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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第四章 お嬢さまとお猫さまは背中合わせ
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(8)人はこれをなんと呼ぶ

 約束。

 その言葉を反芻して、閃く。



『しばらくの間は、交際の件を伏せておきたいのです』

『それは、具体的にはどういう形で? 訊かれたら嘘を吐くってこと?』

『……そう、ですわね。心苦しいですけど』



 偽装交際を始めた時に交わした約束。

 主に外部に、そして親・親族に伝わらないように、と念押しに念押しを重ねたソレ。

 この男は絶対に守る気が無いだろうって思っていたけれど、少しは考えてくれていたのか。

「あ……ありが」

 とう、と尻すぼみの礼を唇に乗せてから、私は、んん、と首を捻った。

 ちょっと待って、何か違和感が……。

 ……。

 …………。

 ……………………はっ。

 違和感の正体に思い当たり、私は国永に詰め寄った。


「言ったよね」


「ん?」

 何が、と何もわからないふりをして、国永がにっこりと笑う。確実に、裏がある笑顔だ。

「ばらしたよね。最終的に。自ら。挨拶とか、手を握るとか」

「古比奈の『心から慕っている』発言には劣るけどね」

「自覚あるんじゃない!」

「ちゃんと隠す気だったよ、最初のうちは。途中で気が変わった」

 なんでよ!

 再三文句を言うべく口を開く。しかし、結局そこから声を発することはできなかった。それよりも先に、国永が伸ばした手が頬をなぞったから。

 嘘くさい笑顔が引っ込んで、代わりに、妖しげな眼差しが私を刺す。今にも獲物に食らいつかんとする獰猛な獣を前にしているかのような、そして私自身がその獲物になってしまったかのような錯覚。――そう、錯覚だ。これはただの錯覚に過ぎない。

 そのはずなのに。

 目を逸らせない。息ができない。

 今、動いたら、食われる。

 そんな幻覚に惑わされて。


「この際」

 普段より低く響く声。

「外堀から埋めていこうかなって」

 頬をゆるやかに進んでいた指先が、とうとう耳の後ろにまで届いた。そのまま、すう、と首筋を撫でる。国永の艶やかな黒髪がさらりと揺れた。

 ――何言ってんの。堀? 堀って、いったいどこの堀のことよ。

 たとえば冗談交じりにそう言えたなら、この空気は壊れるだろうか。しかし震える唇で、本当に平常心なんて装えるのか。この男の、前で。こんなに、近くで。


 ごくり、と唾を飲み込む。


 国永はふっと笑うと、手を引っ込めた。そして何事もなかったかのように、座席のシートにどっしりと背中を預ける。普通のクラスメイトの距離まで、戻る。

 緊張を孕んだ空気が一気に霧散した。はふ、と間抜けに息を吸う音が、自分の口から放たれた。

 ああ、びっくりした。てっきりキス――いや、いやいやいや。違う。絶対違う!

 ぶんぶんと必死に頭を振る私の様子を見下ろして、国永はにやにやしている。

「どのみち、化け猫の筆頭である新の猫型見ちゃったんだから、そりゃあね……放っておかれないよね、この先」

「く、国永の馬鹿! 人でなし!」

 それまで口を開けなかったことを誤魔化すように罵声を浴びせ、私は更に距離を取るためにずるずる後ろへ下がった。

「良いの? 俺、比較的、古比奈の味方だと思うんだけど」

「味方か疑わしい」

「ひどいなあ」


 どっちが! さっきのだって、だいぶ怪しかったわよ!


 ……とは、言えず。

 だって、またあの空気に戻ったら困る。車内じゃ逃げ場が限られる。

 このままだと国永のペースにずるずると持っていかれる。私はいそいそと居直した。きっちりと座り直し、両手を膝の上でぴっしりと揃える。いわゆるお嬢さまスタイル。

「もう授業も終わってるだろうし、家まで送るよ」

「ありがとうございます」

 これ以上の会話の応酬を避けるべく、私は素っ気ない対応を心掛けた。その地道な動力が功を奏したのか、自宅の前に車が停車した時には、私の精神はだいぶ快方へ向かっていた。なんなら、いっそ先程のやり取りは全て夢だったのだ、というところまでは持っていけている気がする。

 車を降り、運転手と、案の定助手席に座っていた碓井に礼を伝えて去ろうとした寸前に、後部座席の窓が開いた。


「古比奈、言い忘れた」


 呼び掛けを、できれば無視してしまいたい、と思いながら顔を向ける。

 彼は存外、柔らかい表情をしていた。

「俺のコレは、偶然じゃないから」

 カサ、とお菓子の袋を揺らしてみせる。

「古比奈と食べるために、持ってた」

「……それは、光栄ですわね」

 慌てない。乗せられない。あくまで冷静に。

 私はそれらをひたすら唱えながら、辛うじて笑みを顔にぺたりと貼ることに成功した。

「外堀埋めたら、今度は内堀だよね」

 ……慌てない。乗せられない。あくまで冷静に!

 私は唇をきゅっと結んで堪えた。

「ソウデスワネー。ソレデハ、マタ」と言いながら、私はくるりと踵を返す。



 ――でも。



「ほら、聞かない方が良かったでしょ?」

 背後から跳んできた私を揶揄する言葉。一見すると、いつも通り私を揶揄する口調。なのに、その背後に哀しみが滲んだことに気付いてしまったから、つい足が止まった。

「私が聞きたいって言ったんだから、国永が気にすることじゃない」

 言い返してから、ここが外だということに気付いた。しまった。

「それでは失礼致しますわ」

 今更のようににこりと笑って、私は国永の返事を待たずに、自宅へ逃げ込んだ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「はよ、古比奈」

「……おはようございます、国永さま」

 いつもと変わらない日常の光景に、私はほっと胸を撫で下ろす。今日はどうやら、国枝は教室に来ないようだ。

 国永へと向けていた視線を教室の前方に戻し――

「…………おはようございます、志乃さま」

 ここ最近で最高の輝きを放っている志乃の顔が、突然真正面に出現した。あまりの輝きっぷりに、身を固める。

「おはようございます、古比奈さま! 国永さまと仲直りなさったのですね!」

「いえ、別にあの、喧嘩をしていたわけでは……」

「うん、そうだね、喧嘩じゃない。みのりも学校に慣れたみたいだから、お役目御免になっただけの話だよ」

「まあ、そうでしたの! そうですわよね、お二人はいつでも仲睦まじくいらっしゃるもの!」

「いえ、別にそういうわけでも……」

「あれ、仲、良いよね?」


 それ、言わせるの?


 じっとりとした目で国永を睨み付けていると、どこからともなくひょっこりと、橋渡が顔を出した。

「すっごく仲良しだよね。だってこの前、俺――」

「橋渡さま!」

 慌てて咎めると、橋渡は唇を尖らせて、ちぇ、と不貞腐れてみせた。

「この前? 何? 何があったんですの?」

 乙女センサーでも働いたのか、わくわくどきどきしている志乃に「なんでもございませんのよ、ほほほほ」と言ってはみたものの、伝わっているとは思えない。そればかりか、心なしか周囲のお嬢さまがたもひそひそきゃあきゃあしているような……。

 国永はといえば、涼しい顔を崩さず、焼き鳥を頬張っていた。


 ――おのれ。いつか絶対にその顔を崩して、慌てふためく顔を拝んでやるわ……。覚悟してなさいよ!


 闘志を燃やす私とは対照的に、余裕綽々の国永は口に鳥を詰めたまま、「ふぉーあ」と手を打つ。口の中の食べ物を嚥下すると、自分の携帯を私に向かって軽く振った。

「古比奈、番号交換しよ」

「今更……」

「だからこそ。今回、連絡取れなくて困ったから」

 でも、と私は眉尻を下げた。

「お兄さまに見られるのでは」

 国永兄の、弟への執着っぷりは本物だ。携帯監視発言ははったりなどではなく、本気だ。さすがに会話を盗み見られるというのは気分が悪い。

 露骨に顔を顰めた私に、国永は真顔で頷いた。気持ちはわかる、と言わんばかりに。

「大丈夫。これは新じゃ見られない方だから」

 ……見られる方と、見られない方があるのだろうか。

 まあ、こっちから連絡を取りたい時ももしかしたら万が一にもないとも限らないし。

 仕方ない、仕方ない。不可抗力、……だよね?

 電話帳に新しく追加された『国永瑛士』という名前をそっと眺める。


 ……なんだろう。


 自分の意思に反して、心臓が飛び跳ねている。

 ――また風邪、かな。

 私は試しに、自身の額に手を当ててみる。

 うーん、無いと思うんだけどな、熱。

 なんでわかるのかな、国永は。






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