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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第三章 お嬢さまとお猫さまの化かし合い
16/31

(1)不安広がる夏休み

 朝起きると、蝉がわんわん鳴いている。そんな季節になった。

「…………」

 付け加えると、髪の毛が横に広がる、嫌な季節だ。私こと古比奈(こひな)結海(ゆうみ)は朝一番に鏡台の前に座り、自分の髪をぎりぎり睨んでいた。なんなのこの爆発した髪は。昨日あんなにブローしたのに、どうしてこうなるの!

 ぬがー、とか、うがー、とか。そういう奇声を上げながら、時計をちらちら都度確認し、身支度を進める。朝の一分一秒は異様なまでに貴重なのだ。



 そんな戦いを終えた後の学校は、朝の時点で、結構くたくた。

 校門から昇降口に向かって歩く、お嬢さま、お坊ちゃまの群れ。周辺にキラキラとしたエフェクトが掛かっているような気がする。そのふわふわしっとりな髪には、自分と同じ苦労が詰まっているのだと信じたい。……どうしよう、私だけだったら。

 ともすれば唸りそうな程の心持ちで、しかし表面上はあくまでお嬢さまのにこにこ仮面を張り付けながら優雅に歩いていると、突然後ろからぽんっと肩を叩かれた。ぴゃっ、と素の悲鳴を上げそうになったが、辛うじて堪える。


「はよ、古比奈」

 もぐ、と唐揚げ棒を頬張る能天気そうなこの男は、国永(くになが)瑛士(えいじ)という。

 容姿端麗、文武両道。そんな素敵無敵な四字熟語を欲しいがままにするこの男は、私の『無類のジャンクフード好き』という秘密を知る唯一の人物であり、逆に私は彼の『空腹感を覚えると猫になってしまう』という秘密を知っている。

 現在、お互いの利害の為に、私たちはお付き合いをしている。もちろんこのお付き合いは、演技だ。不本意極まりないけれど。その上、私は気苦労が絶えないというのに、むしろ国永はおもしろがっているようにしか思えない。


「おはようございます、国永さま」

 今日も今日とてやけに馴れ馴れしく接してくる国永に、せめてもの抵抗とばかりに、ふいっと顔を背ける。そんなことは意に介した様子も無く、彼は当然の如く私の横に並んで歩き始めた。

「珍しいね。登校時間が同じなんて」

 髪を直すのに時間が掛かったためだ。だがしかし、それを馬鹿正直に口にする程、馬鹿ではない。特に国永には、絶対言わない。

「たまたまですわ」

「嬉しくない?」

 ええ、そりゃあもう、当然、ちっとも、嬉しいわけがない。

 そう言おうとした私を遮るように、背後できゃああっと黄色い悲鳴が上がった。


「まあご覧になって、お二人の仲睦まじいこと……!」

「今日は一緒にご登校なさっているのね」

「熱く見つめ合って、どんなお話をしていらっしゃるのかしら」

「そんなの甘い言葉を交わしているに決まってますわ!」


 ぞわあっと背筋を冷たいものが駆け抜けた。甘い言葉? そんなもの、交わしませんから!

「相変わらずすごいね、噂」

「……そうですわね」

「なんなら本当に仲良く手でも繋いでみる?」

 ほらね、この男、絶対おもしろがってる。なんだってまた、油を注ぐような真似をしようとするのだろう。

 春のハイキングで国永に散々揶揄われた記憶が、まるで昨日のことのように蘇る。大体、そんなイベントがなくても、常日頃から人を揶揄うことを生き甲斐にしているような輩である。これもその一環に違いない。

 私は慎み深い微笑みを顔面に装着した。

「結構ですわ。人前でそのようなこと……恥ずかしいですもの」

「問題ありませんわ! 恥じらう古比奈さまは一段と美しく、国永さまも惚れ直すこと間違い無しです!」

 私の横にぴょこんと顔を出したのは、私の友人(というか、妙な敬拝をされているように思えてならない)の大咲(おおさき)志乃(しの)である。彼女は今日も今日とて元気溌剌といった具合で、にんまりと挑発的な笑みを浮かべている。

「そうと決まれば、さあ! わたくしどものことは、ただの背景としてさらっと無視して、さあ、さあさあ!」

 待って。何も決まってないからね?

 御手を御手を、と迫ってくる志乃を前に、今すぐ逃げ出したい気分に駆られていると、彼女の後ろにぬっと影が現れた。


「あんまり無理強いすると嫌われちゃいますよぉ」

「ひっ!?」


 志乃の背中が大袈裟なまでに、びくうっと跳ね上がった。まるで幽霊と遭遇したかのような形相だ。そのまま彼女は肩越しに振り向き、そこにいた人物に向かって怒鳴った。よく見ると、少々涙目だ。

「あああああなた、あなたね、背後から急に近寄らないで頂戴。心臓に悪いわ!」

「急ではないですよ。僕、大咲さまより先にここにいましたから。どちらかといえば、大咲さまが僕を追い越していった感じです」

 害の無さそうな顔でほにゃほにゃと笑う碓井(うすい)(けん)は、「でもすみません。僕、影が薄いものですから、お気付きにならなかったんですね」と続けた。彼曰く、志乃の登場よりも先にここにいたそうだが――というか彼は国永の従者だから、今朝も彼と一緒に登校していたのだろう――、私もまったく気付いていなかった。常々、影が薄い、と自己申告している通り、彼はなかなか他人から認識されないという特性を持っている。

「そうよ、影が薄いあなたが悪いのよ。濃くなさいな」

「僕もできればそうしたいところなんですけどね~」

 あまりにもへらへらと笑うからか、志乃は鼻白んだ様子で「……もういいわ」と吐き捨てた。


 そんなやり取りをしている間に手を繋ぐ云々の話は有耶無耶になったようで、無事に教室まで辿り着くことができた。

 しかし、ほっと安堵したのも束の間、やけに静かにしていた国永の口から問題発言が放たれた。

「残念。手繋ぎデートはまた今度だね」

 手繋ぎ……デート、だと? デートって、あの、お付き合いしている人同士がキャッキャウフフと行うアレのこと?

 唖然とする私を置いて、周囲のお嬢さまがたがまたもや頬を桃色に染めて、きゃああっと歓声を上げた。え、待って国永、なんでそのキーワードを捨て置いて去っていくの。この空気をどうする気なの。

 歓声役(エキストラ)にはもはや言うまでもなく、志乃も参加していた。私は彼女が余計な気を遣わないことを切に願った。



 ――無理だった。



 終業式。つまり、明日から夢のような夏休みが始まる日。

「古・比・奈・さまぁ」

 いつもよりも更に甘い声で彼女が近寄って来た時点で、私はこの上なく嫌な予感がしていた。

「……なんでしょう、志乃さん」

「うふふ、わたくし、いいことを思いつきましたの!」

「いいこと、ですか」

 それはつまり、私にとっての『悪いこと』ではなかろうか。真顔になりかけた顔に慌てて微笑みを乗せてはみたものの、上手くいっている自信は無かった。

 深く訊きたくないなあ。知りたくないなあ。でも訊かなくても話してくれそうだなあ。

 私がまごまごしている間に、案の定、これでもかと胸を反らした志乃が「ズバリ!」と人差し指を天へ向けた。


「『キャッ★ラブラブ♡ドキドキお泊まり大作戦』ですわぁ!」


「ぷっ」笑ったのは断じて私ではない。碓井だ。またも知らぬ間に近くにいたようである。

 いつもなら、驚くか笑うかするところだったが、今の私にその余裕は無く、悪意をぐりぐりと練り込み固めたような『善意』を前にして、ひたすら青褪めていた。碓井の隣に立つ国永と目が合う。どうしてこいつは涼しげな顔をしているのだろう。

 志乃がギッと碓井を睨む。

「何よ、そこの眼鏡! なんか文句でもあるの!?」

「眼鏡ではなく碓井です、大咲さま。それにしても素晴らしいネーミングセンスですね」

「え!?……そっ、そうでしょう!」

「常人ではなかなか思いつきません」

「そうでしょう、そうでしょう」

「あまりにダサくて」

「そうで……失礼ね、あなた!」

 がうっ、と志乃が吼えた。ごめんなさい、と碓井が素直に謝る。謝っているが、顔は始終にこやかなままだった。意地悪だ。この従者あって、この主人ありということか。


「それはそれとして、その作戦はどのような内容なんですか? 僕の主人にも関係があることなんですよね」

 僕の主人、という言葉で、碓井を仲間に引き入れた方が良いことを思い出した志乃は、未だ拗ねたように唇を尖らせながらも、「主役ですもの。当然ですわ」と答えた。

 国永が、こて、と首を傾げる。

「俺、主役?」

「は……はい! もちろんですわ、国永さま!」

 志乃が上擦った声を出した。普通に歩いているだけで、周囲のお嬢さまがたからきゃあきゃあ言われる国永である。志乃とてその例外ではなかった。

 もじもじと身体を揺らしながら、しかし(はや)る気持ちは抑えられなかったのか、彼女は気持ち前のめりで「実は!」と話し始めた。

「お父さまが、夏に別荘で小さなパーティーを開催致しますの。招待したい友人がいたら誘っていいと言っておりましたので、ぜひお二人を、と。……あっ、友人だなんて、おこがましいですけど! でも、ゆっくりできると思いますのよ。天然温泉にも浸かれますし、お部屋の設備もばっちり!」

 残念ながら、ゆっくりできる気がしない。断ろう。


「コーヒー牛乳もありましてよ!」


 耳がぴくっと動いた。こ、コーヒー牛乳? って、下町にあるという銭湯で販売しているという噂の? 「やっぱ風呂上がりにはコレだよなー!」と言わしめる、例の?

 ……それはちょっと興味ある。ごきゅり、と喉が鳴った。

 傾きかけた心をぐいっと押し戻したのは、続く志乃の言葉だった。

「お風呂上がり。火照る頬。浴衣から覗くしっとりした肌。色気溢れる姿に、ドキドキが身体中を駆け巡ること間違いなしですわっ! そしてお二人は手と手を握り、見つめ合い、更に愛を深めてゆくのです……きゃっ」

 ストップ、ストーップ! 深まって堪るか。

 ハートを飛ばす勢いでぴょんぴょこ飛び跳ねている志乃から一歩距離を取りながら、私は申し訳無さそうな表情を作った。

「お気遣いは嬉しいですが、やはりお邪魔するのは――」


「いいんじゃない。行こうよ、古比奈」


「はっ!?」

 思わず、素が出た。それを誰かが気にするよりも先に、国永が畳み掛ける。

「夏休みに古比奈と出掛ける予定、なかったし。……それに、意趣返しの機会もできそうだし」

「意趣返し?」

「ん?……ああ、なんでもないよ。こっちの話だから」

 にっこりと笑う国永。この顔のこの笑みが油断ならないことを、私は知っている。

「よろしく、大咲さん」

「お任せくださいませ! 大咲志乃、全力で場を整えさせて頂きますわあ!」

 お願いだからやめて!?

 なんだろう、場を整えるってどういう意味だろう。更に募る不安感に、私はあがあがと口を開け閉めする他なかった。この学校に、私の味方はいないの? ねえ?

 狼狽する私を見て、志乃はピンと閃いたようだ。

「あ、温泉がお嫌いでしたら、近くに浜辺もありますの。暑いですし、そちらの方がよろしいかしら。浜辺ならお二人で手を取りながら駆け抜けることができますわ。もしくは、沈みゆく夕日をバックに甘々な時間を……お二人のお顔は徐々に近付き……きゃっ」

 追加攻撃に、私の不安は更に募った。駆け抜けることも、近付くことも有り得ませんけど……! きゃっ、て何よ!?



 私はせめてもの抵抗として、「親に許可を得てから返事をする」と伝えた。

 父と母は、話を聞くなり即座に答えた。

「楽しそう! いってらっしゃい!」

 ……学校どころか、家にも味方はいなかった。






そうこうしているうちに時が流れ、「寒っ」と思いながら夏の話を書くことになってしまいました。

油断してると寒い表現が出っ張ってきます寒い。

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