だ。後でミーティングやっから作戦の概要はきちんと頭に叩き込んどけよぉ?」
おおよその仕事の内容を聞いた後、ビスタは別の仕事が残っているからと言ってラウンジを後にした。
それにしてもさすがはマフィアだ。脱税の証拠を見つけて強請るなんていかにもそれっぽい。しかもそれが俺の初仕事だなんて。順調に行けば明日の夜には俺も立派な犯罪者ってわけだ。上手くこなせるだろうか……?
俺は不安を抱えながらすっかりぬるくなったコーヒーをぐいっと一気に飲み干した。
◇ ◇ ◇
それから三日後のこと。作戦当日の夜を迎えた。
アンゼルタの本拠地である『ゼノア』から西に位置する都市『ルミアーノ』へと移動した俺達は、夜の闇に紛れながら目的の屋敷まで人目を忍びつつ馬車で移動していた。
今夜は雲が少なく月明かりのおかげで程よい具合に視界を確保できている。街灯も何もない屋外の暗闇なんて日本ではあまり経験することはなかったから心配していたが、これならさほど心配はなさそう。やや足元がおぼつかないが目を凝らせば十分に歩き回れるレベルだった。
今回の作戦はいたってシンプル。
人目につかない森に面している屋敷の“東側”から敷地に侵入してそのまま伯爵の部屋に忍び込む。裏帳簿を入手した後は森で待機させていた馬車を使って中継地点を介しつつアジトまで撤退するという流れだ。
そして幸いなことに今夜はここの当主が貴族同士の集まりで家を留守にしているらしい。しかも屋敷を警護している護衛の二人を連れてだ。そのため、今この屋敷には伯爵の一人娘と三人のメイド――合わせて四人の人間がしかいないことになる。事前に偵察を行っていた別の構成員からの情報であった。
ビスタによるとその伯爵の屋敷は一般の民家と比較してもかなり大きな屋敷らしく、たった六人しか人がいないのならば誰にも気づかれずに帳簿を盗み出すぐらいは造作もないだろうとのことだ。
そして、目的の屋敷までもう少しというところまで迫っていた。
俺と仲間達はゆっくりと大きな音を立てないように馬車で森の中を身を潜ませながら進んで行く。
ビスタは司令役なのでこの場には参加していないが、今この馬車には身軽で足の速いメンバーが三人ほど俺と一緒に作戦決行の時を待っていた。
すると、若い仲間の一人が何やら俺に不躾な口調で俺に話しかけてきた。
「おい、新入り。お前、ボスが死にかけていたところを助けたのが縁でウチに入れてもらったらしいな? 上からの覚えはいいみたいだが仕事は別だ。この世界は何より“実力”がものを言うんだ。ヘマやらかしやがったらタダじゃおかねぇぞ?」
さっそく先輩風を吹かしてくる奴が現れた。歳は俺とさほど変わらないように見える。得体の知れない外国人が伝統あるマフィアにコネ入社したことが気に食わないのだろうか。
ここは舐められないように少しくらい言い返しておくべきシチュエーションと見た。
「なあ、先輩。この仕事を成功させるために俺から一つナイスな提案があるんだけど?」
「あ? 何だよ?」
「俺は馬車で留守番する係に立候補する」
「はぁ? 何言ってんだ? そんなのいらねぇよ。お前も屋敷に忍び込んで裏帳簿を探すんだよ」
「もし馬車が盗まれたらどうすんだ? 帰りの足を失うことになるぞ?」
「んなわけねぇだろ。この時間にこんな人気のない森の中をうろついてる奴なんて俺ら以外にいねぇよ」
俺はその先輩の肩に手を置くと諭すような口調で、
「先輩……仮にそうだとしても、馬の気持ちになって考えてみようぜ? こんな夜中に人気のない森で独りぼっちにされるんだぞ? 可愛そうだと思わねえか? 寂しさのあまりヒヒーンなんて鳴いちゃったらどうすんだよ? 俺が馬だったら間違いなくヒヒーンだぞ? それこそ家の人間が不審に思って飛んで来る勢いでヒヒーンしちゃうぞ? このヒヒーンなリスクに対してあんたは俺以上のソリューションを提示することが――ヒィンッッッッ!!!?」
手厚くぶん殴られた。
「新入り。お前には帰ったら好きなだけヒヒーンさせてやる。だから今は目の前の仕事だけに集中しろ。あと、余計なことは絶対にするな。いいな?」
「………………はい」
先輩のご指導を受けている内にとうとう目的の場所へと到着した――。
いよいよ決行の時だ。
馬車から降りて少しばかり森の中を進んでいくと、木々の間からうっすらと大きな屋敷が見えてきたではないか。
なるほど……確かになかなかの規模を誇る豪邸だ。いかにも金の匂いがする。
ちらりと先輩を見てみれば、三人は先ほどとは違った真剣な眼差しでお屋敷を臨んでいた。人間って悪さをする時に限って異様なチームワークの良さを見せるって誰かが言ってたけど、まさにこんな状況を指すんだろうな、とは俺の脳裏に浮かんだ寸感だ。
「行くぞ。遅れるなよ」
先輩の合図とともに俺たちはゆっくりと姿勢を低くして森の草陰から屋敷の中庭に足を踏み入れた。
花や木がよく手入れされている上にプールまで備え付けられた美しい中庭が視界に映り込む。その中でも特に草木が生い茂っている部分を遮蔽物にしながら素早く移動した。
そのまま先輩に黙ってついていくと思いの外あっさりと屋敷の壁までたどり着いてしまった。
先輩の一人は最後尾を歩く俺が到着するのを確認したところで、あらかじめ準備していた『鍵縄』をカバンの中から取り出した。なぜそんなものが必要なのかと言うと、森に面している屋敷の東側に関しては一階部分に出入りできる窓が存在しないため目の前の壁をよじ登って二階から侵入しなければならないからだ。
先輩が先端部に反しがついた鉤縄をぶんぶん振り回しながら二階のバルコニーの手すりを狙って投擲。――すると見事に一発で手すりに引っ掛けることに成功した。
さっそくと鍵縄のロープを伝って一人ずつ二階によじ登っていく。三人とも手慣れた様子だ。まるでニンジャのような身のこなしを俺は感心しながらじっと眺めていた。
俺も見よう見まねで何とかして二階に登り終えると他の三人は既に窓の前に集まってピッキングによる解錠作業に取り掛かっていた。細長い針金やドライバーのような道具を器用に駆使して鍵穴をカチャカチャといじくっていた。そして、程なくしてガチャリという音とともにバルコニーの窓が開いた。
「おお、やるじゃん、先輩。やっぱ犯罪者のスキルは一味違うな」
「お前は黙ってついてこい!!」
後輩からの賛辞など意にも介さず、先輩達は忍び足で屋敷の中に足を踏み入れた。