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新米マフィアのリトグラフ  作者: 成瀬 あゆむ
第一章 就活の終わり、カタギの終わり
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第3話 御社が第一志望です


 しとしとと雨の降る音が聞こえてくる。


 どうやら今日の天気は雨模様のようだ。でも、別に雨の日だって嫌いじゃない。いつもとは違うしっとりとした雰囲気が好きだったりする。何気ない日常のこうしたささやかな変化が新鮮でそんな日はいつもとは違うアイデアが思い浮かんできたり不思議と筆が進んだりすることがよくあるからだ。


 ただ、今はそんな変化を楽しむ気分にはなれなかった――。


「ここ、どこだよ……?」


 眼が覚めると見知らぬ室内に横たわっていた。


 外の日の差し込むことのない薄暗くて狭い空間。外からはかすかに雨の音が聞こえてくるのみ。じめっと淀んだ空気がこの空間の陰気さをよりいっそう引き立てていた。

 そして、俺の目の前には武骨な鉄格子が何本か並んでおり、扉の部分には頑丈そうな錠前によってがっちりと施錠されていた。

 鉄格子に顔を近づけて外の様子を覗き込んでみると同じ構造をした独房が中央の通路を挟むようにして何部屋か横に並んでいた。

 暗くて詳細はうかがいしれないが、他の独房からは人の気配がまったく感じられなかった。どうやらここにいるのは俺一人しかいないらしい。

 刑務所か何かかだろうか? あの後――恐らくあの納屋の異変を嗅ぎつけた近隣住民が警察に通報して俺がいた小屋に踏み込んだのだろう。そして、あっけなくお縄になったと。

 なんてこった……。いくら無断で小屋に寝泊まりしていたからってこの仕打ちはあんまりじゃないか? 俺はただ人命救助をしていただけなのに。

 このままじゃマズい。なんとかして警察の人に事情を説明しよう。じゃないと俺は前科者だ。

 ――と、そこでふと俺はあることを思い出す。


 そう言えば……“あの男”はどうなった?


 俺が助けようとした男……。まさか、あのまま死んでしまったんじゃないだろうな? そりゃヤバい。あの男は俺の無罪を証明する大事な証人だ。あの状況で俺の顔を覚えていてくれているのかは不安だが、それでも死んでしまっているよりはだいぶマシだ。

 そんな期待に望みを託していると薄暗い通路の奥からコツコツと靴音が聞こえてきた。

 ゆっくりとこちらに向かってきている。

 視界がほぼ奪われた中での足音は今の俺にとってはちょっとしたホラーだ。

 すると、その足音の主は俺の独房の正面まで来ると、何も言わずに手に持っていた鍵束の中からひとつの鍵を取り出して扉の鍵をガチャリと開けた。


 そいつは俺に短く言った。


「出ろ」

「あの、俺って……」

「いいから出ろ。いつまでもこんなところにいる気か?」


 俺の問いに答える気は無いらしい。

 本当ならもう少し食い下がって色々と事情を聞きたかったが、男の腰には物騒な刃物がぶら下がっていた。ここは大人しく従っておくのが吉だろう。俺は素直に独房から出ることにした。

 その時に暗闇で覆われていた男の顔を初めてはっきりと目にしたのだが、どうやら俺の判断は正しかったらしい。

 そいつは筋骨隆々とした身体をした大男で、しかも顔には刃物でつけられたものだろうか――瞼の上から頬までを縦に走る大きな傷跡があった。出会って一分足らずでヤベェヤツ認定だ。


「ついてこい」


 言われるがままに男について行った。それ以外の選択肢なんて今の俺にはなかったから。

 これからどんな目に遭うんだろう? 手錠や縄で拘束されないことを考えるともしかしてこのまま自由の身になれるのだろうか。それとも“任意”の事情聴取でも始まるのか……。

 螺旋状に曲がった階段を登って行くにつれ明るい外の光が徐々に差し込んで来た。時間の感覚はよく分からないがいつの間にか夜が明けていたらしい。陽の光はとても眩しかった。


 無事に解放してもらえるかも……。


 そんな期待に自然と胸が高まる。

 長い階段を登り終えるとそこは至って普通の民家の一室だった。

 何の変哲もない室内。だが、あえて言えば小ざっぱりしすぎている。最低限の家具が取りあえず置かれているだけ。生活感というものが欠けている殺風景な空間だった。

 男は部屋の真ん中に置かれているテーブルセットのイスに座るように指示すると、食事を用意すると言い残してキッチンへと消えた。


 そして――しばし待つこと二十分。


 大男はトレイに何枚か皿を乗っけて再登場だ。

 トマトパスタにサラダ、コーンスープ、さらにはデザートにプリン・ア・ラ・モードの組み合わせだ。

 作りたてらしくほんのりと湯気が昇っている。彩りが大変宜しい。


「すんげぇ、美味そう……」

「早く食え」

「い、いただきます!」


 毒でも混ぜられていたらどうしようかと思ったが、俺は恐る恐るそれを口にした。

 

 普通に美味いじゃん。


 なんだか久しぶりにまともなメシを食ったような気がする。

 シャバに出た後のメシってこんなにも美味いもんなのか?

 というか、これってまさかこの男の手作りなのか? この顔でプリン? いやまさか。でも、この家には俺とコイツ以外誰もいないみたいだし……。

 俺はコーンスープにパセリをちまちまとまぶしてプリンの上にホイップクリームとさくらんぼをトッピングするエプロン姿の男を想像してはなんとも言えない気分となった。


 そして、コワモテを食卓に添えての食事を終えた後のこと。

 男は俺を外に連れ出し馬車の荷台に乗るように促した。


「俺を何処に連れて行こうってんだ?」

「ゼノアだ。お前に会わせたい人がいる」

「会わせたい人って……?」

「会えばわかる。悪いようにはしないから黙ってついて来い」


 このまま人気のない場所に連れて行って埋められる……なんてことにはならないよな?

 いや、もし殺すつもりならわざわざ牢屋の外に連れ出す必要なんてないはずだ。

 俺は一抹の不安を感じつつもそのまま荷台へと乗り込んだ。



◇ ◇ ◇



「着いたぞ。降りろ」


 馬車で移動を始めて一日半ほど経った頃のことだった。

 ようやく目的地に到着したらしい。


 そこは庭園とも言える広々とした敷地内で目の前には大きな屋敷がそびえ立っていた。 

 どっかの金持ちの豪邸だろうか。少なくとも刑務所でないことだけは確かだった。


 しかし、同時に不審な点も見受けられる。


 正面玄関を飾る重厚な扉の前にこれまたゴツくて強面の男二人が両手を後ろに組んで立っているではないか。随分と物々しいその光景に少しばかり緊張が込み上げる。気軽に出入りしていい場所ではないようだ。

 俺を案内している大男は扉の両脇にいる男たちに「例のガキをつれて来た」と手短に要件を伝えると門番二人はその扉を開けた。


 男が横目でちらっと俺を一瞥する。

 お前も入れということらしい。


 二階に上がり通路を奥に進んで行くと、突き当りにある部屋の前で男が立ち止まった。

 するとそいつは扉の前で身なりを軽く整えて一呼吸。少しばかり神妙な面持ちで控えめに扉をノックした。


 すぐに室内から「どうぞ」と短い応答が返ってきた。


「失礼致します!」


 男に続いて俺も入室。

 そこで待ち受けていたのは――


 子屋で血まみれになって倒れていた“あの男”だった。


 よかった! 生きてた。これで無罪放免だ。

 俺はほっと安堵しつつ男の様子を観察した。

 あの時は暗い小屋の中だったので顔までははっきりとは分からなかったが、今やっと男の顔を見ることができた。三十代後半ぐらいだろうか。ゆるいウェーブのかかった茶髪に目鼻立ちのはっきりとした端正な顔立ちをしている。

 男はベッドの上に身を横たえてはいたものの顔色は悪くない。一時はどうなることかと思ったが、少なくとも命の危機は脱したようだった。


「ボス、連れて来ました」

「ああ、ご苦労だったね」


 そう言うと男は上半身をゆっくりとベッドから起こした。

 俺に向けて笑みなど浮かべながら、


「初めまして、お客人。先日は危ないところを助けてもらって感謝の言葉も出ない。それに、そんな恩人を誤って牢屋に閉じ込めたことへの非礼も併せて赦してほしい」


 穏やかな声で感謝と謝罪の言葉を述べた。


「いえ、当然のことをしたまでですよ。無事で何よりです。ひどい怪我をしていたので正直助けられるかどうか心配でしたが、こうしてお元気そうなお顔を見れて安心しました」

「本当に面倒をかけてしまったね。本調子ならこの程度なんともないんだけど、最近は仕事が忙しくて風邪なんか引いてしまってね。おかげでもうしばらくはベッドの上だよ」


 男は笑い話でもするかのように我が身の危機を振り返った。

 中年オヤジに脇腹を刺されてあっけなく死んだ俺とは大違いだ。アンタ、本当にツイてるよ。


「ところで君の方こそ大丈夫だったかい? うちの連中が君を発見した時には何故か君も僕の隣に倒れてたと聞いてたけど?」

「倒れてた? 俺がですか?」

「うん、そう聞いてる。幸いどこにも怪我はなかったみたいだけどね」


 あの夜、俺はこの男を助けようとして…………あれ? それから? その後、どうなったんだっけ? 思い出せない……。何かが……。


 うんうんと悩んでいる俺を他所に、男はふと思い出したかのように口を開く。


「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は『レイブンス・ウォード』だ。この『アンゼルタ』のボスをやっている」

「九条優也です。よろしくお願いします」


 そう答えると、レイブンスという男は不思議そうな表情を浮かべる。


「クジョウユウヤ……。珍しい名前だね。それにその格好……遠くの国から来たのかい?」

「はい、画家をやってまして、旅をしながら色々な国で絵の勉強をしています」


 住所不定無職の男にはうってつけの素性だ。

 お巡りさんに職質された時に備えて考えておいたウソがさっそく役に立った。


「そうか! 画家をやっているのか! このルネスは芸術文化が発展しているから君のように外国から来た人が絵の勉強をしによくやって来るんだよ」

「ええ! 俺もこの国の絵を勉強して自分の作品の参考にしてみたいと思ってたんです」


 そういうことにしておこう。


「僕は芸術に関してはさっぱりなんだけど、知り合いに何人か画家や美術商がいてね。その人たちの影響で最近は少しばかり絵を見に行ったりしてるんだよ」

「へえ、そうだったんですか。絵は良いものですよ。良い作品はいつまでも人の心に残り続けて語り継がれていきますから。そういった作品に巡り会えれば、自分の人生にも良い影響を与えてくれたりするんですよ」


 それっぽいことを言ってリアリティを出していく。レイブンスは感慨深げに頷いた。


「実に素晴らしいことだと思うよ。ところで、もし良かったら君の描いた絵を見せてもらえないかな? なにせ命の恩人が描いた絵だ。芸術音痴の僕でも何か感じるものがあるかもしれないかなね」

「あ……いや……実は、今手元には一枚も絵がないんです。旅の途中で絵が好きな人に売っていまして……」

「そうか……それは残念だな。ぜひとも見てみたかったんだけどな」


 そう言うと少しばかり残念そうな顔をした。

 仮に俺の絵があったとしてもとても見せられる代物じゃないんだけどな。


 ――すると、後ろに控えていた案内役の大男が口を挟む。


「そう言えば、お前旅をしていると言ったが、荷物はどうした? あの小屋には着替えはおろか絵筆の一本もなかったぞ?」


 やっべ……。


「いや、その……実はあの日、運悪くひったくりに遭ってしまって荷物を全部盗まれてしまったんですよ。宿代もなかったので渋々あの農家の小屋で寝泊まりしてて……」

「そうだったのか。昨日はお互い災難だったね」


 なんとか乗り切れそうだ。ここはうまく話を逸らしておこう。


「そういえば、昨日はどうしてあんな大怪我をしていたんですか? 突然のことでびっくりしましたよ」


 俺の質問に隣にいた大男が微かにその表情を歪めたが、レイブンスはさして気にする様子もなく答えた。


「いやあ、実は商売敵とのいざこざを抱えいてね。僕は筋を通した対応をしたまでなんだけど、相手方は聞く耳持たずでこの有様だよ。最近はこのあたりも物騒で無茶苦茶な商売をする輩も増えていて困ってるんだよ」


 そういうことね。いくらビジネスとはいえ命まで取られちゃ割に合わないよな。


「ところで、君は着の身着のままの今一文無しなんだろ? おまけに慣れない外国暮らしだ。お礼と言っては何だけど知り合いがやってる宿を手配するから好きなだけそこに泊まっていくといい。他にも何か必要なことがあったら何でも言ってくれ。出来る限りのことをさせてもらうよ」


 俺のやったことは間違ってなかった。


 やっぱり困っている人には積極的に手を差し伸べてあげるべきだ。今日ほどその言葉の重みを実感した日はない。


 そして、同時にこの絶好の機会を逃す訳にはいかなかった。


 俺は今一番の“望み”をこの男に告げた――



「それでしたら、俺をここで雇ってください!」



 ぽかんとしたこの二人の顔は今でも忘れられないものになった。


 今思えば大変な過ちを犯した瞬間だったと――。

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