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新米マフィアのリトグラフ  作者: 成瀬 あゆむ
第一章 就活の終わり、カタギの終わり
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第2話 First Impression


「死んでも就活するハメになるなんて……」


 せっかくの異世界生活の第一歩をあの忌々しい“就活”から始めなければならないなんて……。

 俺は普段目にすることのない世界にちょっとばかし舞い上がっていたが、突如、金がなければ働かざるを得ないという当たり前過ぎる現実を目の当たりにしてげんなりと肩を落とした。

 そして、ふとあたりを見回してみると、既に日も沈んでしまい大通りに面している商店や露店商人も既に店仕舞いを終えている頃だった。昼間の賑やかで活気のある姿とは打って変わって夜の街はしんとした静けさに包まれている。


「取りあえず仕事探しはまた明日だな……」


 途方に暮れながらあてもなく夜の街をさまよい歩いていると、いつの間にか街の一番端まで来てしまっていた。目の前にはだだっ広い田園地帯が広がるのみ。さらには街灯も何もない真っ暗な世界が視界の果てまで続いていた。この時間帯にこの街を離れるのは正直なところ気乗りしない。万が一、夜盗なんかに襲われでもしたら丸腰の俺なんてひとたまりもないだろう。


「仕方ない……。今日は野宿だな」


 俺はどこで野宿をしようかと街の外れをぶらついていると、近くにちょっとした広さを有する農場を見つけた。

 そこの持ち主が生活しているであろう母屋から少し離れたところに鍬や荷車が収められている小屋を見つけたので、そこを(許可はもらってないが)今夜だけ拝借させてもらうことにした。

 すぐ隣は牛や豚を飼っている家畜小屋になっており、その床に敷かれた藁の上なら気持ちよく眠れそうな気がしたが、中にいる家畜の匂いや鳴き声で快適な寝りなど望めそうにないことに気がついたので今回は遠慮することに。

 朝早くにこっそりとここを出て行けば見つかることはないだろう。慣れない異世界生活の一日目だ。今日だけは大目に見てもらおう。明日からちゃんと就活がんばるから。

 ここに来てからの驚きの連続で、しかも、疲れも相応に溜まっていたのだろう。俺はお世辞にも寝心地が良いとは言えない寝所の上で俺はすぐに深い眠りに落ちた。



◇ ◇ ◇



 ………………………………。


 ……………………。


 …………。



「――ッ、――――こっち…………ぞ!」


「…………逃が――! …………せ!」


「絶――――っ! ――っだ!」


 なんだろう……?


 そう遠くないところから人の声や足音が聞こえてくる。

 こんな夜中に何だって言うんだ。せっかく人がぐっすり寝てたっていうのに……。

 俺はその音の正体なんかよりも己の睡眠欲を満たすことにした。

 しかし、その直後だった。



 ギィィ……ィ…………。ガチャ……ン……。



 心臓の鼓動が一気に跳ね上がった。


 突然、誰かがこの小屋の中に入って来たのだ……! こんな夜中にどうしてこんなところに!? いずれにせよこれは非常にマズい――! こちとら無断で小屋に忍び込んでいるホームレスだ。見つかったらどんな目に遭わされるか分かったもんじゃない。

 下手をしたら鍬や鎌で滅多刺しにされて殺されるんじゃ…………。いや、流石にそれは考え過ぎだろう。事情を説明して素直に謝罪すれば許してくれるはずだ。でも……もしもそんな常識が通用しない人間だったら……。

 そうだ。ここは日本じゃないんだ。そんな「話せば分かる」「人類皆兄弟」なんて日本人の考え方が通用するとは限らない。であれば何としてでもこの場をやり過ごさないと。

 幸いにも俺の寝所は小屋の入り口からは死角になっていた。一番奥まで足を踏み入れなければ俺の姿は見えないようになっている。


 俺はおそるおそる物陰から入り口の方を覗き込んだ。

 暗闇で人相までははっきりとは判らないが、確かに何者かが入り口のところに立っていた。背丈からして男だろう。しかし、そいつの様子はどこかおかしかった。


「……ハァ……ハァ…………うっ――!!」


 男は息を切らしながら壁に手をつき、その場で苦しそう肩を上下させている


 何だアイツ……?

 

 そう思った次の瞬間だった。


 男が膝から崩れ落ちた。どさり。まるで雪の積もった木の枝がその重みに耐えかねたかのようにあっけなく。そのまま床に突っ伏して動かない。


 …………………………。


 俺は理解の追いつかないこの状況にどう対処していいのか分からなかった。

 脳の思考処理に遅延が発生していた。いや――仮に俺の脳が百二十パーセントの稼働率を示したとしても、この状況に対する理解度は寝起き直後の現在とさほど変わらなかっただろう。状況は依然として飲み込めない。

 この男はなぜこんな時間に農家の小屋に死にかけの状態で転がり込んで来たのか?

 何かとてつもないトラブル臭がぷんぷんする……。

『絶対に関わってはいけない』と俺の本能が最大音量でけたたましく警鐘を鳴らしていた。おまけにこの場から早急に逃げろとも告げている。今すぐに後ろにある小屋の窓から外に飛び出して全速力でここから逃げ出したい衝動に駆られた。

 しかし、同時に死にかけの人間を見捨てて行くことに対する後ろめたさもあった。

 見ず知らずの人間とはいえここは人として助けてやるべきじゃないのか、と。

 それと同時に自分がそんなヒューマニズムとは正反対の考えに基づいて助けようとしていることも薄々感じていた。


 もし、ここでこの男を見殺しにして死んでしまったら…………


 おそらく、俺は真っ先にこの事件の“容疑者”として警察にマークされるだろう。

 外国人で、無職で、浮浪者で、無許可で農家の小屋に寝泊まりしている人間なんて怪しすぎて即逮捕されるんじゃないだろうか?


「………………」


 さんざん迷った末に、俺は男の様子だけでも確認していくことにした。

 もし大丈夫そうならすぐにここから立ち去ろう。死ななければそれだけでオーケーだ。

 俺は音を立てないようにそろりと寝床から這い出て男のもとに近づく。

 近くにあった箒を手に取ると、柄の部分でつんつんと男を突いてみる。…………しかし反応はない。

 そこで今度は思い切って男の肩を掴んで仰向きに返してみた。

 その男は倒れた後は身じろぎひとつせずに床に横たわっているように見えたが、こうして近くでよく見ると苦しそうな顔をしながら弱々しく呼吸していることに気づいた。


 よかった。とりあえず死んではないみたいだ。


 しかし、その安堵はすぐに消し飛んでしまうことになった。

 “ぬるり”とした生あたたかい感触が指先から伝わってきた。

 暗闇だったこともありそれが何なのか一瞬わからなかったが、すぐにそれがその男の身体から滲み出ている血であることがわかった。

 予感はしていた。経緯は分からないがこの男は何らかの“トラブル”に巻き込まれた。そして、こんな有り様に……大方そんな流れだろう。

 このままだと男は程なくして死んでしまうと容易に判断できる程の出血量だった。

 その出処を探ってみると、どうやら腹部からの出血らしい。こうしている今も血がどんどん溢れてきている。

 俺は男の服を脱がして傷の手当を試みることにした。応急措置なんてこれっぽっちも分からないがここで手をこまねいている訳にはいかない。まずは傷口を押さえて止血が先決だろう。

 俺は着ていたTシャツを脱ぎ、それを男の腹部にあてがって止血を始めた。映画じゃ清潔な布を使うように言っていたような気がするが、そんなことを言っている場合じゃない。今は一刻を争う状況だ。


「聞こえるか!? おい! しっかりしろ!!」


 聞きかじりの知識ではあったが、俺は男の耳元で呼びかけ続けた。こうやって声をかけ続けるといいらしい。多分、しっかりと意識を保たせるための行為か何かだろう。

 このまま死なせてしまっては後味が悪い。こうなったらやれるだけのことをやるしかない。

 ――だが、その覚悟も虚しく俺にやれることはそこまでだった。

 ここから先、この傷をどう処置していたらいいのかわからない。

 止血を始めてどれだけ経っただろうか? このままでこの男は助かるのだろうか?

 呼べるものなら救急車でも呼びたいところだが、そんなものはこの世界には存在しないだろう。

 それならこの農家の家主に頼んで医者を呼びに行ってもらうか? でも、どうやってこの状況を説明すれば……。


 縋るように男に視線を向けた――その時だった。

 その男の眼がうっすらと開き焦点の合わない両目で暗い天井を見上げているのだ。

 

「おい! 死ぬな! しっかりしろ!!」


 男はゆっくりと視線を横に向けて視界の端に俺を収めると、



「僕が……死ぬ……? …………ウケる」



 ウケてる場合じゃないんだか?


 男はこの状況が上手く飲み込めていないのか死にかけているくせにニヤリと不敵な笑みなど浮かべてそんなボケをかましてみせた。人生最後のブラックジョークである。

 と、同時にたった今腹の傷を思い出したかのように苦痛で顔を歪めて苦しげな表情でうめき出した。

 前より意識が戻り始めているのか? だとしたらいい傾向だ。痛みに対して反応があるってことは少なくとも今すぐに死ぬようなことはないだろう。


 この男を助けられるかもしれない……!


 たった一人で孤独に人の命の危機に立ち向かっている俺にとって、それはまるで自分が助かったかのような安心感と同様のものに感じられた。たとえそれが呑気な冗談を口にする男でもだ。


 だが、それも束の間のことだった。

 俺はびくりと身を強張らせた。背後から何者かの足音がしたからだ。

 ゾッとするような寒気が背中に走り一瞬にして全身の毛穴が逆立つ。

 とっさに後ろを振り返るも暗闇に紛れたその影は男なのか女なのか。その正体は窺い知れない。

 そして、結論から言うと、俺はその足音の正体を知ることはできなかった。

 ただ唯一にして理解できたのは、強い衝撃が身体を襲ったことだ。

 体の力がすっと抜けていく。視界がぐらりと揺らぐ。

 遠のく意識の中で俺は疑問や混乱よりも後悔の念に駆られていた。


 やっぱり、余計なことをせずに早く逃げていればよかった……。

 きっと、ヤバい奴らに関わってしまったからこんなことに巻き込まれた。

 なんて間抜けなことか……。

 他人の命を助けようとして自分の命を取られたんじゃ笑い話にもならない。

 ああ……ついてない。ホントについてない……。


 俺はゆっくりと意識が暗闇に飲み込まれていくのを感じた。

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