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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第四章 お嬢さまとお猫さまは背中合わせ
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(2)ひとりだけ

 それからというもの、国永の傍には常にといっても差支えがない程、国永みのりの姿があった。別のクラスだというのに、どうやったらここまで付き纏えるのか。驚きを禁じ得ない。

 顔を合わす度に、彼女は私を、毒を含んだ表情で見て来る。それも決まって、二回。彼女が現れた時と、去る時に。ほんの一瞬――それこそ一度や二度なら「ただの勘違いかも」と思ってしまうような一瞬の間に、彼女は的確に私を刺す。

 いや、だから、なんで私なのよ。



 ……とは、もう言えない。



「古比奈さま、いくら従姉妹とはいえ、あの御方は古比奈さまの国永さまにべたべたし過ぎではありませんこと!?」

「外見の美しさ、内面の美しさ、何より国永さまを想う気持ち! あの御方が古比奈さまに敵うものなどありませんのに、図々しいにも程がありましてよ!」

「そもそも! 仮にも上流の人間であるのでしたら、節度を守るべきですわ。あのような、場所を考えないはしたない振る舞い!!」


 今現在、国枝に向かっている悪意の出どころは、確実に古比奈結海関連だったので。これで無関係というのは難儀だ。

 ――無論、私の意思ではないとはいえ。

 だって、別に本当に付き合っているわけではないし。

 国永が誰とべたべたしようが、知ったことではないし。

 全然、ちっとも、これっぽっちも気になったりしませんし?

 心の底からそう思っているのに、否定も肯定もし難いこの状況。まったく嫌気が差す。

 ふう、とため息をひとつ零し、私は彼女たちを窘める。

「みなさま、わたくしの代わりに怒ってくださりありがとうございます。ですが……国枝さまは転校してきたばかりです。ご不安なのですわ。そこに親しくしている身内の方がいたら、お話したいと思うのは、当然のことです」

「古比奈さまぁ……」

 涙で潤んだ目を向けられ、私は「大丈夫」という気持ちを込めてにっこりと笑ってみせた。

「さすが古比奈さま、お優しい……!」

「わ、わ、わたくし、古比奈さまをお慕いしておりますわ~!!」

「そうです、こんなことで亀裂が入るような絆ではありませんもの!」

 そういう意味では、ないのだけど。むしろ不仲説が出た方が私にとっては好都合では……?

 予期せぬ出来事ですれ違い、別れる起因ができてしまって、仕方なくそういう『流れ』に――


 ふう、とため息をまたひとつ。

(……仕方ない、で完結できたなら、良かったのに)

 私の気持ちは、私が思うより、もやもやしていた。


 そうだ。別に、構わない。彼がどこで仲良くしようと。そんなの国永の勝手だ。

 でも、……でもね?


 とさ、と荷物を置く音。そしてすぐに離れていく足音。その先で聞こえる「瑛士くん早く~!」と急かす声。


「…………」

 私へは朝の挨拶も無しですか、と。

 別に好きで返していたわけではないけれど。全てお嬢さまの面子を守るためにしていたことだけれど。それを差し置いても、ね。

 さすがにあの日から、一切目を合わさない、挨拶もしない、というこの状況は、はっきりいって腹立たしい。放課後のあの場所にだって、あの日から一度も――猫の姿でも人間の姿でも――来なくなった。

 おそらく、一番的確に私の気持ちを表すのであればこれは、

『おもしろくない』

 その一言に尽きる。



 それから、悩みはもうひとつ。

「おはよう、結海さん」

「……おはようございます、橋渡さま」

 にこ、と笑って返す。

「結海さんもタメ口でいいのに」

「すみません、慣れないものですから」

 国永の周りに国枝がいるのなら、私の周りには何故か橋渡の姿があった。もちろん、国枝の半ばストーカーチックなあれらとは程遠いけれど。……それでも。やけに距離が近いのだ。これら一連のことを、果たして偶然という言葉で片付けていいものか。


「そういえば、わたくし、先生に呼ばれているのでした」

「なら俺も一緒に行こうかな」

「いえ、そのお役目はわたくしが!」

 橋渡との間に割り込んだのは、志乃だった。ふん、と鼻息荒く仁王立ちした志乃は、「参りましょう!」と私の背中を押して教室から連れ出した。

 廊下を歩きながら、志乃は先程の勢いはどこへやら、心配そうな目を向けてくる。あの時の目と似ていた。国永がドレス姿の私に対して暴言を吐いた直後の。

「古比奈さま、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですわ」

 あの時と同じように返す。

「そうですか。いえ、それならいいのです」

 志乃の寂しげな声に、私の心がちくんと痛む。

 ここ最近、彼女にはいたく心配を掛けていた。ついでにこうして、事あるごとに橋渡を引き離してくれる。……彼への警戒心は、あまり表には出していないつもりなのだけど、いったいどうして勘付かれたのだろう。


 ――ならばいっそ、少しくらい、頼ってもいいだろうか。


 私は、腹の前で合わせていた手に、力を込めた。

「……志乃さま」

「何かわたくしがお力になれることでも!?」

 弾かれたように、志乃が顔を上げる。

 私は一拍固まり、思わず素でふっと笑ってしまった。だって、あんまりに嬉しそうだったから。そんなに目を輝かせることないのに。漏れ出した素の表情を隠しきれず、私は口元に手を当てた。

「ええ、そう。あなたに、ぜひ、訊きたいことがありますの」

「はい、なんなりと!」

 俄然元気を取り戻した志乃は、むんと胸を張る。

「橋渡さまはお父さまのパーティーに参列されていましたね。あれはどのような繋がりでご招待を?」

「えぇと……」

 志乃の勢いが、しゅんと萎んだ。

「実は、わたくしもよく……。お会いしたのも初めてですし、確か参加なさったのも初めてではなかったかしら。あ、父に訊ねれば、詳しくわかるはずですわ」

「ではお父さまに、」



「そんなの、俺に訊けば良いのに」



「~~~~っ!?」

 にゅい、と突然出現した橋渡に、志乃と揃って肩が飛び上がった。え、待って。いつからいた? どこからいた!?

「だって、さ」

 彼は言葉にならない声から、私が何を訊ねたいのか察したのだろう。人好きのする笑みを浮かべた。

「一人より二人、二人より三人の方が良いでしょ? もしかしたら、力仕事かもしれないし」

 力仕事を頼むつもりだったら、わざわざ私を指名して呼び出さないだろうに。

 ばくばくする心臓を押さえながら軽く睨むと、彼はふっと目を細めて、自分の頬をとんとんと叩いた。まるで、剥がれてるよ、と言わんばかりに。何が剥がれてるって、……おそらく、『お嬢さま』としての仮面が。


 やはり、どうにも油断ならない。


「あ、で、俺の話だよね。パーティーの時の。……実は俺、ほぼ飛び入りだったんだよね。知人の紹介で、社会勉強になるからって」

「知人、ですか」

 それはいったいどなたですか、という追撃を避けるように、彼は「だから本当に緊張してたんだよ、あの時」と話題を変えた。

「まあ。とてもそうは見えませんでしたが」

 連れもいないのに一人で行動してあれだけ堂々としているともなれば、むしろ場に馴染んでいるようにさえ見えた。

「本当? そう見えるように頑張ってたから、そう言ってもらえて嬉しいよ」

 誉めたわけでもない。


 肩透かしを食らった気分でいると、突然窓の外に目をやった橋渡が「あ」と声を上げた。

「国永くんと国枝さんだ」

「…………」

 だから何、という言葉を飲み込む。

「今日は庭を散歩してるんだね」

「…………」

 それがどうした、という言葉も飲み込む。

「お似合いだよね、二人」

「わたくしは、古比奈さまと国永さまの方が余程お似合いだと思いますわ」

 すかさず志乃がつっけんどんに言い返した。

「それもそうだね」

 橋渡は、特にこだわりは無い、深い意味は無いとばかりに志乃の言葉を軽く肯定して、笑った。それからくるりと私の方に向き直る。悪意などまるで無さそうな顔で。


「結海さんはどう思う?」


 それを私に振るか。国永とどっこいどっこいな性格の悪さだな。さてどう答えたものかな、と少し悩んでから、私は言葉を選びながら、返事をした。

「三人で……みなさんで仲良くできたら、それが一番だと思いますわ」

 私の回答に何を思ったのか、橋渡は、ふうん、と気の無い反応を見せた。

「余裕のある対応だね」

「それはもちろん、愛されておりますから!」

 ……言うまでもなく、私ではなく志乃の台詞である。間違っても私の発言ではないことを、ここに明記しておく。




「はああああああああ」

 私は大きくため息を吐きながら、背中を校舎の壁に預けた。そのままずりずりと崩れ落ちる。校舎裏に来るのは久々だった。ハイが来なくなってからは、自然と足が遠退いていたから。

 それでも今日来てしまったのは、……疲れたからだろう。

 疲れた。本当に疲れた。

 第一、私は本当にこういう腹の探り合いみたいなやり取りが延々と続くのは苦手だ。普段取り繕っているけれど、本当に苦手だ。ストレスが溜まる。

「それもこれも、国永の所為だ」

 なんだって私が、こんなことに巻き込まれているのか。そしてなんだって、こんなにもモヤモヤしなくてはならないのか。ろくな説明も無いまま、突然関係を断ってくるし。

 ふ、と。

 初日のことを思い出す。

 何事かを耳打ちされ、途端に態度を変えた国永。


 ――あの時、いったい何を言われたのだろう。


 胸の中に巣食っていたモヤモヤが、更にモヤァっと広がる。私、いつまでこうして悩んでいれば良いんだろう。そもそも、どうなって欲しいんだ。仮にこれが原因で『別れる』ことになったって、それはそれで良いはずなのに……モヤァ。

 ぶんっ、と勢いよく頭を振った。

「――こういう時こそ、食うべし!」

 鞄を引っ掴んで、中身を漁る。今日はこれだ! と引っこ抜いたものは、

「……あ」


 ――キャットフードだった。


 暑くなったからウェットフードを持ち歩くのは怖くて、新学期に入ったらドライフードにしようと決めていた。持ち運びのしやすい小袋タイプを物色しながら、以前にドライフードに変えると言った時に眉を顰めていた国永のことを思い出して、肉が好きだから肉系なら少しは喜ぶかなとか、これは食いつきが良いと評判みたいだからこれなら喜ぶかもとか、そんなことを――別に! 考えたわけでは! 断じてないけれど!

 あざといにんまり顔をしている猫のパッケージ。そういえば、ハイが国永だって知らなかった頃、「うちの子の方が可愛い」とか言って張り合ったことが、あったようななかったような……。あれ、国永の前でやらなくて本当に良かった。絶対バレたら馬鹿にされるに決まっている。「そんなに可愛いの、俺?」とかふざけた言いながら、あの何か企んでいるかのような笑みを浮かべるに違いない。きっとそうだ。

 うん。きっと、そう。

「…………」

 手の上に載せた袋を、地面に転がす。かさかさとフード同士が擦れる音がしたけれど、その音に反応するものはいなかった。

 不意に、ぽたん、と雨が降った。

 ぽたり、ぽたり、と。それはアスファルトを濡らしていく。

 どこからか、ぐず、と鼻をすする音がした。



 ここって、こんなに寂しい場所だったかな。

 誰も通らない。だから安心できる場所だったはずなのに。

 ひとりになれるから、安らげる場所だったのに。



 ……いつの間に変わってしまったのだろう。



 今日も、誰かが現れることはなかった。





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