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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第三章 お嬢さまとお猫さまの化かし合い
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(2)安心できない「大丈夫」

 別荘。――なるほど、別荘ね。

 ちょっと想像していたのと違った。どちらかといえば、これは、お城? 先がつんつん尖った赤い屋根を持つレンガ造りの洋館が、どんっと聳え立っている。何を隠そう、志乃の実家もまた、大層なお金持ちなのである。

 その向かいには、だだっ広いビーチがあった。綿菓子のようなもこもこした白い雲が、水平線からこちらを覗き込むように、上へ上へと積み重なっている。私は対岸の見えない海の先を、ただひたすらに睨み付けていた。

 それにしてもこの景色、日本っぽくない。

 ……当たり前か。日本じゃないのだから。



(まさか、海を越えることになろうとは……)



 ――予想外である。

 これじゃ、途中で何かしらの理由を付けて逃げ出そうとしていた私の計画がめでたく水の泡だ。海だけに。

「古比奈、まだこんなところにいたの」

「……国永、さま」

「大咲さんが、温泉だ海だとはしゃいでたよ。今も待ち構えていると思う、入り口で」

「うう、入りたくない……」

 頭に被った麦わら帽子の鍔をぎゅっと握り締め、思わず口から紛うことなき本音が漏れ出した。国永は心底可笑しそうにしている。他人事だと思って――いや、実際は他人事ではなくて、当事者なんだけども。

 ――ほんっと、どうして私だけがこんなにも悩んでいるのか。

 端的に述べて、理不尽だ。

 じっとりとした目で睨んでいると、国永は小首を傾げ、やがて「ああ……」と得心がいったように軽く顎を引いた。やれやれ、ようやくこの男にも当事者意識が――


「って、それ、私の荷物っ」

「ん? 重くて持てないのかと思って」


 ――あるはずもなかった。

 私が国永を睨んでいたのは、決して「荷物持てや」の意ではない。断じて違う。なんでこんな時だけレディーファーストを気取るの、この男。わざとでしょ、絶対わざとでしょ!?

「違っ……い、ますわよ! 返してくださいませ、自分で運びますから!」

 洋館のドアが微かに開いたのを見て取り、私は慌てて口調を取り繕った。まだ距離はある。あるが、万が一ということもある。

 左右に低い生垣が並ぶ石畳の道が、遠目でも大きいとわかる扉まで、真っ直ぐに伸びている。生垣の向こう側には美しい庭園が広がっている。余裕があれば目を向けただろうが、生憎とその余裕が無かった。長い足を存分に活かして、ひょいひょいと進んでいく国永に追いつこうと、私は小走りになる。そうしながら、なんとか荷物を取り戻そうと手を伸ばすが、手は宙を掴むばかりで、一向に思い通りにはならない。


「それにしても重い。いったい何が入ってるのコレ」

 重い、重いと言いながら、国永は私の荷物を軽々と運んでいる。

「女性の嗜みグッズその他諸々ですわ! 至って普通です!」

「あ、わかった。お菓子だ」

「ひ、ひ、人の秘密をそんな軽々しく……っ」

「大丈夫。聞こえる距離じゃないから。……で、それも入ってるでしょ?」

「入ってますけど、それが何か!?」

 もはややけくそである。国永は何が可笑しかったのか、肩を震わせている。ぼそっと小声で何事かを呟いた。よく耳を澄ませると、単語が聞き取れた。

「……女性の嗜み、……お菓子……」

 何か文句でもあんのか、この野郎。私は躓いたフリをして、国永の背中を叩いた。ばしっ、と我ながら良い音。さすがの国永もたたらを踏んだ。

「……痛いんですけど」

「あらごめんなさい、転びそうだったものですから、つい腕を前に突き出してしまいましたの」

 ほほほほ、と笑ってやると、彼は仕方なさそうに肩を竦めた。……ちょっと、何一人だけ大人の対応してるのよ。


「古比奈さま~!」


 開いた扉からひょっこりと現れた志乃が、満面の笑みで大きく手を振っている。私は慌てて手を引っ込め、お淑やかに笑ってみせた。

「今更」

「煩い」

 今更なんかじゃないやい。私はこっそりと国永の背後に手を伸ばし、彼の背中を軽くつねった。――よもやそれが志乃から見たら、仲睦まじく歩いているように見えるとは、露ほども予想していなかった――。



「ようこそいらっしゃいました。申し付けてくだされば、どこへでもお迎えに上がりましたのに。それこそ御自宅の前まで」

「お気遣いなく。道中も楽しかったですもの」

 志乃は私の顔と、国永の顔を見比べて、「そうですわね。水を差してはいけないわ、わたくしったら」と何やら違う方向へ納得したようだった。全力で否定したいところだが、経験の少ない空の旅で疲れも蓄積している。辛うじて残っていた体力は、先程の国永とのやり取りで、根こそぎ持っていかれた。

「お部屋に案内致しますわ。……国永さま、荷物はそちらの者へ」

「ん、いいよ。俺が運ぶから」

「え、いえ、そんな、わたくし、自分で運、」

「うふふ、お願い致します」

 私の意見は!?

 軽やかな連携プレーに、顔が引き攣る。いつの間にそんなに息ピッタリに?

 上機嫌の志乃の後ろをついて歩きながら、私は胸に手を当てた。こんなやり取りをしていると、いずれボロが出るのではないかと、無駄にはらはらする。心臓に悪い……。

 そんな私の様子を察知した国永が「大丈夫だよ」と宣った。

「俺、今回、とことん古比奈を揶揄い倒すって決めてるから」

「それのどこが大丈夫なのでしょうか」

 大丈夫の、逆では。いっそ、真逆では。

 つっけんどんに返事をすると、国永はくすっと笑った。

 だから、その笑いが怖いんだってば――!!




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「お部屋はこちらですわ」

 通された部屋は、外観に違わぬ洋部屋だった。調度品は一級品だが、無意味に豪奢なわけではない。全体的にシックで品のある部屋だ。良かった。私は人知れず安堵の息を零した。部屋がハートマークに溢れていたら、即行で帰国しているところだ。

「荷物、ここで良い?」

「はい。……ありがとうございます」

 頼んだわけではないが、礼は言って然るべきだろう。胸に抱いている不満を隠し、なるべく丁寧に頭を下げる。


 ふー、と息を吐いた志乃が、物憂げな顔をする。

「本当はツインルームにしようかと思ったのですが」

 やめて。無理だから。そういう関係ではないから。嫁入り前だし。

「父に止められましたの」

 でしょうね。常識的に考えて、でしょうね。お父さまグッジョブ。

「まだちょっと早い、って」

 そうそう、まだちょっと早い……って、いや、いやいやいや。ちょっとではない。程遠い。掠りもしない。だがしかし、まかり間違ってその手の話が志乃の父から、うちの母の耳に入ったら一巻の終わりだ。現実はそんな甘い関係とは程遠いのに、強制的ゼロ距離の術が発動されてしまう。

 数々の言葉を飲み込んで、私は何もわからない素振りをしながら「まあ、そうでしたの」とだけ答えた。この話題、広げてもなんの得にもならないし。ただし、後ほど志乃経由で、彼女の父に、くれぐれも私の母の耳には入れないように口止めをしておかなくては。


「……俺は別によかったけどね、それでも」


「あらやだ国永さまったら何を仰っていらっしゃるのかしらぁ……?」

 ちょっと、こっちが全力でばっくれてるのに、掘り下げないでよ!

 志乃がいなければ、胸倉を掴んでいただろう。冗談抜きで。

 最初に交わした約束はどうした。無意味に付き合っているアピールをしないでよね、偽装なんだから、これ! 最終的に困るのは、決して私だけではないはずだ。

 志乃が部屋の簡単な説明をするために私たちから顔を背けた隙を狙い、ギッと睨むと、揶揄混じりの微笑みが返ってきた。その余裕そうな仮面、いつか引っぺがしてやりたい。

 想像の中で何度か国永を殴り倒しながら、志乃の説明をあらかた受ける。


「――こんなところでしょうか。ご不明な点や、ご要望がありましたら、遠慮なくお申し付けください。既に招待状を送らせて頂きましたが、パーティーは明後日の夜に開催されます。今日は移動でお疲れのことと思いますので、明日、いろいろ楽しみましょう。ええ、それはもう、いろいろと」


 何故、いろいろ、を強調するのだろうか。そういえば、誘われた時に、『キャッ★ラブラブ♡ドキドキお泊まり大作戦』やら、『全力で場を整える』やら、言っていたな。

「……あの、志乃さん? 本当に、お気遣いなく……」

 しかして、私の声は彼女の耳には届いていないようだ。

「楽しみですわあ!」

 にこやかな表情を崩さない志乃を見、国永がこっそり耳打ちする。

「そろそろ覚悟決めた方がいいんじゃない?」

 絶対、決めてなんかやらない。



 ……とはいえ、楽しみにしていた志乃の好意を蔑ろにするというのも、できるものではなく。



 ざざーん、ざざーん、と浜辺に打ち寄せる波の音をBGMに、私はパラソル型の影に潜り込み、ひたすら海を眺めていた。この辺りいったいの浜辺は志乃の家が所有しているらしい。プライベートビーチというだけあって、人は疎らにいるのみだった。おそらく浜辺を使用しているのはパーティーの招待客だろう。波打ち際には志乃の姿があった。向かってくる波を蹴って遊んでいる。そんな彼女に、近付く人間もちらほら。おそらく顔馴染みなのだろう。私はふいっと顔を背ける。なるべく何も視界に入れないように。海の青か、空の青か、とにかく遠い場所へ目を向ける。

「……何してんの」

 呆れを含んだ声が、横から聞こえた。私は意地でもそちらを見ないようにしている。

「は、破廉恥な格好を見ないようにしております」

「…………」

 しばしの沈黙の後、国永は迷い無く言い切った。

「古比奈って、思った以上に馬鹿だよね」

「んなっ!? 失礼――にゃあ!!」

 反射的に睨んだ先には、海パン姿の国永がいた。当然のように上は何も着ていない。慌ててぐいっと顔を横へ背ける。上を、上を着れば、いいのに!


「……古比奈、水着は?」

「持っておりません。嫁入り前の娘が不用意に肌を見せるなどとは言語道断。異性不純交遊にあたります」

「まじか。あんたいったい、なに時代の人?」

「現代ですけど!?」


 再度睨み、すぐにまた視線を外す。うえ、うえを、と繰り返し言っているのに、聞き入れてもらえない。変に意識して、顔が熱い。ただでさえ夏というだけで暑いのに。頭が茹だりそうだ。

「それにしても耐性が無さすぎるでしょ。なんでそっち方向だけそんなにも旧時代的なの。古比奈家はそういう教育方針なの? それとも天然モノ?」

「お嬢さまの嗜みです」

「大咲さんは普通にはしゃいでるけど」

「し……知りませんっ!」

 叫びながら、ぽすんっと膝の間に顔をうずめた。

「…………」

「…………」

 お互い、沈黙を貫く。先に話したら負けるような気がした。国永がどう思っているのかは知らないけれど。


「あのさぁ」


 ようやく、彼から沈黙を破った。が、私が勝ったわけではないというのはすぐにわかった。その声が多分に愉悦を含んでいたためだ。嫌な予感がする。この上なく嫌な予感。国永の笑顔を見た時くらいの嫌な予感。つい先程、揶揄い倒す宣言をされたばかりであるし。そのまま口を縫ってくれないものかと思ったが、無理な願いだった。彼は言葉を続ける。冷や汗が滲む。

「たとえば今、俺が古比奈に抱き着いたら、おもしろそうだよね」

「なっ……、ば、馬鹿! 変態! 人でなし! 悪魔!」

「そこまで嫌がられると、ますますやりたくなるのが人間の心理」

「ああああんた人間じゃなくて猫でしょうが!?」

「だから、猫じゃないってば」

 肩にぽんっと手が置かれた。ひ、と引き攣ったような声が漏れる。これはもう意を決して抗議する他ない、と顔を上げた。そこには、水着姿の国永が――いなかった。

「……パーカー」

 羽織るだけではなく、ファスナーも胸元まで閉まっている。

「うん、さっき着た」

 これなら問題ないでしょ。と言いながら、国永は私の肩から手を離し、すっくと立ち上がった。


「俺、そろそろお腹空きそうだから戻るけど、古比奈はどうする? 一緒に戻る?」


「……戻ります」

 度重なる攻撃に半べそをかきながら、私は深々と頷いた。縋る相手が、苛めてくる張本人だというのが、釈然としないところだけれど。





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