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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第四章 お嬢さまとお猫さまは背中合わせ
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(7)ふたりだけの

 どのくらいの間、そうしていただろう。

 うーむ、と私は唸った。

(そろそろ足、痺れた)

 ぴりぴりしている足に視線を落としながら、「ねえ、ハイ」と呼び掛ける。

「そろそろ、降りても良いんじゃない……? お腹空いたでしょ? ご飯もあるよ?」

 ハイは、薄っすらと目を開いた。口を開けないまま、ふーう、と返事をする。どっちでもいいけど、と言っているように聞こえた。そしてその解釈は、大きく見当はずれというわけでもなかったに違いない。彼は決して膝の上から退かなかったけれど、私が鞄に手を伸ばすことを妨害したりもしなかった。

 鞄に手を突っ込み、以前奥の方へしまい直したドライフードの袋を取り出す。周囲に皿になりそうなものを探したが、見当たらなかった。国永が用意した車だから、ひょっとしたらそういった猫グッズが常備されているのかも、と思ったのだが、生憎とそういうわけでもないようだ。仕方なく自分の手にフードを乗せて、ハイの口元へと差し出す。


「はい、どうぞ。珍しいお肉使ってあるんだって。きっと美味しいよ」

 その言葉に誘われるように、ハイはひくひくと鼻を動かし、顔だけをぬっと動かすという最強の出不精を発揮しながら、ご飯を食べ始めた。

 はぐ、はぐ、と。

 やけにゆっくりと食べ進めている。

 ……なんだか、ひどく眠そうだ。車に乗り込んだ時も疲れた表情をしていたし、実際だいぶ疲れているのかもしれない。

 急かさない方が良かっただろうか。不安に駆られた直後に、ぼぼんっと煙が噴いた。

 膝に乗っていた重みの種類が変化する。煙の中で影がぐっと膨らむ。それは凄まじい程の速さで、猫から人間のシルエットへと姿を変えていった。

 煙の切れた合間から、見慣れた顔が出現する。……彼がもう少し身を乗り出せば、顔と顔が触れてしまいそうな程の至近距離に。


「きゃん!」


 思わず尻尾を踏まれた時の犬のような悲鳴を上げてしまった。それを恥じらうよりも先に、目をぎゅっと閉じた。見てない。私は、何も、何ひとつ、見てない。細身だったはずなのに実際は私よりも一回りは太そうな首回りとか、意外にも引き締まっていた腹筋とか……は、絶対に見てないんだから!


「これ」


 国永の指先が、私の手首をそっと掴む。

「わざわざ準備してたの?」

「そんなんじゃないけど! 偶然持ってただけ! です! ので!」

「……へえ、偶然、ねえ?」

 くす、と笑ったその声が、移動する。まるで私を囲むように。

「く、国永……?」

「ん~?」

 息が、手のひらに掛かる。

 そのことを疑問に抱くのと同時に、手のひらをぬるりとしたものが這った。ざらざらな猫の舌とは違う、滑らかな人間のそれだ。遅れて、うぇ、と顔を歪めた気配。

「まっず」

「あ……ったりまえでしょ猫用なんだから! まだお腹空いてるのはわかったから、とにかく早く服を着て!」

「仕方ないなぁ」

「仕方なくない!」

 手をばたばたと無造作に振り回すと、人の気配が遠退いた。続いて、衣擦れの音が聞こえる。どうやら着替え始めたようだ。ホッと一息つく。


「終わったよ」

「……本当に?」

「本当に」

「…………」

 前もこのパターンで、終わっていなかった。

 当時の羞恥心が蘇り、私はむにゅりと口を動かす。

「俺、信用無い?」

「自分の胸に手を当てて過去を振り返ってみたら?」

 思い当たる節が、ごまんと出て来るはずだ。しばしの無言。本当に手を当てたのかは少々怪しいが、彼はきっぱりとした口調で応えた。

「身に覚えがない」

「嘘でしょ!?」

「心外だな。……ああ、でも、さあ」

 愕然とする私に向かって、にやりと笑う――正確には、にやりと笑っていそうな声色だった――。


「今は、目を瞑ったままの方が危険なんじゃない?」


 へ、と呆けた声を上げた時、国永の息遣いが、耳のすごく近くで感じ取れた。

 慌てて目を開いた私の視界に飛び込んできたのは、ぎゅむ、と私のふくらはぎを掴む国永の手だった。

「~~~~~~~~っ!!」

 じいーーーーん、と。足の痺れが広がり、私は声にならない悲鳴を上げながら見悶えた。女の子のふくらはぎに無許可で触るなんて言語道断! ましてや痺れてるってわかっていてわざと触れるなんて鬼畜の所業だ! などと心の中では文句の嵐が吹き荒れていたが、現実世界の私は痺れに耐えることが精一杯で、とても反撃などしている余裕は無かった。



 ――数分後。



 痺れ自体は落ち着いたものの、ぐったりとしている私の前で、猫から人間の姿に戻った国永は、平然とした面持ちで自分の鞄を探っていた。今の心境を、まったく飾らずに表現するとしたら、こうだ。

『非常に腹立たしい』

 この一言に尽きる。

「古比奈」

「なんでしょーか」

 がるがると威嚇する私の目の前で、国永は鞄から、私の中でまさに今ブームが訪れている真っ最中のお菓子の袋を取り出し、ひらひらと振ってみせた。目がつい追ってしまう。

「お菓子、一緒に食べよ?」

「…………」

 失礼なやつめ。いくら好きなお菓子とはいえ、それでつられる程、私は単純ではない。

「食べないなら、俺一人で食べるよ。目の前で、全部」

「え!」

 それは嫌だ。しかしそうそう簡単に頷いてやるのも癪に障る。私は反射的に大きく開いてしまった口をぱたんと閉じた。でも、でもなぁ……。

「要らないの?」

 駄目押しとばかりに言われ、私はむっすりとした顔を崩さないまま、そっと右手を伸ばした。

「……いただきます」

 だって、やっぱり、食べたいじゃないですか。大好物だから。




「美味しい?」

「……以前と変わらない味です」

「美味しいんだね」

「……美味しいですけど」

 手のひらで転がされた感が否めず、私はもごもごとお菓子を頬張りながら、せめてもの抵抗とばかりに仏頂面を作っていた。油断すると、あまりの美味しさに崩れてしまう。

 ふん、と顔を背ける。私は不機嫌なんだぞアピールだ。

 当の本人は、「ならよかったね」などと含み笑いをしており、このアピールも効果があるのか甚だ謎であるが。

 しかしまあ、国枝もよくやるものだ。この国永を脅すなんて――。

 あ、と閃いた。国枝が使った脅し文句がわかったら、私も国永の弱みを握ることができるのではあるまいか。

 そうと決まれば、突撃だ。私は喜び勇んで国永へ向き直った。

「国永、しばらく私のことを避けてたよね」

「そうだね」

 言い訳も躊躇いもなくあっさりと認められ、自分から振った話題だというのに、私は何故だか、ひどく動揺してしまった。そうか、やっぱり避けられていたんだ。いや、あんなにもあからさまだったんだから、わかっていたけれど、でもそうか、そうか……。つい先程まで胸に抱えていた突撃精神が、自分でも驚く程に萎んでいく。


「古比奈?」

 黙り込んだ私の様子を不審に思った国永が、私の顔を覗き込む。至近距離で目が合うと、心に居座っていた動揺は脱兎の如く逃げ出して、代わりに先程国永が人型になった時の記憶がやってきた。間近で見てしまった諸々とか、手を這う舌の感覚とか……。頬が、まるで火がついたかのように熱くなる。

(あーあーあーっ、考えない。考えない!)

 余計な感情をぎゅうぎゅうと心の奥底に押し込めて、私は再び挑むように国永を見る。

「避け始めたのって、国枝さんに何か言われてからだよね。いったい何を言われたの?」

「……知りたい?」

 にやり、と。国永は例の笑みを浮かべた。私に嫌な予感を抱かせる。あの笑み。

「や、やっぱりいい! 知りたくない!」

「だよね」

 ……またも、拍子抜けするくらい、あっさりとした引き際だった。あまりの反応の薄さに、私は目を白黒させた。予定では、ここでひと悶着あるつもりだったのだ。


 ――もしかして。

 国永の秘密というのは、想像以上に重大で重要なものなのでは。


 国永は典型的な天邪鬼だ。気になることは気にならないふりをして、本音を誤魔化すために、気にならないものを気にする素振りをする。その法則でいくと、これは相当私に知られたくない類いのものなのでは。

「……やっぱり、聞きたい、です」

「そう? 聞かない方が良いよ。後悔すると思う」

 脅し文句を口にしながら、にやにやと笑う国永をきっと睨む。

「聞かせてください!」

「言葉と態度の乖離……」

「それで、なに言われたの?」

 国永はふざけた態度を引っ込めて、じっと私を見た。瞳の奥まで覗き込んで、私さえ知らない奥の奥まで見透かすように。逸らしそうになる視線を無理やり合わせて、私は耐える。


「『瑛士くん、彼女がいるんだよね。新くんに紹介したいから、教えて』」


「…………へ?」

「俺がみのりに言われたことだよ」

 予想外の発言に、ぱちくりと目を瞬かせる。彼女って、……表面上は、私のことだ。でもそれがどうして、国永を脅す材料になり得るのか。答えの無い難問を突き付けられた気分になって、私はしきりに首を捻った。

 ふう、と。国永がため息を吐く。

「だから、いない、って答えた。そしたら付き纏われた。みのりが来るってことは確実に裏に新がいるし、新がいるってことは事前に色々と調べた上で来てるんだろうってわかってたけど、だからって素直に頷くわけにもいかないし。……で、下手に俺が古比奈に接触したら、そこから捩じ込まれそうだったから、避けてた」

「ど、どうして?」

 彼は、車窓へ視線を逃がした。

「一応、約束した身なんで?」






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