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猫被りなお嬢さまとお猫さま  作者: 岩月クロ
第二章 お嬢さまは体力消耗中
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(5)人の手で足りる

 バスに乗り込む。

「古比奈さま」中に入ったところで、碓井に呼び止められた。「よろしければ、席を交換して頂けませんか」

「席、ですか……?」

「はい、できれば窓際の席が良いんです。歩き疲れてしまったみたいで。大咲さまが案外しぶとくて、中腹まで進まれましたから」

 碓井の顔をしげしげと見つめる。にっこり笑った顔には、疲れの類いは一切見受けられない。歩き疲れ……? どのあたりが?

「しぶといって……どういう意味よ!」

 志乃が歯を剥く。私と席を変わるということは、その志乃の横になるということになるのだが、大丈夫だろうか。相性、あまり良くないように見えるが。

「あの、わたくしはよろしいのですけれど……」

 幸い、ジェットコースターの気持ち悪さは脱している。

 問題があるとすれば、……ちら、と志乃を見る。彼女は未だにがるがる威嚇をしていた。彼女がイエスと言うとは思えない。万が一にもイエスと口にしたとして、隣同士の席で喧嘩しないだろうか。

「あなたの隣なんて絶対にイ、」

「僕の席、隣が瑛士さまなんですけどね」

 志乃がぴたりと固まった。何やら考え込んでいる。


 ――って、ちょっと待って。それってつまり席を代わったら、国永の隣になるってこと? 私が嫌だよ!


「志乃さんも嫌がっているようですしわたくしも志乃さんの隣が良いのでやっぱり他の人に頼――」

「いいですわ。席、交換致しましょう」

「え!?」

 困惑する私に、志乃が「一肌脱ぎました!」と言わんばかりのイイ笑顔を向ける。脱がなくて良かったのに! 全然良かったのに!!

 本当に。

 だってこの状況になってもなお、国永、全くこっちを見ないのに。

 これで二人で横並びって、どんな拷問よ。


「すみません、古比奈さま。瑛士さまのことよろしくお願いします。できれば機嫌直しておいてもらえると助かります」

 よろしくされても。ていうか、ご機嫌とりこそ従者の仕事では?

「眼鏡の隣は嫌ですけど、古比奈さまと国永さまにラブラブシチュエーションをご用意できたことに関しては、悔いはありませんわ……っ!」

 眼鏡って……名前で呼んであげなさいよ。あと、お願いだから悔いて。

 というか、ラブラブシチュエーションって何それ。私と国永なのに。この空気なのに。有り得ない。身を引く私に、碓井がにっこり笑う。

「最後尾なので、手を繋ぐくらいならばれないですよ」

 要らんわ、そんな情報!


 ――かくして、地獄が始まった。





 だんだんと、肩が凝ってきた……気がする。国永は頬杖を突いて、窓の外を見ている。私もできれば車窓からの景色を楽しみたかったが、そちらを見ると必然的に国永が視界に入ってきてしまうので、ただひたすら前の座席の背面を見つめ続けていた。

 暇だ。暇だけれど、居眠りもできない。ああ、すごく暇だ。辛い。

 これが心にもないことを言った罰だというなら、そろそろ許されたっていいんじゃないかな、なんて勝手なことを思う。だってこれ、地味に本気で結構な地獄風味だよ?

「……研、いつ戻るの」

「え、……さ、さあ? どうでしょうか」

 戻るつもりがあるのかどうかもわからない。もし戻るとしたら次のサービスエリアだろうけど、そこまではまだ距離がある。

 その旨をぼそぼそと伝えると、彼は小さく「ふうん」と零して、それきりまた黙ってしまう。カチンときた。引き金を引いたのは私だけど、でもそれに対して文句とか言いたいことがあるのなら、直接言えばよくない? 相変わらず窓の外を見てばかりの国永を、横からきっと睨んだ。視線は当然のように絡まない。

 むかむかを胸に抱えていたら、バスガイドの女性の声が前方から聞こえた。

「もうあと五分程で、サービスエリアに到着します。集合時間は後程またお知らせしますので、もうしばらく席にてお待ちください」

 着いたら、とっ捕まえて一言文句を言ってやる。

 私はむんと胸を張った。


 ――ただ、得てしてそういう時に限って問題というものは起こるのだ。


「はい、間もなく到着です。完全に停まるまでシートベルトはそのままでお願いします。十五分の休憩を取りますので、集合時間は……十五時四十五分ですね」

 声が止むと同時に、バスが停車する。次々にバスから放出されていくお嬢さまとお坊ちゃんがた一人ひとりに、いってらっしゃい、いってらっしゃい、とバスガイドの女性と運転手の男性が声を掛ける。大変な仕事だなあ、と思いながら見守る。

 ……と。私もそんな場合じゃなかった。

「国永さま」

 私が声を掛けるのと、国永が席から腰を浮かしたのはほぼ同時だった。どうやら彼は外へ出るらしい。彼の目が私を見る。

(……あれ?)ぱちくりと瞬きした。なんだか、国永、焦ってる?

 彼は何事かを言おうとして、口を開き――



 ぽん、と音を立て、消えた。



「――――っ!?」

 悲鳴を辛うじて堪える。前方にはまだ生徒が数名残っている。今、声を上げたらまずいことは明白だった。なんでよ、お昼もめちゃくちゃ食べていたし、さっきだって山頂のカフェで軽食を完食していたじゃないのよ。お腹空くの早くない!?

 ……などと言っている場合でもない。

 私は慌てて自分の鞄から、何か猫が食べられそうなものが無いか探す。が、今日は荷物を減らすためにお菓子も全て置いてきてしまったので、食べ物系が何もない。仮にジャンクフードがあったところで、猫に与えられないのだが。

 地面に落ちた服の間から、ひょこんと顔を出したハイが、自分の鞄をたしたしと叩く。

 この中に何か入っているってことだろうか。そりゃそうよね、あれだけ私に、やれ事前の準備が足りないとか、想定が甘いとか、私みたいなへたは打たないとか言ってたし! なんだろう、腹が立ってきたなあ!


 ……いっそ、助けないという選択肢は。


 手が止まる。

(うん、……それは無しだな)

 約束したから。それを私から破るのは、あり得ない。

「……失礼します」

 鞄を開ける前に、ぽん、と手を合わせる。

 中を覗き込む。ぐうたらな行動に反して、大変綺麗に整理整頓されていた。ノートの几帳面さを連想させる。なるほど、几帳面な部分っていうのは、こういう生活面にもそのまま出てくるわけね。……なんだろう、この敗北感。


 打ちのめされた気分になりながらも、私は手を動かす。目的のものはすぐに見つかった。鞄手前の内ポケットに、ドライフードが一袋。残念ながら、器が無い。ハイは期待に満ちたきらきらした目で私を見ている。今にも喉を鳴らしそうである。

 どちらにせよ、迷っている時間は無かった。

 袋の口を破り、中身をどさっと自分の手の平へ広げた。すかさず首を伸ばしてきたハイが、私の手をも一緒に食べる勢いでドライフードを浚っていく。ざらざらした舌が痛いような、くすぐったいような。思えば、直接手から餌をやるのは初めてだった。ウェットフードを手に載せるわけにはいかないし、当然といえば当然だけれど。

 可愛いなあ。ふにゃ、と口元が緩む。

 ――でも、これ、国永なんだよね。

 私は余計なことに気付いた。猫の姿が人間の姿に変換され、ひっと悲鳴を上げそうになる。こ、これは、よろしくないやつ! 嫁入り前の娘がしてはいけないやつ!


(違う、違うから私。これは猫、猫、ただの猫。人間になんてならない猫!)


 自己暗示気味に、何度か唱える。すると不思議なことに、目の前の黒いインクを零したような頭をしたグレーの猫が、正真正銘、ただの猫であるように思えてきた。大体、人間が猫になる方がおかしいのだ。あれが夢に違いない。……周辺に広がる服は、見ないふり。

 私はそのまま現実逃避することにした。


 それにしても、なんかこれ、結構量が多い。袋には、五十グラムと記載されている。これ、全部食べ切るのだろうか。こんなに? 本当に? パッケージ裏を見る。体重に対する一日に与える量。ええと、三キロで六十グラムちょっと。これ一袋で五十グラムだから、えーと……多分、三キロ以上はあるよね。足りない? ああ、でも一日量を今全て食べる必要は無いから、むしろ全部あげると多いくらいじゃないか。余ったらどうしよう。そもそもハイの体重を知らないから適正な量がわからない。猫と化け猫を同じ基準で考えて良いのかもわからない。どうしよう。どうしたら?


 ぶつぶつ考えている間に、手に置いたカリカリは全て食べ切ってしまったようである。もう少しちょーだい、とばかりに、私の手に、もふもふの手を乗せる。

 強請られるままに、私は再び餌をやる。ドライフードを嚙み砕く音が響く。これ、バスの前方まで届いていないと良いんだけど。

 私がそわそわし始めると、ようやくハイも食べるのをやめた。ぺろ、と口の周りを舌で舐める。

「んくぅ」小さな鳴き声だった。いつもよりあえて抑えたような。……自分の事情をしっかり理解している行動。

 つまり、人間としての意識もあるってことですよね。そりゃそうですよね。パンツの色もちゃっかり覚えていらっしゃいましたし。――ああ、眩暈がする。

 くらくらしてきた私の前で、猫が人間に変化した。現実逃避タイム、終了である。


 ついでに。

 例によって、全裸だ。


「ふっ――んむ」反射的に叫びそうになった私の口を、ぱしっと塞いだ国永は、人差し指を唇にあて、しーっとポーズを取る。どうでもいいから早急に服を着ろっ!!

 私はこれ以上何も視界に入れまいと、ぎゅっと目を瞑った。




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