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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第一章 校舎裏に佇むお猫さま
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(2)平常心を保てない

「はよ、古比奈」

「……おはようございます、国永さま」


 相変わらずの挨拶攻撃が続いている。いい加減にして欲しい。

 思わず鞄を机に叩き付けたくなる衝動を堪え、私はお淑やかに着席した。

 彼は普段と変わらず、むぐむぐとパンを食べていた。今日はハンバーガー型らしい。中にチキンが挟んである。


「そういえば、古比奈」

「……なんでございましょう」

 挨拶の後に話し掛けられるのは初めてだった。驚きで言葉を詰まらせてしまったが、動揺を悟られるのが癪で、あくまで平常心の振りをして、微笑みを浮かべてみせた。――結果的にそれが後々、周囲から「なんて自然体なのでしょう」「やはり普段からお付き合いがおありですのね」などとあらぬ誤解を受ける原因となることを、当然この時の私は知る由もなかった。知っていたら、恥を捨てて盛大に動揺したのに。なんたる失態――。

 いや、しかしこの時、そんなことを考える余裕を宇宙の彼方まで吹っ飛ばすような、衝撃的な事件が起こったのだ。



「いくら誰も見てないからって、スカートであぐら掻くのはやめた方が良いと思う」



 私は固まった。氷像の如く、かっちんこっちんに。数秒間は心臓も止まっていたものと思われる。

「あと、お菓子――」

「国永っ!……さま!」

 私は一瞬、お嬢さまの仮面をかなぐり捨てて素早く身を乗り出すと、彼の腕をがっしり掴んだ。

 クラスメイトが何事かと私たちに注目している。我に返った私は、鬼の形相を引っ込めて、にこやかに微笑んだ……つもりだったが、もしかしたら口元が引き攣っていたかもしれない。

「あ、あ、あの、わたくし、貴方さまにお話したいことがございますの」

 ぎりぎりぎり。強く掴まれた自身の腕に視線を落とした彼は、一言「いいよ」と返した。当然だ。イエス以外の返答など認めない。

「ここでは不都合がありますので、場所を移しませんこと?」

 騒めく周囲のことなど、ちっとも頭に無かった。

「良いけど……今から授業だから、放課後で良い?」

 ついでに言うと、授業のことも頭からすっぽ抜けていた。


 ぴた、と再び動きを止めた私は、いろんなことがぐるぐると渦巻いている頭で、辛うじて『授業はサボったらいけない』という一般常識を弾き出した。


「な、ならお昼休みはいかがかしら」

「駄目。昼は忙しい。却下。放課後なら大丈夫」

 にべもない返答に、ぐ、と詰まる。さあどうする、と挑戦的な目を向けてくる吊り目――少なくとも、私にはそのように見えた――。

「よ……」本当は今すぐにでも口止めがしたい。それに放課後は大事な予定がある。が、止むを得ない。ここで彼の口から私の秘密が漏れたら、一大事だ。「よろしくってよ」

 ぱっと手を離し、私は再び綺麗に背筋を伸ばし、何事も無かったかのように装い、無心で黒板を見つめる。途中で周囲からの好奇心に満ちた視線に気付いたけれど、それも全て黙殺した。

 心臓が爆発しそうだ。私は必死に自分へ言い聞かせた。

(平常心、平常心。こんな男に心を搔き乱されては駄目だ、私。いいか、平常心だ。平常心、平、常、心……!)

 がくがく震える指先を必死に固定しながら、私はその三文字を、ひたすら唱え続けた。





 ――待ちに待った放課後。

 私は可能な限り素早く鞄に教科書を詰め、帰り支度を済ませた。何故か帰ろうとしている国永の首根っこを捕らえる……直前で、人の目があることを思い出す。

「国永さま、どこへ行かれるのですか」

 呼び掛けに応じた彼は、肩越しに眠たそうな目を私へと向けた。

 しばし、彼はじいっと私を見つめる。

「……ああ」

 さも、今思い出した、と言わんばかりの声色だった。いや、事実忘れていたのだろう。

「なんか……あったね?」

 でなければ、こんな発言が出るものか。

「なんか、あった、ね……?」

 こっちが、これ程にも、精神的窮地に追いやられているというのに、その原因を作った張本人が、言うにこと欠いて、「何かあったね」だと……?

「で、どこで話す?」

 繰り出しかけていた拳を、彼の一言で引っ込めた。そうだ、国永をタコ殴りにするのは、何も今じゃなくていい。それこそ人目につかない場所の方が好都合だ。


 それにしても、人目につかない場所、とは。

 校舎裏……は、案内したくない。でもそれ以外で条件に合う場所を、生憎と私は知らない。知っていたら、放課後はそこにいるだろう。

 ……いや、でも、あの場所でなければ、ハイには会えないわけで。

 そうなると、私は全然、まったく、これっぽっちも問題は無いんだけど、ハイは困るかもしれない。貴重な餌がなくなるわけだから。


(……そういえば、今日のご飯、大丈夫かな)

 鞄の中に入っている猫缶の存在を思い出す。

 大丈夫か。毛並みも良いし、私以外にも餌場の当てはあるだろう。

 とは思いつつも、やはり気になる。ずっと待っていたらどうしよう。食いっぱぐれたらどうしよう。いつもの場所で一匹、ちょこんと座る猫を思い浮かべ、私は途方に暮れた気持ちになる。



「場所、決まらないなら、俺が決めるよ」

 私の了承も待たず、彼はすたすたと歩き始めた。

「ちょ」慌てて後に続くが、普通に歩いているように見えるのに、やけに足が速い。私は嫋やかなお嬢さま像を保ちつつ、時折小走りで距離を詰め、なんとか彼について行った。

 どうでもいいけど、女の子に歩くペース合わせない男はモテないと思う。ほんと、どうでもいいけど。あと残念ながら実際にはこいつ、モテてるんだけど。非常に腹立たしいことに。



 人知れぬ攻防戦――対戦相手すら、対戦したことを知らない――の末、辿り着いたのは屋上へ続く扉だった。

「屋上は立ち入り禁止ですわよ」

 眉を顰める私をちらっと見た彼は、しれっとした顔で「優等生なんだね」と言った。心なしか馬鹿にされているような気がして、むっとする。

「俺も優等生なんだ」

 クールな表情を崩さないまま、彼は懐から鍵をひとつ取り出した。ぎょっとする私の目の前で、国永は鍵穴にそれを突っ込む。

 かちん、と錠が外れる音がした。取っ手を捻って押すと、金属音が擦れる音を立てながら、扉が動いた。空の青が飛び込んでくる。

 屋上なんて、初めて来た。きょろきょろしていると、「そんな珍しい?」と国永は首を捻った。珍しいも何も、ほとんどの生徒は入ったことがないはずだ。


 というか、どうしてお前は鍵を持っている。


 私の視線に気付いた彼は、やや面倒そうに肩を竦めた。

「いろいろあって」

 つまり、事情を説明するつもりは無いようだ。

「ただし、正規な手段ではない」

 しかも犯罪臭がする。

 私は速やかに二歩下がった。

「なに、その反応。そっちだって、そんなに変わらないのに」

 くあ、と大きく欠伸をしながら宣う国永を、私は遠慮無く睨み付けた。

「大きな差があります。わた、わたくしはただ、……隠れてお菓子を食べているだけで」

「校則では、学校にお菓子持ってくるのは禁止されてるけど」

「犯罪よりはマシでしょう!?」

 思わず怒鳴ったが、彼に堪えた様子は見受けられなかった。

「俺だって先生に屋上利用の許可は貰ったよ。……半年前だけど」

「利用期間は?」

「さあ、一日だったか、一年だったか……」

 一日だ。絶対、一日だ。

 それは許可を取ったとは言わないだろう。確実に有効期限切れだ。無許可だ。


 ――いや。いやいやいや。国永の事情なんてどうだっていい。

 問題は、ひとつだ。


 んん、と咳払いをして、真正面から彼と対峙する。

「それより、今朝のことなんですけど……」

「あ、お嬢さまの仮面、取れ掛けてるけど、良いの?」

「よくないわよ!!」

 よくないから、今、呼び出しているのに。

 素で怒鳴ってしまった自分に気付き、すうーはあー、と深呼吸する。落ち着け、自分。向こうのペースに完全に乗せられている。

 というか、マイペース過ぎるのだ、この男が。

 今だって、ほら、怒鳴られたばかりだというのに、軽やかな足取りで柵の方へと歩いて行く。自由過ぎる。

 むくむくと育っていく苛立ちを、なるべく冷静に見据える。いったん仕切り直そう。私は、お淑やかなお嬢さま。それらしい立ち居振る舞いを心掛けなければ。

「それで、なんだっけ?」

「だから今朝の話ってさっき言ったでしょうがぁ!」

 瞬殺だった。がっくりと項垂れる私に、国永が追い打ちをかけた。

「ああ。そうそう、今朝のね。古比奈、ほんとスカートの時はあぐら掻かない方が良いよ。パンツ見えるから」

「見たの!?」

「残念ながら」

 それは、どっちの意味だ。戦慄く私に、彼は答えを授けた。

「個人的意見として、昨日のいちごパンツより、一昨日の青の縞パンの方が良いと思う」

「死ね変態」

 この場合、手が出た私に罪は無いと思う。




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