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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第一章 校舎裏に佇むお猫さま
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(8)答え合わせ

 服の落下地点は、私の秘密の場所だった。落ちている物をしっかりと視認してしまう前に、そっと目を背ける。

 私に抱え込まれ、大人しくしていたハイが思い出したように暴れ始めた。後ろ足の爪が肌を引っ掻き、思わず「痛い!」と悲鳴を零す。それと同時にハイは腕から飛び出して、たん、と危なげなく地面に降り立った。腕には皮膚を削り取られたような赤い線。幸い少々掠っただけで血は出ていない。放っておけばそのうち消えるだろう。

 ぶるぶるっと身体を震わせたハイは、尻尾を真っ直ぐ上に立てながら、私の脚にするりと身体を擦りつけた。餌を強請る時の甘えポーズだ。つい今さっき人の手を引っ搔いたくせに、都合が良いやつ。そう思いつつも、反射的に鞄から猫缶を出し、ぱかりと蓋を開ける。


 猫缶にがっつくハイを、私はただただ呆然と見ていた。

 程なくして空になった缶の前にお行儀よく座ったハイは、口の周りをぺろぺろと舐めた。それから、右前脚で顔をこしこしと擦り、舐め、擦り、舐め……を繰り返す。猫である。正しく猫である。しかしこいつは猫ではない……と思われる。今のところ、限りなく黒に近い白。グレーだ。

 私はその場にしゃがみ込んで、猫か猫じゃないかわからない生き物をじっと見つめた。

「……ハイ、あんた、誰よ」

「くるるぅ?」

 何を言っているのかさっぱりわかりません、と言わんばかりの真ん丸な目だ。くりくりとした目が愛嬌たっぷりに私を見上げている。思わず絆されそうになったが、根性で踏ん張る。

「むしろ、国永なの?」

 猫は微かに首を傾げ、「んにゃあ」と鳴いた。待って、どっちなのよ、それは。否定したいの、肯定したいの?


 いつもなら餌を食べるとすぐに去って行くのに、今日に限っては思考停止状態の私の前から動こうとしない。固まる私を、じいっと観察している。

 そして――ぽん、という軽い音と共に、グレーの猫は瞬く間に姿を消し、今度は見慣れた男子生徒が出現した。……全裸で。

「んな……っ!?」

 私は慌てて背中を向けた。見てない、見てない。私はなんにも見てない。見てないったら、見てないんだから! ぶつぶつぶつぶつと唱え続ける私の背後で、「少しだけ待って。こっち見ないでね」と落ち着き払った声――腹立つ。なんで私ばかり動揺しないといけないの。大体、頼まれたって見るものか――と、衣摺れの音が聞こえた。

 ややあってから、「もう大丈夫」と声が掛かった。私はほっと胸を撫で下ろし、くるりと振り向き――

「んぎゃ!」

 再び奇声を上げるはめになった。騙し討ちの攻撃に、思わず尻餅をつく。

 振り返った先には、上半身にシャツを軽く羽織っただけの格好をした国永がいた。下はしっかり履いている。だというのに、どうして上だけそんなに中途半端なのか。意外にも引き締まっている腹筋に目が向き、呆然とした頭が「なるほど。これが巷で噂の細マッチョとかいうやつか」などと不埒な感想を抱いたところで、ようやく我に返って慌てて視線を外す。


「服! 服ちゃんと着てよ!」

「着てるよ」

「着てない! 上、着れてない!」

「……これくらい、フツー」


 ひーん、と泣く私に、あまりにも軽い言動を繰り返す彼。胸元がはだけているのに。お腹とか見えているのに。これが普通!? こいつ、爛れてる!

 涙目の私に向かって、「仕方ないでしょ。下に着てたシャツ、どっかいったんだから」とほざき、髪を搔き上げる国永。

「だとしても、せめてボタン閉めてよ!」

 怒鳴ると、彼は渋々ボタンに手を掛けた。

 上から順番に留めていく国永が、ふと思い出した体で、さらりと言った。

「古比奈、今日は黒のリボンなんだね」

 なんのこと? 首を捻った私は、はたと自分の体勢の問題点に気付いた。尻餅をついたままの体勢。スカートの裾は少々捲れ上がっており……



 つきましては、黒いリボンがワンポイントのパンツが丸見えです。



 きゃあっと悲鳴を上げて、正座に転身する。

「み、見ないでよ変態っ!」

「視界に入っただけ」

「視界から外せって言ってんのー!」

「ていうか、今更……」

 ため息混じりに続いた言葉に目を見開く。人のパンツの柄を言い当ててきた国永。どこから見ているのか謎だったが、その答えを、私はとうとう得たのだった。

「ね、ね、ね、猫のふりして! 見るとか! やっぱ変態! 卑怯者っ!」

「別にふりってわけでもない」

 言い掛かりだ、と国永は主張するが、たとえそれが言い掛かりだったとしても、彼が私のパンツを、足元から見上げて覗いていた事実は変わらないのだ。それを変態といわず、なんという。

「古比奈、冷たい。キスまでした仲なのに」

「き……っ!? し、してない! そんなのしてない!!」

「そうだっけ?」

 一生懸命記憶を辿る。うん、してない。してないけど――鼻と鼻を引っ付けたり、胸元に引き寄せて抱き締めたり、頬擦りをしたり、額同士を合わせたり、……以下略、な行動はした。

 でも、それは……


「これまでのは猫のハイだったからしたことで、国永にしてたわけじゃないもん!」


 これに対する彼の返答は、冷酷だった。

「でも実際には、あれは俺だったわけで」

 認めたくない事実を、これでもかと押し付けてくる。脳裏に浮かべた思い出の中にいる猫の姿が、人間の――国永の姿にぽんと変わる。……ううむ、非常にいかがわしい図になった。

 私、この男と、顔を寄せ合ったり抱き合ったりしてたの?

 嘘でしょ、誰か悪い冗談だって言って。

 猫が人になるなんて、あるいは人が猫になるなんて、そんな夢物語みたいなこと、実際にあるわけがないって。


「そ、そもそも」私はついに、最も原初的な疑問をぶつける。「なんで国永が猫になるの!?」

 国永は、ぱちり、と瞬きをした。

「なんでって、そういう家系だから、としか言えない。猫になるのは、俺だけじゃないよ。何人かいる」

 だから別に特殊事例ではない。みたいな言い分に、私は真っ向から対立した。んなわけあるか。人間が猫になるなんて、聞いたことがない。

「俺の場合、空腹状態になると猫になっちゃうんだよね。人前でなるわけにもいかないし、回避するために常時気を遣ってたんだけど、……パン、古比奈が食べちゃったし? そうでなかったら、俺、あんな窮地には立たされなかったと思うよ」

 それは暗に、私を責めているのか。

 確かに人のパンを勝手に食べてしまったのははしたないことだけれど、私を挑発した(と少なくとも私は感じている)のは国永だし、パンを食べた後に笑ったのも国永だ。私だけの所為じゃない、と思う。

 まあ、……私にも非が、ある、けれど。わかっている。だがしかし、素直に認めるのは腹が立った。


 私は苦し紛れに、びしっと人差し指を突き出す。

「仮にそうだとしても、その後にちゃんと助けたでしょ。卒倒しなかった私の精神力を褒めてよね」

 実際のところは、頭が真っ白になって卒倒する余裕すらなかったと表現するのが正しいのだが、物は言い様だ。

「うん。それは本当にすごいと思う。古比奈って順応能力高いよね」

 国永は素直に感心している。その反応に、私は自分の心の狭さに恥じ入り、彼に対して申し訳ない気持ちを抱いた。

「普通、そんなにさらっと信じないよ。将来怪しい壺とか買わされそう」

 前言撤回。全っ然、申し訳なくなんてない。

「喧嘩売ってるでしょ、ねえ? なんなら買おうか?」

「売ってないけど、売ってくれてもいいよ。負ける気しないから」

 ああ言えばこう言う男である。

「~~~~っ、もういい!」

 私はふいっと顔を背けた。

 何か忘れている気がしたけど、もういい!!

 私はずかずかと音を立てながら、校舎裏から立ち去――ろうとし、



「古比奈」



 呼び掛けに、つい振り向く。

 まるで裏なんて無さそうな笑みを浮かべた国永が、軽く手を振っている。

「さっきはありがと。助かった。また明日」

「…………知らないっ」

 ふいっと顔を背けた。今度は呼び止められなかった。





 何か忘れている。……その答えは、帰宅後に気付いた。

 国永と『お付き合い』を始めてしまっている件、何の話もできていない。そうだ、そもそも私は、そのために彼を呼び出したのに。

 ああ、なんたる失態!




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