沈んだ町
何か、夢を見ていた気がする。
全く訳の分からない奇声を上げた炎神が、何かのチカラで建物を崩壊させて瓦礫の波を作り上げた。そんな夢を。
僕と網走先輩は簡単に波に飲まれて、視界が真っ暗。
──ほら、視界が真っ暗だよ。全身痛いし、これ、もしかして、
「夢じゃなかった……」
鎧を装着しているお陰か、大したダメージは感じられず、瓦礫に隙間が出来ていて僕はそこにうつ伏せになってた。
鎧が頑丈で、何とか身体は助かった。そしてその鎧を纏っていた為、瓦礫で潰される事も無かったみたいだ。
命あり、手足が動くのを確認すると、自然と安堵の息が口を抜け出した。
瓦礫を押し上げて起き上がると、眼前には鉄の様にギラギラ光る朱の鎧に覆われた脹脛が現れた。
僕は優しくその上のコンクリートを持ち上げる。先輩が瞳を閉じて僕同様うつ伏せで転がっている。
「先輩、先輩大丈夫ですか! ダウンにはかなり早過ぎますよ! まだ全然戦闘経験無いですからね、先輩!」
「ん、よく寝たぁ」
「この状況でよく寝れますね先輩!」
「最近寝不足だったんだよねぇ」
「何で寝てないんですか!」
「ちょっとアダルトな漫画の読み過ぎかな」
「聞かなきゃよかった」
清純で、清潔で、穢れなき女神だと勝手に思い込んでいた先輩が、今やド天然な普通の女の子に見える。
正体がこんなものなのかも知れないけど、少しばかり幻滅してしまった。身勝手だとは思うんだけど。
服の埃を払う様に鎧の表面手で払う網走先輩を待っていると、地震が収まっている事に気がついた。
さっきの地震は間違いなく蜘蛛型炎神が狙って引き起こした災害だ。そういった能力を隠していたのかも知れない。
または隠してないけど、僕らが全く気がつかなかった。というところかな。
僕の手を取り立ち上がった先輩は、ここがどこなのか確認する為なのだろうか、キョロキョロ見回す。
残念だけど、その確認の仕方はオススメ出来ません。周囲瓦礫なんですよ、ほぼ。
最高五階程の建物が、僕の半分だから直径83センチメートルくらいの瓦礫に変化したんですよ。そして僕らはそれに容易く流し潰された訳です。
建物もここら一帯崩壊し、地獄絵図の印象が刻まれてる。
木などの障害物も幾つか減った為、見晴らしはまぁまぁ良いんだけど。
「ルカはどこかな……無事だといいけど」
心配で呟くと、先輩が背後から両手を肩に軽く乗せてきた。
あ、少し擽ったいです先輩。
「大丈夫だよ、きっと。強いんでしょ? ルカちゃんって」
「はい。でもその……」
今まで一度しか戦闘経験が無い上、ルカの真の実力は不明だ。確認出来てない。
一人で先輩に憑いた炎神と戦った時は押されてたし、本当に強いのかな。心配だよ。
現に、戦闘の地響きなども聞こえてこない。下手をしたらやられちゃってるのかも。
任せろと言って逃がしてくれた仲間に、こんな予想は失礼極まりないと分かってるけど、それでも不安で胸が満たされちゃってる。
もし、僕達が気がかりで上手く戦えないのなら、「無事だよ」って一言伝えたい。
今度は一緒に戦うと決意を固め、先輩と共に瓦礫を抜け出すため歩き出す。
足場悪過ぎでしょ瓦礫の大海原。
「それにしても、空が青いのに暗いね〜」
「そうですか? え? 青い?」
先輩の呟きに、僕は流す様にして直後敏感に反応した。
町の様子を窺ったところ、ただただ夜中にしか感じられない闇に覆われている。
今にも吸い込んで逃がさなそうな影に、少しばかり恐怖を感じた。僕はビビり過ぎかな。
そして、空を見上げると──先輩の言う通り青くて、海の様だった。
海が青いのは目の錯覚とも言えるんだけど、この空は本当に青い。淡くも鮮やかでもなく、飲み込む様な紺色。不気味な空だと正直慄いた。
空が青いのも、結局は錯覚なんだけどね。確か。
「違和感、すごい町ですね。まるで、海の底に沈んでるみたい」
「だね。木漏れ日が、水面を突き抜けて照らしてる陽射しみたいだよ」
そこまで会話をして、またまた違和感を覚えた。そしてそれを解くのにも時間がかからなかった。
空は青い。町は暗闇。だけど光が疎らに地面を照らしている。
キラキラと、ひらひらとも取れるその輝きは、太陽が無ければ得られないものの筈。そして、木漏れ日なんかじゃ絶対に無い。
木は崩れて、太陽は雲に覆われた青い空で隠れている。ある訳がない。
「木漏れ日じゃないですよね、これ。本当に海の底なんじゃないかな……」
海の底……なら、呼吸なんて不可能だ。僕らは空気を吸わなければ生きていけない。
だから海の底な訳がないんだ。
だとしても、空と地の煌めき、揺らめきが同時で完全に一致している。そうしたらもう、関係が無いなんて言い切れないと思うんだ。
あまりにも理解不能なことを口走ってるのは承知の上だ。でも先輩なら、今の状況に落ちてる二人なら、分かってくれる気がする。
「……確かにね。水の中にいる様な気分だよ。風も感じないし、視界からしてもね。炎神って、炎なのに水関係あるのかな」
予想、というか願い通り先輩は同意してくれた。ありがとうございます、先輩。
それと先輩には、僕と同じ疑問が浮かんでるのも分かった。
炎神は太陽のエネルギーが実体化した怪物。だとしたら、炎を消滅させる水とは相性が悪い筈だ。
もしここが本当に水の底で、僕達は何らかの加護によって息をしているんだとしても、炎神は消えるんじゃないかと考えたんだ。
瓦礫の海を抜けて、僕達は漸く異変に気がついた。というよりは、思い起こした。
「あの炎神の姿が見えない。勿論、ルカもなんだけど。あのサイズの炎神がさっきまで居た距離で確認出来ない筈がないですよね……!?」
焦る僕を見て、先輩は怪訝そうに顔しかめた。
「確かにね。ただでさえこの崩れたマンションが建っていたのは大した距離の無い場所だったし……そもそも、私達どれくらい埋まってたんだろう?」
「先輩がよく寝れたと思うのは、深い眠りに就けてどれくらいの時間ですか?」
「二時間前後かなぁ」
短いな。なんてツッコミは置いておいて、何にしてもかなりの時間が経った恐れがある。
ルカと炎神はどこか遠くで戦闘中なのかも知れない。僕らからなるべく離れてくれたんだと思う。
ルカが僕達を逃してくれたのは、多分だけど責任感からで、僕達は従った。
マンションが崩れたから炎神を連れて僕達と距離を取ったのかもだけど、それすらも気がつかなかった。
埋まって、直ぐに立ち上がったつもりだったんだけど。
音も聞こえない薄闇の中、僕と先輩は道路の中央で立ち竦んでいる。
突如、先輩が崩れよりも速く膝立ちした。
「先輩?」
「『SanKen town』──『沈んだ町』だね。マンホールに刻まれてるよ」
「え、あ……本当だ」
沈んだ町の、言葉の意味は理解出来ないけど、やっぱり僕達の想像は間違えてはなかったのかも知れない。
海の底に『沈んだ町』なら、こんな景色になるのも頷ける。
頷けるんだけど、疑問は更に増えることになる。
「それなら、一体誰がこのマンホールに書いたんだろう……」
ここが海の底なら、高確率で不可能だ。
シュノーケルなどを使用し、ダイビングを行ってもこの深さはキツい筈だ。その上文字を記すなんて、可能なのだろうか。
それと、空も雲に覆われてるってとこを考えると、水中ではないと推測出来る。
頭痛が響く程、訳の分からない話だと思う。
こんな状況で正常な脳が働く人って、どんな神経してるんだろう。悪い意味ではなくてさ。
亀裂だらけの、出来の悪い階段を駆け下りて行く。音もしないのに、ルカを求めて。
彷徨っているだけじゃ何も得られないのは理解してるんだけど、かと言って何も浮かばないからどうすることも出来ないんだ。
「あっちの方、私捜してみるよ。壁の向こうなんて、誰か居そうじゃない?」
「ですね。でも、僕も行きますよ。先輩は炎神との戦闘経験がまだまだ足りな過ぎてます。単独は避けた方が」
「そっかそっか。じゃあ、一緒に行こっ。夢奏君」
「はい」
未熟な事をそこそこ近道で伝えたつもりなんだけど、より一層元気になった先輩。何? どゆこと?
それに先輩を未熟という以前に、僕がゴミレベルに未熟だからね。ちゃんと分かってる? 僕。
緊張は保ちつつも、何故か恐れてる様には見えない網走先輩は、僕の前を征く。
後方で後方を警戒したり、左右を頻繁に確認する僕の方が怯えてる。
僕がビビり過ぎなのか、はたまた先輩の肝が座り過ぎなのだろうか。分からない。
先輩と行く道は一方通行だった。勿論先が無い。
ここに追い詰められたら絶体絶命だろうなぁなんて、腕を組んでから空を見上げた。
鎧のまま腕組みって、かなり厳しいなとか考えて茫然としてると、視界が朱色に染まった。
「危ないっ!!」
「ごはぁっ!?」
脇腹に嚙まされる強烈なタックルに吐き気が駆け巡った。痛過ぎる。鎧着てるのに。
僕にタックルを喰らわせた先輩をちらりと横目に見ると、片膝を立てて壁のあった方向を睨みつけていた。
その右手には、西洋の騎士が用いていた様な大剣が蒸気を上げて構えられている。
状況は、直ぐに把握が出来た。
「蜘蛛の炎神! ルカはどこに……先輩危ないです退がって!」
「夢奏君も一度退こう! ルカちゃんと合流しなきゃ!」
立ち上がって先輩の前に立つと、腕を強く引かれて後退した。半ば引き摺られる様に。
先輩、腕力アップしてること忘れないで。腕痛いから。千切れちゃうから!
「流れろ……」
「また、また何かやる気です先輩!」
「分かってる、早く逃げよう!」
「今、炎神突っ立ったままなんですよ。先輩が腕を放してくれれば、お互いもっと速度出せると思うんです!」
僕は走ってさえいないんだけれどもね。
「そっか、なら放すよ。いい?」
「いいですから早くー!」
気圧される様に僕の腕を解放した先輩は、肉食動物並みの速度で駆けて行った。
地面に叩き落とされた僕は、惚けたまま先輩を見送る。
僕は、流石にそんな速度出せませんね。はい。先輩またね。
「さてと……」
震える腕をコンクリートに叩きつけ、膝に手を押し当てて立ち上がる。
先程までどこに消えていたのか不明な大剣が僕の眼前に浮かぶ様に現れた。それを勿論、装備する。
こちらを窺う様に首を傾げる炎の蜘蛛を見据え、今度は太腿を叩く。震え過ぎビビり過ぎ。
先輩は後から迎えに行く。ルカを捜しつつ炎神と戦おうと思ったけど、余裕無いので先輩に見つけてもらえればベスト。
建物に挟まれたこの路地……ではなく、土だけの道。ここでなら避けながら戦える筈だ。
あとは覚悟さえ完了したら、戦闘開始だ。
犬死にだけは全力で避けようと心掛けます。
「一つ、気になってることがあるんだよ、炎神」
僕が放った質問に、更に首を傾ける炎神。
気になったことは色々、あるんだけど。特に疑問なのは、お前の正体なんだよ。
「乗っ取った筈の人は、どこに置いてきた?」
炎神は人間の身体を乗っ取り、内側から精神ごと破壊して殺害する。
前回の炎神もなんだけど、その人間から炎が噴出されて炎神が出現する筈。その時乗っ取られた人は体内に残されてたんだ。
だから幾ら本体が露わになっても蜘蛛の形は不可能だと思うんだよ。
その形状なら、人間はどんな取り込まれ方をしているのか、恐怖だ。折り込まれているのか、もう消滅させられてしまったのか。
暫く睨み合っていると、炎神が全ての脚を振動させ始めた。僕は「来る」と低く構える。
「まずは──」
炎神の左右八本の脚を警戒していた僕に、想定外の攻撃が襲いかかって来た。
数十秒前に炎神が声をあげた、『流れろ』の効果だと思われる。
「階段の亀裂が拡がって、これだとまずい!」
「流れろおおおおお」
大地を揺らす悍ましい雄叫びに怯まないよう血を強く踏み鳴らし、今にも崩れそうな階段を駆け上がって行く。
案の定、炎神は戦闘態勢に入った僕を追って階段を破壊しながら上って来る──けど、それが僕の狙いだった。
振動で脆くなった階段は、炎神の脚が更に欠壊させ崩れ去った。ボロッボロの階段、もう使えないね。
勿論体重をかけてるから、炎神もそれに巻き込まれて仰向け状態になる。
すかさず両手で大剣を構え、軽く崩壊した階段を飛び降りた。剣先は、炎神の腹部を豪快に搔っ捌く。
「はあああああああ……!!」
「ゔおおおおおお」
鼓膜を引き裂き、脳を揺らす炎神の絶叫に屈すること無く全力で剣を左右往復させる。
本来、生物を裂いたならば血飛沫が上がるものだと想像してるんだけど、炎神からは何も上がらない。血も、炎自体も。
それどころか炎が傷口を治癒していく。え、待って分かりにくいこの傷口。
裂いても裂いても叫んでるだけで効いてないよね、コイツ。
炎に触れても熱くないことに驚愕しそうなんだけど、目がチカチカするのは変わらない。
てか、本当に目がチカチカし始めてるんだけど──のう揺れ過ぎたか。
脳震盪に揺られ、一瞬気を失いかけてはっとしたら脚の一本に飛ばされた。脚がふらついて上手く立てない。
「ああ、ああ〜」
「な、何だよ。弱いって言いたいの? 弱いって言いたいのかよ……!」
「おお」
「何なんだよもうっ」
苛立ちを追い越した呆れに支配され、血を叩き油断したら、視界がまた朱色の揺らめきに染まった。
巨体の炎神が覆い被さって来る恐怖、ご理解いただけるだろうか。飛び上ってる敵に潰されそうだ。
絶体絶命。そんな言葉と後方の壁がシンクロした様に思えた。
そんな言葉考えてフラグなんて立てるべきじゃなかった。
どうなるどうなる……