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新米マフィアのリトグラフ  作者: 成瀬 あゆむ
第一章 就活の終わり、カタギの終わり
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第1話 異世界でも就活


 ああ……なんてことでしょう。

 貴方の人生はここで幕を閉じることになりました。

 まだお若いのに本当に残念なことです。


「ハロワでブスリって……。そりゃないわ……」


 そう気を落とさないで。

 遅かれ早かれ人間は死を迎えるものよ。

 あなたの場合、それがちょっとばかり早かったけれど。


「…………」


 ねぇ? そう言えばまだあの時の質問に答えてもらってないんだけど?


「質問って?」


 あなたの“夢”よ。


「それ今聞いても意味なくない?」


 いいじゃない別に。

 来世での参考にさせてちょうだい。


「うーん…………とりあえず医者かな」


 …………立派な夢だとは思うけど“とりあえず”なの?


「本当は他にもあるんだけど、一番現実的で手堅いチョイスをしたらそうなったんだよ。そっちは医者になってからでも遅くはないかなって」


 最近の子は現実的よね。

 でも、とりあえずで医者になんてなれるのかしら?


「一応、目指せるだけの成績は取ってきたぞ」


 ふうん。勉強熱心なのね。選択肢が多いことはいいことだと思うわ。

 そういうことなら、及ばずながらこの私が来世であなたが医者になれるように導いてあげるわ。

 あなたの生前の不幸な境遇を鑑みてのせめてもの手向けよ。


「ありがたいじゃん」


 来世ではハロワに行くときはくれぐれも背後に気をつけてね。

 同じ轍を踏まないように。


「そもそもハロワに行く必要がないように頑張るよ」


 あなたが良き医者となって多くの人達に健康と幸福を届けられますように。


「ああ――」


 そして来世で再び死を迎える際には、

 意義のある人生で、

 悔いのない生涯で、

 自分に誇りを持てる一生だったと振り返られますように。


 あなたの来世でのご健勝とご活躍を――


「あっ、そう言えばチートとかって――」


 心よりお祈り申し上げます。



◇ ◇ ◇



「な、なんじゃこりゃぁあああああああぁぁぁぁぁぁ………………あ? ああ……?」



 異変に気づいたのは絶叫と時を同じくしてのことだった。


 今まで感じていた身体の違和感が消失していた。あれだけの激痛がまるで嘘のようにぱったりとだ。

 俺の腹からはいつの間にかサバイバルナイフが消えている。着ている服にはべったりと血糊でべったりと塗れていたはずなのだが、それも今ではきれいさっぱりなくなっていた。服に穴すら空いていない。あれだけ深くグサリと刺さっていたはずなのに。

 不思議に思いつつも、俺は肌を撫でる風の存在に気がついた。

 ハ○ワに設置された空調機器の類ではない。一体誰がこの寒い時期に窓など開けっ放しにしているのか、そんな疑問と共にふと視線を上げると、



「…………どこだよここ?」



 気がつけば辺りは見知らぬ草原。その只中にぽつんと佇んでいる俺がただ一人。


 その状況に即座に思い浮かぶは『夢遊病』の三文字だった。

 これが就活うつが引き起こす症状のひとつなのだろうか。はたまたまだ夢の中なのか。もしかして俺って相当ヤバかったりするのか。

 そんな疑問も傍らに、両目を瞬かせながら周囲を見渡してみると、そこにはただひたすらに緑いっぱいの草原が――。

 どんなに頭を捻ってもこんなところは見覚えがなかった。少なくとも俺ん家の近所でない。

 これが現実ならずいぶんと重い症状を抱えた夢遊病患者だろうか。

 近所で評判の精神科の看板が嫌でも脳裏に浮かぶ。同時にノイローゼに苦しむ親戚のおじさんの顔など思い出す。禿げ散らかした頭、高すぎる血圧と尿酸値、熟年離婚、グレる子ども。他人事ながら十代にしてそんな荒んだ未来を垣間見た。

 もう一度目を凝らして周囲を見渡すと二キロほど先に大きな街が広がっているではないか。他に行くあてもない。あの街に行ってみよう。


 そう思い最初の一歩を踏み出そうとした。

 その時のことだ。

 ふと、俺の足元に落ちている“あるもの”に気がついた。



 それは、くしゃくしゃに丸まった“紙くず”だった――。



 こんな爽やかな草原で場違いにも灰色がかった安っぽい再生紙が転がっていた。

 誰だよポイ捨てした奴は。そして、無性にその紙くずの中身が気になった俺はおもむろにそれを拾い上げて広げてみると、


「これって……“求人票”か?」


 開いてみるとハ○ワでいつも目にする求人票だった。そして、例のぐしゃぐしゃの文字も。


 どうしてこんなものがここに落ちているのか。確かにあのとき俺はこの文字化けした求人票をくしゃくしゃに丸めて部屋の片隅に置いてあるゴミ箱に捨てたはずだった。我ながら華麗なシュートだった。忘れるわけがない。

 あれこれと頭の中で疑問が渦巻いている。その整理に四苦八苦していると、突如、俺の手にしたその紙に黒い“亀裂”が入る。


「えっ――」


 その亀裂はみるみるうちに四方八方へ。まるでクモの巣を描くかのように広がっていき、しまいにはパラパラと粉々に崩れ去ってしまった。

 まさにあっという間の出来事。

 今となっては最後の一切れすら風に吹かれて手元から跡形もなく消え去っていた。

 普通なら何が起こったのかと少しぐらい慌ててもいいところなのだろうが、どうにもそんな気分にはなれなかった。


 やはりこれは夢なんだ――。


 その予兆はこの草原で目覚めたときから朧げながらに感じていた。そして今、俺は改めてそれを認識するに到る。こんなことは現実には起こるはずがない。

 俺の関心は最早そんな紙切れなどには微塵も残っていなかった。

 俺はあらためて街へと続く道を歩き出す。

 ここはどこだろう。どんな場所なんだろう。

 脇腹に抱えていた致命的な違和感も今や過去のもの。俺はすっかり夢の続きが気になっていた。



◇ ◇ ◇



 この街には俺の十七年の人生で培ってきた“常識”や日本という国の“世界観”を壊すのに十分な要素があちこちに存在していた。

 街を往く人々は、日本人のものと異なる目鼻立ちをしており、髪や眼の色も違う。洋服ひとつ取ってみても俺が普段袖を通しているものとは異なる物だった。「洋」服であることには違いないのだが、それらはすべて一昔前のヨーロッパ風とでも言うようなクラシックな装いなのだ。また、服装だけに限らず腰から剣や銃をぶら下げている者までいた。おそらく街の警護につくお巡りさんなのだろう。なんというか、ちょっとしたファンタジーの世界に迷い込んだ気分だった。

 風景画は普段描いたりはしないのだが、今だけは普段使っている画材が手元にないのが残念で仕方がない。この風景を自分の手で表現してみたかったんだが。

 まあ、がんばって筆を走らせたところで目が覚めたら何もかもなかったことになるんだろうけれど。もしも、目が覚めてこの風景を覚えていたのなら今後の創作活動の参考にしよう。就活は忙しいが、時間を見つけて筆を取ってみるのもいい。きっといい絵が描ける。そんな気がする。




 ………………………………。


 ……………………。


 ………………。



 ――でだ。この夢はいつ終わるんだろうか?


 夢にしては少々長すぎるような気がしないでもない。

 しかも、夢の中なのに腹まで減ってきた。時間も目が覚めてから既に半日は経過していた。

 俺は自分の中で徐々に不安な気持ちが芽生え始めてきているのを明確に実感していた。



 何かこの夢おかしい、と――。



 夢なんていつもおかしなものだということは百も承知。

 しかし、それを前提としても解せない点があった。


 リアルすぎるのだ。


 風や匂いや土を踏みしめる脚の感覚。そして街に暮らす人々の何気ない会話。夢というのはこんなにも情報量が多いものだったのか? もっとざっくりとした、断片的で取り留めのないふわふわとした現象が俺が今まで見てきた“夢”というものだ。

 だが、これは現実と全く変わりがない。変わっていることと言えば、唯一自分を取り巻くこの世界だけ。夢であるはずの虚構の世界に俺はただ一人取り残されている。

 この世界が現実か夢の産物なのかはこの際どうだっていい。何にせよ一刻も早く元の世界に戻りたかった。家族が心配してるかもしれない。いつまでもここに留まっているわけにはいかなかった。


 けど、一体どうやって戻れと――?

 やっぱり俺は死んだのだろうか――? 


 居ても立っても居られなくなった俺は、思い切ってその辺にいるおじさんに疑問をぶつけてみることに。


「あの、すみません」

「ん? 何か用かい?」

「『魔王』っていつ頃討伐される予定なんですか?」

「君は一体何を言っているんだ?」


 頭のおかしなやつだと思われた。


 天気の良いのどかな昼下がり、得体の知れぬキチガイが現れたと。細められた両目は無言のうちにそう告げていた。


 どうやら最近流行りのそういう世界ではないらしい。

 せめて『冒険者ギルド』の場所だけでも教えてもらいたかったが、これ以上やると警察を呼ばれそうな雰囲気だったため、丁重にこちらの非礼を詫びてそそくさと逃げるようにその場を後にした。

 背中に突き刺さるおじさんの視線はとても痛かった。


「はぁ……なんかエラいことになったな……」


 やっぱ俺死んだのかな? ハ○ワでブスリとやられたのは夢じゃなくて現実だったんだろうか?


 あと、つい最近、誰かに“夢”がどうのこうのと言われた気がするんだけど、どうにも思い出せない。何かすごく大切なことのような気がするんだけど……。

 それに何より、俺のパソコンの奥深くに眠る秘蔵コレクションがどういうわけか気掛かりだった。俺のプライバシーの九割と言ってもいいくらいのものがあの中に詰まっているのに……。オンラインストレージに完全移行しなかったことを酷く後悔だろうか。

 俺はあれこれと頭を抱えて悩んでいると何やら背後からパカラパカラと音がして、


「あ――」


 振り向いたが直後、俺は馬車に轢かれた。


 馬に撥ねられた勢いもそのままに道の端まで景気よくフッ飛ぶ。

 俺は持ち前の運動神経を駆使して何とか顔面による着地に成功した。


「うわあああああぁぁっ!!!! やっちまった!! 兄ちゃん、大丈夫か!? 何でそんなとこに突っ立ってたんだ!?」

「いつつ…………」


 御者をしているらしい初老の男が馬車を止めると慌てて俺に駆け寄ってくる。


「ああ、大丈夫、大丈夫。ちょっとハードディスクの中にいる女のことを心配しててさ。毎晩、快楽をともにした大切なパートナーだったから、俺もついうっかりしてたんだよ」

「あ、ああ……頭はともかく身体の方は大丈夫そうだな。無事なようで安心したよ……」


 失礼な心配の仕方をする男はほっと胸を撫で下ろした。

 俺は立ち上がって服についた砂埃を手で払う。その男が次にどのような言葉を俺にかけるべきか悩んでいると、ふいに馬車の扉が開いて中から一人の女が顔を出した。次の瞬間、俺の意識はその人物に根こそぎ奪われることとなる。


 美しい少女だった――。


 意志の強そうなエメラルドグリーンの瞳、サラサラと風になびく金髪、白く雪のように透き通った地肌、ターコイズグリーンで上下を揃えられらた上品なツーピース。

 見知らぬ世界に迷い込み、一人心細く就職先やハードディスクの中身を心配する男の視線を釘付けにするには十分過ぎるほどの美貌の人だった。

 この世界で見た女性の中では今日一番の美貌の持ち主。満点をあげてもいいと思う。

 あの娘はどこかのお嬢? きっと上品で清楚な女の子に違いない。


 と、思ったが矢先――


「ケガは!? 大丈夫なの!?」



 少女は“馬”に駆け寄った。



 再度、確認しておくが被害者の俺ではなく“馬”に駆け寄った。俺を轢いた張本人もとい張本馬とも言うべき“馬”に。これには御者のおじさんも思わず苦笑い。


「お嬢様……そちらではございません。まずはこちらの方に……」


 その女は御者の男の声が聞こえなかったのか、馬の次は馬車の足回りのチェックまで始める始末。ぐるりと一周回って馬車全体に問題がないことを確認すると満足そうに一言。


「よし」


 そう言って何事もなかったかのように馬車に乗り込もうとするが、


「ちょっと待て」


 俺は少女の肩を掴んだ。切れ長の澄んだ眼差しが俺に向けられる。


「何か御用かしら?」

「俺、たった今この馬車に轢かれた被害者なんだけど」

「そう。うちの使用人が失礼したわね」


 これほど誠意の欠片も感じさせない謝罪はいつぶりだろうか。まるで関心などない感じ。

 俺は限界ギリギリまで張った糸が今まさにぷっつんと切れてしまいそうな状態にあることをはっきりと自覚していた。大爆発まで残すところ五秒といったところ。

 だが、そんな俺の心情をいち早く察したのか、御者の男が気を利かせて俺に提案する。


「兄ちゃん! 悪いことをしたね! 今は大丈夫そうでも後から痛みが出てくることもあるかもしれん! 念のために病院に行っておいたほうが――」

「ダメよ。こんなとろこで保険を使ったら等級が下がるわ」


 はぁ?


「いや、ですが……」

「おい、お前っ!! 人が轢かれたってのに馬と保険料の心配してんじゃねぇ!!」

「大したケガじゃないでしょう? だったらいいじゃない。ツバでも付けときなさい。第一、馬車を引いていたのは私じゃないわ」


 知ってる。でも、お前の態度が気に入らない。


 俺はこの礼儀知らずの女に何か言ってやろうとしたが、


「おーい! 何モタモタしてんだ! 後ろがつっかえてんだから早く馬車を動かしてくれ!」


 ふと気がつくと、いつの間にか俺の後ろに馬車が何台か列をなしていた。そして、その一番先頭にいた男が堪りかねたように声を上げたのだった。


「ああ、申し訳ない! すぐに動かすよ! ――兄ちゃん、これで何か旨いもんでも食うといい。本当に悪かったな。それじゃあ、私は先を急ぐから!」


 男はポケットから紙幣を二枚ほど取り出して俺に手渡すと馬車に乗り込んで手綱を握った。


「あっ! ちょっ――」


 俺がそう言った時には、件の“お嬢様”とやらは既に俺のことなど眼中にないらしく、そのまますぐに馬車の中へと引っ込んだ。


 そして、馬車は俺を残して街中へと消えて行った。



◇ ◇ ◇



 その後、俺は特に当てもなく街をぶらついていた。


「――ったく。あのおっさんはともかく、女の方はとんでもねぇ奴だった。見た目は美少女だけど中身が最悪だ。腐ったマカロンみたいな女だ」


 そこで俺はあることを思い出す。


「そう言えば……」


 ポケットに手を突っ込んで中の物を取り出すと、先ほどの御者の男から受け取った紙幣が出てきた。よく見てみるとそれは俺のよく知る日本銀行券ではなく外国の紙幣のようだった。

 豊かな髭を蓄えて正面から見て左に四十五度に構えたオッサン――おそらく歴史上の偉人だろう――が紙幣のど真ん中で偉そうに構えているのはこの国でも同様なのだろう。

 腹が減っていたのでさっそくとその金を使って街にある食堂らしき店で食事を済ませた。会計を終えると二枚あった紙幣は数枚の硬貨となって戻ってきた。それを見てなんだかすごく心細い気分になる。このままじゃ俺は飢え死にするだろうなと。


 そんなことを考えていると、俺ははっとあることに気がついた。


 こんなことろでのんびりしている場合じゃない。


 ここが天国だかどこかの異世界だか分からないが、どこであろうと生活基盤は重要だ。

 そこを疎かにしていると遅かれ早かれその辺で野垂れ死にしてしまう危険性だってある。さっそく今日の寝床に食料、水を確保しないと。そのためにはやっぱり金だ。金が必要になる。当然、今の俺はほぼ無一文。すっからかんの住所不定無職の異国の民に過ぎない。

 この世界で生きていくためには、さっそく仕事を………………………………あれ?


 俺は……今……何を…………。




『  仕  事  を  探  す  ?  』




 俺は死んでなおも“就活”という枷に囚われていることに気がついた。

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