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彼女はビーチガール

朱夏が着替えるというので仙一郎は一度彼女と別れて先に待ち合わせ場所へと向かった。

その場所は水族館から海水浴場を挟んで反対側の海に面した大きめの公園の一角、明治時代の政治家が別荘としていた庭園で現在は遺構として一般公開されている場所だった。

すでに日も暮れて開館時間もとっくに過ぎたその庭園の入り口、固く閉ざされた木製の門の前で朱夏を待つ。公園の中心部は花火の見物客で賑わっていたがはずれにあるその場所は人けもなくひっそりと静まり返っていた。いまだ昼間の熱気も冷めやらず生暖かい風が頬を撫でる中、しばらくすると朱夏が現れた。

「お待たせ!」

彼女は水色の花柄の浴衣でレジ袋を片手に小走りでやって来た。

「何ですかソレ?」

仙一郎はレジ袋が気になったので指さすと彼女はニッコリと微笑んで彼のみぞおちに軽く拳を入れた。

「う!」

身体に触れる程度で、それほど強い打撃ではなかったが不意をつかれた仙一郎は短いうめきを上げ前かがみになる。

「違うよ!私がせっかく浴衣に着替えて来たんだからそこはまず、カワイイね!とか似合ってるよ!とか言わなきゃ!」

「す…すみません…空気読めなくて…浴衣、凄く似合ってると思います!ホント。」

「よろしい!ちなみにこれは夕ご飯だよ!夜店で買ってきた焼きそば!水族館で長居しすぎて食べる暇なかったからね。」

朱夏が微笑んでレジ袋を掲げるのを見て初めて仙一郎は夕食を摂るのをすっかり忘れていたことに気づいた。彼はそれほど彼女との時間を楽しんでいたことに驚いた。

「それじゃあ行こうか!」

そう言うと朱夏は庭園入口の木製の門を開けて中へ入ろうとする。

「ちょっと!良いんですか勝手に入って。」

「ツテがあってね!特別に許可貰ってるんだ!」

驚く仙一郎に向かってにやっと笑うと彼女は中へと入っていった。

大きな松の木を左右にして正面に茅葺き屋根のこぢんまりした日本家屋があり二人は家に沿って回り込むように海側に面した庭に向かう。芝生の庭を横切り縁側に並んで座ると街灯の薄明りに浮かぶ庭の先には海が広がり水平線に先ほどまでいた水族館のある人工島が見える。風光明媚とはこんな風景を言うんだろうなと仙一郎がしばし眺めていると隣に座る朱夏がプラスチックの容器に入った焼きそばと飲み物を差し出し二人は遅めの夕食を食べる。

「夜店の焼きそばって肉も一切れ二切れくらいしか入ってないのに何故か美味しいよね!」

「うん!確かに。でも肉どころか野菜もろくに入ってない素焼きそばですよね。」

「ははっ!確かに!」

朱夏は下駄をぷらぷらさせ屈託のない笑顔をみせる。仙一郎がすっかりくつろいで焼きそばを頬張っていると静寂を破って不意に爆音が響いて彼はビクッと身体を震わせてしまう。周りが明るく照らされ海上にきらびやかな光の花が広がる。

「うゎっ!」

朱夏が身を乗り出して感嘆の声を上げる。続けて大きな音を響かせながら何発も打ち上げられる美しく壮大な花火。その光景を眺めていた仙一郎はふと帰してしまったリザや今だ仲直り出来ていないアルマに申し訳ない気持ちがした。

「何か考え事?」

朱夏はその様子を敏感に察知したのか彼の顔をのぞき込む。

「他の女の事とか考えてたんでしょー!あのモデルみたいな外人の恋人さんとか…」

「違っ…恋人じゃありませんよ!というか見てたんですか?」

「まあね!途中でいなくなってくれて助かったよ、さすがに女づれの人をナンパは出来ないし。」

隣に座っていた朱夏はすり寄ると身体を密着させる。

「朱夏さん?」

まごつく仙一郎を見上げ、じっと見つめる朱夏の瞳に花火の光が反射してキラキラときらめく。

「仙一郎…君…欲しいの…」

朱夏の表情は一変して艶めかしく変わり、ゆっくりと彼の腕に手を回す。

「ちょっ…待って下さいよ…」

突然の出来事に仙一郎は彼女を引き剥がそうとするががっちりと腕を絡め捕られ動けない。

「欲しいの…血が。」

「何を言って…」

朱夏のその一言は花火の音が響く中でもはっきりと聞こえた。嫌な予感で背中がぞわぞわとする。

「昼間、君怪我したでしょ?その血の匂い嗅いだら我慢出来なくなっちゃってさ!普段は献血程度にちょっと血を吸ってるだけなんだけど…久しぶりに全身の血を一滴残らず吸いつくしたくなっちゃって。」

「何を言って…」

すでに朱夏が放つ気配は冷たく禍々しさを感じさせ、彼女が人間ではない他の何かであることが仙一郎にははっきりと解ったが、そのことを信じたくなかった。彼が当惑していると朱夏はにたりと笑い、やにわに彼を掴んだまま信じられないような力で家屋の中へと引きずりこみ、畳の上に打ち倒す。

「痛っ!」

背中から叩き付けられうめき声を上げる仙一郎に朱夏は馬乗りになる。浴衣は着乱れ肩が露出し跨る両足から太ももが露出する。そして驚いたことに彼女の髪は漆黒色に変わり畳に広がるほど長く伸び、その髪が顔にも垂れて表情が分からないほどになっていた。薄暗い部屋の中、大きく左右に裂けた口から真っ赤な色をのぞかせ仙一郎を見下ろす。

「人を殺すのは本意じゃないんだけど君が悪いんだよ!あまりにも美味しそうな匂いを振りまくから…。だからお詫びに、楽しい思い出作りをしてあげたんだけどどうだったかな?」

「大変楽しかったです。今日はありがとうございました。」

「はは!この状況でその答え?やっぱり君面白いね!」

仙一郎は、ここのところ立て続けにこの手の騒動に巻き込まれていたせいか殺されるかもしれない状況だというのに自分でも驚くほど冷静だった。それどころか「またか」と呆れているほどだった。

「血を吸われるのは良いんですけど、さすがに死にたくはないので殺さない程度に吸うんじゃダメですかね?」

「そうしたいのは山々なんだけど一度吸い始めたら我を忘れてしまいそうだから無理かな?それほど君の血が魅力的ってことだけど…」

穏便に済みそうにない雰囲気に仙一郎は逃げる機会を探っては見たが馬乗りなる彼女は岩のように重く身動きがとれなかった。

「本当にごめんね…」

その言葉とは裏腹に朱夏から溢れ出る邪悪な気配はますます強烈になりそれに伴い長い髪がまるで生き物のようにうねうねと動き始める。それはまるで何匹もの蛇のように群れ波打ち仙一郎の身体を狙い這い寄って来る。髪の一部は彼の両手首に絡みつき抵抗出来ないように押さえつけた。彼は唇を噛みしめ精一杯もがくがまったく動けない。

朱夏の髪は鎌首をもたげ彼の鼻先数センチまで迫り、足掻く彼をしり目に蛇が噛みつく前に狙いを定めるかのごとくピタリと動きを止める。追い込まれ打つ手もない状況で仙一郎の脳裡には突然アルマの姿が浮かんだ。きちんと仲直りしなかったのが心残りだった。仲直り出来なかったとしても一言、ごめんと謝りたかったと悔いた。そんな彼の葛藤をあざ笑い弄ぶように静止したままでいた彼女の髪は突然、爆ぜるように彼めがけて襲いかかった。

仙一郎がもうダメだと目をつぶった次の瞬間、バチッと爆ぜるような音が響き閃光が走る。朱夏が背後に吹き飛び壁に打ち付けられ室内に轟音が響く。

拘束から解放された仙一郎が半身を起こすとズボンの前ポケットがボーっと明るく光っていた。ジーンズの分厚い布の上からでも分かる光を放ち、肌に熱さえ感じるさせるその原因は入れっぱなしになっていたアルマのドッグタグだった。

何の変哲もない金属のペンダントであるそれはアルマが肌身離さず身につけていた結果、彼女の強力な魔力を浴び続け図らずも魔除けの護符へと変化していた。それが仙一郎の危機に反応してその力を解き放ち朱夏の攻撃から彼を守る結果となったのだ。無論そんな理屈を仙一郎が知る由もなく、アルマが自分を守ったくれたとぼんやりと感じる程度だった。

やがてペンダントの光は消え去り、仙一郎は部屋の隅、壊れた壁にめり込んでピクリとも動かない朱夏を尻目に、よろけながらも立ち上がり部屋の外へと歩き出した。

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