三、 目標
1
夜の帳が街に降りた頃、霧子は車で劇場を後にした。それに引かれるように一台の車が走り出した。
ボルボはぴったりとソアラの後ろをついていくが、霧子はそのことに気付かないのか、ソアラを目的のホテルへ走らせた。
日本でも一・二を争う高級ホテルに着いたソアラは、そのまま地下の駐車場に入り、所定の位置に停まった。
ソアラから降りた霧子は、まっすぐエレベーターホールへと歩いて行き、上の階へと登っていった。
それをボルボに乗った牙堂が遠目で見つめている。
「このホテルに泊まっているのか?」
「いえ、ここにはカティナが宿泊しているはずです。」
運転席の男が答えた。
「カティナか…」
牙堂が思案顔になった。
三十分もすると霧子が戻ってきた。何事もなかったようにソアラに乗ると駐車場から表に出た。
ボルボもその後を追う。
追いながら牙堂が車の中で印を結んだ。
聞こえるか聞こえないかの小声で呪文を唱える。
妖気が牙堂の体から湧き上り、ボルボの屋根をすり抜け上空へ立ち上っていった。
ソアラを運転する霧子は何も知らない。ただ、後ろから誰かが追跡していることには気づいていた。
「さて、どこで仕掛けてくるのかしら。」
まるでアトラクションを楽しむように霧子の口に笑みが浮かんだ。
しばらく走っていると目の前に霧がかかっているのに気付いた。
「急になに?」
霧は濃くなる一方で十メートル先も見通せないほどになった。
ブレーキを踏み、路肩にソアラを停めた霧子は成り行きを見守った。
「仕掛けてきたってこと?」
霧子の全身に警戒心が充満する。
すると霧の向こうに人影が見えてきた。
しかも、三人だ。
その手には光る物を持っている。
霧子の体に殺気が忍び寄ってきた。
ドアに手をかけるのと人影が消えるのが同時だった。
ソアラから飛び出した後、その屋根に三つの人影が飛び乗り、持っていた光る物でその屋根を貫いた。
運転席に6本の剣先が交差する。
ソアラから飛び出した霧子は腰に手を当てた。しかし、いつものところに銃がない。
(チッ、ホテルにおいて来たんだった。)
そのとき、はじめて日本に来たことを恨めしく思った。
屋根に乗った三人の男が霧子を見た。
皆、同じ顔をしている。
この間、警察署で出会った怪人物と同じ顔だ。しかも、同様の諸刃の剣を両手に握っている。
「なんの余興?」
軽口を無視するように男たちが一斉に飛びかかった。
6本の剣先がみな霧子に襲いかかる。
とっさにバク転をしながら6本の剣先を躱すと、銃の代わりに背中の特殊警棒を手に取り、それを伸ばした。
三人が続けざまに襲い掛かってきた。
上から振り下ろされてくる剣を特殊警棒でがっちり受け止め、左右から迫る切っ先を後ろに飛びながら紙一重で躱す。
続けざまに下から二本の剣が突き上げてくる。
それを身を低くしてかいくぐると、地面を転がりながら三人の後ろに移動した。
立ち上がると、すぐさま真ん中の男に特殊警棒を振り下ろす。
真ん中の男がすぐに反応して剣と警棒が宙で火花を散らす。
跳ね返った警棒を勢いのまま左の男の剣を弾き、右から迫る男の胸には横蹴りを食らわせた。
思いがけない反撃に三人の動きが止まった。しかし、まだ余裕をもった笑みを三人ともが浮かべている。
霧子は特殊警棒を真横に構え、三人を睨み付けた。
三人が霧子に向って駆け出してきた。
剣を繰り出すスピードが前より早くなっている。しかし、霧子の警棒と体捌きはそれにも対応した。
警棒と剣がぶつかり合う金属音が霧の中に響く。
三人が霧子を囲んだ。
一斉に三方から剣が突きだされた。
霧子は身体を沈めて剣先を躱すと、一人の両足を警棒でおもいっきり打った。
骨の折れる鈍い音とともにその男が地面に倒れた。その上を身を低くしながら霧子は乗り越えていく。
逃すまいと残り二人が後を追った。
背中に2本の剣が振り下ろされる。
霧子の体が横に飛んだ。
2本の剣が地面に突き刺さり、男たちのバランスが崩れた。
地面を滑りながら霧子の左親指が何かを弾いた。
それは加速度的に速さを増して飛び、男のこめかみにめり込んで反対から飛び出した。
鮮血をまき散らしながら男が横に倒れる。
もう一人の男は何が起こったかわからないという顔で霧子を見た時、その額に穴が開いた。
大の字にひっくり返った男の様子をしばらく見たあと、霧子は足を折られた男に視線を移した。なんとかその場を逃げようと地面を這っている。そんな男の姿を見て、霧子はゆっくりと歩み寄った。
そのとき、霧が一層濃く辺りを覆った。
這っている男の姿も霧は覆い隠した。
(これは!)
奇妙な現象に霧子は戸惑った。
数秒後、霧は急に晴れ、周囲の視界が蘇えった。
見ると這っていた男の姿がなく、霧子に倒された男たちの姿もなかった。
ただ、烏の死骸が二つ、歩道に転がっているだけだった。
霧子が呆然と立ち尽くしているところから数百メートルほど離れた場所に牙堂のボルボが停まっていた。
そのボルボに一羽の烏が近づき、ボルボのボンネットの上に止まった。
足をけがしているようで羽をばたつかせ、助けを求めるようにしきりに鳴いている。それを見た牙堂はボルボから降り、烏に近づくといきなりその首を掴んだ。
烏はもがき、懇願するようにしきりに鳴くが、委細構わず牙堂は首を掴んだ手に力をいれた。
“ボキッ”という鈍い音ともに烏はぐったりとして動かなくなった。
それを確認すると牙堂は手を離し、道路に落ちた烏に目もくれず、ボルボに乗り込んだ。
「役立たずが」
吐き捨てるような一言に運転席の男は身を固くした。
「車を出せ。あの女の宿泊場所をつきとめるんだ。」
牙堂の命令に運転手はギアをいれ、アクセルを踏んだ。
2
その同じ頃。
剣持は新宿にある新しいとは言えない雑居ビルを見上げ、ビルの名前を確認していた。
霧子が指定したスナックがあるビルだ。
中に入ると右手にエレベーターが見える。
剣持はそのエレベーターの傍らにある階段を地下へと降りていった。
降りると廊下がまっすぐ伸びており、その両脇にスナックの扉が並んでいた。そのひとつに目指すスナックのプレートがあった。
“ジョーカー”
剣持はその扉に手をかけると躊躇することなく引いた。
カウベルの音が鳴り、中からいま流行の歌が流れてきた。
「いらっしゃいませ。」
少し鼻にかかった声でママらしき人物が応対にでる。歳は重ねているが魅力的な女性だ。
「はじめてですか?」
「あ、ああ、いいかね?」
「どうぞ、どうぞ。」
女性は満面の笑顔を見せて、剣持を中に招き入れた。
中はカウンターとテーブルが三脚ほどだが、思ったほど狭くは感じない。
剣持はカウンターに座ると水割りを注文した。
ママ以外は客もホステスもいないようだ。
店の中を観察しているとママが水割りとお通しをだした。
「お客さん、なんか悩みがあるんじゃあない?」
突然、そう言われて剣持は戸惑った。
「そう見えるかね。」
「ええ、眉間のしわが特に。」
苦笑しながら剣持は水割りに口をつけた。
「ママは占いもやるの?」
「私はしないけど、表に占い師がいるわ。」
そう言って、ママの視線が扉の方に向いた。
「表?」
つられて剣持も扉の方を見た。
「占ってもらったら。その後、またここに来てくれたらいいから。」
「いや、でも。」
「だまされたと思って。」
ママが半ば強引に促すため、剣持は苦笑しながら表に出た。
周りを見ると、突き当りに占いの看板が出ている。
「メアリの部屋?」
看板の文字を読んだ剣持は躊躇しながらもドアを開けてみた。
狭い待合室があり、その奥を黒いカーテンで仕切ってある。
最低限の照明しかないせいで薄暗い。
「どうぞ、お入りなさい。」
カーテンの奥から声がかかった。
剣持は少し緊張しながらカーテンをめくった。
中はさらに薄暗く、真ん中に丸いテーブルがあり、そのうえにランプがひとつ、灯りを点していた。
「カーテンを閉めて、その椅子にお坐りなさい。」
闇から声がして、剣持はドキリとした。
見るとテーブルの奥にやはり黒いマントを頭からかぶった人物が座っていた。
言われるまま剣持が椅子に座ると、その人物はランプのか細い灯りの中にその顔を映し出した。
濃いアイシャドウと真っ赤な唇、青い眼が印象的な美女だ。
剣持はどこかで見たことがあると思った。
「なにを占ってほしいのですか?」
流暢な日本語で語りかけてきた。
「なにをといっても…」
占ってもらう気もなかった剣持は悩んだ。
「なら、私が勝手に占ってあげましょう。」
占い師はテーブルの上にトランプを広げ、それを両手で混ぜ合わせはじめた。しばらく混ぜ合わせたあと、その中から一枚を取り出し、剣持の前に差し出した。
スペードのクイーンである。
「彼女から伝言があるようです。」
カードを指差し、剣持に微笑んだ。
「スペードのクイーンから?」
そのカードを見て、剣持の中に閃くものがあった。
「あなたがミス霧子の連絡係ですか?」
占い師は静かにうなずいた。
「で、なんと?」
「えにしの会とオフィス・ワンの関係を調べてほしいと。」
「えにしの会?」
「それとムツ・メディカルセンターのことも。」
剣持は口の中で呟くように復唱するとあらためて占い師を見た。
「結果はあなたに報告すればよろしいのか?」
占い師は再び静かにうなずいた。
「わかりました。急いで調べてここに報告にきましょう。」
椅子から立ち上がった剣持は急いで部屋から出ていった。
表に出るとまた“ジョーカー”の扉を開けた。
カウベルの音にママが出迎えた。
「いかがでした。占いのほうは?」
「なかなかだったよ。」
「そう、一杯飲んでいく?」
「いや、このまま帰ります。お勘定を。」
「今日はサービス。次は飲んでいって。」
意味ありげな笑みを浮かべてママは剣持を送り出した。
剣持は不思議な気持ちをいだきながらビルを出ていった。
3
そんなやりとりがあった頃、霧子はソアラを自分の泊まるホテルに向けていた。その後ろには例のボルボがぴったりとついている。
後ろのボルボを気にせず、ソアラはホテルの玄関についた。ドアボーイに何か言うとそのままホテルに入っていき、ソアラはドアボーイが乗って駐車場に向った。
その様子をボルボの中の牙堂はホテルの外からじっと見つめていた。
「あのホテルか。」
牙堂の口元に邪悪な笑みが浮かんだ。
「ここで待ってろ。」
そう運転手に言い残すと、牙堂は車を降りた。
堂々とホテルに入ると、エントランスを横切ってまっすぐフロントに向った。カウンターには黒服を着たフロント係がひとり立っていた。
「あ、君」
牙堂はフロント係に気さくに声をかけた。
「いらっしゃいませ。ご予約でしょうか?」
ホテルマン特有の笑顔を見せたフロント係の目を牙堂はじっと見つめた。 牙堂に見つめられたフロント係は、なにかに魅入られたようにその笑顔を失い、焦点の合っていない瞳を牙堂に見せながら棒のように立ちすくんだ。
「いま、ここに女性がきたな。」
「ハイ」
覇気のない返答が返ってきた。
「その女性のルームナンバーは?」
「6階の605号室です。」
フロント係は尋ねられるまま素直に教えた。
「ありがとうよ。」
牙堂はそう言い残してエレベーターホールへ向かった。
牙堂が立ち去ったあと、フロント係は正気にもどり、記憶が途切れたことを不審に思いながら、つぎ来た客にまたホテルマン特有の笑顔を向けた。
エレベーターで6階に上がった牙堂は、まっすぐ教えられた部屋へ向かった。
ここに例の女がいるはずだ。
ドアノブに手をかける。
当然、鍵がかかっていた。
牙堂は懐から一本の針金を取り出し、それを鍵穴に差し込んだ。そして、つぶやくように呪文を唱えると、針金はひとりで動き出し、中でカチャカチャと音を立てはじめた。やがて、音が鳴りやむと牙堂は針金を静かに廻した。
カチッという音ともにドアの鍵が開いた。
牙堂は音をたてないようにドアを静かに開け、中を伺った。
部屋は真っ暗で物音ひとつしない。
人の気配もなかった。
「しまった、逃げたか!?」
牙堂はドアを閉めると左右を見た。
廊下の突き当たりに非常口が見える。
「あそこか!」
駆け出した牙堂はまっすぐ非常口に向い、そのドアを開けた。
非常階段があり、その下は闇に包まれていた。
等間隔で立つ街灯が一部に明かりを落としていたが、霧子の姿は見えない。
「気づいていたのか。」
悔しさを満面に浮かべた牙堂は、乱暴にドアを閉めると歯ぎしりをしながらエレベーターに向った。
牙堂が去って数分後、霧子の泊まっている部屋の隣の部屋のドアが少し開いた。その隙間から顔をのぞかせたのは逃げたはずの霧子であった。
霧子は辺りの気配を探り、牙堂が立ち去ったことを確かめると、その部屋から廊下に抜け出し、そのまま非常口に駆け寄ってドアを開けた。
夜の空気が霧子の頬をなでる中、霧子は非常階段を駆け下りていった。
ホテルを抜け表通りに出ると、すぐにタクシーを止め、新宿のとある場所にいくよう指図した。
十数分後、タクシーは新宿にある古い雑居ビルの前に停まった。
剣持が先ほどまで来ていた例の雑居ビルである。
エレベーターの脇にある階段を地下へと降りていくと、迷うことなく“ジョーカー”のプレートがかかっているドアを開けた。やはり中には一人の客もなく、例のママがカウンターにひとり立っていた。
「いらっしゃい。」
あいかわらず鼻にかかった声と笑顔で霧子を出迎えた。
「こんばんは。」
霧子も笑顔を向けてカウンターの一番端に座った。
「なに、飲む?」
「コーラちょうだい。」
ママがコーラの用意をしていると奥の厨房から一人の女性が出てきた。
金髪に碧眼、真っ赤なルージュを引いた口元に小さなほくろがある。この小さなスナックには不相応なくらいのブロンド美人であった。しかも、ポップシンガーのカティナに瓜二つだ。
「キリコ、ひさしぶり。」
流暢な日本語で語りかける彼女は、ママからコーラの入ったグラスを受け取ると霧子の前にそっと置いた。
「彼は来た?マリア。」
マリアと呼ばれた女性は微笑みながらスナック菓子も出した。
「ええ、来たわよ。キリコ好みのいい男じゃあない。」
両肘をつき霧子を見つめるマリアの笑顔がいたずらっぽくなった。
「からかわないでくれる。それで伝えてくれた?」
「ええ、調べてまた来るって。」
「そう、それはよかった。」
霧子はグラスに一口つけた。マリアもママから気泡の弾ける黄金色のグラスを受け取った。
「シャンパン?」
「ジンジャーエールよ。」
そう言って乾杯のしぐさを見せると、マリアもグラスに口をつけた。
「で、まだ続けるの?」
「面白くなってきたしね。さっき、命も狙われたわ。」
「ちょっと、あぶないんじゃあない?」
「私が核心に迫ってるってことよ。」
また、コーラに口をつけた。
「あまり、熱くならないでよ。私たちの目的は別なところにあるんだから。」
「わかってるわ。彼らを信用させるためにしていることよ。本来の目的は忘れてないわ。」
「だといいけど。」
マリアはため息をつきながらグラスを傾けた。
「ところで今夜泊めてくれる?」
「え?」
「命を狙われたって言ったでしょ。あのホテルには帰れないわ。」
「しょうがないわね。ベットはひとつだからソファよ。」
「いっしょに寝てもいいわよ。」
今度は霧子がいたずらっぽく笑った。
「遠慮しておくわ。」
マリアも同じように笑顔で返した。
4
剣持が“メアリの部屋”で伝言を受け取ってから五日が過ぎた。
特捜局の屋敷の中、局長の部屋に小田切がやってきた。
「調べはついたか?」
「はい。これです。」
小田切は持ってきた資料を剣持の机の上に並べた。それを取り上げて剣持は真剣な表情で中身を読み始めた。
「えにしの会というのは5年前に発足。その教義と教祖のカリスマ性で急速に伸びてきました。各都道府県に支部があるようで、3年前、休眠の宗教法人を買い取って法人格を得ています。」
「新興宗教というわけだ。教祖は?」
「篠神左京という少女です。」
「少女?」
剣持は小田切の返答に意外な顔をした。
「ええ、十八歳の少女です。」
「お飾りか?」
「そういうわけでもなさそうです。信者の悩みに適切なアドバイスをしたり、これから起きること予知して指針を与えたり、とにかく、人心をつかんで信者を増やしているんですよ。」
「よくあるエセ預言者じゃあないのか?または信者の弱みにつけ込んで高額な壺とかお守りとか売りつけるとか。」
剣持はあくまでも懐疑的だ。
「確かにお守りやお札を売っていますが、ことさら高額でもないですし、信者から寄付を無理やり募るようなことも無いようなんですよ。」
小田切は弁護するような口ぶりである。それを聞いても剣持の疑いは晴れない。
「収入元は?」
「寄付なんですがね、企業の社長や町の有力者、資産家、政治家にいたるまで協力という形でえにしの会に肩入れをしているんです。会館の建設とかモニュメントの設置とか、日本のあちこちでやっているんですよ。あ、あと学校や私塾の運営にもかかわっているようです。」
「学校の運営?」
その言葉が剣持の心がひっかかった。
「オフィス・ワンのことは?」
剣持はもうひとつの懸案を小田切に尋ねた。
「オフィス・ワンはけっこう古くからある芸能事務所です。ただ、以前は鳴かず飛ばずで、破産寸前までいっていたそうです。」
「それがいまは大手か。」
「3年前にアリエス4がデビューしてからですね。急速に伸びてきたのは。その後、乙女座クラブなどの妹分的なアイドルグループをデビューさせて、今じゃ大手芸能プロダクションですよ。」
小田切の説明に剣持の眉間にしわがよってきた。
「えにしの会とのかかわりは?」
「表面的なつながりはありません。ただグループの少女たちにえにしの会の信者がいるという話があります。」
「信者?」
小田切の意外な言葉に剣持も怪訝な顔つきをした。
「全部が全部というわけではないようですが。」
小田切のこまった顔つきに剣持は顎に手を当てながら考え込んだ。
「ムツ・メディカルセンターのことは調べてみたか?」
「あ、はい。ムツ・メディカルセンターは民間の検査機関で主に健康診断や各種の医療検査を請け負っている財団法人です。」
「よくある予防医学機関ということか?」
「設立は8年前です。国の認可もきちんと得ていますし、財団法人としても特に問題は見当たりません。ただ、」
「ただ?」
「理事の中に気になる人物が。」
「だれだ?」
「榛名市郎いう人物なんですが。」
「榛名市郎?どこかで聞いたことがあるな。」
「アルフィスエンタープライズの役員だった男です。」
「アルフィスエンタープライス!?」
剣持の目が吊り上った。同時に3年前の出来事が走馬灯のように蘇ってきた。
「アルフィスエンタープライズの役員がなぜ?」
「経緯はわかりません。ご存知のとおりアルフィスエンタープライズは3年前の事件で摘発され、その後倒産しました。関係者はバラバラになり、足取りは不明です。なにかの伝手で潜り込んだのかもしれません。」
「財団法人だとアルフィスエンタープライズからも資金が出ていたかもしれないな。」
「その辺はよくわかりません。」
小田切はまた困ったような顔をした。
「ムツ・メディカルセンターとオフィス・ワンの金の流れをできるだけ探ってくれ。」
「わかりました。」
小田切が資料を持って立ち上がったとき、一枚の写真が机の上に落ちた。
「これは?」
剣持はその写真を取り上げ、なにげなく見た。
黒髪の美少女が写っている。
「それがえにしの会の篠神左京です。」
小田切が答えると剣持はその写真をじっと見つめた。
(奈美に似ている)
剣持の脳裏に奈美の姿が浮かび上がった。
「それからこれがアリエス4です。」
小田切が別の写真を出した。
色とりどりの髪の毛にエキゾチックな衣装を着た4人の少女が写っている。剣持には別世界の人間かと思える少女たちだ。その中で剣持の目に留まった少女がいた。
中央で歌っている金髪の少女だ。
「この少女は?」
「あ、この娘はリーダーのサキです。」
「サキ?」
「魅惑的な美少女でしょ。しかも、歌が抜群にうまいんですよ。」
小田切のミーハーぶりに剣持はため息をついたが、気になったのはサキと呼ばれた少女も奈美になんとなく似ていることだった。さきほどの左京も似ていた。もしや、このふたりは同一人物ではないかと思ったのだ。
「小田切君、このふたり似ていると思わないかい?」
「え、そうですか?」
小田切は小首を傾げながら二つの写真を見比べていた。
剣持は再度ため息をついた。
「オフィス・ワンとムツ・メディカルセンターの件、よろしくたのむ。」
「はい」
小田切は資料をまとめると小脇にかかえて部屋を出ていった。
5
「信者!?」
薄暗い個室の中で翔は叫んだ。
「声が大きい。」
霧子は唇に人差し指をつけると、翔を睨んだ。
「乙女座クラブの女の子たちがえにしの会の信者だというの?」
「すべてというわけじゃあないけどね。」
霧子の言葉に少なからず衝撃を受けた翔は考え込んだ。その様子を見ながら霧子は昨日のことを思い返していた。
剣持は小田切からの情報を伝えるため、「メアリの部屋」の占い師の元へ再度訪ねた。
剣持の報告を聞きながらマリアはじっと剣持の顔を見つめていた。そして同時刻、遠く離れたホテルの一室でカティナも同じように剣持の顔を見つめていた。
マリアの目を通して。
その傍らに座っている霧子はカティナの肩に左手を置いて静かに目を閉じている。
『えにしの会とオフィス・ワンとの繋がりはどうやら教団と信者の関係のようだ。』
遠く離れているはずの剣持の声が霧子の頭の中に流れてくる。
『えにしの会の信者がオフィス・ワンにスカウトされてアイドルになったのか、オフィス・ワンに所属していたアイドルたちが後にえにしの会の信者になったのかはわからない。その両方かもしれない。』
(えにしの会とオフィス・ワンの間には直接的な繋がりがあるのですか?)
霧子が頭で考えたことが、マリアの口を通じて剣持に伝えられた。もちろん、剣持はマリアとカティナ、霧子が精神感応を通じて繋がっていることは知らない。あくまでもマリアと一対一で対話していると思っている。
『直接的な繋がりは見つからない。オフィス・ワンがえにしの会に寄付をしているとか、会のためにイベントを開くとかも無いようだ。』
(えにしの会が事務所を援助しているということは?)
『表面的には無い。』
剣持のその言い回しに霧子が反応した。
(別な形ではあるということですか?)
『その可能性は否定できない。』
「え、どういうこと?」
カティナが興味津々で霧子に尋ねた。
「別な会社とか団体とかを間において直接的な関係を避けているって話よ。」
カティナがふーんと言ってうなずいたが、霧子にはどこまで理解できたか疑問に思えた。そんなカティナをほっておいて霧子は再びマリアを通して剣持に語り始めた。
(ムツ・メディカルセンターのことは?)
『ムツ・メディカルセンターは国の承認を得た確かな検査機関だ。様々なところから健康診断の依頼を受けている。』
(オフィス・ワンもそのひとつ?)
『そう。そして、えにしの会もここで健康診断を受けている。』
剣持からの回答に霧子のなかでえにしの会、オフィス・ワン、ムツ・メディカルセンターの三つがつながった。この三社がつるんで何かをやっている。霧子の勘がそう教えていた。
「いま、金の流れからこれらの関係を探っている。そちらでは何かつかめたのだろうか?」
剣持の問いにマリアは難しい顔をした。
「まだ、つかめてはないようです。」
(直接、ムツ・メディカルセンターへ乗り込もうと思っています。)
霧子の言葉をマリアの口から聞かされた剣持は驚いた顔をした。そして、懸念の表情も見せた。
「あまりに危険ではないのか?相手の正体もわからないままだ。」
「彼女ならなんとかするでしょう。ご懸念は無用です。」
マリアは笑顔で答えた。しかし、剣持の心配は解消されなかった。
「他にはなにかありますか?」
その言葉に剣持の心の中で躊躇した言葉があった。マリアはそれを敏感に感じ取った。
「特にはないです。」
剣持はあえて無表情を見せた。
「わかりました。以上で終わりです。またいらっしゃってください。」
マリアは占い師とお客の装いをして剣持を送り出した。
部屋から出た剣持は心配そうな顔で振り返った後、ひとつため息をつくと廊下を出口へと歩いて行った。
剣持が出て行ったあと、霧子がマリアに語りかけてきた。
「ごくろうさま。いつもありがとう。マリア」
『どういたしまして。』
「キリコ、私は?」
カティナが不満そうな顔をした。
「カティナもありがとう。」
霧子はおまけのような笑顔でカティナにもお礼をいった。
『でも、キリコ。彼も言ったように危険じゃあない?』
「私もマリアに賛成。あとは彼らにまかせたら。」
カティナが心配そうな顔をして霧子の顔をのぞいた。
「ここまできたら手をひくわけにはいかないわ。」
「キリコの悪い癖がでたわね。」
カティナとマリアが同じようにため息をついた。
「三日後にはコンサートでしょう。その機会にメディカルセンターへ潜入しようと思っている。」
「くれぐれも用心してね。」
「ありがとう。カティナもコンサート、がんばってね。」
霧子がカティナにウインクするとカティナもVサインを霧子に送った。
『ところでキリコ、彼が興味深いキーワードを思い浮かべていたわ。』
「興味深いこと?」
『去り際なんだけど、頭の中で過ったこと。』
「なに、じらさないで教えて。」
『[アルフィス][左京][サキ]そして[奈美]、ね、興味深いでしょ。』
マリアの口元に笑みが浮かんだ。
「そうね。とっても。」
霧子の口元にも同じ笑みが浮かんだ。
「教団と信者か…、興味深いわね。」
翔がポツリと言ったその言葉に先日のことを思い出したのか、霧子はまた同じような笑みを浮かべた。しかし、翔はそのことに気付かず、難しい顔をしたまま腕を組み、床をじっと見つめていた。
「少しはお役に立てたかしら。」
覗き込むように翔の顔を見た霧子に、翔が笑顔で答えた。
「有意義な情報、ありがとう。私の方でも多少つかんだ情報があるの。」
「へえ」
霧子は興味深げな顔をした。
「このあいだ見せてくれた写真のおじさんだけど。この間、見かけたのよ。」
その言葉に霧子の目が大きく開いた。
「見かけた?どこで?」
「社長の車の中よ。遠目だったけど、まちがいないわ。」
「それでその車、どこに行ったの?」
霧子が鼻先まで顔を近づけてきた。
「ムツ・メディカルセンターよ。あとでスタッフの上司に聞いたの。」
霧子の勢いにたじろぎながら答えた翔の言葉に、今度は霧子が難しい顔をした。
「霧子さん?」
翔の呼びかけに霧子の口元に笑みが浮かんだ。
「ありがとう。」
そう言って個室のドアに手をかけたとき、霧子が思い出したように翔に顔を向けた。そしてポケットからあるものを取り出し、翔に手渡した。
「あげるわ。」
「これは?」
手渡されたのは黒いチップのようなものであった。
「盗聴器よ。」
「へえ、これが。」
翔はもの珍しそうにそれを眺めた
「あと、これが受信機。」
携帯電話のようなものも手渡された。
「何かに使って。」
「ありがとう。」
「そうそう、それからここには不思議な力を持ったやつがいるから気をつけて。」
「不思議な力?」
「ええ、たとえば烏を操るとか。」
「烏を…?」
そう言い残すと霧子は個室から出ていった。一人残った翔は霧子の言った言葉をいつまでも気にしていた。
霧子が個室から出た後しばらくして翔も同じ個室から廊下に出た。
それを廊下の角から見つめる男がいた。
長い黒髪を後ろで束ねた長身の男だ。
サキが夜叉丸と呼んでいた男である。
夜叉丸は二人が出ていくのを見届けると、廊下の角から歩み出て二人の入っていたトイレに入っていった。
女性用であることも意に介さず、夜叉丸はその中を鋭い目つきで見渡した。
「ふむ、思念の残留を感じるな。だれかが方術を用いたか?」
そう言って夜叉丸は二人が入っていた個室のドアに近寄り、そのドアに手を当てた。
「ここだな。たぶん、穏行の法か…」
そうつぶやくと夜叉丸は厳しい顔つきのまま、そこから出ようとした。そのとき、表から女性が入ってきた。
夜叉丸を見て、女性は悲鳴をあげそうになった。
「失礼」
夜叉丸の大きな手の平が女性の顔の前にかざされた。その行為に女性が息を飲んだ次の瞬間、夜叉丸の手が除けられ、その後ろにいるはずのその大きな姿が消えた。
女性は夢でも見たのかという顔つきで立ちつくしていた。
いつの間にか夜叉丸は廊下に出ていた。
「さて、伊達という女の他にもうひとり女がいたとは。仲間か?」
夜叉丸は早足で廊下を突っ切り、階段を下りると地下の警備室に向った。
突然、入ってきた夜叉丸の姿に警備員たちは一様に驚いた。
「いかがなさいました?夜叉丸様。」
警備室に緊張感が走る。
「ここ十日ほどの監視カメラの記録を見せてくれ。」
「え、かなりの量ですよ。」
警備員が目を見張った。
「かまわん。最高速度で再生してくれ。」
「ひとつひとつですか?」
「ここにあるモニター全部一斉にだ。」
警備員が再度目を見張った。
「早くしろ。」
夜叉丸に急かされて、警備員は急いで機械の操作をはじめ、前面にあるモニター十台が一斉に再生画像を映し出した。
すさまじい速さで画面の人間が動いていく。それを夜叉丸は微動だにせず、じっと見つめた。
「止めろ!」
突然の命令に警備員は急いで再生を停止させた。
「あの画面を巻き戻してくれ。」
指差した画面は社長室前の監視カメラの画面だ。警備員はスイッチを押して、巻き戻しをする。
「よし、止めて再生してくれ。今度は通常のスピードだ。」
いわれるまま警備員は機械の操作をした。そこには、以前牙堂が見た社長室前のカメラが映しだした不思議な画像が再生されていた。
「この画像の別の角度のものはないか?」
「他にあるのはエレベーターホールを監視しているカメラの画像だけです。」
「それを見せてくれ。さきほどのと同じ時間のものでいい。」
警備員が言われるまま機械を操作すると別のモニターにエレベーターホールが映し出された。しばらく、画面を見続けていると夜叉丸の肩が動いた。
「止めろ!」
夜叉丸の声に画面が止まった。そこに移っていたのは翔の姿であった。
「この女も同じころに社長室に行ったのか?」
ひとりつぶやく夜叉丸に警備員は気味悪そうな顔をした。
「この画像のことは誰かに言ったか?」
「はい、牙堂様に。」
「牙堂に?」
「はい、なにかいけなかったでしょうか?」
警備員は夜叉丸を恐る恐る見上げた。
「いや、いい。このことは他言無用だ。」
そう言い残して夜叉丸は警備室から出ていった。
夜叉丸が出て行って警備室の緊張感が一気に解け、警備員たちは一様に疲労感に襲われた。