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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第四章 お嬢さまとお猫さまは背中合わせ
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(6)こだわりポイント

「あー、よしよーし、相変わらず触り心地いいね~」

 国枝はけらけらと笑いながら、猫の毛を、ぽふんぽふん、と弄っている。

「ね、ね……ねこ、ねこ!」

「あれ? 結海ちゃん、知らないの? あたし、てっきり知ってるものだと」

「言ったよ、俺は。俺以外にもいるよって。ねえ?」

「言っ……た、けども!」

 まさか本当にいるとは思わなかったから!

「それ言うと、俺なんて見るの初めてだよ。うわあマジで猫なんだ」

 んなああああ、と再び鳴く猫、もとい国永兄。兄弟のくせして、容貌がまったく異なるのは、これいかに。――いや、問題はそこではなく。


「どうして? ご飯食べてたのに……」


 国永だって、猫になっていないのに。猫を前に狼狽える私の様子に、再び国枝は国永を見る。

「説明してないの?」

「そこはしてない」

 聞いてない。何も。

 どういうこと、と目で訴えると、国永は一瞬面倒くさそうに目を細めてから、仕方ないとばかりにのろのろと口を開いた。

「猫になる条件は、一人ひとり違う。俺は【大食】の猫だから、空腹感を覚えたらアウト。新は」

「んなあ!」

 呼び捨てにするな、とばかりに猫が、たっしん、とテーブルを叩いた。国永本人は、一瞥しただけでそのままスルーしてしまったけれど。

「新は【傲慢】の猫だから、自分は傲慢なんだって思うと、猫になる。みのりが飼い主になってからは頻度が減ってたんだけど、……今回のは、古比奈の一言がきっかけだ」

「え、……あれが?」

「あはは。ごめんね、新くんってば、他人には散々なこと言うし、するのに、自分は人一倍打たれ弱いんだよねー」

 誉めてないですよ、それ。

 この一族は、褒め方が独特過ぎて、ついていけない。……それとも実際、貶しているんだろうか、笑顔で。


「それじゃ、国永さまのお兄さまは」

「んにー」

 何故か兄猫が満足げに鳴いた。お兄さま、と呼ばれるなら相手は誰でも良いのか。

「……お兄さまは、いつまでこのお姿で?」

 空腹、と違って明確な基準があるわけではない。まさか、ずっとこのままだったらどうしよう。よもや責任問題に発展するのでは。

 しかし私の心配をただの杞憂だと一蹴するように、国枝は呑気に笑っていた。

「しばらくしたら治ると思うよ。なんていうか、……自然治癒?」

「新、基本属性が傲慢だから、そのうち自分が傲慢だとすら思わない域に達する」

「それは、……安心しました」

 理由はどうかと思うが、元には戻るらしい。ほっと胸を撫で下ろす。兄猫も落ち着きを取り戻してきたのか、んな、と短く鳴きながら、椅子の上でくるりと丸くなった。ものの数秒で、すー、すー、と寝息が聞こえてくる。

 ……寝ちゃうの? この状況で?

 驚いてぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「新くん、せっかく久々の猫姿だから、満喫したいって」

「言葉がわかるのですか?」

「言葉っていうか、考えていることがなんとなく、ね。あたし、飼い主だから」

 飼い主。そういえば、先程国永も、『みのりが飼い主になってからは』と言っていた。飼い主と言われたら飼い主のようにも見えるが……。そもそも、飼い主とは? 厳密には、猫ではないのに。

 その彼女は今、椅子から兄猫を持ち上げて、自分の膝へ置き直していた。

「あの、飼い主、というのは……?」

「飼い猫の下僕のことだよ!」

 国枝に、にこやかな笑顔で断言されてしまった。何か語弊が含まれている気がするのだが。国永の方をもう一度見たが、彼は説明が面倒だったのか、首を捻ってから「まあ、大体そんな感じ」と締め括った。そうやって途中で面倒がって説明を怠るから、こんな事態に陥っているというのに。反省する気はさらさらないらしい。



「とりあえず、今日はもう解散するしかないよなぁ。主役が(これ)だし」

 橋渡は兄猫の尻尾を掴み、物珍しそうにじろじろと観察している。既に深い睡眠に入っている兄猫は尻尾を摘まれても特に気にしていないようだ。――正直、ちょっと羨ましい。泰然としていて。ハイなんて、触ろうとしただけでスッと逃げていくのに。

 そんなことを考えながら、ちらっと国永を見たら、彼もちょうど私に目を向けたところだったようだ。ばっちりと目が合う。

「どうかした?」

「いえ……」

 言えるわけがない。私もハイに触りたい、なんて。そんなことを、本人に? 無理だ。


「国永さま、会計等々、済ませてきましたぁー」


 碓井がひょっこり現れた。……初めて従者らしい仕事をしている姿を見たような気がする。ただし、いつの間にいなくなっていたのか、さっぱり気付かなかったが。

「ありがと。……じゃ、俺たち、先に出るから」

 まだ猫を愛でている国枝たちに声を掛けると、「はーい」と元気のいい声が返ってきた。国永に背中を押されながら、半ば強引に出口に向かって歩かされている最中、「あ!」とまたも国枝の声が背後から()つかってきた。

「橋渡くん、少しで良いから新くんをお願いね」

「え、俺、猫の持ち方とか知らないけど……。ちょい待ち、マジでこれなにどこをどう持てばいいの。なんかぐにょるんだけど、伸びるんだけど!?」

「猫の気持ちになって考えれば、大丈夫!」

「無茶ぶりだ!」

 悪戦苦闘している橋渡と、何をされてもくてんくてんしたままの国永兄の猫版を放置して、国枝が私の前へぱたぱたと駆けてきた。


「ごめんね、引き止めちゃって。伝え忘れちゃったことがあって!」

 言いながら、彼女は私の手を両手で握った。

「結海ちゃん、これまで嫌な想いさせてごめんね」

「ご丁寧にありがとうございます。あまりお気になさらず。わたくしの友人も、国枝さまに失礼なことを言ってしまいましたので」

 んん、と国枝が小首を傾げた。頬に手を当て考えること数秒。ああアレね、となんともないような声を上げた。

「大丈夫、平気ヘーキ。新くんの失礼度の方が断然上だから。あんなの、悪口のうちにも入らないよ。それに、あたしはわざとああしてたわけだから、むしろそう思われていたなら、作戦成功!」

 ひらひらと手を左右に振る彼女は、本当に何も気にしていないように見えた。――というか、失礼度が断然上、って。普段はもっとすごいのだろうか、あの人。それでいいのだろうか、この人。いや、良いからこうして関係を築いているんだろうけど……。

 なんというか、……独特な関係性だ。

「でも――あたし、新くんにまたお願いされたら、結海ちゃんはきっと嫌だろうな~って思ってもやっちゃうから、これから先の分も一緒に謝っとくね。ごめん!」

「は、はあ」

 謝罪の先払いって有効なの?

 私は助けを求めるように国永を見たが、彼は面倒ごとに関わるのが嫌だったのか、ふいっと顔を背けた。ちょっと!


「あたしのこと、変だと思ってるよね?」

「…………まあ」

 否定しようにも、できないくらいには。良く言えば、潔い、と言えなくもないけれど。神妙な顔で頷くと、しかし予想に反して、国枝は顔を綻ばせた。

「良かった~! これで引かない人は、……あたしのライバルだもん」

 目が本気だ。

 何も言えずにいると、彼女は対面しているこちら側が恐怖を覚える程に尖らせていた目つきを瞬時に引っ込めた。

「あ、新くんが起きそうだから戻らなきゃ! それじゃあ結海ちゃんに瑛士くん、また学校でね~。ばいばーい」

 ぶんぶんぶん、と手を大きく振りながら、駆け寄ってきた時と同じくらい――いや、その時よりも嬉しそうに、飼い猫めがけて突っ走っていく。

「国枝さまはいつもあのような感じなのですか?」

「新が絡むと、大概はああだよ。昔からそう」

 ふう、と国永の口から吐かれたため息には、これまでの苦労がみっちりと詰まっていた。ご愁傷様。この時ばかりは、心の底から合掌した。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 駐車場には、既に迎えの車が待機していた。碓井が手配したのだろうか。思っていたよりも有能な従者であるらしい。ただひたすら影が薄いだけで……。

 私と国永が車に乗り込んだことを確認すると、碓井はそのままドアを閉めた。

「一緒に乗らないの?」

「一緒の車には乗るだろうけど」

 背凭れに深く身を沈め、国永はゆっくり目を瞑った。運転席と後部座席が完全に区切られた空間。助手席に座っているのであろう碓井は、その姿はおろか、声すらも確認ができない。

「古比奈も気を張りっ放しで疲れただろうし、その辺りを配慮したんじゃない?」

 ――碓井がいなくたって、あんたがいるでしょ。

 と、いつもなら言い返しただろう。

 でも実際、自分の秘密を知っている――自分を無理に繕わなくてもいい相手しかいない空間は、存外、私の心を落ち着かせた。あるいは、それは、一人きりでいる時よりも、ずっと。

 もしかしたら国永も同じなのかもしれない。目を瞑ったまま微動だにしない彼の横顔を見つめながら思う。――いや、彼の秘密は、碓井なり国枝なり、他に知る人がいるわけだから、他には誰もいない私とは違うのだろうけれど。きゅ、と唇を結ぶ。


「ちょっと素が出てたよね」

「え?」

 急に話し掛けられたことと、話がさっぱり掴めなかったことのダブルパンチで、私はきつく締めていたはずの口を、ぽかんと開けてしまった。

「さっき、話してる時」

「そうだった?」

 思い当たる節がない。そもそも私、何を話したっけ。私は眉尻を下げた。

「まさか古比奈が、あそこで言い返すとは思わなかった」

「っ、それは!」

 言い訳が出てこなかった。ふ、と息を呑む。

 国永の言う通りかもしれなかった。お嬢さまである『古比奈結海』なら、あの場面で言い返すことなんて絶対にしなかっただろう。あくまで笑って、流して、それで終いだ。それなのに、指摘されるまで、そのことに気付きさえしなかった。

 それは何故? どうして言い返したの? と問われたら、今の私は、答えられない。

 太腿の上に重ねた手で、ぎゅっとスカートを握る。どうかこれ以上、踏み込まれませんように。

 ……しかし、いくら待っても、国永からは何のアクションも無い。

「国永?」

 沈黙に耐え兼ねて思わず彼の名を呼ぶ。私の声とほぼ同時に、柔らかい髪が私の首筋をくすぐった。ぽとん、と肩に乗っかる国永の頭。へ、と間の抜けた声が出た。だって、……え?


「あ~……もう、限界」


 緊張がピークに達して身体を強張らせている私とは真反対の、やけに気だるげな声が聞こえた。

 次いで、ぽんっと軽い音がして、肩が感じていた重みが消え失せた。ばさあ、と落ちる衣服。その間からもぞりと動くグレーの肢体。ちょうど頭のてっぺんに、黒い模様があった。

「ハイ!」

 思わぬ再会に、声が弾んでしまった。根元の一部が黒いグレーの耳が、ぴこん、と大きく揺れた。ぐぐぅ、と身体を伸ばしたハイは、のそのそ動くと、私の膝によじ登り、そこで力尽きた。

「どうしたの? お腹空いたの? ハイ?……国永?」

 つんつん、と頬をつついてみたが、ハイ、もとい国永は、んん、と不機嫌そうにするだけで、ろくな抵抗をしない。空腹で動く気力がなくなったのだろうか。考えてみれば昼食はろくに腹に収まっていない。フルコースの食事も、途中退席してしまったし。

「あ、そうだ」

 鞄の中にドライフードがあることを思い出し、鞄に手を伸ばす。

「にゃ」

 ハイが咎めるように声を上げ、右の前足で、ぽすん、と私の手を押さえつけた。

 動くな、ということだろうか。珍しく甘えたポーズに顔が綻ぶ。……いや待て、姿かたちで騙されるのはよくない。こんなに愛らしい猫だけど、中身はあの国永なのだ。でも可愛いし毛がもふもふしている。どうしよう。

 究極の選択を迫られている気分になり、むー、と唇を尖らせる。


(…………ちょっとくらいなら、良いかな)


 ぽん、と空いた手をハイの背中に置く。手のひら全体に人肌よりも温い体温が伝わってくる。手のひらだけではなく、膝やお腹のあたりも、同じように温かい。ともすれば、ついうたた寝してしまいそうになるほど、心地よい。

 ぽん、ぽん、と。ハイをあやすためか、それとも自分が落ち着くからか、ゆっくりとした一定のリズムで、優しく背中を撫でる。

 ふー、と息を吐くと、知らぬ間に強張っていた肩がほどけていた。

 なるほど、これが猫による癒し効果なのか……! 中身、国永だけど。






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