第4話 内定辞退はできますか?
「俺をここで雇ってください!!」
元気ハツラツに意志表明した。
まだ、ここに来てからせいぜい数時間しか経っていない。
だが、一つだけはっきりとしていることがある――。
“この男は相当な金持ちだ”
これだけ広い敷地を有するデカい豪邸に住んでいて、おまけにボディガードまで雇っているときた。
さっき自分のことを“ボス”と言っていたが、要するに“社長”ということだろう。
どんなビジネスを手がけているかはまだ分からないが、この男にかかれば働き口のひとつやふたつなんて簡単に見つけてくれるはずだ。
そんな期待を胸に秘めながら、相手の反応を窺うと、
「…………」
「…………」
隣で控えていた大男と一緒に唖然とした顔をしていた。
いきなり図々しいことを言ってしまったか? 世の中には社交辞令やリップサービスというものがあると言うし。これは真に受けてバカを見るパターンだろうか?
隣にいる大男が俺に何かを言おうとしたが、それを制したレイブンスが言った。
「ほう……うちに入りたいと? どうしてまた? 君には絵の勉強をするっていう目的があったんじゃないのかい?」
「はい、絵の勉強はこれからも続けていくつもりです。ただ、このご時世に純粋に絵を描くことだけでメシを喰っていけるほど甘くはないとも感じています。そこで、様々な国を渡り歩いた経験をビジネスで活かしていこうと考えています」
「それは具体的にはどんな経験かな?」
レイブンスは真剣な表情で耳を傾ける。
「小さな頃から様々な国を放浪してきましたので、各国の文化や商習慣には概ね精通しています。加えて、各地の美術商の元で美術品の仕入れや販売をやっていましたので、目利きには自信があります。値の張る美術品を取り扱っている関係上、たくさんの富裕層の相手もしてきましたので、そういった相手の懐に飛び込むためのスキルも身につけることができました。こういったスキルは御社でも存分に活かせると思います」
我ながらよくもこんな嘘を堂々と並べ立てることができるな、と自分自身に驚くと同時にあきれもしていた。でも、ここまで来たら嘘を貫き通すしかない。
「でも、家族はどうする? 故郷に帰りたくなったりはしないのかい?」
「俺は生まれたときから流浪の民です。祖国を持たないので故郷というものがありません。家族もみんな病気で亡くしましたので住む場所には特にこだわりはありません」
転勤もOKですよ?
「……今すぐに君を雇うという決断を下すことはできない。ただ、うちの仕事は生半可な覚悟で務まるものではないし、辛いこともたくさん経験することになる。それでもやりたいというのかい?」
こちらの覚悟の程を慎重に確かめるように言葉を投げかける。
俺の答えは既に決まっている。こんな質問、就活で何度も聞かれた。
「はい、慣れないことも多々出てくるかと思いますが、ゼロからでも積極的に挑戦して御社に貢献したいと思っています!」
俺は就活で何度も使い古したお決まりの決め台詞でその場を締めくくった。
レイブンスは神妙な面持ちで「考えておくよ」と手短に言い残し、再びベッドへ身体を横たえた。
ひと通り話が済んだと見たのか、隣の大男が宿へ案内すると申し出てくれたので、レイブンスに丁重に別れの挨拶をしてその場を後にした。
◇ ◇ ◇
レイブンスとの採用面接(?)を終えた後――。
ちょうど日が沈みかけようかという時間に俺はあの無愛想な大男に連れられて街中にある宿までやって来た。そいつはここが俺の宿泊先だと言う。
宿の主人は愛想よく俺を迎え入れてくれた。
既にレイブンスから宿泊の件を聞き及んでいるらしい。
部屋まで案内してもらいひと通りの説明を受ける――食事や風呂の時間、トイレの場所に加えて、酒場や劇場、美術館、さらにイイ女と遊べる店まで教えてくれた。
部屋に一人きりになると真っ先にベッドへ身体を投げ出す。
いい素材を使っているのか程よい反発と柔らかさで俺の身体を受け止めてる。あの薄暗い小屋や独房の硬い床とは大違いだ。その心地よさに身を委ねているとすぐに眠気がやって来た。
俺は両眼を閉じて先ほどのレイブンスとのやり取りを思い返していた。
あの場で雇ってくれと申し出たのは唐突に過ぎた気もするが、決して悪い印象は与えなかっただろう。むしろ、しっかりと自分の考えとやる気をアピールできたと思う。
あの男の会社がどんなことをやっているかは判らないが、きっと大きな会社に違いない。そんな大会社のトップの命を救って顔と名前を覚えてもらったんだ。これはまたとないチャンスだ。飛び込む以外の選択肢はないだろう。
願わくば、良い報せが俺のもとに届きますように。お祈りはもうたくさんだ。
俺の意識はゆっくりとまどろみの中へ沈んでいった。
そして、翌日の朝――。
宿で遅めの朝食を摂りながらのんびりと朝の時間を過ごしていた。
ここの居心地は申し分ない。飯は美味いし、接客も丁寧、部屋も広々としていて快適だ。いつまでも泊まっていたいくらいだった。
昨日の面接の結果は気になるが、今はこの優雅なひと時を楽しむことにしよう。あと、せっかくだから、今のうちに街を散策してみるのもいいかもしれない。もしかしたらこの辺りが俺の勤務地になるかもしれないからな。
食事を済ませ、あれこれと今日の予定を立てているところにこの宿の主人が顔を出した。
俺の顔をみるなり愛嬌のある笑みを浮かべながら俺のところへ駆け寄ってきた。
「お客さん、聞いたよ。なんでもあのレイブンスさんを助けたそうじゃないか!」
ツバでも飛ばさんばかりの勢いで興奮気味に喋っている。
やっぱりあのレイブンスという人はこの辺りでは有名人なんだろう。“地元の名士”ってやつだな。
「ああ、本当に危ないところだったよ。昨日、面会したんだけど、順調に快方に向かってるみたいで安心したよ」
「そうか、そうか! レイブンスさんは頼りになる人だけど、仕事柄よく悪い奴らに狙われることも多いからな。昨日、その筋の奴らに刺されたって聞いた時はまったく仕事が手につかなかったぐらいだよ!」
“仕事柄”とは一体どういう意味なのか――と問いかけようとした時に食堂に見覚えのある大男が姿を現した。そいつは俺の姿を見るやいなやすぐにこちらへやって来て、
「九条優也、ボスがお前に話があるそうだ。今すぐ俺と一緒に来い」
ついに来た! あの時の返事に違いない!
レイブンスは早速昨日の返事を聞かせてくれるつもりなのだろう。
だが、この場であえてこの男から用件を聞くことはしない。結論は既に分かっている。
もし不採用ならわざわざ直接面会の場を設ける必要などない。手紙の一通で十分だからだ。俺は逸る気持ちを抑えながら身支度を整えて大男と一緒に屋敷までの道のりを歩き出した。
屋敷へと向かう道すがら、ふとあることに気づいた。
なぜだろうか? 屋敷への道中、時折この大男が忌々しげなものを見るかのような眼で俺の方へ視線を投げかけてくるのだ。何か嫌われるようなことでもしただろうか?
あまり気にすることなく歩いていると、街の中心部から少し離れたところでレイブンスの屋敷が見えてきた。ここに来るのは二度目だ。これから何度も足を運ぶことになるんだろうな。
以前と同じような流れでレイブンスの部屋の前まで通された。扉の前で大男がその図体に似合わない控えめなノックで部屋の主の返事を待っている。
直後に「入ってくれ」と短い返答。
だが、以前とは違って心なしか声に張りがあるように思える。
「失礼します!」
「失礼します!」
大男の後に続いて俺も元気よく声を出して入室する。
今日が入社日になるかもしれないんだ。うんと印象を良くしておかないとな。
部屋の中にはソファに腰掛けているレイブンスがいた。昨日よりも顔色がよく元気そうな様子だ。
まだ本調子というわけではないだろうが、あれだけの重症を負っておきながらすごい回復を見せている。やはりこのぐらいでないと社長業は務まらないのだろう。
「やあ、わざわざ呼び出したりして悪いね」
「いえ、とんでもありません」
「話は他でもないよ。昨日の件についてだ」
「はい」
「うちで働きたいという話――今でもその気持に変わりはないかな? うちはこういうところだから『辞めます』と言われて、『分かりました』で軽く抜けられるような組織じゃないよ?」
「いえ、心は既に決まっています! 誠心誠意、この会社に尽くしていく所存です!」
俺は迷いのない声ではっきりとそう告げた。
するとレイブンスは静かに微笑むと、「すべて承知した」と言ってソファから立ち上がった。
俺もすぐにそれに倣って立ち上がる――。
「我が『アンゼルタ』へようこそ、九条君! 構成員一同、大いに歓迎するよ! 願わくば、君の力が組織の発展とさらなる飛躍をもたらしてくれることを期待しているよ!」
◇ ◇ ◇
人生で初めて内定をもらったその日のこと。
俺は宿のベッドの上で内定の喜びを噛み締めていた。
異世界とはいえやっと自分の努力が報われたことへの嬉しさが身体中からひしひしと湧き出してくるかのようだった。
レイブンスから直々に採用を伝えられた直後、色々と準備や手続きが必要となるからということで、今日は宿に帰ってゆっくりと休むように指示された。明日、迎えの者を寄こしてくれるそうだ。
ただ、“休め”とは言われたもののまだ時刻は昼の一時を回ったばかりだった。時間はまだたっぷり残っている。そこで昼食を摂った後に街をぶらつくことにした。いい気分転換になるだろう。
部屋を出て食堂で昼食を頼むと程なくしていつも顔を合わせている宿の主人が美味そうな料理を運んで来てくれた。
「はいよ! お待ちどう!」
「ありがとう。あ、そうだ、おっちゃん! 俺、レイブンスさんに雇ってもらうことになったよ! 『アンゼルタ』って会社で明日から働くことになったんだ!」
その瞬間――宿の主人が時が止まったかのように固まった。
そして、一呼吸置いた後に、
「あんた…………凄い人なんだね。この街に来ていきなりアンゼルタの構成員になるなんて……」
「そんなに珍しいことなのか? もしかして、そう簡単に入れるところじゃないとか?」
「ん……いや……確かに簡単に入れるところじゃないよ? というか、簡単に入っちゃいけないところというか…………」
なぜか宿の主人は引きつった表情を浮かべている。
不思議に思った俺はさらに質問を続けた。
「そう言えば、アンゼルタってどんな商売をしてる会社なんだ? 俺、レイブンスさんに雇ってもらえるよう頼むのに必死だったからさ、まだ詳しいこと知らないんだよね」
「なっ――!?」
宿の主人は信じられないものでも見るかのような表情で大層驚いてみせた。
そんなに変なことを聞いたか? まあ、そのくらいこの地ではアンゼルタの名前は有名なんだろう。やっぱり誰もが知る大企業ってやつだろうな。
「…………アンゼルタは…………ィアだよ」
「え――? 今、なんて?」
上手く聞き取れなかった。
というか、今……変な単語が聞こえたような気が……。
「アンゼルタは……この国でも有数の規模を誇る…………マフィア……だよ」
「…………」
手から滑り落ちたフォークは食堂の床でカランと乾いた音を立てた。