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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第三章 お嬢さまとお猫さまの化かし合い
20/31

(5)意識的な不意打ち

 非常に不安な気持ちで迎えた、パーティー当日。

 私は早朝から、不安が漏れなく的中したことを悟った。

 こんこん、とドアを叩かれ、開けた先にいたのは志乃だった。そして、彼女の後ろに控える、なんだかやけに目がぎらついたメイド服の集団。


「僭越ながらこの大咲志乃、本日のパーティー開始時刻に合わせ、内から外までがっつりと磨き上げ、古比奈さまの魅力を更に更に更に! 引き出すお手伝いをさせて頂きますわ。もちろん、全力で!!」


 勘弁してくれ。今日は部屋でゆっくりお菓子を楽しむ予定だったのに。

 志乃の後ろに控える女性たちは、「ご覚悟ください」と口を揃えた。いや覚悟って何? 『詫び』のはずなのに、なんだかニュアンス違いますよね。わきわき、といかがわしく手を動かしている彼女たちの迫力に負け、私はまるで蛇に睨まれた蛙の如くその場で固まった。

 そこからは、まさに怒涛だった。

 脱がされ、洗われ、磨かれ、塗り込まれ。私を殴る勢いで飛んでくる指示に、途中から反射的に従っていたように思う。終わった頃には全身くたくたのへろへろだった。私の疲労を代償として、上品な甘い香りが身体から漂っている。あーあ、良い香りですこと……。

 姿見の前には、いつもより張りと艶のある肌に、私が用意していた落ち着いたドレスとは違う、露出は控えめなのに妙に色香を際立たせるドレスを纏った私が立っていた。疲れた表情さえ取り繕えば――自分で言うのもあれだが――たおやかな美人に見える。

 傍らには、一仕事終えました、と言わんばかりの達成感を醸し出しているメイド服の方々(確実に、普通のメイドさんではない。その道のプロだ)。

 パーティーの開始時刻は、目前に迫っている。これでは逃げる暇もない。……ちょっとイイ仕事をし過ぎだと思います。


「志乃お嬢さま、終わりました!」

 その声に応えて入室した志乃が、きゃあっと歓声を上げた。

「素敵! これで国永さまもドキドキすること間違い無しですわあ~!!」

「わたくしは国永さまをドキドキさせたいわけでは……」

「普段とはまた違う魅力的な一面を見た国永さまは、嫉妬に駆られて古比奈さまの手を握り、『他のやつには見せたくない』なんて仰ったりしちゃうのですわ!」

 それ、どこの時空の話なの? 元ネタは漫画か何か?

 志乃は自分の妄想に照れ、頬に手を当てて顔を赤くしている。彼女の知識の在り処が気になるところではあるが、それはそれとして、だ。

 ――実際、どんな反応をするだろう、国永。

「楽しみですわね、古比奈さま」

 無邪気に笑う志乃に、私は返答に窮し、曖昧に口の端を上げて誤魔化した。



 ……まあ。

 ちょっとだけ、驚く顔は見てみたい、かも?

 いや、あの、好奇心的な、ね! ほら、いつもいつも私が振り回してばっかりだから、たまには余裕な表情が崩れたらおもしろいなって思っているだけで、別に他意は無いんだけど!


 ……無い、んだけど。



「化けたね」

 言うに事欠いて、それをチョイスするか。



 私は半眼になって彼を睨みつけた。

 他に言うことは無かったんですかね、国永さんやい。思わず完璧なお嬢さまの仮面にもヒビが入った。さすがの志乃もこれには絶句して、それから慌てて「もうっ、そんな照れ隠しを!」とフォローしてくれたが、いつもの黄色い感じはない。国永の傍に今日も今日とて存在感を薄くして立っていた碓井も「うわぁ……」と口にしてから、黙ったままだ。なんか……ごめん、気を遣わせて。

「じゃあ行こうか」

 未だに回復できていない私に、国永は背を向けてすたすたと歩き始めた。その後ろ姿を、いったいどれくらいの時間見ていただろう。長くはなかったはずだ。しかし、そうして凝視している間に、頭に溜まっていた熱いものが、下へ下へと流れていく感覚がした。怒りが消えてなくなったからというわけではなく、例えるならば、怒りがピークを超えて無になる瞬間と似ていた。

 頭も、身体の前で揃えた指先も、やけに冷えている。

「あ、の、古比奈さま、その……」

「行きましょう、志乃さま」

 にこり、といつも通り綺麗に笑ったつもりだった。

 でもおそらく失敗していたのだろう。志乃の表情はますます曇ってしまったから。




 大きな庭園に、白い丸テーブルが配置されている。その上には左右対称に盛られた食事。歓談時間を長く取っていることに考慮してか、デザートや果物も豊富だった。空の青に映えている。キラキラした空間。だというのに、私の心は対照的に曇天だ。

 さっさと肉に手をかけた国永を横目で盗み見てから、私は小さく息を漏らした。

「ごめんなさい古比奈さま、わたくし、皆さまへご挨拶を……」

「大丈夫ですわ。いってらっしゃいませ」

 志乃は心配なのだろう、何度もこちらを振り返りながら、中央にいる彼女の父親のところへと歩いて行った。

 ――さて。

 どうしたものかな。彼女が離れたら、国永に直接物申そうかとも思っていたのだが、今は口を開くと余計なことまで言ってしまいそうだった。何よりここは公衆の面前。『お嬢さま』たる古比奈結海は、こんなところで怒鳴ってはいけない。


 ……なあんて。

 いちいち理由をつけていないと消えてしまいそうなだけだ。気持ち的に。


 馬鹿みたいだ。穏やかに過ごせたな、なんて思って、それで勝手にちょっと期待して。

 ほんと、馬鹿みたい。だから私は、気にしなくたっていい。国永だもん。別に本当の恋人でも、ましてや友人でもなくて。……いや友人でないなら尚のこと、あの態度は人としてどうかと思うけど。でもまあ、関わったり、期待したりしなければいいだけなんだから。

 そうやって何度も言い聞かせるのに、上滑りする。

 ぐ、と唇を噛んだ。下がっていたはずの熱が、目の辺りまで登ってくる。

 ざざ……ん、と波の音が聞こえた。縋るようにそちらの方向を見る。

「わたくし、少し海の方へ行っておりますね」

 返事を待たずに、私は呼ばれるように音を追い掛けた。




 庭園の隅にあるウッドデッキには、既に何人かの人がいた。そこからは海を一望できるようになっている。ある人は集団で少々姦しく、またある人はパートナーと戯れながら、デッキから見渡せる透き通った青の光景を楽しんでいた。だから私が一人増えたからといって、誰もわざわざこちらに目を向けたりしない。

 なんとなく端の方を選んで、手すりに手を置く。ドリンクを貰えばよかったな、とワンテンポ遅れて後悔した。乾杯をした時のシャンパングラスは、無意識のうちにテーブルへ置いたようである。その前後にボーイが回ってきていたような気もするのだが、……記憶が曖昧だ。

(どんだけぼんやりしてんの)

 たかが国永の反応ひとつに。

 心の中で唱えると、急速に全身に苛立ちが広がった。

(大体、失礼過ぎんのよ、あの男……!)

 なにが、化けたね、だー!

 ……ああ、ここが人前でなければ、絶対に海に向かって叫んでいたのに。


 ふう、とアンニュイな気分に存分に浸っていたそのタイミングで、隣から話し掛けられた。

「おひとりですか?」

 気付けば横に、男性が立っていた。男性、と言っても、おそらくは私と同年代だろう。国永が中性的な美麗な顔立ちであるのに対して、目の前の彼は男らしい力強さを持っていた。外国訛りの無い流暢な日本語を話しているが、西洋の血も流れていることが窺える彫りの深い顔立ちだ。

「……ええ」

 しかし何故話し掛けられたのだろう。訝しんでいると、彼は私の疑念を察したかのように、にこっと笑った。

「綺麗な方が手ぶらでいたので、これ幸いと声を掛けてしまいました。ドリンク、よろしければどうぞ」

 夏に合いそうな赤いドリンクの入ったカクテルグラス。私は「ありがとうございます」と口にしながらも、手に取ることを躊躇っていた。

「大丈夫ですよ、手付かずですし、ノンアルなので。……俺もまだ飲める歳じゃないんです。二つ貰ってしまったので、受け取ってもらえると助かるんですが」

「……そういうことでしたら。ちょうど喉が渇いていたので、助かりましたわ」

 なんとなく目が合ったのでお互いに笑みを送り、グラスを持ち上げる。


 そのままの流れで話をしている中で、年齢が同じだということがわかった。

「同い年なら、敬語、無しでも良いですか?」

 構いませんよ、と答えながら、ふと横を見て、んん、と首を捻る。

 ……気のせいじゃなければ、なんだか距離が近い、ような。

 もう少しで肩が触れ合うのではないかというくらいの距離に、それとなく身を引く。すると、不自然ではないくらいの所作で、広げた分の距離がまた縮められる。……気のせい、ではないな。

 今はそういう気分ではないし、そうなりたい相手でもない。ぽん、と浮かんだ国永の顔をぱたぱた消しながら、唇をきつく結ぶ。

「あ、そうだ」

 名案を思い付いたと言わんばかりに、彼の声がぽんと跳ねる。

「海、もっと近くで見に行かない? せっかくだしさ」

「それは」どう返そうか、と思案している私を妨害するように、私と彼の間に割り込んだ者がいた。



「すみませんが、俺の連れなんです、彼女」



「あ、国永、……さま」

 予想外の乱入者に、ぽかり、と口を開ける。

「……ああ、なるほど。そういうことね」

 ハーフ顔の彼は、私たちからすうっと距離を取ると、国永に向かって、にんまり、と口の端っこを持ち上げた。

「パートナーなら、あんまり離れていちゃ駄目だよ」

 彼は上半身を傾け、国永の後ろにすっぽり収まっていた私を視界に収めた。ばいばい、と手を振られる。反射的に手を振り返すと、その手を国永に掴まれた。去って行く彼は、ますますにやにやしていた。





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