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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第三章 お嬢さまとお猫さまの化かし合い
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(4)無意識的な不意打ち

「古比奈さま~」

 かき氷を完食してしばらく、やけにほわほわと上機嫌な志乃が現れた。余程海が楽しかったのだろうか。私にとっては地獄のような場所なので、海と楽しい思い出というのがいまいち結びつけられないが、それは人それぞれというものだ。お嬢さまにもいろいろいる。所謂、『全部違って全部いい』。……この言葉、すごく便利。

 海を満喫してきたと思われる彼女は、浴衣を抱き締めるように抱えていた。


「次は温泉に行きましょう」


 海の後に、休憩も挟まず、即座に温泉とは。志乃は案外、体力のあるお嬢さまだ。

 しかし先程から、何やら一人で身悶えている。

「ああ、古比奈さまと一緒に温泉……! なんて夢のあるお話なのかしら! あんなことやこんなことができるなんて……!」

 何をする気なのだろうか。ちょっと逃げ出したくなった。逃げなかったけれども。



 ――後になって、この時に逃げ出さなかったことを全力で悔いた。



「逆上せた……」

 一足先に温泉を出た私は、脱衣室から出てすぐに備え付けられたソファにぼすんっと身体を預けた。髪を乾かすところまでは堪えたけれど、それで体力が底をついた。

 まさか志乃と、温泉耐久リレーをすることになろうとは。否、彼女にはそんなつもりはなかった。単に志乃が温泉好きだっただけだ。嗜好の問題。彼女がいう『あんなことやこんなこと』というのはつまり、様々な温泉に次々と浸かっていくことを指していた。心地よい風が吹き抜ける露天風呂もあったとはいえ、さすがに夏の時分、温泉リレーは辛いものがあった。

「あ~……頭、ぼんやりする~……」

 火照り過ぎた身体をどうにかしたい。脳裏に、「あつい」と言いながら胸元にぱたぱたと風を送る国永の姿が浮かんだ。なるほど、今なら気持ちが痛い程にわかる。


 ぱたぱたぱたぱた、とひたすら風を送り込んでいたら、不意に影が差した。


「何してるの、古比奈」

「んー」

 国永だ、とぼんやりした頭で考える。もしかすると、声にも出ていたかもしれない。とにもかくにも、一言。

「あつい」

「……水とか、ちゃんと飲んだ?」

「うーん……?」

 首を傾げると、目の前の男は肩を落とした。

「……とりあえず、これ、着といたら」

 彼は自分の羽織を脱ぐと、それを私へ被せた。

「だから、あついんだってば」

「いや、だからってそれは……。とにかく、湯冷めしたら風邪引くから。下手したら前みたいに倒れるよ」

 ……確かに、一理ある。そういえば、前に熱で倒れた時、国永に借りを作ってしまったような、しまわなかったような……、当時、余程ぼんやりしていたのか記憶が曖昧だ。どちらにせよ、ただでさえ『願い事ふたつ聞きます』権を二枚も持っている国永に対して、これ以上の借りを作りたくない。断言できる。この男に弱みを握られると非常に厄介だ。

「ほんと、なんで変なところで脇が甘いの、古比奈……」

 だから今、締めてるってば、脇。真っ最中!


 いそいそと国永の羽織を着込む。袖の長さが合わないが、許容範囲だろう。しかしやはり、暑い。……やっぱり脱ごうかな。襟を引っ掴む。そのままぐいっと引こうとしたところで、「ねえ」と声を掛けられた。

「これ、あげる」

 目の前で軽く揺らされる分厚い牛乳瓶。おお、これがまさに、夢にまで見た……ほんのり黄色い液体?

「……コーヒー牛乳じゃない」

 じぃー、とラベルを睨むように見る。瓶に大きくて丸っこい文字で書かれているのは、『フルーツ』の文字だった。

「これもこれで有名どころだよ。フルーツ牛乳」

「ふーん……」

 しげしげと見つめた後に、受け取る。

「飲んだ後で、やっぱり返して、は無しだからね」

「しないよ」

 呆れ顔をする国永に、私は疑いの眼差しを向けた。若干、信用ならない。このまま突っ返した方が正解かもしれない。と思いつつも、私はついフルーツ牛乳とやらの魅惑に負けてしまった。だって、喉も渇いていたし、夢にまでみた『お風呂上がりには、やっぱりこれだよね!』の牛乳なんだもん! 仕方ないよね、うん、仕方ない。


 蓋を開けると、ぽんっ、と小気味の良い音がした。ふんわりと漂う甘い香りに誘われるように瓶を傾ける。フルーツの甘みと牛乳の甘みの配分が絶妙だ。口元が緩々に綻んでいく。

「おいしい!」

「それは良かった」

 牛乳の冷たさが、私の逆上せた頭を冷やしていく。強張った身体が芯から解れていくような感覚。フルーツ牛乳、すごい。


「そういえば国永もお風呂上がり? 猫なのに、水は大丈夫なの?」

「平気。何度も言ってるけど、俺は猫じゃないから」

 確かに何度も聞いた。だが猫の姿の国永は、人間ではなく、猫そのものに見える。あちらの姿の時なら、やはり水は苦手なのでは。わざわざ試す気はないけれど。猫に水をかけるというのは、いくら中身が国永だといっても、やはり非道な行為のように思えるので。……では人間姿だったらいいのか、と問われると困ってしまうが。うーん、それも道徳的によろしくはない気がする。

 ただ、ぶっちゃけると、ハイの方が可愛げがある。中身は同じでも、外見が猫だからだろうか。恐るべき猫効果。

 いっそ猫になればいいのに。夏休みに入ってから、生活にもふもふが足りていない。本当に、ほんの少しだけどね! すこーしだけ、ハイが恋しいというか、なんというか。灰色の艶やかな被毛とか、間違えてインクを零してしまったような黒模様とか、こちらを見上げるくるくるなおめめとか。あと、俊敏そうなしゅっとした足腰も、割とくねくね動く足の先っぽも、普段は身体に巻き付けてあるのに稀にうよんうよんと動く尻尾も捨てがたい。……いや、別に、恋しいといっても、少しだけですけどね。ほんとに。ほんとだから!


 でも、ほら、そろそろ猫になってもいいのでは?


 ささやかな希望を込めて、いつも通り飄々としている国永の横顔を見つめる。

「……案外、猫にならない」

 予兆は一切無かった。

「急に何?」

 訝し気な国永から、そっと視線を外す。

「国永、お腹空かないの?」

「あ~……学校と違って、自由が利くからかな。食べ物たくさんあるし」

「ふ、ふーん」

「……まあ、気が向いたら猫になって散歩するかもしれない」

「そ、そうですかぁ」

 いつだろう、気が向く時って。

 そわそわする私をじいっと見てから、「古比奈ってわかりやすいよね」と猫のように目を細めた。

「え? わかりやすくないけど」

 何言ってるの、という目で見れば、同じような目で見つめ返された。

「いったいどこから来るのその自信は」

 だってこれまで周りの目を欺いて生活してきているわけだし。国永だって、猫だったから油断しただけで、そうでなければ今だってバレていなかったはずだ。

 そう主張すると、国永は口を尖らせた。

「俺は猫じゃなくても、気付いたよ」

「いやいや、私の擬態は結構なもんだから」

「それでも気付いたと思う」

 なんで食い下がってくるのだろう。ふと横を見ると、予想外に距離が近かった。驚いて身を引くと、国永も同じように、少しだけ離れたところだった。


「……けど、まあ」

 国永はわざとらしく肩を竦めた。

「そういうことにしといてあげる」

 どうして譲ってやった感を出してくるのだろうか。反論しようかとも思ったが、国永がまるで照れ隠しをするかのようにツンと澄ました顔をしていたので、気を削がれてしまった。なんだかその横顔が、(ハイ)に被って見えたので。

「じゃあ、まあ、私もそういうことにしといてあげる」

「うん」

 うん、って。

 嫌味が飛んでくるかと思っていたので、肩透かしを食らった気分だ。思わずふっと笑ってしまう。それを隠すように、再び牛乳瓶に口をつけた。



 ――それにしても。



 これまでこんなにも心穏やかに国永と話をしたことがあっただろうか。今、国永は穏やかな表情を浮かべていて、もしかしたら私も同じかもしれない。その考えに至った途端、何故だか妙に落ち着かない気持ちになった。

「あ、志乃さん」

 脱衣室から出てくる友人の姿を見つけ、私は慌ただしく立ち上がる。

「じゃあ、俺は戻るね」

 私とは対照的にゆっくりと立ち上がった国永は、志乃と合流する前にさっさとその場を離れてしまった。あんなに急いで行く必要は無いのにな、と思いながらもその背中を見送る。


「古比奈さま、お待たせ致しました! 先にお部屋にお戻りになられていて構いませんでしたのに……」

 待っていた、というよりも、休憩していたら結果的にそうなってしまったのだが、さすがに言い出せない。私は曖昧に笑って誤魔化した。

 志乃は私の前に立つと、あら、と声を上げた。

「そちらのお召し物、国永さまのものですか?」

「あ……、え、ええ。先程貸して頂いたのですわ。湯冷めするから、と。でももう大丈夫ね」

 国永のものを着ていることに羞恥が湧き、私はさっさと上着を脱いだ。再び志乃が、あら、と声を立てる。今度は少しの笑みを含んで。

「古比奈さま、浴衣の衿が崩れておりますわ」

 自身の姿を見下ろせば、指摘通り、胸元がはだけていた。角度によっては危うい――つまり、その、見えるかもしれないレベルだ。そういえば、身体の火照りをどうにかしようと、胸元を緩めて風を送り込んだ記憶が無きにしも非ず……どころか、ばっちりと記憶に残っている。


 ――理解した。それで、国永、出会い頭にあの反応……。


 うわあ、と全力で頭を抱え込みたくなったが、お嬢さまの『古比奈結海』は人前でそんなことはしない。気力で耐えてから、意識的にゆっくりと衿元を直した。

 私の挙動を目で追っていた志乃が、何かに思い立ったように目を丸くし、ぽんと両手を合わせた。

「ああっ、古比奈さま! わたくしったら!! 申し訳ありません。お二人のあまーいお時間のお邪魔をしてしまいましたのね」

「はい……?」

 彼女の飛躍した発想に、間抜けな声をあげる。数秒遅れで発言の意味を理解して、慌てて否定しようとしたが、遅かった。

「温泉ではしゃいでいたとはいえ、一生の不覚ですわ! このお詫びは、必ずや明日のパーティーで致しますので!」

 ちょっと待って。何をどう、致すおつもりなのか。

「そうと決まれば準備をしなくては! もう時間がありませんものーっ!!」

「いえあの、間に合わなくても全く問題は、」

 無いのですが。

 私が言い終える頃には、既に志乃の姿はその場に無かった。






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