(5)人はこれを拉致と呼ぶ
繋がれた手に、誰も反応しなければいいと思っていたのに。
この場に居合わせた全員が全員、よりにもよってそこに注目してくる。
「あれ、瑛士くんと結海ちゃんったら、ラブラブだね~」
「違います」
「心から慕ってるってさっき宣言されたよ、俺」
「違いますから」
「お二人が親密な間柄なら、従者である僕も嬉しいです。気が楽で」
「だから」
「あれ、違うの?」
至近距離から顔を覗かれ、私はその近さに驚き、つい言葉を詰まらせた。
「ち、ちが……」
むぐむぐと唇を震わせる私を見て、国永は心底楽しそうにしている。顔を背けているが、肩が揺れているのでよくわかる。なにが、自分ばっかり振り回される、よ! 確実に振り回されているのは私で、あんたは楽しんでいるだけでしょーっ!
車に連れ込まれ、あれよあれよという間に移動すること、数十分。停まったのは、どこかの地下駐車場だった。国永の手はまるで手錠のように、私の手を捕まえたままだ。
そこからエレベーターに詰め込まれ、最上階のボタンが点灯した。どんどん増えていく階数案内の数字を睨んでいるうちに、とうとう目的のフロアに着いてしまった。ポォン、と丸い音が反響する。一歩前に出ると、厚いカーペットが靴の音を吸収した。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
ずらりと並んだ人々の間を、全員が全員、気取った様子もなく、ただそれらを当たり前のことと受け入れている足取りで進んでいく。私とて気後れしたわけではない、が……なんでここまで来てまだ私、国永と手を繋いでいるの? それだけが、謎だ。
なんとか外そうと画策している様子が――文字通りの意味で――手に取るようにわかったのだろう、隣を歩いていた国永が、ふっと笑った気配がした。
ええい、誰の所為だと!
結局、努力は報われないまま、ついに店にある一番奥のテーブルまでやってきてしまった。一番窓に近い席に近くで、男が立っている。こちらに背を向けていた彼は、近付いてきた私たちに気付くとくるりと振り向き、「おお! ようやく来たか!」と大仰に両手を広げた。
「お待たせ、新くん!」
国枝が駆け寄って、彼の胸に飛び込む。新、と呼ばれた彼も、嬉しそうに抱き締め返した。……おお、なんか、手くらいどうってことない気がしてきた。
というか……彼女は国永を狙っていたのでは?
どういうこと、と隣の彼を見上げると、「こういうことだよ」と極めてあっさりとした返事をされた。だから、こういうこと、とは。見た通りなら、この二人が付き合っている風に見える。つまり、国枝は国永を狙っていたわけでもない、ということに、……いや、ならどうして私は彼女に幾度となく睨まれたの? あれが演技だったということだろうか。演技だとするなら、何故それをする必要があったのか。
頭の中で、彼女の言葉が反芻される。
『テストも無事に終わったから』
――テストとは、誰の、何の?
「やあやあ、きみが古比奈結海くんか! 噂どおり仲が良いんだな」
反射的に国永の手を振り払おうとして、またも失敗する。その様子を見ながら、新と呼ばれた男は、楽しげに、ははは、と笑う。
くん、と国永に手を引かれた。耳に息が掛かる。
「新は絶対に自己紹介しないから、伝えとく。あれ、俺の兄」
それだけ告げて、国永の顔が離れていく。どういうことか、訊き返す暇も無かった。
「まあ座りたまえよ。すぐに料理を運ばせよう」
彼の声に反応して、各々が動き始める。国永が私を誘導して椅子を引いた。私が着席したことを確認すると、頑なに繋いだままだった手をぱっと離して、隣の席に座る。私は唐突に解放された手を持て余し、その掌をじいっと見下ろした。離してほしい、と思っていたはずなんだけど……。
全員が席に着いたタイミングで、前菜が運ばれてきた。前を見れば、国永兄と国枝は楽しそうに談笑しているし、その輪に時折、橋渡も加わっている。碓井は……一人黙々と食べている。誰をとっても、私のように動揺している人間はいない。つまり、全員グル……ということ? 何を目的としたグルなのかすら、不明瞭だが。
もはや流れ作業のように、私は食事を口へと運ぶ。考えごとに気を取られ過ぎて、料理の味はわからなかった。一流の店なのだということはわかる。でもそれは味がどうというよりも、国永の兄がここを選んだから、という状況判断だ。
国永瑛士の兄、国永新。
齢二十五という若さにして、既に国永グループを総括する父親からいくつかの会社を任されているという話は、半ば伝説じみた形で出回っている。
アラタ、という名前を聞いてすぐに思い当たるべきだった。言い訳をさせてもらえるなら、まさか多忙極まる身であるはずの彼が、こんな形で自分たちに干渉してくるとは思ってもみなかったのだ。
「古比奈、安心して。俺も完全には事情を把握できてない」
「それって安心材料になるの……ですか?」
「さあ。でも少なくとも、わかってないのは古比奈一人じゃないってこと」
特に、と彼は橋渡を睨んだ。
「俺、あの人、知らないし」
「おおそうか、紹介がまだだったか! 彼は、将来俺の側近となる男だよ。見た目も良いし、腕も良い」
「わー、褒められた。嬉しいなあ」
教室の時と同じ砕けた口調。これは確かに大物になるだろう。でなければ、ただの馬鹿だ。
「新くん、そろそろちゃんと説明してあげた方が良いんじゃない? 事情がわかった方が、料理も楽しめるだろうし」
全てを察しているかのような口調で、国枝が笑う。国永兄は「そういうものか?」と首を傾げながらも、一応の納得はしたようだった。
「実は、瑛士が学校で恋人ができたという噂を聞いてな」
「う、噂」
学校外に、出回っている……? それがいったいどういうルートで彼の耳に入ったのか、問い詰めたいところではあるが、ぐっと堪える。まずは話を聞こう。
よし、と気合いを入れ直したところで、耳を疑う言葉が国永兄の口から滝のようにどばどばと流れ出てきた。
「兄として、弟に相応しい相手かどうか見極めてやるべきだろう? 容姿はまあクリア。学力も程々によし。家柄はうちには劣るが、そもそもうちと肩を並べるようなところなど無いに等しいから、仕方なし。満点には程遠いが、及第点ではある」
…………いや、及第点って。完全に、貶していますよね。
じとーっとした目で見るが、生憎と相手は私の視線になど、ちっとも興味は無いようで、気付く気配も無かった。
「あとは本人の気質が、瑛士に相応しいかというテストとして、みのりと友仁を派遣したのだよ」
したのだよ、ではなく。まさかそのためだけに、二人を転校させたのか……? 皿の上に横たわる肉に静かにナイフを入れながら、私は昨日の熱がぶり返してきた気がしていた。
「人となりを見るには、極端なストレス環境に落としてみるのが一番だ。携帯の履歴を見る限り、メールや電話には頼らない慎ましい関係だったようだから、とりあえず徹底的に引き離してみることにした。辛かっただろう、すまんな、ははははは」
「…………」
もはや言葉を紡ぐ気にはなれなかった。となると、夏休みが明けたあの日、国永が耳打ちされたのは、おそらくなんらかの不利益を被るような、脅し文句だったのだろう。
国永のことは、人を揶揄うことが趣味の人でなしだと思っていたが、それ以上だ。この兄がいて、よくぞ比較的まともな弟が育ったものだ。……いや、まともではないか。
「その状態で揺さぶりをかけられ、簡単に甘言に乗るようなら、失格。その状態でも気丈に振る舞ってみせたなら、合格だ。これまで瑛士に近付く人間たちにテストをしてきたが、いやはや、きみは見事だった。恋人と言葉ひとつ交わすことができない状態で、信じている、という言葉が出てきたのは素晴らしかった」
大振りな拍手が奏でられ、私は無言のまま、ナイフとフォークを置き、ナプキンで口を拭く。
「きみなら安心だ。今後も我が弟のことをよろしく頼むよ」
「謹んでお断りさせて頂きます」
国永兄の満面の笑みに、にっこり笑って返して、私はナプキンをテーブルの上に置いた。
国枝も橋渡も驚いた表情はしていたが、国永兄の比ではなかった。彼はぎょっと目を見開き、「何故だ!」と叫んだ。私はすうっと背筋を伸ばした。相手を真っ直ぐに見据える。
「だって、今頷いてしまったら、私がこの先彼と一緒にいるのは、あなたに言われたから、になってしまいます」
そんなのは、御免だ。
沸々と生まれてくる怒りに似た感情を、唇を噛むことで押し殺す。
「私が彼の傍にいるために必要なのは、あなたの許可ではなく、彼の願いであり、私の望みです。それ以上にも、それ以下にも、するつもりはありません。……そもそも、今その人に誰が必要か、何が必要か。そんなこと、その人生を歩む本人でもわかるはずがありませんのに、どうしてあなたは、ご自身ならば確実な判断をできるなどとお考えなのでしょう。それはあまりに、――傲慢というものですわ」
あらー、と国枝が口元を押さえた。可笑しそうに。
……可笑しそうに?
恋人(推定。ほぼ確定)が、あれやこれや言われているのに?
「ご、傲慢……俺が、傲慢……?」
国永兄は、身体をわなわなと震わせている。傍から見ても、これ以上ない程わかりやすく、揺れている。その言葉が想定外だったと言わんばかりに。
「そうだね。俺も、そう思ってたよ。新、ちょっと鬱陶しい」
援護射撃をしたのは、国永だった。だがしかし、しばし待たれよ。冷静になれ、私。国永が私に、援護なんてするだろうか。おもしろがって、わざと事態を悪化させる可能性は否定できないが。
「瑛士!」
とうとうぷっつんしたのか、国永兄はだんっとテーブルを叩いた。
「ちゃんと『お兄さま』と呼びなさい!」
「え、そこ?」
国永が突っ込んだ直後、ぽぽぽんっと可愛らしい音がした。ふわりと舞う服。消えた国永兄。――急に出現した、もっふぁもふぁな金色の毛を持つ長毛種のお猫さま。
最上位の席に座っているその猫は、んなああああ、と情けなく鳴いた。